第六章 赤い果実の契約
その夜、オルフィリアは七番街の地下書庫にいた。
ザフィレーヌは帰っていったが、最後に一つだけ言葉を残していた。
『選定まで、あと七日。それまでに決めなさい。あなた一人が犠牲になるか、それとも王国の何百万もの人間を犠牲にするか』
その言葉が、何度も頭の中で繰り返されていた。
オルフィリアは机の上に広げた古文書を読み進めた。
白根の樹。
魂の契約。
供物の継承。
そして、ある一節に目が止まった。
『根を断つには、果実を食らうべし』
オルフィリアは眉をひそめた。
果実。
それは、白根の樹が百年に一度だけ実らせる赤い果実のことだった。
古文書によれば、その果実には魔物の力の一部が凝縮されており、食べた者は白根の樹と直接契約できるという。
つまり、供物になるのではなく、魔物の支配者になれる可能性がある。
「……これなら」
少女は思わず呟いた。
自分が供物にならずに済む。
王国も救える。
継母も、セヴラディオも、七番街の人々も。
誰も犠牲にならずに済むかもしれない。
しかし、その希望は、書庫の入口から聞こえた声によって遮られた。
「その本を、どこで見つけた?」
メルキオルだった。
彼はオルフィリアの手元を見るなり、顔色を変えた。
「……お前、それを読むなと言っただろう」
「ですが、ここに方法が書かれています。白根の樹の果実を食べれば、契約を書き換えられると……」
「馬鹿なことを考えるな!」
メルキオルが机を叩いた。
「その果実を食った人間がどうなるか、わかっているのか?」
「……魔物と契約するのでは?」
「違う。魔物の一部になるんだ」
オルフィリアは言葉を失った。
メルキオルは額を押さえ、深く息を吐いた。
「白根の樹は、ただの魔物じゃない。大地そのものに根を張る、巨大な生命体だ。果実を食べた人間は、その意識と融合する」
「……融合?」
「ああ。人間としての意識を保てる保証はない。最悪の場合、王国全土に広がる根の苦痛を、一人で受け止めることになる」
オルフィリアは古文書へ視線を落とした。
「……それでも、供物になるよりは」
「同じだ!」
メルキオルは叫んだ。
「どちらにせよ、お前は人間ではなくなる!」
少女は黙っていた。
やがて、静かに尋ねた。
「……では、他に方法はあるのですか?」
メルキオルは答えられなかった。
「私が供物にならず、王国も滅ぼさず、誰も犠牲にしない方法があるのなら、教えてください」
沈黙が続いた。
長い、長い沈黙だった。
やがてメルキオルは、苦しそうに目を伏せた。
「……ない」
オルフィリアは微笑んだ。
「でしたら、試してみます」
その笑顔を見た瞬間、メルキオルは理解した。
この少女は、もう決めてしまっている。
そして、それを止める言葉を、自分は持っていないのだと。




