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目を開けると気難しげな男が覗き込んでいて、彼はため息をついた。
「戻ってこられたんだ……でも目覚めに見るのは、乙女のほほえみがいいなあ」
彼の教育係も兼ねた魔法使いは、呆れたように鼻を鳴らした。
「いつも通りにごきげんうるわしく、結構ですな」
「うん、最高の乙女に出会えたからね」
ぱっと彼は身を起こした。十日も眠り続けていたとは思えない、軽やかな動きだった。
「夢でお会いになったんですかな?」
「そんなところかな。でもちゃんと、実在する乙女だよ」
「転んでもただでは起きないお方ですな。ベルベル嬢には、もう少し強力な呪いをかけていただいてもよかったかもしれません」
暗に、こりない奴だという非難を匂わせて、魔法使いはそっぽを向いた。
「ベルベル嬢とも会ったよ。うん、もう一度ちゃんとお詫びしないとね。それに、そうだ、まだ大事なことが残ってる」
「なんです?」
「まだ乙女の名前を聞いていないんだ。ぜひとも、もう一度会って聞く必要がある。そう思わないかい? 思うだろう?」
いそいそと衣装棚を開けて服を取り出す彼に、魔法使いは深々とため息をついた。彼はかまわない。どの服で行こうか。今度はちゃんとした身なりで出会いたい。
「その前に、なさるべきことがあるでしょう。陛下や妃殿下にどれだけご迷惑をおかけしたと思っておられます」
「ああもちろん、後で会うよ」
「乙女より先にですぞ!」
「わかった、わかった」
お土産は何がいいかな? でもきっと大げさなものだと怒られるだろうから、小さな花束くらいかな。
ああ、そうだ。
彼はくるりと振り返った。
「弟子を紹介するよ。魔法の才能はないらしいんだけど、とても頑張り屋のいい子なんだだ。いろいろ教えてやっておくれ」
「……はっ?」
うん、いい考えだ。
彼はにっこりとほほえんだ。
ロッテたちを襲った三人組は、お尋ね者の強盗団だった。隣の町で追われてこちらへ逃げ込み、どうやら遺跡付近に隠れているらしいと情報が入ったのは昼過ぎのこと。にわかに町が緊張する中、戻ってこない末娘を心配するカスパル卿に、遺跡に行ったかもしれないと教えたのは、驚いたことにアガーテだった。強盗団の話を聞いて、さすがにまずいと思ったらしい。
「つまるところ小心者なのよね」
意地悪なくせに、心底悪人にはなりきれない姉だということはわかっている。お互いの距離を近づけるのは、なかなかむずかしいだろうけれども。
「それにしても、呪いはとっくに解けていたなんてね。あたしたちの努力は何だったのかしら」
今日は庵にロッテ以外の客がいる。出されたお茶をいただきつつ、ベルベルは答えた。
「もともと、眠らせるだけのつもりでしたもの。なのになぜかユリアン様の心が身体を離れて迷子になっちゃって、あの遺跡で眠っていた遺骨にとりついてしまったのですわ」
はずみで記憶もなくしてしまったから、それが自分の身体だと思い込んでしまったらしい。だから呪いが解けても元の身体に戻ることができなかったのだ。
「いろんな意味で情けない奴……」
ロッテは呆れるしかない。呆れるといえば、息子に呪いがかけられたと聞いても王様はちっともあわてなかったらしい。
「たまにはよい薬だろうて。あれの根性を鍛える訓練になるかもしれん」
そんなことを言われる王子様なんて。
「ねえ、一体アレのどこがよかったわけ?」
真面目に聞けば、ベルベルは懸命に弁護した。
「あら、ユリアン様は文武両道のとても優れたお方ですのよ。お化けには弱いですけど、立派な王子様なんですから! 女の人が大好きなのが、ちょっと困るのですけど……」
「かっこいいんだか、悪いんだか」
評価するのが難しい王子様だ。でもまあ、かっこよかったかな? ちょっと思いなおす。自分に呪いをかけた相手に怒りもせず、逆に謝るなんて誰にでもできることじゃない。
ロッテたちのしたことも、多分むだじゃないのだろう。ロッテの中で、たしかに何かが変わっていた。
小屋の中はもうすっかり片づいていた。あふれるほどの本はすべてまとめて、外へ運び出してしまった。本気で片づければすぐに終わったのだ。ただどうしても未練が捨てられなかったから、ぐずぐずしていただけ。
魔法使いにはなれないとわかっていたのに。
あれ以来ロッテはちょっとした噂の的だった。たいへんな魔物を従えて、王子様にかけられた恐ろしい呪いを解いてしまった。やはり魔法使いの弟子なだけあると、町中の人が感心していた。おかげでアガーテの態度も微妙だ。でも今はもう、どうだっていい。
魔法よりももっと大事なことを、ちゃんと師匠から受け継いでいたのだから。
アルはいつものように、床の上に寝そべっていた。いつの間にか元の姿に戻っていた彼は、あれきり知らん顔だ。立派な魔物はもうどこにもいなくて、くたびれた老いぼれの犬がいるだけ。
それでいいわ、とロッテは思った。本物の使い魔なんて、自分の手には余る。きっとアルはじいさんの遺言に従ったのであって、ロッテを新たな主人と認めたわけではないだろうし。
弟子と使い魔に残した師匠の最後の言葉は、「仲良くな」というものだった。ロッテの危ない時にだけ、アルは力を貸してくれるのだろう。一応、仲間だから。
今日はいい天気だった。誰もがいいことがありそうな予感に、心をはずませた。
荷物を馬車に積み終えた下男は、お嬢様たちを呼びに戻ろうとした時、町の方からやってくる一団に気がついた。はて、こんな所に誰がやってきたのだろう。一台の馬車を、守り導くように騎影が囲んでいる。彼らは整然と並んでやってきた。旦那様だろうか? いいや、旦那様の馬車はあんなにきらきらしていない。
近づくにつれて、彼らの出で立ちがはっきり見えてきた。みんなとても立派な身なりだ。特別な日におめかしした旦那様と同じくらい。人だけじゃない、馬も立派な馬具をつけてもらっていた。綺麗に整えられたたてがみも、つやつやと輝く毛並みも、町の馬とは大違いだ。
なんだなんだ、一体なにごとだ。
お嬢様たちを呼びに行くのも忘れて、彼はぽかんとその場に立ち尽くした。
「なんだか外がさわがしくありません?」
飲み終えたお茶の片付けをしながら、ベルベルが外を気にした。
そういえば、ひづめの音が聞こえる。さっき聞こえた馬車の音は、もしかしてうちの馬車じゃなくて別の誰かがやってきたのだろうか。
「本当。誰か来たのかしら」
ロッテが首をかしげた時、とんとんと小屋の扉が叩かれた。
二人は顔を見合わせた。誰?
とんとん。ノックが繰り返される。
ロッテは入り口へ向かった。扉までは、あと三歩。
「はい、どなた?」
三歩先に、驚きが待っている。
***** 終 *****
十年くらい前に書いた話を発掘してきました。
読み返してみたら、「明日天気になったなら」の原型がすでにここにありました。
千歳は私の中では珍しいタイプのヒロインだと思っていたのですが、そうでもなかったかも。
ロッテの方がにぎやかで活発ですけどね。根っこの部分がよく似ているようです。