プロローグ + 1話
本日四刻前。
探検家ギルドは開拓者モンブ・アシャリカの死亡を正式に認定した。
八十階層遠征中の消息不明から一年余り。
遺体は発見されていない。
しかし生存を裏付ける証拠も存在しないことから、ギルドは死亡認定に踏み切ったという。
モンブ・アシャリカ。
史上最速の五十階層到達者。
初の深淵配信者。
完全生身単独探検家。
そして深淵詐欺師。
彼ほど評価の分かれる探検家も珍しい。
未踏階層の踏破。
遭難者の救出。
数々の記録樹立。
探検史に残る功績を打ち立てた一方で、彼の功績には生前から疑惑が付きまとっていた。
本当に単独だったのか。
本当に生身だったのか。
本当に深層へ到達していたのか。
ある者は英雄と呼び。
ある者は山師と呼んだ。
彼自身もまた、その疑惑を否定しなかった。
否定するどころか煽った。
配信において。
取材において。
時には公の場で。
だからこそ、彼は詐欺師と呼ばれた。
その死に際しても意見は割れている。
無謀な探索の末に死んだ愚か者。
あるいは。
誰よりも深淵へ近づいた先駆者。
もっとも奇妙なのは、彼を知る人間ほど評価が定まらないことだろう。
憎んでいたはずの者は彼を擁護し。
愛していたはずの者は彼を責める。
誰もが別のモンブを語る。
まるで同じ男について話しているとは思えない。
だが一つだけ確かなことがある。
モンブ・アシャリカという男は死んだ。
そして。
彼の死後になってなお、消えない疑問がある。
なぜ彼はそこまでして深淵へ潜ったのか。
なぜ単独探索に拘ったのか。
なぜ危険な深淵配信を続けたのか。
なぜ誰よりも速く先へ進もうとしたのか。
そして。
詐欺師と呼ばれたその男は、一体何を騙していたのか。
本稿は、関係者への聞き取り、現存する配信記録、各種公的資料をもとに、その生涯を追うものである。
最初に紹介したい人物がいる。
彼の死を受け入れなかった、ただ一人の女性についてだ。
◇
モンブ・アシャリカの死を受け入れなかった女性がいる。
セナ・アシャリカ。
ギルド記録によれば、彼の恋人である。
モンブの死亡認定が下されたのは、八十階層遠征からおよそ一年後のことだった。
その半年後になっても、彼女は喪に服さなかった。
墓標も作らなかった。
供花の一輪すら見当たらなかった。
代わりに残されていたのは、帰る場所だった。
壁には外套が掛けられていた。
色褪せた灰色の外套である。
左の袖口だけが大きく擦り切れている。
本人は気に入っていたらしく、何度繕っても同じ場所から傷んでいったという。
玄関脇には使い込まれた革靴が揃えられていた。
右足の爪先には魔物の牙で削られたような傷が残っている。
修理に出すよう何度言われても聞かなかったらしい。
机の端には読みかけの本。
十一頁目に栞が挟まったままである。
栞代わりに使われていたのは、乾燥した薬草の葉だった。
窓辺には欠けた植木鉢。
かつては薬草を育てていたものらしい。
縁に入った小さな亀裂は、持ち主が帰宅時に蹴飛ばした際のものだという。
どれも些細なものだ。
だが不思議と手が入れられた形跡がない。
まるで持ち主が少し席を外しているだけのようだったと記録されている。
世間は口を揃えて語った。
モンブ・アシャリカは死んだ、と。
当然である。
八十階層での消息不明。
遺体こそ発見されなかったものの、生還を信じる者はほとんど存在しなかった。
長年彼と競い続けたエアハルト・メセナも。
父であり師でもあったノグラ・アシャリカも。
皆、その可能性を口にはしなかった。
ただ一人。
セナだけは違った。
彼は帰ってくる。
そう信じていたらしい。
理由について記された記録は少ない。
しかし断片的なメモはいくつか残されている。
そのどれにも、ほぼ同じ内容が記されていた。
モンブは約束を守る人だった。
たったそれだけである。
傍から見れば奇妙な理屈だろう。
モンブの評判は決して良くない。
嘘吐き。
詐欺師。
山師。
売名屋。
再生数稼ぎ。
そのような悪評は生前から枚挙に暇がない。
一方で、約束を守る男だったという証言も数多く残っている。
両者は一見矛盾している。
しかし本書のために集められた証言を追う限り、その矛盾はただの勘違いだったのかもしれない。
彼は確かに嘘を吐いた。
だが約束だけは守った。
少なくとも彼を知る者たちは皆そう語る。
その話は後に詳しく述べる。
当時のセナは病人でもあった。
医療院記録には魔素崩壊症とある。
発症者数の少ない難病。
幻覚。
記憶障害。
認識異常。
患者ごとに症状が異なることでも知られている。
彼女もその例外ではなかった。
しばしば会話の途中で言葉を止めたという。
何もない場所を見つめることもあった。
聞こえるはずのない音に耳を傾けることもあったらしい。
ある雨の日には、ふと窓の外を見上げて空が綺麗だと漏らした記録が残っている。
その日は厚い雲が空を覆っていた。
彼女が何を見ていたのかは分からない。
ただ、そのような症状は以前から存在していたらしい。
関係者への聞き取りを進めると、度々同じ話に行き当たる。
病弱な恋人。
守るべき人。
唯一信じてくれる人。
誰に話を聞いても、最終的にはそこへ辿り着く。
しかし不思議なことに、二人の馴れ初めについて詳しく語る者はいなかった。
あるいは語れなかった。
深淵詐欺師。
そう呼ばれた男は、自分の過去についてほとんど語らなかったという。
どこで生まれたのか。
なぜ深淵へ拘ったのか。
なぜ命を削るような探索を続けたのか。
誰も知らない。
ただ一つ。
驚くほど多くの証言に共通する事実がある。
モンブ・アシャリカは、恋人の話になると別人のようになったということだ。
それまで何を言われても笑っていた男が怒った。
危険を避ける男が無茶をした。
誰も信用しない男が、ただ一人の言葉だけは信じた。
その理由はまだ分からない。
だが恐らく、本書の始まりはそこなのだろう。
この時のセナは毎晩同じ窓を開けていたと記録されている。
日付も。
天候も。
体調も関係なく。
寝る前に一度だけ窓を開ける。
まるで誰かが帰ってくる音を待つように。
その理由について本人は何も残していない。
ただ、窓枠には長年指で触れていたらしい跡が残っていた。
塗装の剥げ方だけが不自然だったという。
誰かを待ち続けた人間だけが作る傷だった。
そしてその頃の記録には、こんな一文だけが残されている。
彼は帰る途中なのだろう。
それは希望だったのか。
願望だったのか。
あるいは確信だったのか。
今となっては知る術はない。
ただ、その言葉だけは最後まで変わらなかったらしい。
拙作を読んでいただきありがとうございます。




