① 春の終わり
夕日を受けた桜の花びらが、金色に染まって舞っている。
川から吹き上げる風に乗って舞い上がったたくさんの花びらは、最後の演舞のように美しく舞い、川面へゆっくりと落ちていく。
川面に落ちた花びらは水面を多い、橋上から見下ろすと白い絨毯のように見えた。
その上を小さな渡し船や伝馬船が幾艘も行き違い走っていく。
この世界に来て、7度目の春が終わろうとしている。
「サクラさん」
名前を呼ばれて振り向くと、桔梗屋の若旦那が立っていた。
「お使いの、帰りかい?」
「あ。は、はい」
息を飲み、慌てて返事をすると、若旦那は私の隣まで来て、欄干の上に置いていた私の手の横に並ぶように、自身の手を置いた。
「桜を見ていたの?」
「はい。少し前まで満開だったのに、もう、あんなに散ってしまってて」
若旦那も、私と同じように川面を眺めると、沈みゆく太陽が最後の輝きを放つかのように辺りを金色に染めた。
感傷に浸っていて、思いの外、時間が経っていた事に気がつき、私は沈みゆく太陽と反比例して、焦る気持ちが高まった。
「若旦那。足をお止めして、すみません。私、急ぎますので、これで、」
「サクラさん」
最後まで言い終わらないうちに、名前を呼ばれ顔を上げると、若旦那が私を見下ろしていた。
私と向き合うように立つ若旦那の横顔は夕日をあびて金色に染まり、反対側の横顔は陰影となって薄青い瞳が冷たく光っていた。
私は、ビクッとして、思わず下を向いてしまった。
「船で送ろう」
「え?」
ビックリして顔を上げるも、若旦那は歩き出していた。
「いえいえ、あの、大丈夫です。走ればいいので、」
私の言葉など聞こえていないかのように若旦那は、少し先で私を振り返った。
「急ぐのだろう。なら、歩くよりも船の方が早い」
周りから集まる視線に、私は黙って若旦那に従った。
「あ、若旦那だわ、ステキー」
「桔梗屋の。いつ見ても、お綺麗ねー」
「誰、あの狸」
「若旦那さまの、お知り合いかしら」
周りから聞こえる黄色い声に、身を小さくしながら俯いた。
若旦那は、織り重なる絣糸の青い着物に、染小紋の青い羽織という、同系のシックな装いにもかかわらず、物凄く目立っていた。
なにせ、若旦那は巷で『氷の貴公子』とか『月下の麗人』との異名で呼ばれるほどの美貌の男性なのだ。
後ろで一つにまとめられた月光の光を集めたような輝く銀の長い髪に、切れ長の薄青い冷たい瞳、薄く整った口元、通った鼻筋という造形物のように恐ろしく整った顔立ちをしている。
人外的に、いや、人外なんだけど、否が応でも人の視線を集めてしまう容姿だ。
そんな、超絶美形な若旦那から、時折、視線が注がれる。
その度に、私の心拍数は上がり、ドキドキ、バクバクだ。
(なんで、そんなに見るんだろう?)
これぞまさしく、蛇に睨まれた蛙、いや、若旦那は狐族だから、狐に睨まれた狸、というべきか。
見られる度に顔が下を向き、逆方向へ顔が曲がっていく。
(あぁ、出来るなら、今すぐ走って逃げたい!)
ここは、妖が住まう世界、パラレルワールド。
私は7年前、この妖世界に迷い込んだ。
近所の城堀に咲く夜桜を家族で見に行った時、朧に揺れる提灯に誘われ、ふらりと1人で満点の月に輝く桜を見て回っているうちに、気がつけば、さっきまで見下ろしていた川縁の桜並木へ迷い込んでしまっていた。
木々の間から見える、川面を滑る船に乗った異形達を見た時、私は驚きのあまりヘナヘナと腰が抜けてしまった。
偶然通りかかった、狸族のお父さんとお母さんに泣いて縋ってなんとか助けてもらい、行くあてのない私は、今もそのまま居住わせてもらっている。
この世界には、いろんな妖がいて、妖たちの姿は、一見人に見えるけど、手が羽だったり、尻尾があったり、耳が立っていたりと様々だ。
そして、それぞれに所属する種族がある。
お父さんとお母さんは、狸族。
見た目人間っぽいけど、目の周りが赤く、尻尾がある。
隣の若旦那は、老舗料亭『桔梗屋』の御曹司で、狐族の綾人さん。
狐族は、美人が多い種族で、その中でも若旦那は断トツと言われている。
だから、人間族、もあるのかと思ったけど、残念ながら存在してなくて、それこそ伝承や昔話に出てくるような架空の存在だった。
初め、私が人間だと言っても信じてもらえなかった。
でも私からする匂いに人間だと、当時は本気じゃなかったと思うけど、理解してもらえたようだった。
人間臭、というのか、その匂いは妖力の強い妖からすると、とても甘美でいい香りらしく、捕食欲が沸き立たせるんだとか。
この話を聞いた時、お父さんとお母さんを目の前にして、
正直、もう、終わった。
と涙を流して合掌したけど、妖力の弱い者からすれば、とても良い香りとしか感じない、と笑われた。
完全に人間化できる妖、もしくは、髪の長い妖は、妖力の強い妖だそうで、完璧な人間化は、強い妖の象徴で、長い髪は妖力を多く持っているという証、らしい。
で、今、隣にいるこの人が、そのどちらも併せ持っている、危ない妖なワケで・・・。
沢山の妖が行き交う中、歩みを進めると聞こえていた黄色い声もまばらになり、大川橋を渡り切ると大通りに出た。
若旦那の歩みは、桔梗屋のある北へと進んでいく。
「若旦那。やっぱり私、ここで失礼します。あっちに渡し場があるんで、そこから船に乗って帰ります」
反対側、南へ少し行けば渡し場がある。
渡し場から乗る船は、水上のバスみたいなもの。
(いろんな妖と一緒になるのはイヤだけど、何度か乗ったこともあるし、匂い袋もあるから大丈夫。うん)
気持ちを固めるように心の中で頷き、私は立ち止まった。
「うぉい、なんだ、急に、」
急に立ち止まった私に、後ろから来た人が私にぶつかりそうになった。
グイッと肩を抱かれ、私は若旦那に引き寄せられ、若旦那と私の後ろにいた男性とが睨みあう形になった。
けれど、男性は気圧されたように引き下がっていった。
「大丈夫かい? サクラさん」
「あ、うっ、す、いません」
抱きしめられるような、この状態に委縮するように体が固まった。
肩に置かれた手に、私は押されるように歩き出した。
「危ないから。このまま店に行くよ」
耳元にかかる息にコクコクと、頷くしかできない。
緊張で汗が滲む両手を、祈るように胸の前で握った。
暫く進むと、続く白壁が途切れ、露地行灯に照らされ、ゆるりと揺れる緋色の暖簾が見えた。
真ん中に、二つの稲穂が丸く向かい合っている狐族の家紋が染められていて、若旦那はその暖簾を片手で押し上げた。
料亭『桔梗屋』、大川沿いにある料亭の中では老舗で、大名や豪商などからも贔屓にされている、知らない人がいないくらい超有名な料亭。
私も来たことがあるけど、所用で裏から入るばかりで、表から堂々と入るのは初めてだ。
思わずたたらを踏んでしまった。
「あの、お客でもないのに、その、表から入るのは、敷居が、高すぎます」
「店が始まっているから、今は裏の方が騒がしいよ」
意を決する気持ちで言ったけれど、あっけなく返され、返す言葉もなく私は押されるように暖簾をくぐった。
店内へ続く、石畳のサイドには露地行灯が置かれ、淡い光が揺らめいている。
照明と言うよりは、明かりのインテリアといったところで、沈んだ太陽の光が上空の雲を茜色に染まるだけの薄暗い中では、足元は見えづらく、なんとも心もとない。
妖達は夜目がきく。
だから、こんな薄暗さは、何ともない。
月のない夜や、余程遅い時間でないと、提灯や手燭を使わない。
だけど、私は・・・徐々に帳が落ちるように暗くなる中、胸に焦燥感が募る。
(後でどんなお叱りを受けたとしても、走って帰るべきだった・・・)
グッと肩にかかる手に力がこもり、思わず息を詰めた。
俯く目線の先が、ポウッと明るくなり、炎の形をした青みを帯びた火玉が現れた。
前にも後ろにも、私の顔の近くにも現れた。
「これ、は・・・」
「狐火だよ。大丈夫、触ってもケガはしない」
そう言いながら、歩みを止めることのない若旦那に、理由を聞くことも出来ないまま、一緒に歩く。
肩から手を離して欲しいと言いたかったけれど、口に出来るような空気でもなく、そのまま途中から左に逸れ、庭園を周回するように進み、船泊まりまで来た。
桟橋に降り立つと、やっと解放され、私は小さく息を吐いた。
若旦那は、袂から小さな笛を出して吹いた。
私は、すっかり暗くなった空を仰いだ。
風が木々を揺らす音だけが聞こえるのみで、私の耳には笛の音は聞こえない。
「疲れた?」
「い、いいえ」
顔を覗くように若旦那は顔を傾けたけれど、私は前を向いたまま答えた。
ここまで暗くなってしまうと、きっと若旦那の目は冴え冴えと青く光っているだろう。
夜目だから当然だけど、私はそれを見るのが怖い。
自分とは違う異質な存在だと感じてしまうのもあるし、私は目が光ったりしないから、人間だとバレてしまう心配もある。
「ここへは庭を突っ切るのが一番早いけど、お客が入っていたからね。少し遠回りになってしまった」
「あ、あの、若旦那。私、お仕事の、お邪魔を、してしまったんじゃ、」
「私がいないからといって、困るような店じゃないよ」
「それは、そうでしょうとも。ですけど、」
私がわなわなと答えると、隣で忍ぶような笑い声が聞こえた。
そっと顔を向けると、浮遊する狐火の火玉が若旦那の顔を照らし、柔らかく目を細め、弧を描く口元が、薄闇に浮かび上がった。




