第27話 進化する鏡
眩い青い光が、公園の錆びたブランコも、ひび割れたアスファルトも、そして巨大な災厄の塊も、すべてを白一色の世界へと変えていった。オレの意識は、摩利支天の影と完全に溶け合っていた。その光の濁流の中で、オレは見た。……阿久津の、隠された記憶を。
かつて、彼もまた鏡を持つ、優秀な封じ屋だった。若き日の阿久津は、誰よりも真面目に、誰よりも必死に、京都の闇を鏡に閉じ込めてきた。だが、ある日彼は気づいてしまったのだ。
「……どれだけ封じても、終わりがない……」
鏡の中の怨念は消えることはなく、ただ圧縮され、蓄積され、次の世代へと先送りされるだけ。今この時をほんの少し平穏に過ごすための猶予を与えているに過ぎない。その絶望が、彼を狂わせた。
「すべてを一度解き放ち、この街を更地にしなければ、本当の平穏は訪れない」
それが、彼の歪んだ正義だった。
光の中で、ドロドロに溶けかけた阿久津の意識が、オレに問いかけてくる。
「……君も、いつか気づく。……封じることは、救うことではない。……ただの、猶予だ」
オレは、光の槍を握ったまま、阿久津の目(のような影)を真っ直ぐに見つめた。
「……猶予でいいよ、阿久津さん」
オレの声は、光の波に乗って彼に届いた。
「……封じている間に、誰かが笑える。……その時間を稼ぐのが、オレたち封じ屋の仕事なんだ。……先送りした先に、オレみたいな次のバカがまた現れるのを、信じればいい」
阿久津は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。そして、フッと、積年の呪縛から解かれたように微かに笑った気がした。
「……そうか。……君のような、器か……」
阿久津の姿が、光の粒子となって霧散していく。同時に、地面から這い出そうとしていた白い手も、千年の怨嗟も、すべてが青い炎に焼かれ、清浄な空気へと還元されていった。
オレは、渾身の力を込めて、最後の一言を放った。
「……封じ、そして……浄化、完了ッ!!!」
パァァァァァァンッ!!
そして、視界が弾けた。
*****
……鳥が、鳴いている。
「……あ、……れ……」
オレは、硬い地面の上に寝転がっていた。ゆっくりと目を開けると、そこはさっきまでの地獄が嘘のような、いつもの公園だった。ひしゃげた街灯も、地面の口も、黒い霧も、何一つ残っていない。ただ、朝霧に包まれた静かな住宅街の景色が、白々と明けていく空の下に広がっているだけだった。
「……起きた? 八瀬君」
横を見ると、ボロボロになった小春さんがベンチに腰掛けていた。髪は乱れ、服は埃だらけ。でも、その顔にはいつもの、ちょっと意地悪で自信満々な笑みが戻っていた。
「小春、さん……。阿久津は……髑髏は?」
「消えたわよ。あんたが全部、持っていっちゃった」
小春さんが指さしたオレの手のひら。そこには、砕け散ったはずの鏡が、元の形に戻って置かれていた。ヒビ一つない、曇りのない鏡面。ただ、中心の「マ」の文字の周りに、新しく小さな文字が刻まれていた。
『浄』
「……鏡が、進化したのね」
小春さんが、眩しそうに目を細めた。
「八瀬――ーッ!!」
遠くから、聞き慣れた叫び声が聞こえた。見ると、不思議堂の軽トラがタイヤを鳴らしながら、公園の入り口に突っ込んできた。運転席から御門さんが、荷台からヒカリさんとカゲとトラが飛び出してくる。
「八瀬君! 無事なの!?」
ヒカリさんがオレに抱きつかんばかりの勢いで駆け寄ってくる。カゲとトラは、誇らしげに喉を鳴らし、どこに隠れていたのか、クロはオレの胸元に飛び込んできた。
「……ヒカリさん、小屋は……?」
「大丈夫よ! 小寺さんたちも駆けつけてくれて、もの凄い結界を張ってくれたし、あんたが引き受けてくれたおかげで、祠一つ壊れなかったわ!」
「へへ、よかった……」
「……ふん。上出来だ、新入り」
初めて御門さんに褒められた。
オレは、力尽きたように再び地面に背中を預けた。朝陽が、比叡山の向こうからゆっくりと昇ってくる。
京都の街が、いつものように目覚め始めていた。
*****
数日後。
嵯峨野の小屋で、オレは新しくなった鏡を磨きながら、覗き込んでいた。表面は以前よりもさらに澄み渡り、中心には小文字のd、『マ』の一文字、その上下左右の四カ所には『浄』。そしてさらにその外側に阿久津との戦いの後、いつの間にか見たこともない幾何学的な紋様が薄く刻まれていた。
「……ねえ、小春さん。この模様、御門さんが入れたんじゃないですよね?」
「ええ。親父も首を傾げてたわ。こんなのオレは入れてないって。でもフラワー・オブ・ライフというらしいわよ。古代の神聖幾何学模様ですって」
「神聖幾何学模様……?」
まじまじと見れば、いくつもの円が重なっている。
「何か意味があるんだろうか……」
そう呟いたら、ヒカリさんがカゲを撫でながら言った。
「阿久津が前に言ったでしょ? 君はまだ、観測されていない側の人間だって。……今でも何のことかよくわかんないんだけど、その阿久津を倒してできた模様ということは、もしかしたら、その鏡、あっち側と直接繋がっちゃったってことなんじゃないの?」
「あっち側……って?」
「阿久津がこじ開けようとした、世界?」
「そこと繋がった……?」
「じゃないかなって。知らんけど」
小屋の中に、一瞬だけ冷たい風が吹き抜けた。
「……ま、考えても仕方ない。そのうちわかるでしょ! さ、仕事よ仕事っ!」
「……はいはい、行きますよ。行くぞ、クロ!」
「チューッ!」
カバンから顔を出した頼もしい相棒と共に、オレは小屋を飛び出した。この千年続く古都の、今日一日の「猶予」を守るために。




