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あおとみずいろと、あかいろと  作者: 蒼真まこ
みずいろの章~水樹
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光失い、闇に囚われて

 誰かが、俺の名を呼んでいる。

 白衣を着た者たちだ。どうやら心配してくれているようだが、もはやどうでもいいことだった。その場に力なくしゃがみ込んでしまった俺をひっぱりあげ、外へと連れ出してしまった。

 控え室のソファーに崩れ落ちるように座らされ、何かをしきりに話しかけてくるが、何を言っているのかさっぱりわからない。何の反応もしない俺にあきらめたのか、どこかへ去って行く。


「ももこ、桃子、ももこ……」


 どっぷりと暗い闇の中で、愛する人の名を呼び続ける。いつもなら光が差し込むのに、変わらず闇の中に沈んだままだ。


「だ、れか……たすけて……。あおば……青葉……」


 その名は、かすかな光だった。俺と桃子が、もっとも信頼する友であり、俺にとっては半身とも呼ぶべき兄弟。

 震える手で携帯電話を取り出すと、わずかな光にすがるように発信ボタンを押した。


『水樹か? どうしたんだ、こんな夜中に』


 慣れ親しんだ青葉の声。その声を聞いた瞬間、倒れるのを必死に(こら)えていた心が決壊し、涙があふれ出した。


『青葉、桃子が。赤ん坊を産んだ桃子が……』

『桃子に何があったんだ? 水樹、しっかりしろ。今どこだ!?』


 病院名を伝え終えると、がくっと力が抜け、携帯電話を床へ落としてしまった。拾い上げる気力はなく、あふれ出る涙に息が詰まりそうになりながら、青葉が来るのを待つことしかできなかった。


 しばらくして青葉が来てくれたのを確認すると、役目を終えたと言わんばかりに、俺の精神は再び闇の中へと沈んでいった。


 その後のことは、正直ほとんど覚えていない。

 俺の代わりに病院や親族に対応してくれる青葉に申し訳ないとぼんやり思いながら、ねっとりと絡みつく闇に抵抗することもできず、静かに意識が遠のいていった。




 闇の中で、夢を見ていた。幸せな夢だった。

 桃子と共に暮らし、思い出の写真を撮り、笑い合った日々。それは俺にとって、奇跡のように幸せな日々だった。


 今の現実で考えなければいけないこと、しなくてはいけないことが山程あることは、心のどこかでわかっていた。

 それを自覚して体を起こそうとすると、闇が体を縛り、心を蹂躙(じゅうりん)して、動けなくされてしまう。闇の中で、ひたすら漂うことしかできない。涙を流す余裕すらなく、暗闇の中に沈み込んでいく毎日だった。


 俺の代わりに動いてくれたのが、青葉だった。青葉もまた桃子という友を失い、心の痛みに嘆きながらも、懸命に俺や家族を支えてくれた。

 

 青葉の優秀さをぼんやり見つめながら、兄の隣にいるのが桃子だったら、どんな未来があったのだろう? と思い始めていた。真面目で周囲の人間を大切にする青葉なら、桃子にも決して無理はさせなかっただろう。経済的に安定した時に結婚して、ほどなくして子供を授かって……。きっと絵に描いたような幸せで穏やかな家庭を築けたはずだ。


 俺はどうだろう? 写真家という夢は見い出したものの、まだ修行中の身で桃子と結婚して子供を授かり、結果的に無理して働かせてしまった。もっとのんびり暮らさせていたら、桃子が死ぬこともなかったのではないだろうか……。


 ああ、そうだ……。桃子が死んだのは、俺のせいなんだ……。何もかも、俺が悪い。芹沢水樹という存在が、この世に生まれてこなければ良かったんだ。芹沢家の息子は青葉だけで十分だ。双子の弟であり、できそこないの俺なんて、この世に必要ない。


 そうだ。桃子を青葉に返してやろう。

 でもどうやって? 

 ああ、そうだ。過去に戻ればいいんだ。

 桃子が産んだ娘の朱里と共に、天国へ行こう。

 そして桃子に朱里を抱かせてやったら、そのまま過去に戻して、青葉に桃子を渡そう。

 そうすればきっと、何もかも大丈夫だ。桃子は死なずに幸せになれる。

 

 桃子の代わりに俺が、消えて無くなればいいんだ──。


 闇に囚われた俺の心は、もはや取り返しがつかないほどに病み始めていた。




 指先に触れるあの感覚を、俺は生涯忘れることはないだろう。

 いや、忘れてはいけないのだ。決して──。


 触れることさえ躊躇(ためら)うほどのやわらかな肌、少し力を入れるだけで簡単に手折れてしまいそうな(もろ)さをもつ赤ん坊。小さな赤子である娘の首を、俺はそっと絞めていた。桃子が命と引き換えに産んだ、俺たちの朱里の首を……。

 殺そうと思ったわけではない。朱里を天国に行かせてやりたかったのだ。母である桃子に会わせるために。それが一番だと思った。

 支離滅裂(しりめつれつ)な思考に陥り、その行為が親として決して許されないものであることを気付けないほどに、俺の心は闇に支配されていた。

 朱里を天国に行かせ、桃子に会わせてやったら、桃子と朱里は過去に戻ってやり直せると本気で思ってしまったのだ。

 桃子は俺とではなく、青葉と結ばれるべきだった。朱里も俺の娘ではなく、青葉を父にすべきだ。二人の娘として産まれることができるなら、朱里だって何の苦労もなく幸せになれる。


 桃子を守ってやれなかった、できそこないの俺は、桃子の無事を見届けたら地獄に堕ちよう……。


 なんとも浅はかで身勝手な思考だが、その時の俺はそれが最良の方法だと信じ込んでしまった。


「水樹! 何をやってるんだ!!」


 我にかえったのは、青葉が体当たりしてきた時だった。まともに動いてなかった俺の体は、簡単に突き飛ばされてしまった。


「朱里? 大丈夫か?」


 朱里は青葉の胸に抱かれると、しばし咳き込んだ後、安心したように泣きじゃくった。その姿はまさに父子そのもので、やはり俺は父になる資格すらないのだと、ぼんやり感じていた。


「なんで、こんな馬鹿なことをしたんだ!」


 青葉に問われ、自分がとんでもないことをしてしまったことを、少しずつ理解し始めていた。


「俺が、桃子を殺したようなものなんだ……。だから過去に戻って、やり直したかった……」


 桃子の代わりに、俺が死ぬために。

 桃子を守れなかった俺は、この世から消えてしまえばいい。


「そんなこと、できるわけない!」


 その通りだ。過去に戻ることも、桃子の代わりに死ぬことも、今の俺には許されない。ああ、俺はなぜ、いつも間違った選択をしてしまうのだろう……。


「俺には朱里を育てる資格も、生きる理由もないんだ……!」


 ふらつく体で立ち上がると、泣きながら外に飛び出した。愛する人を守れなかった俺は、この世から消えてしまえばいい、と本気で思いながら。


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