018 探す星
アヤセが悲鳴の元へ向かった後、ミコトは臭いに嘔吐きながらも迷ったかもしれないシルフィーを探し始めた。
元々開いていなかった扉の中にどうやってシルフィーが入れたのか、その謎は解けぬままだが、扉付近にいないということは中に入っているのだろう。もしかしたら、彼女もアヤセと同じように魔力を操れるのかもしれない。
__それなら、ミコトは? ミコトは二人の同じように不思議な力を操ることはできないのかなぁ。ミコトはやっぱり……出来損ないのまんまなのかな……。
環境からくる生理的な拒絶としての涙とともに、悔しさからくる涙がミコトのなめらかな肌を伝う。その雫はぽたぽたと音を立てて不衛生な床を濡らした。その音はミコトの心を悲しいくらいに締め付ける。
「ミコトにできること……。シルフィーを探す事ならできる……!!」
ミコトは鼓膜が機能していない。それは発明された少女としての欠陥部分であり、失敗作たる所以である。ただ、失った聴力の代わりに得た特技があった。
視力が、異常なまでによいことである。
その瞳ははるか遠くのものを見渡し、網膜を通して得た情報を脳内で素早く処理することができる。目は口程に物を言うとはこのことだろうか、普段は可愛らしくくりくりとした瞳が見開かれると、覗かれた人間は蛇に睨まれた蛙のようになってしまう。
それほどに、彼女の瞳は特別なものであった。そして、彼女はそれを理解している。自らの瞳がナイフにもスコープにもなることを。
__集中。ミコトが探したいのはシルフィーただ一人。ほかの情報はすべて遮断。必要のないものは切り捨てる
心の中でそうつぶやくだけで、ミコトの瞳はぎゅっと絞られ、千里眼と化す。いつもは大きいピンクの瞳はこれでもかと言わんばかりに縮小され、爬虫類のような形を成してゆく。
決して、他の人の前では見せられない醜い姿。だから彼女の力に気づく人はごく少数。いや、もしかしたら、いないのかもしれない。
「……っいた!!」
ミコトは右斜め前方で乳白色の髪を視認した。まるで天使の羽根のように揺れるその細やかな束は、見るものすべてを魅了してしまう。現に、こうしてスコープのように彼女を追っているミコトですらうっとりとしてしまうくらいの美しさ。この世のものではないみたいな……。
こうしている場合ではない。ミコトは頭を振ってそう思いなおし、シルフィーの行く末を見送ることに専念する。
__……右に行った?もうすでに、右の部屋に入っているはず。ここのフロアの部屋には、どこかにつながる扉なんてないはずなのに……。もしかして、さっきアヤセが開けた大きい扉みたいに、不思議な力で開く扉がまだあるのかな?
シルフィーの動向は、ミコトが感じている通りに、不可解なものだった。何もない壁に手を翳したり、その場で足踏みをしていたりと、気が狂ってしまったのではないかと心配になるようなものばかりだ。ただし、その懸念は杞憂に終わることとなる。
「……え?」
がこん、と何かが外れる音がフロアに響く。かなり大きな音だったが、気味のよい快音であったため周りの失敗作を驚かせることはなかったようだ。もっとも、ミコトにその音は聞こえなかったのだが。
ともあれ、この現象はシルフィーが起こしたものだ。ミコトはシルフィーの動向を先程よりも注意深く観察する。
どうやら、シルフィーが手を翳していたあたりの壁の一部が空洞になったようだ。彼女はレッドカーペットを歩むかのようなゆったりとした挙動で、その空洞へ足を踏み入れた。想像上にすぎないが、きっと靴の固い音が室内に響きわたっているのだろう。
「だめだ、もうこれ以上は見えない……」
シルフィーの行き先をじっと見つめていたが、どうやら空洞の中は見えないようだ。そこだけ黒の絵の具をぶちまけたみたいに、闇以外に何も見ることができない。
何かしらの力が働いているのだろうか。もしそんな力があるとしたら、アヤセが使っていたものと同じなのだと、ミコトは直感で理解する。
結界というやつだろうか? そんなファンタジーめいたものがあったとして、なぜあそこで使う必要があるのか。そして、なぜシルフィーが使えるのか。そもそもなぜ隠したがる?
ミコトの頭にはハテナマークがぽぽぽと浮かぶ。疑問は止まらない。
今まで信頼していたのに、本当は嘘をついていたの?
そう考えたが、頭を大きく振ることで、不信を打ち消した。さきほどまで視力を乱暴に扱っていたので、視線が右へ左へ行くうちに、簡単に目が回ってしまった。
「そうだ、アヤセはどうなったんだろう……」
他の失敗作がNo.187のことを【アヤセ】と呼ぶので、いつのまにか【おねえさん】呼びから【アヤセ】呼びに変わっていることに気づいているのか気づいていないのか、ミコトは自然にその名を呼んだ。
よし、もう一度やろう。
そう決意し、人間に戻った瞳孔を再び絞り、爬虫類のものに似た瞳孔の形に変えてゆく。
さあ、そろそろ見えるぞ。その時だった。
「おい……ミコト、何してんだよ?」
「あっれー!? ここの扉、いつも開いてないのに! なんでなんで??」
「まったく……いつも通り騒々しいですね……」
入ったときから開けっ放しだった扉の向こうで、見慣れた失敗作三人がミコトに向かって言葉をかけた。無論、彼女には聞こえなかったが。それでも何者かの気配を感じ取って背後を振り返ったとき、ミコトは彼女らの姿に驚いた。
「え、な、なんで!?」
わざとらしいとまで言えるその大仰な驚きぶりに、ロミがため息を吐く。
「なんでったって……第三棟とつながってて、お前の独り言が大きいもんだから聞こえてきたんだよ」
やれやれ、何回目かもわからないため息と同時に吐かれるその言葉は、態度とは裏腹に嫌悪を感じなかった。それは、ロミとともにいたミナとムクも同様であった。
「それにしても……どうしたのです、その瞳は」
ムクがつま先立ちをしてミコトの瞳を指す。
ミコトの瞳は、瞬間的に爬虫類のものにしたり、人間の状態に戻すことはできない。徐々に戻っていくのだ。先ほど、アヤセの様子を見るために変化させようとしていたので、ちょうど彼女の瞳は人間と蛇の中間のようになっていた。
「……えーっと」
ミコトは口をもごもごさせ、真実を伝えるのを躊躇った。
この姿を気持ち悪いと思われたらどうしよう。今まで仲が良かったのに、これがきっかけで避けられ始めたら……。
考えただけで、ミコトの背筋には嫌な汗が垂れ、ぞわぞわと悪寒が全身を襲った。心臓が大きく揺れ、今立っている床がすべて崩壊してしまったような、不思議な感覚に襲われた。
「……ま、嫌だって言うんだったら聞くのはまずいっしょー?? とりあえず、今は何が起きてるのか聞くべきだよね!! うん!!」
意外にも、ミコトに助け船を出したのはミナだった。
底抜けに明るく、周りのことなどお構いなしに騒いでしまう彼女は、思ったよりも冷静な部分がある。楽しいことをしたい、という心は変えることが【できない】のだが、彼女なりに楽しいの基準があるのだろう。きっと、今の行動はそれ故のものだったのだ。
何はともあれ、ミコトは大いに助けられた。心底安堵し、思わずほぅっと息を吐く。
「たしかに……今だけはミナに賛同します。それで、ミコト。いったい何があったというのです? この扉開くなど……自分は見たことがありません。よほどの緊急事態だったのです?」
さすが、ムクは察しが良い。
シルフィーが扉の先から叫び声を聞いたこと。それをアヤセに伝え、アヤセの持つ不思議な力によって扉を開けたこと。アヤセが叫び声の元へ向かってしまったこと。
それらを簡潔に説明した。
シルフィーがおかしな空洞に入っていったことを伝えようかと思ったが、あまり気乗りがせず、ミコトは口をつぐんだ。
「それは……あまりにも危険なんじゃあないか? アタシもこの中を知らない。アヤセなんてもっと分からないことだらけだろうし。でも、探すにしても構造が分からないんじゃあどうしようもない……」
ロミはその切れ長の目を伏せ、自分の世界にのめりこんだ。黙って怒っていなければ美人で綺麗なのに。この非常事態にあまりにも不釣り合いな感情をミコトは抱いた。
「僕、知ってるよ、中のこと」
唐突にミナがそういうのだから、ロミとムクはぎょっとして顔をあげた。遅れてミコトも、みんなの表情を読み取ってミナが言ったことを理解した。
「だから、僕についてこれば、きっとアヤセ見つかるよ! うん、そうに違いない!」
この空気に張り詰めた緊張などいざ知らず、場違いな能天気さをミナはふりまく。その明るさは緊張を解くことなく、疑いを深めただけだったが、今は猫の手も借りたい。とりあえず三人はミナの言うことを信じることにした。
◆ ◆ ◆
「それにしてもこのフロア……異常に臭いかきつくないか?一体何をすれば鼻がひん曲がるような臭いになるんだ……」
他の失敗作が鼻をつまんで臭いをやり過ごす中、それがかなわないロミは必死に耐えていた。今までにないほどに顔を引き攣らせているため、それほどまでに異臭がするのは自明だった。
「まあしかたないよー、我慢我慢!!それに、アヤセが見つかって無事なのが分かればさっさとおさらばできるしねー。頑張って進むしかないんだよ!」
あっけらかんとしているミナも、気丈に振る舞ってはいるがかなり無理をしているようだ。いつもの何も考えていないような笑顔に、不快感、の三文字がミックスされている。
「ふん…………ま、文句言ってたって意味ねえしな……ところでミコト、アヤセはどこに行ったんだ。今見てるんだろ?大体の位置を教えてくれ。」
ロミがぼそっと、ミコトのそばで呟いた。
「えっ……なんで、ミコトが見てるって知って……」
「……勘だよ、勘。耳が使えねえんなら、何かしら他に特技があるはずだ。まあもっとも、耳が聞こえなくとも、お前は人が話している内容がわかるみてえだが……」
それは、ミコトの努力の賜物であった。
教育機関によって勉強していた頃、ほとんどを口頭で説明する教諭に、ミコトはあたってしまった。案の定言っている言葉が分からず、その理解度は人の4分の1にも満たないのではないか、と自負していたくらいだ。
これではいけない、と、思った。そして唇の動きから、どのような言葉を話しているのか察する能力を身につけた。元々勘はよかったのだ、習得するのにさほど時間らかからなかった。
そして、人の心を読もうとする努力をした。正確には、会話の流れやその場の雰囲気、話している本人の性格から、言いそうな言葉を当てる能力だった。
この2つの努力によって、今のミコトがある。それに加えて、生まれ持った視力もある。ミコトは、失敗作と言うにはあまりにも優秀であった。
それを、才能だとか、天から与えられただとか、そんな安い言葉て片付けられてはやるせない。
「おい、で、どうなんだ?アヤセはどこにいるんだ」
「あっ、え、えーと……」
瞳を変形させるのは体力を使うため、能力を緩めていたが、ロミが段々と苛立ってきたので再試行することにした。
ぐいんっと遠くにあった壁が近くに見え始め、さらにはその壁さえも通り越して、奥の部屋が透けて見えた。
「集中……アヤセの居場所……」
ぶつぶつと独り言……いや、呪文を繰り返し、アヤセ以外の情報をシャットダウンする。
やがて、ミコトの視界から建物が消える。ロミも、ミナも、ムクも……残ったのはアヤセだけだ。
距離は30mほどであろうか。だだっ広い研究室にしては、かなり近い。
そして、アヤセは奇妙な格好をしている。何かに立ち向かうような、臨戦態勢と言えばよいだろうか。少なくとも、穏やかな雰囲気ではないことが、アヤセから湧き出る不思議な気と、その鬼気迫った表情から伝わる。
「……アヤセ、やばいかも……!!」
冷や汗が四人の背を伝った。