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タンポポ事件から数日後。王都まで目前の最後の森の中、サーシャは眠れず一人で宿屋のテラスで夜空を見上げていた。
「……星、あんまり見えないなぁ」
呟くサーシャの小さな声は、宵闇の森に吸い込まれていった。
時計が無いから正確な時刻はわからないけれど、深夜と呼ばれる時間帯だ。フクロウだって、ホゥホゥ鳴くのに飽きている頃だろう。
明日も旅は続く。だからサーシャも夜更かしなんかしないで、早く寝なければならない。なのだけれど、どうにも眠ることができなかった。
それはホームシックになったからとか、愛鳥のニワトリ3羽が心配だからとか、年頃の娘らしく種馬王子が夜這いに来るかもしれないと警戒しているからとか、そんな理由ではない。
とても悲しいことに、ベッドの寝心地が悪いのだ。
正確に言うと、慣れ親しんだ堅いベッドではなくフカフカのベッドで眠る日が続いて、横になると目が覚めてしまうのだ。
本日の宿泊場所は貴族も利用する高級宿屋。立派な門構えに尻込みするサーシャをよそに、アズレイトは『みすぼらしいところではありますが、お許しください』と深々と頭を下げる始末。
彼の背後で頬をひきつらせた宿屋のオーナーと、サーシャは最後まで目を合わせることができなかった。
とはいえ、アズレイトを責めるつもりはない。彼の言動は、サーシャを国を救う聖女として扱っているからこそのものだから。
(あのあばら屋を見ているのにねぇ……)
アズレイトは馬鹿ではない。サーシャの生家をその目で見たのなら、これまでの暮らしがどんなものだったかは、ちょっと考えればわかるはずだ。
でも彼は、サーシャを絹のドレスしか着たことが無い貴婦人のように扱ってくれる。これまでサーシャにそんなふうに接してくれる者は誰一人としていなかったから、ちょっとだけくすぐったい気持ちになってしまう。
それと同時に、アズレイトはそういう気品のある女性が好みで、サーシャにもそれを求めているのかなとも思ってしまう。
絵本に出てくるような、気高く美しい聖女であることを望んでいるのかと。
「……いやさぁ……それ無理だし」
サーシャは無意識に呟いた。
森生まれの、森育ち。どの木の実が美味しくて、どの草に毒があるかの選別なら、絶対に王都の女性に負けない自信はある。
聖女という血筋を抜いたサーシャ個人としての取り柄は、それぐらいしかないから。
「……あーあ」
なぜだろう。わかりきったことなのに、改めてそれを考えると妙にしょんぼりしてしまう。
サーシャは自分のつま先を見つめ、深い溜息を吐く。このまま起きていたら、どんどん嫌な気持ちになりそうで、もう一度ベッドで横になろうと決めた。けれども、
「……あ」
部屋に戻ろうと身体の向きを変えた途端、アズレイトがテラスの入り口に立っていた。サーシャは、ぴしりと固まってしまう。
こちらを無言で見つめるアズレイトは驚いているサーシャを見て、ふわりと笑みを浮かべた。言葉にするなら「やっと気づいてくれましたか」といった感じで。
おそらくアズレイトは、かなり前からここに居たのだろう。
(黙っていないで声をかけてくれれば良いのに)
サーシャがそんなことを心のなかで呟いた途端、アズレイトがゆっくりとこちらに近づいて来た。
「なにやら熱心に星を見られていたようで、お声掛けしては妨げになるかと思い、ここで待機しておりました。申し訳ありません」
ああ、本日もまた声に出してしまったようだった。
サーシャは素知らぬ振りをして、アズレイトから目を逸らす。
きっとアズレイトは自分のことを口の悪い小娘だと思っているだろう。もしかしたら、なんでこんな奴が聖女なんだ!?とすら思っているのかもしれない。
そう思われても仕方がないことばかりやっているので、アズレイトを責めるつもりはない。けれど、やっぱり見たままの自分を評価されると、ちょっと胸がしくしくと痛んでしまう。
今回はちゃんと口元に手を当てているので、うっかり声を出すことはしなかったが、サーシャのその仕草は誤解を生んでしまうものだった。
「サーシャさま、寒いのですか?良かったらこれをどうぞ」
どうやらアズレイトの目には、サーシャが寒くて両手に息を吹き掛けているように見えたらしい。
「あー、大丈夫です。私、毛布があるんで。それよりアズさ......あ、いえ。アズの方が寒いのでは?」
「お気遣い痛み入ります。ですが、まったく寒くないです。それよりサーシャさまが寒そうにしておられるほうが辛いです」
「......はぁ」
今さらだけれど、サーシャは寝巻き姿ではあるが、毛布を身体に巻き付けているのでモコモコ状態なのだ。
対してアズレイトは、シャツ一枚にマントを片手に持っている軽装。日中はいつも結っている髪は、今は背に流れている。
春の夜はかなり寒いのに、こんな薄着なのは、多分、部屋で寛いでいた際に、何かの拍子にテラスにいる自分を見つけて、駆け付けてくれたからなのだろう。
腰にはしっかり剣を差しているから、護衛としてずっとここに居てくれたのかもしれない。
アズレイトをまじまじと見つめたサーシャは、悪いことをしたなと素直に思った。彼の貴重な休息を邪魔するつもりはなかったのに。
「......あの、ごめんなさい」
「なにがでしょうか?」
サーシャの肩にマントを羽織らせたアズレイトは不思議そうに首をかしげた。
「いや......だから、せっかく休んでいたのに、私がここに来ちゃったから......その......」
話せば話すほどどんどん首の角度が深くなるアズレイトを見て、サーシャもどんどん声が小さくなってしまい──最後の言葉は、夜風に揺れる枝葉の音にかき消されてしまった。




