プロローグ
風の強い日だった。海は荒れ、草木は揺れ、しかし日は穏やかに降り注いでいる。
アシュレイはたった一人で、草原の真ん中に腰を下ろし空を見上げていた。伯爵家の令嬢ではあるものの、人口もそこそこの辺境の離島の領地では、今更淑やかな振る舞いなど求められない。
「アシュレイ、屋敷に誰か来てた」
幼馴染のロマンがあくびをしながらそう言う。彼は屋敷で雇っている魔術師だ。やることは色々だが、ほぼ秘書みたいになっている。なのでアシュレイとロマンは主従関係のはずであるものの、彼は付き合いが長すぎるからか敬語の使い方を忘れたらしい。
アシュレイはゆっくり起き上がり、隣にしゃがみこんだロマンの眼帯をゆっくり伸ばして手を離した。ペチ、と情けない音がする。
「誰かって?」
「知らない。よそ者だった」
「そりゃそうでしょう。島の人なら直接ここに来るだろうし。父上じゃなくて私に用があると?」
「そうらしい。だから早く呼んでこいって言われてんの。都会っぽい人だったな。心当たりは?」
「ないない。この島から出たことなんてほとんどないのに」
本土に行くには船に乗るしか無い。しかしアシュレイは馬車酔いがひどく都会に向かないので、年頃の娘らしく都会で買い物したいとか、舞踏会に行ってみたいとか、そういうことを言い出すことはしなかった。おかげで今では、立派な田舎娘が出来上がってしまっている。
「だよなぁ。ともかく早く行くよ。疲れてるかもしんないけど」
「はいはい……あー疲れた」
「おぶってやろうか」
「冗談」
草原をしばらく、十分くらい歩けばようやく屋敷が見え始める。
「着替えろとか言ってた?」
「特に何も」
「そう。じゃあこれでいいや」
部屋着とまでは言わないが、フォーマルとは言えない散策用のワンピースである。着替えたほうが無難ではあるが、アシュレイもロマンも面倒なので何も言わないでいた。
「父上、今戻りました」
「アシュレイ……」
扉を開けた瞬間、見知らぬ人がそこにいた。散策用のワンピースのアシュレイとは真反対の、フォーマルで落ち着いたドレスを着ている中年の夫人であった。
「王室からの使いでいらっしゃった、トランド候夫人だよ」
「ご機嫌よう」
アシュレイとロマンは目を見合わせる。
「伯爵、お客様を応接間に通さなかったんですか?」
なぜ玄関で待たせているのか、とロマンが尋ねる。伯爵はバツの悪そうな顔をした。
「やめろよ。今あそこ物置になってるだろ」
アシュレイが小声でロマンを小突く。
「言ってもらえれば片付けたのに」
ロマンは文句をいうが、客人の前で揉めるわけにもいかない。アシュレイは姿勢を正し、客人に向き直った。
「はじめまして。ええと、私にご用だとか?」
「はじめまして。あなた様がアシュレイ嬢でいらっしゃいますか?」
「はあ、そうですが」
こんな丁寧な敬語を使われるのは久しぶりで、なんとなくむず痒く感じる。
夫人はアシュレイのその様子に怪訝そうにしながらも続けた。
「この国の王太子殿下のことはご存知ですね?」
「さすがに、多少は。もぐりでもなきゃ誰でも知ってるでしょう」
「……その婚約者候補として、アシュレイ嬢……あなた様が選出されました。従って、来週より一年間クレイフェル離宮にてお過ごしいただきたい」
アシュレイは目を瞬かせた。
「王太子妃っていう柄じゃないと思いますけど」
粗雑な態度を改める気もなければ、気の抜けた服装を直す気もサラサラなく、そして島から出たことがなくて世間知らずときている。私が王太子妃に向かない理由三選という本を書けるレベルだ。
「しかし、議会の取り決めによることですから、従っていただかなければなりません」
「そうですか。じゃあ参上するしかないですが……後悔しませんか?」
「それは、わたくしが判断することではございません」
「……そうですか」
招待状を受け取り、雑に手で封を切る。要項が綴られている。欠格事由は貴族の立場を失うこと。アシュレイのような田舎貴族でも、庶民からの成金とかであっても、貴族でさえあれば構わないということだ。
紙を折りたたんで封筒に戻し、夫人に向き直った。
「ところで本日はどのようにいらっしゃいました? うちの島には連絡船とかも出てないはずなんですけど」
「王室の方より特別に船を出させていただきました。私もこのまま一週間滞在させていただき、貴方様を王都まで送り届ける手はずとなっております」
「……それって、私と侍女以外も乗せてもらうことは可能ですか?」
「どなたを乗せるつもりですか? 原則関係のない方は駄目ですが……」
「まさかあ、関係ない人を運んでもらうほど図々しくないですよ。彼です」
ロマンを指さした。一見スカした顔をしているが、あれは早く引っ込みたいなーと言う顔だ。アシュレイには分かる。
「彼は我が家のお抱え魔術師なんですが、王宮の魔術師の塔から出頭命令が出てまして。先延ばしにして早5年、いい加減訪問しなければいけないでしょう?」
「……出頭命令?」
「そう! 出頭命令で……」
「あー、俺が答えますよ。アシュレイは黙ってて」
ロマンに押し退けられる。ロマンはポケットから指輪を取り出し、右手の人差し指にはめる。
「指輪式の魔術師ですか。今時珍しいですね」
「杖は諸事情で使い勝手が悪くて。で、俺の開発した魔法ですけど。アシュレイ」
「はいはい」
ロマンが人差し指をアシュレイに向ける。指輪にハマった青い石から鈍い光が漏れる。
光はアシュレイに向かう。
「……っと」
瞬間、アシュレイの体から力が抜ける。瞳はしっかりと閉じられ、意識があったらまずできないような倒れ方をした。ロマンはそれを慣れたように受け止めて椅子に座らせる。
「ちょっ……なにごとですの!?」
「失神してるだけですよ。効果時間短めにしたので十秒もすれば起きるはず……おーい、もう切れてんだろ、起きて」
ロマンがアシュレイの頬を雑に叩く。アシュレイは不満げに目を開いた。
「……このまま狸寝入りしようと思ったのに」
「ふざけるなよ。……で、こういうのを開発したら上の逆鱗か琴線かのどちらかに触れたらしくて、出頭命令を喰らいました。で、あれが出頭命令の紙です」
ロマンが玄関ホールの掲示板に雑に留めてある紙を指差す。確かに、塔の署名と国王の署名がある。
「……原則関係ない人は連れ出せない決まりですけど、仕方ありません。あなたも船に乗ってくださいまし。それでは、一週間のうちに侍女の選定と準備を」
「了解しました。ちなみに、侍女の身分はなんでもいいんですか? 女性としか書いてませんが」
「身分は問いません。下級貴族が貴族の侍女を準備するのは大変でしょう?」
「それもそうですね。ありがとうございます」
ひとしきり確認すべきことは終わった。じゃああとは準備をするだけだ。
準備を、準備……。
「……もしかして我が家に泊まられる感じですか?」
「その予定ですけど」
トランド夫人の荷物を見る。大きめのトランクだ。そう言えば、一週間滞在すると言っていた。王家からの使者を雑な所に泊まらせることは流石にできない。
客間は流石にある。あるのだが……。
二人の実験場にしていて、先日爆発させたばっかりである。窓もないし、屋根も一部吹き飛ばした。
「……ロマン、部屋、片付けるぞ」
「…………客間かあ」
「早急に、全力で、二人でやれば多分今日中には終わるだろ」
「かなあ……」
夫人を唯一綺麗な食堂に案内し、アシュレイとロマンは客間の掃除に取り掛かった。




