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「あー、昨日は最悪だった」
早朝に目を覚ましたアシュレイは伸びをしながらそう振り返った。
昨日の人前でゲロを吐いたことは、慎ましやかとは程遠いアシュレイであってもそれなりに落ち込む。アシュレイはそれなりにメンツを気にする方なのだ。
「まあまあ、一日で回復して良かったと考えるべきじゃないですか?」
そう声をかけてくれるのは、島から連れてきた侍女のアニーである。彼女はマーシー島唯一の医者の元で助手をしていて、アシュレイと同い年であることからそれなりに親しい関係を築いている。アシュレイの事情や性格も一通り理解している。
「確かに最初の課題から出遅れたら洒落にならないからな。そう思うことにするよ。ありがとうアニーさん」
「いえいえ。……にしても王宮って思ってたのと違いますね」
「そう? 私は想像通りだけど」
「なんというか、うーん……想像より大きくないっていうか……。離宮だからかもしれませんけど」
「十分大きくないか? まあ、島みたいな大自然はないけどね」
窓の外には庭園が広がっているが、あくまで人工的な庭園だ。草、木、岩、丘、そして海が自由に生きている島とは違う。
「たしかに、そのせいかも。天井は想像より低いですけど、絢爛豪華なのは想像以上ですし」
「そうでしょうそうでしょう。……よいしょ、これ今の内に飛ばしとくかな」
アシュレイは話しながら紙を紐状に切り刻んだ。
「なにしてるんですか?」
「これをその辺の鳩の足にくくりつけて運んでもらうんだよ。魔術で操作すれば少しの距離なら言うことを聞かせられる」
「魔術でって……外部と連絡を取るつもりですか!?」
アニーは昨日のトランド夫人の発言を思い出した。盤外戦術で事態が複雑になるのを避けるために、外部との連絡は制限する。そう言われたのだ。
しかし今まさに、アシュレイは外部と連絡を取ろうとしている。
「こんなことしたら怒られますよ!」
「バレなければ怒られないよ。夫人も『離宮での暮らしぶりについては個々人にお任せします』って言ってただろう。あれは外部との連絡について主催側は手伝わないから勝手にやれってことだよ」
「そんな屁理屈みたいな……」
「だって盤外戦術が必要ないわけないでしょ。これは美少女コンテストじゃないんだよ」
王太子妃になるということは、いずれ王妃になり政治にも関わらないといけなくなる。そんな場所に純粋なだけの少女を置くわけにはいかない。
「……盤外戦術をしていいとして、誰に連絡するんですか?」
「ロミーだよ。私の秘書のロマン・グラシア」
「ああ、彼……。忙しくないんでしょうか。魔術の塔の新入りでしょう?」
「忙しくても彼はこっちを優先してくれるよ。できれば早くクビになりたいくらいだろうし、なにより彼は私が超大切だからね」
「…………」
ロマンも不憫だな、とアニーは憐れんだ。
*
「最初の課題ですが、皆様には王妃様のサロンの音楽会に出ていただきます」
「音楽会……鑑賞するってことですか?」
「いえ、演奏側です」
令嬢たちがざわつく。当然だ。明らかに有利な人と不利な人が課題である。
「楽器ですか?」
オーガスタが尋ねる。
「歌でもピアノでもなんでも。王妃殿下に見ていただく自信のあるものをお選びください。レッスンに外部の方をお呼びすることは可能ですが、本番で手伝っていただくことはできませんので、そのあたりはご承知おきください」
誰だって同じことを考えている。皆ヒルダの方を見た。アンドレアは、視線を鋭くした。オーガスタは顎を撫でて思案をした。シャロンは文句を垂れたい様子だった。
ヒルダの歌には、きっと誰にも勝てない。彼女の実力は折り紙付きだ。王妃もきっと気に入ることだろう。
気の強くないヒルダは、注目を浴びてることに居心地の悪い思いをしていた。小さく縮こまり、視線をこちらを見ていない誰かに向けたくて、右往左往させた。
視線を動かした先で、手を挙げているアシュレイが目に入る。
「見るのは王妃殿下だけですか?」
「……というと?」
「例えば他の王族の方とか、どこかのお偉いさんとか……そういった方々は?」
「特には。王妃殿下とサロンのご婦人方のみになります」
「そうですか」
アシュレイは途端に興味を無くしたように伸びをした。
「それでは、本番は半月後になりますので、それまでに仕上げてくださいまし。レッスンなどの希望がありましたら講師は手配しますのでお申し付けください」
トランド夫人が解散を告げた途端、令嬢たちはすぐさまどこかへ行ってしまった。何も決めておらず、やる気も微妙なアシュレイのみが取り残されてしまった。
「…………えー」
とりあえず、その場を出ることにした。
歩いていれば何か浮かぶかと思い離宮内を練り歩くが、どうもなにも思いつかない。
「楽器なあ、どれも上手くないしな……」
たしなみ程度、と言うか、島民の老人のボケ防止のための指導に必要な程度の歌とピアノとリュートくらいはできるが、貴族のたしなみとしてはやったことがない。恥をかくのを承知でカントリーミュージックでも歌おうか。
他の人たちは説明が終わったら速攻で帰ってしまったが、アシュレイとしては被って実力差が明確に出るのが恐ろしいので、なるべく被りを避けたいものだが果たして。
林の手前に差し掛かったあたりでふと足を止める。
「ん?」
皆自室かレッスン室にでも引っ込んだものだと考えていたが、一人引っ込んでいなかったらしい。池のある方面から綺麗な歌声が聞こえてきた。つい、セイレーンの歌声に引き寄せられるように、アシュレイは林の中に入っていった。
「お上手ですね」
声の主の姿を発見し、声をかけると声の主は恥ずかしそうにうつむいた。
「あ……聞いてらっしゃったんですね」
「ええ。私は音楽に造詣が深くないので苦労しますが……ヒルダ様はそんなこともなさそう?」
「……ええと、それがそうでもなくて」
ヒルダは池のほとりに腰を下ろした。ドレスが汚れるのを気にするんじゃないかと思ったが、そんなこともないらしい。座ったと言うことは話す意思があるのだろう、と判断してアシュレイは遠慮なくヒルダの隣に腰を下ろした。
「いつも伴奏をつけてもらってるんです。それでやっと緊張しなくて……でも今回は誰かの手を借りられないから、一人で歌うしかなくて……私本当に気が弱くて……どうしようかと……」
「そんな感じでよく召集に応じましたね」
アシュレイの容赦のない一言に、ヒルダの顔がさらに曇った。
「家のためには、来るべきじゃないですか。私は……その、あんまり家人から良く思われてないので……。私だってなんで自分が呼ばれたのか分からないし……」
召集の基準は気の強さではない。アシュレイは調べたから知っているのだ。今回の妃選びは王太子の希望でこの国――フロスユリス王国の憲法を暗唱できる人、と言う意味の分からない基準を設けている。それを突破できたのが偶然ここの五人だっただけで、彼女の王妃としての資質なんて知ったことではない。
……が、独自入手したこの情報を教えてあげるほどお人よしでもない。
「まあ、何かしらの資質があったんでしょう。で、今は王妃殿下の音楽会のことでしたね。ヒルダ様は結構本気で取りに行く感じですか?」
「え、ええ。他にとりえもないんですもの、ここで点を稼いでおかないと……」
「でも、今回の妃選びは選考の基準もなにも分かったものじゃなくないですか?」
「え?」
「そもそも誰が決定するんでしょうか。トランド夫人? 王太子殿下? 王妃殿下? 国王陛下? そこが不透明なので、誰に媚びればいいかも分からない。ならもう適当にやるしかないですよね。なので私は次のは捨てました」
あっけらかんとしたアシュレイに、ヒルダは信じられないという顔をした。
「そ……でも、誰に媚びれば良いか分からないなら全部全力でやるべきじゃ……」
「それができれば一番ですけどね。まあ得意なところだけ頑張ればいいと思いますよ」
「それが私は今回なんですって!」
ヒルダはアシュレイが何を言いたいのか見当がつかず、困惑する。その様子を見てアシュレイはにっこりと笑った。
「そうでしょうね。あなたはここが大切で私はそうでもない……つまり、私はあなたの引き立て役になっても構わないってことです」
任せろとばかりに胸を強く叩く。ヒルダはぽかんとしてアシュレイを見た。
「伴奏、引き受けますよ。半月あればなんとか……ギリギリ形にはなるでしょうから」
池の水面で魚が跳ねた。ぽちゃんと音がして、また池の中に戻っていった。
「えっ!? アシュレイ様がですか!?」
「ええ。先ほど言った通り本当に今回はどうでも良いので、消化試合なんですが……さすがに不参加とはいかないでしょう。なら伴奏で構わないので便乗させてほしくて」
「私はありがたいですけど……ありなんでしょうか」
「当日に外部の人の手を借りなければなんでもいいんでしょう? ダメって言われたら説得してくるので安心してください」
ヒルダの両手を取る。ヒルダは困惑してるような、嬉しいような、様々な感情がないまぜになった顔をしている。
「任せてください」
「よ、よろしくお願いします……?」
こうして、アシュレイが音楽会でやることが晴れて決定したのだった。
*
「え、アシュレイ様がピアノですか?」
「そう。島でジジババに指導したとき以来だからちゃんとできるか分かんないけど、まあ頑張るよ。とりあえずバイエルでもやるか」
「のんびりですね……。それにしても良かったんですか? その、他人の引き立て役みたいなことして。無償の奉仕をするタイプでもないでしょうに」
「人聞きの悪い。……無償ではないよ。むしろ利用させてもらおうと思って」
「利用?」
「そう。王妃の印象にかけらも残らないように」
アシュレイはアニーから水を受け取り、一気に飲み干した。
「王太子は王妃が嫌いなんだよ。表面上では仲良くしてても、義理の母子だし。王妃に気に入られるのはむしろマイナスの側面が多い。王妃に少しでも媚びたって印象が付くと困るからね」
「……なるほど。なんか、聞くんじゃなかったです」
「誰が王太子妃を決定するのか知ったこっちゃないけど……私は王太子個人に取り入りに来たんだ。王太子に嫌われるのは勘弁」
「私としてはあんな怖い噂の多い王子様と懇意になるのは嫌ですけど」
「……」
ルキウスは、稀代の暴君である。彼は妾腹であり、彼の上には王妃の息子が二人もいる。なので本来なら跡目争いに乗り込めるような立場にもなかった。――しかし、彼は第一王子の周囲の人間を囲い込み脅し暗殺し、第一王子を失脚させた。その際にルキウスは上手く印象操作を行ったために王妃の息子たちは立場が悪くなり、第二王子さえ退けて第三王子でありながら王太子の座についたのだ。
その就任の経緯に疑問をいだく人は少なくないが、彼があっという間に隣国との国境紛争を勝利に導いてしまったことで誰も文句をつけられなくなった。
「でも表向きは名君だから。あんまり滅多なことは言っちゃ駄目だよ」
「でも、なんか気に食わないんですよね」
「ははは…………胸の内に秘めといてね。……そういえば鳩帰って来た?」
「ええ、帰ってきましたよ」
アニーが軽い足取りで籠の中の鳩を連れてきた。足には手紙が結ばれたままだ。
「取らなかったんだ」
「魔術がかかってるならやめた方が良いかなと思いまして」
手紙をゆっくり外す。細く切り刻まれている紙を魔術で復元すると、見慣れた字が浮かんできた。
「ロミー、日中ずっとお偉いさんに張り付かれてるらしい」
「なんかしたんですか?」
「いや、単に気に入られちゃったみたい。あいつスカしてるけど普通に優しいせいでおじさんたちに気に入られやすいんだ」
「あー、なんとなく想像つきます。あとはなんて?」
「あとは……」
二枚目の手紙を見て、アシュレイは手を止めた。島との連絡がこちらからは取れないので、ロマンに代わりに取ってもらっている。と言っても連絡船はろくにないので、一か月に一度程度しか手紙は来ない。今回は偶然タイミングがあったのでこちらに来てから一週間程度で手紙が来たらしい。
「…………」
「席を外した方がいいですか?」
「……悪い、そうしてもらえると助かるよ」
思いつめた空気のアシュレイを見て、アニーが席を外す。一人になった部屋で、アシュレイは大きく深呼吸をした。
持ち込んだ荷物の、一番分かりにくいところ。詳しくはテディベアの目にハマった小さなガラス玉を取り外す。指輪に魔力を込めると、ガラス玉が淡く光った。
「……ロマン、聞こえる?」
『聞こえる。アシュレイ、元気?』
一つのテディベアの目を分け合って媒介にし、連絡を取り合えるようにした。微弱な魔力しか込めていないので感知はされないだろうが、代わりに効果時間も五分と短い。
「元気だけど、ちょっと焦ってる」
『そう。しょうがないね。どう、恩赦はもらえそう?』
「全然ダメ。王太子に会う機会も思ったよりない。そっちからも会えないか探ってみてくれ」
『了解。……で、伯爵様の容態のことだけど』
「…………」
伯爵――アシュレイの父は、アシュレイの唯一の肉親である。アシュレイの母はアシュレイを生んだときに死んでしまい、乳母になれるような若い女は島にいない。そんな状況でもなんとかアシュレイを教育し、ここまで育ててくれたのが父である。
『一年持つか微妙だって。妃選びの終わりまで待ってる余裕はない。早く島の外に出て治療を受けるべきだよ』
「……分かってる。分かってるよ、そんなことは」
『最悪王妃になって自分で恩赦を出す案を考えてただろ。あれはあきらめた方が良い。まあ、他の候補者全員辞退させれば早めに終わるかもしれないけど』
「そんな非現実的な案は聞きたくもない。で、仕事の方は何件? 今迄みたいに私が代わってはやれないし、病人にあんまり負担をかけたくないが」
『今月は五件。なんとか上に掛け合って他に送ってもらえないか聞いてみるけど、期待はしない方が良いかも』
「……そう。手間をかけて悪いね。君も忙しいのに」
『いいよ別に。俺はあんたの物だからね~。じゃ、早く寝なよ。あんまり思いつめないように』
「うん……」
ブツ、と音がして声が途切れる。本当はもう少し声を聞きたかったが、これ以上喋っているとどんどん深刻な気分になってきそうだったから切り上げてくれて助かった。
「……早く全員自由にしないと………………」
いつも気丈に、変に、誰にも馴染まないようにふるまっているが、ずっと肩が重いのだ。いつも瞼が重いし、足だって重い。早く楽になりたい。こんなことのために生きていない。早く、早く自分のために幸せになってみたい。
早く自由になりたい。




