琉球道総督
禎兆九年(1589年) 六月中旬 周防国吉敷郡上宇野令村 高嶺城 毛利輝元
恵瓊が相国様から私に届いた文を読んでいる。読み終わると文を私に戻した。受け取って脇に置いた。
「予定通りかな、恵瓊」
恵瓊が頭を撫でながら”はい”と答えた。
「予定通り、そして予想通りにございますな」
一つ息を吐いた。思いのほかに深かった。恵瓊はどう思っただろう。……相国様が琉球を攻めた。六月頃には琉球を降すだろうと聞いていたが……。それでも驚いている自分がいる。
「予定通りかもしれぬ。だが早いと思わぬか?」
恵瓊がまた”はい”と頷いた。
「兵を出したのは三月の半ばでございましたから琉球を三月かからずに降しました。驚くべき事にございます」
「そうだな」
あっという間だった。国というのはこんなにもあっけなく滅ぶのかと思った。琉球は日本が攻めてくるとは思っていなかったのだろう。明に服属して入れば日本は何も出来ないと侮ったに違いない。油断したのだ。油断すれば滅ぶのだと思った。
「殿、近江の三郎右衛門殿からは何か報せがございましたか?」
「うむ、琉球は荒川平四郎という者が治めるらしい」
恵瓊が”荒川平四郎”と呟いた。
「御倉奉行の荒川平九郎の息子だ。琉球では一年間税を取らぬそうだ」
「はて」
恵瓊が首を傾げた。
「琉球の民を宥めようという事でしょうか?」
「それも有ると思うが平四郎は一年間琉球を調べるそうだ。調べてから税をどれ程取るか決めるらしい。勿論、税を軽くするのが目的だと民には言うようだ」
恵瓊が”ほう”と声を上げた。顔に笑みが有る。
「面白い事を考えますな。琉球王国は滅んだ、政が変わる、世の中は変わったと琉球人に認識させようというのでしょう」
なるほどと思った。何時までも過去に囚われるなという事か。となると税を軽くするというのは嘘ではないのだろう。恵瓊がまた頭を撫でた。
「上手くいくと思うか?」
恵瓊が”それは分かりませぬ”と首を横に振った。
「しかし一年間税が無いというのは民にとって朗報です。期待はしましょうな」
「うむ、そうだな」
相鎚を打つと恵瓊が頷いた。
「あとは琉球王の扱い次第かと思いまする。丁重に扱えば民は安心します。粗雑に扱うようだと自分達だけが優遇されていると後ろめたさを感じる事になりかねませぬ。それは朽木への、日本への反発に繋がりましょう」
なるほど、後ろめたさか……。確かにそうかもしれない。恵瓊はそういう事に気付く。自分は気付かない。人の心の機微に疎いのだ。気を付けなければ……。
「琉球王は帝から改めて琉球王に任じられる事になる」
恵瓊が”はい”と頷いた。朝廷にも相国様にも琉球王を粗雑に扱う考えは無い。琉球の民を安心させる事を重視している。力で押さえ付けての支配では無理が有ると見ているのだ。となると琉球の統治で問題が生じる事は無さそうだな。あとはどれだけ琉球を豊かに出来るかだが……。
「琉球では砂糖を作らせるそうだ」
「左様でございますか……。では豊かになりましょうな」
そうだな、豊かになる。琉球は安定し繁栄するだろう……。内に不安は無くなる。
「恵瓊、相国様はイスパニアと明、どちらを重視していると思う?」
恵瓊が私をジッと見た。はて……。
「それはどちらと戦になるかという問いでございますか?」
恵瓊の声が低い。困惑した。
「そこまで考えたわけではないが……。いや、そうだな。そういう事になるな。どう思う?」
答えると恵瓊が苦笑した。思いつきで質問すると思ったのかもしれない。その事を言うと今度は困ったような表情になった。
「考えるよりも言葉が先に出るお方は少なくありませぬ」
「そなたのように頭の回転の速い者には不快であろう。考えてから口に出せと言いたくなるのではないか?」
恵瓊が首を横に振った。
「考えて出した言葉よりも思いつきの言葉の方が事の本質を突いている事がございます」
私を傷付けまいとしているのだろうか……。
「まあ、そういう事にしておくか。それで、どう思う?」
「難しゅうございますな」
「難しいか?」
問い掛けると恵瓊が”はい”と答えた。
「琉球を攻め獲った事は間違いなく呂宋のイスパニア攻めを見据えての事でございましょう」
「うむ」
「しかし琉球は明に服属しておりました。文にも有りましたが相国様は明を怒らせた事になります。まあ、明の皇帝の顔を叩いたようなものですな」
そうなのだ。そこが引っ掛かる。
「朝鮮も明に服属している。対馬の件も有る。朝鮮は不安だろうし不快だろう。実際朝鮮は相国様を相手にしないと聞く」
「はい」
「明の皇帝は暗愚らしい。琉球の事には左程に関心を持たぬかもしれぬ。しかし朝鮮が明を戦に引きずり込む可能性が有るとは思わぬか? 琉球を攻め獲ったのは明の皇帝だけではなく朝鮮王の顔も叩いたと私は思うのだ。そして日本と朝鮮は日本とイスパニアよりもずっと近い」
私の言葉に恵瓊が大きく頷いた。
「愚僧もそれに同意致しまする。琉球を攻め獲った事はイスパニア、明、朝鮮の顔を叩いて日本を舐めるなと言った事になりましょう。そしてイスパニアは日本に使者を出しました。詫びを入れたのです。負け戦の後ですからな、今直ぐは戦えぬと判断したのだと思います」
「そうだな」
上手いやり方だと思った。機を見るに敏と言って良い。相国様はイスパニアを恫喝して頭を下げさせた。
「或いはですがイスパニアは日本が明、朝鮮と戦になると判断して一歩退いたのかもしれませぬ」
なるほどと思った。一歩退く事で機を窺っているのだとすれば油断は出来ぬ。恵瓊が頭を撫でた。
「明、朝鮮だが動くと思うか?」
恵瓊が”分かりませぬ”と首を横に振った。そして何を思ったのか、顔を綻ばせた。
「相国様は待っているのかもしれませぬな」
「待って?」
問い返すと恵瓊が頷いた。
「明、朝鮮が動くのを待っているのではないかと。イスパニアを一叩きした以上、次は明、朝鮮と考えているのやもしれませぬ」
そうか……。イスパニア攻めは琉球が安定した後と考えれば先に明、朝鮮を叩くと考えるのはおかしな事では無い。傍に置いた文に目をやった。相国様は毛利を単独で戦わせる事は無いと書いている。それは明、朝鮮との戦を想定しての言葉であろう。相国様は戦は近いと見ているのかもしれぬ。
「不甲斐ない戦は出来ぬな」
恵瓊が頷いた。
「はい、出来ませぬ。毛利は朽木家にとって頼りになる親族でなければならぬのです」
「うむ」
十年後、十五年後に毛利は桐姫様を迎える事になる。それまで失態は許されぬのだ。
禎兆九年(1589年) 六月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「伊達家家臣、石母田左衛門景頼にございまする。主藤次郎政宗の命により近江に常駐する事になりました。非才の身では有りますが懸命に勤めますれば宜しくお願い致しまする」
三十歳くらいの男が一礼した。声に力が有るし表情もキリッとしている。周りには朽木家の重臣達が居るのだが緊張している素振りも無い。なかなかの人物のようだ。
「御苦労だな、左衛門。色々と力を借りる事が出てくるだろう。頼むぞ」
左衛門が”畏れ入りまする”と頭を下げた。
「相国様には琉球を平定したと聞きました。心からお慶び申し上げまする」
「ああ、有り難う。もっともこれからが大変だ。異国を治めるのは初めてだからな。それに明、朝鮮、イスパニア。どこも面白くは思うまい」
左衛門が曖昧な表情で頷いた。まあ中々答えづらいよな。
「藤次郎は元気かな?」
「はっ、息災にございまする」
「そうか、小十郎の土産話は気に入ったかな?」
左衛門が顔を綻ばせた。
「はっ、大層感銘を受けましてございます。天下は広い、動いている。それに遅れてはならぬと常々口にしておりまする。某にも決して気を緩める事無く天下の動きを見届け自分に教えよと命じました」
彼方此方から声が上がった。頑張ってるな、そんな感じだ。しかしなあ、俺はあまり喜べない。政宗の野心と覇気は少しも納まっていない。
「そうか……。左衛門、藤次郎に伝えてくれ。焦るな、先ずは足元を固めよとな。藤次郎は未だ若いのだ。時は十分にある。焦る必要は無い」
左衛門が”はっ!”と畏まった。
「もっとも焦るなと言われても焦ってしまうのが若さだ。困ったものだな」
皆が笑う中、左衛門も苦笑いを浮かべて”真に”と言っている。
「こちらに自ら来たいと言ってなかったか?」
「はっ、そのような事を口にしておりました」
「そうか、今年は色々と行事が有る。天下統一の報告、大政の委任、それに琉球王の朝廷への出仕、改元とな。藤次郎が知れば来たがるかもしれぬが先ずは左京大夫殿、御内室殿の一周忌を優先するようにと伝えてくれ。伊達の家臣達は藤次郎が自ら一周忌を執り行う事を望んでいる筈だ。俺もそれを望んでいる。あの二人は奥州人の意地と誇りを貫いたのだ。そして天下にその武威を示した。それを疎かにしてはならぬ」
左衛門が”はっ!”と畏まった。
「有り難うございまする。伊達の家臣を代表して相国様の御配慮に心から感謝致しまする」
顔を伏せたまま左衛門が礼を言った。声が少し震えている。伊達の家臣達にとって左京大夫夫妻が貫いた意地と誇り、そして武威は決して忘れてはならない物なのだろう。
「礼には及ばぬ。本当は生きていて欲しかったと思っているのだ。一度じっくりと話してみたかったとな」
左衛門が顔を上げて俺を見た。目が濡れている。
「忝のうございまする。相国様にそこまで評価して頂いた事、左京大夫は天下に面目を施しましてございます」
面目か……。そうだな、左京大夫の名前は後世にまで残るだろう。俺もそれを積極的に推し進めなければ……。伊達を親朽木の大名にする必要が有る。奥州を安定させるにはそれが必要だ。万一の時は家臣達に藤次郎を抑えさせなければ……。そのためには偽善だろうが何だろうがやらなければならない。
「そなたの邸だがな、土地は用意してある。大工も手配したからどんな邸を建てるのか、相談すると良い」
「はっ、有り難うございまする」
「邸が出来るまではこの城に泊まると良いだろう」
「はっ、しかし、それは……」
左衛門が困惑している。
「遠慮するな。小十郎も泊まったのだ」
「……はあ」
「邸が出来るまでの間に朽木家の重臣達と顔馴染みになっておいた方が良い。それに色々と聞きたい事も出てこよう。この城に居た方が何かと便が良いぞ」
左衛門が”有り難うございまする”と言って頭を下げた。仲良くなるのはこれからだな。
禎兆九年(1589年) 六月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基安
「平四郎、いよいよ琉球へ出発だね」
声をかけると平四郎が溜息を吐いた。
「平四郎殿、溜息は止せよ。折角皆でこうして激励しているんだから」
長沼陣八郎が窘めると平四郎が恨めしそうに陣八郎を見た。
「総督なんて荷が重いよ。大殿の気まぐれにも困ったものだ」
平四郎、陣八郎、宮川重三郎、日置助五郎、そして私。皆が大殿に視線を向けると煮物を口に運んでいた大殿が顔を顰めた。
「琉球道総督は平四郎だ。変更は無い。諦めろ。餞別も渡したぞ」
”これですか?”と平四郎が波平行安の短刀をかざした。
「波は平らかに行は安しって言うけど御利益が有るのかな?」
平四郎が小首を傾げると重三郎が”平四郎殿”と窘めた。
「船旅を守ってくれるそうだ。だが俺は琉球の統治も穏やかに進むようにとの思いも込めてそれを贈った」
”そうだと良いんだけど”と平四郎が言うと大殿が”ふん”と鼻を鳴らした。
「誰か平四郎に注いでやれ。辛気くさいのは御免だ」
助五郎が平四郎の杯に酒を注いだ。
「基本的な統治の方針は間違っていない」
「ですが実際に統治を行えば齟齬が発生しますよ」
平四郎が杯を一息に干すと助五郎が直ぐに注いだ。
「当たり前だ。齟齬が出れば修正すれば良い。その時だが統治の方針から外れないようにする事だ。それを繰り返している内に徐々にどうすれば齟齬が出ないように出来るか見えてくる」
「そんなものかな?」
平四郎は小首を傾げているけど大殿は”そんなものだ”と平然としている。
「大殿も一つ如何ですか?」
重三郎が大殿に酒を勧めた。大殿は最初に一口飲んだ後は茶碗に注がれたお茶を飲んでいる。
「要らぬ。未だ仕事が残っている」
「え? この後に?」
重三郎が驚くと大殿が息を吐いた。
「藤が待っているからな。務めを果たさなくては」
「あ、そっちですか」
重三郎が笑うと皆も笑った。
「それは仕事じゃ無くて楽しみでしょう」
「藤殿は美人ですからね」
平四郎、助五郎の言葉にまた笑い声が上がった。確かに藤殿はすらっとした細身の美人だ。皆が大殿を冷やかすのも分かる。大殿が不機嫌そうに顔を顰めた。
「笑うな。大事な事なのだ」
また皆が笑った。今度は大殿も笑った。
「平四郎、異国を治めるのは誰がやっても初めてなのだ。失敗は有って当然だ。大事なのは失敗した時にそれを失敗だと認められるだけの柔軟性が有るかだ。失敗が認められなければそのまま突き進む事になる。それは失敗が大きくなるということだ」
皆が頷いた。
「平四郎にはそういう柔軟性が有る。俺はそう思っている。自信が無い? それも良い。自信過剰で失敗を認められない奴よりも数倍ましだ」
「……褒めてるんですよね?」
平四郎が自信なさげに問うと皆が笑った。
「褒めているぞ。だから平四郎の思ったようにやれ」
平四郎が息を吐いた。そして”仕方ないな”と言う。そう、仕方ないんだ。大殿に選ばれたんだから。




