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16/23

嘘つきと風邪っぴき


 昨日、風邪を引いたと言ったのは嘘だった。

 その自分がついた嘘の帳尻を合わせるみたいに、翌朝、本当に熱が出てしまった。早起きなんて普段やらないことをして、初心者なのに編み物を頑張り過ぎたせいだ。それしか原因が思いつかない。

 咳もしていないし、喉も痛くない。素人判断だけど、風邪というか知恵熱だと思う。手持ちの解熱剤を飲んで寝ていれば明日には治るはず。その程度の体調不良。でも頭は重いし、正直つらい。

 朝、目が覚めた時点で、学校を休むことは決めていた。

 でも今日から福子ばあちゃんが老人会の温泉旅行だったので、ばあちゃんが心配しないように、いつも通り学校へ行くふりをした。前から今日の旅行を楽しみにしていたのを知っていたし、誰かに看病してもらうほど重病人じゃないので家に一人でも大丈夫だと思った。

「ばあちゃん。温泉楽しんできてね! お土産は温泉まんじゅうがええなぁ~」

「はいはい。お土産たくさん買ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」

 玄関先で福子ばあちゃんの背中を見送って、ガラガラと玄関の引き戸が閉まった途端、俺は玄関にへたり込んだ。

 今日の俺はオスカーの主演男優賞を狙える演技だったと思う。

「あぁ、やべ、頭クラクラするし。もう無理」

 俺は壁に手を当てて体を支えながら部屋に戻る。ブレザーを脱いで、ネクタイを放り投げたら力尽きてしまった。

 スウェットに着替えたかったけど無理だ。動けない。

 そのまま敷きっぱなしにしていた布団に倒れ込む。

 思えば風邪で学校を休むなんて初めてだ。出席率だけは自慢だったのに。そう思いながらスマホで学校に連絡して、先生に欠席を伝えたら「昨日の風邪って本当だったんだな」と驚かれた。今にも息絶えそうな声だったせいか、仮病を疑われたりはしなかったし「お大事にな」と心配されてしまった。ごめんなさいでも昨日のは嘘だったんですと心の中で先生に謝りながら電話を切った。

「うーマジで頭痛い」

 天井の雨漏りのシミがぐらぐらと揺れていて、またバケモノに見えた。次に目が覚めた時に見たら気絶するかも。

 いや、その前に俺は、もう起きられないかもしれない。死んじゃう。頭痛くて気持ち悪い。

 布団の中で唸りながら、鳴神くんにも学校を休むとメッセージを送ったのだけど、送信ボタンを押せたかは覚えていない。

 思ったより重症だったみたいだ。

 解熱剤を飲もうと思ったのに飲む前に意識を失っていた。

 そういえば、鳴神くんのことを考え過ぎて昨日も今日も寝不足だった。二日ぶりによく眠れた気がする。



 どれくらい気を失っていたのだろう。

 気づいたら窓から見える太陽は真上にあった。朝はカーテンが閉まっていたのに窓から青空が見える。

 それだけじゃない。寝る前に握っていたはずのスマホが枕元に置かれている。あと制服を着ていたのに、いつの間にか紺色のスウェットに着替えていた。夢遊病だろうか?

「……なんで?」

 独り言を呟いたところで、部屋の襖がすっと開いた。

「う、うわぁ!」

 突然、襖が開いて心臓が飛び出すくらい驚いた。思わず布団を掴んで放り投げていた。

「ハル、大丈夫」

「ぁ……」

 投げた布団が畳の上に落ちたあと、襖を開けた人間の顔が見える。

 昨日一日、恥ずかしくて顔を見ないようにしていた。でも、ずっと顔が見たかった。

「な、鳴神、くん」

 俺は布団を投げたあと窓側の壁まで後ずさりしていた。鳴神くんは俺がいる壁側まで歩いてきて、膝をつき目を合わせてくれる。

 ――目を、合わせてくれた。

 鳴神くんと向かい合った瞬間、俺の涙腺は決壊していた。ぼたぼたと水滴が落ちて灰色のスウェットに涙のシミを作る。

 きっと熱のせいだ。

「どこか痛い?」

「ち、違う。俺、めっちゃ……鳴神くんに会いたかったんよ。だから……ごめんな、昨日から俺、おかしくて。訳わからんくて」

 頭が混乱していた。勝手に一人でわーわー泣いていたら、鳴神くんは少し眉を寄せて困った顔になった。鳴神くんを困らせたいわけじゃないのに、涙が止まらない。

「……ハル」

 俺の名前をつぶやくように呼んだ鳴神くんは、胸の前で迷っていた手を伸ばして俺のことをぎゅっと抱きしめてくれた。

「ぁ……え」

 熱のせいで境界線がふわふわになっている自分の体の形が、鳴神くんに抱きしめられてはっきりとする。

 抱きしめてくれた途端、ぼたぼたと流れ続けていた涙は止まった。背中にある鳴神くんの手は、俺が落ち着くように優しいリズムを刻んでいた。

「俺も。ハルに会いたかった」

「本当に?」

「うん。ハルがくれたスタンプ『会いたい』だったから、俺、昼休みに飛んできた」

 鳴神くん宛てにメッセージを書いた記憶はあった。でも、会いたいってスタンプを送った記憶はない。熱に浮かされて無意識にボタンを押していたのかもしれない。

「全然記憶ない。え、昼休みって、じゅ、授業は! ごめん俺が変なメッセージ送ったせいで」

「大丈夫だから。騒いだら熱上がるよ」

 鳴神くんは慌てた俺を落ち着かせたあと立ち上がった。俺も同じように立ち上がったら布団に寝るように促された。

「で、でも!」

 鳴神くんは襖の前に落ちていた布団を持ってきて俺に渡した。

「授業よりハルの命の方が大事だし。俺も先生に風邪引いたって言って早退してきたよ」

 そう言った鳴神くんは枕元に正座した。自分だけ突っ立っているわけにもいかないので、俺は布団に戻ると鳴神くんと向かい合って座った。

 改めて鳴神くんの姿を見ると、制服じゃなくて普段着だった。制服以外の鳴神くんを見るのは初めてだ。

 首元が大きく開いたボートネックの灰色ロングTシャツに黒のチノパンを着ている。

「俺の仮病、先生にバレてると思うけど。相方の一大事だし大目に見てくれたんじゃないかな。早退止められたりしなかったよ」

「そ、そっか。でもごめん」

 鳴神くんは首を横に振った。そして、まだ俺のことを相方と言ってくれたことに少しほっとしていた。

「今日、この村の老人会で旅行なのは知ってたから。ハルが家に一人だったら危ないと思って」

 俺の枕元にはトートバックが置いてあって鳴神くんの私物のようだった。鳴神くんはそこから体温計を取り出して俺に渡した。カバンの中身は家から持ってきた看病セットらしい。俺は言われるまま体温計で熱を計った。熱は三十七度五分あった。普通に病人だった。鳴神くんが様子を見に来てくれなかったらのたれ死んでいたかも。

 手渡されたペットボトルのスポーツドリンクを飲むと、少しだけ頭がすっきりした。熱のせいで脱水症状だったようだ。

 俺は当たり前のように鳴神くんに甲斐甲斐しく看病されていた。ところで、鳴神くんはどこから家に入ったのだろう。そういえば、玄関の鍵を閉めた記憶はないし玄関だろうか。

「もしかして玄関、開いてた?」

「うん。でも最初は、そこから入った。窓覗いたらハルが布団に突っ伏して倒れてたから……びっくりして」

「助けてくれて、あり、がと」

「どういたしまして」

 きっと血の気が引くような光景だったのだろう。本当に申し訳ないことをしてしまった。

 少しの沈黙のあと、俺は意を決して口を開いた。

「あの、えっと……鳴神くん。俺、昨日な」

 俺が好き避けしていたことを謝ろうとしたら、鳴神くんはそれを止めた。

「家庭科室で……ハルのこと膝に乗せて編み物教えてたの。アレはよくなかった。いきなり露骨だったし、ハルを困らせて……嫌がらせみたいだった」

 鳴神くんは額に片手を当てて気まずそうな表情をしていた。

「そんなこと、ない」

「嘘つかなくていいよ。あれが原因でハルが混乱して、俺のこと避けてたのは分かってるし」

 俺は慌てて布団を退けて鳴神くんの手を握った。

「ハル?」

「鳴神くん、違うからね!」

 もう大丈夫だ。ちゃんと鳴神くんと目を合わせて喋ったら治った。きっとショック療法だ。

 俺の小学生みたいな好き避け期間は、やっと終わったらしい。このまま勘違いされたまま鳴神くんに悲しい思いをさせたくなかった。

 俺は鳴神くんの編み物の教え方が嫌だったわけじゃない。けれど、鳴神くんは首を横に振った。

「俺、ハルともっと仲良くなりたくて。気持ちが焦って、だから……でも、アレはちょっとやり過ぎだった。だから謝りたい」

「ち、違うんよ。俺、嫌だったんじゃなくて」

 恋を自覚して頭がぐるぐるしていただけだ。ただの好き避けだ。早く伝えないと。

「俺、ハルが転校してきて嬉しかったから、ちょっと調子乗ってたんだ。俺にとってハルとの思い出は特別だったから」

「え……調子乗ってた? 思い出って」

 鳴神くんは俺の問いかけにこくりと頷いた。

「ハルは俺のこと忘れてたけど。俺たち子供の頃は仲良かったから、久しぶりに会えたのが嬉しくて、一昨日は距離感がバグって、昔みたいにベタベタしてしまいました。だから、ごめんね」

 俺と鳴神くんが出会っていた? え、俺全然覚えていない。

 それ以前に、この村で男の子の友達なんていなかった。夏休みのたびに一緒に遊んだ子は確かにいたけれど。

 待って、居た? 居たな!

 一人、だけ居る。でも、あれは人じゃなかった。もう二度と会えない妖怪だ。

 妖怪。そこで俺の思考は止まった。

 普通に考えて、そんな訳なくない?

「小さい頃、ハルは夏休み、よくこの村に遊びに来てたよね」

「えっと……うん」

「神社の裏山で、よく一緒に遊んでた。本当、楽しかったなぁ」

 俺は頭の片隅から昔の記憶を一生懸命に掘り起こした。

 あの子は、俺から見て人間じゃなかった。でも、俺の中でもう答えは出ている。

 ジリジリと殺される瞬間を待っている囚人の気分だ。俺が悪い。圧倒的に俺が悪い。

「ハルちゃん」

 裏声で鳴神くんに名前を呼ばれた瞬間、自分の子供の頃の恥ずかしい記憶が滝のようにドッと頭の中に流れてきた。

 俺が子供の頃、仲良しだったのは、神社に住んでいる狐が化けた女の子だ。もう、二度と会えないお友達だった。

 会えないお友達ってなんやねん!

「ぁ……あぁ……もしかして、それは……狐の……あ、アキ……ちゃんデスカ」

「やっと思い出した? ハル。そうです。狐のアキちゃんです」

 熱のせいじゃない。呼吸困難で倒れるかと思った。胸を押さえて苦しんでいたら鳴神くんは背中を優しく撫でてくれた。

 勘弁して欲しい。オーバーキルだ。

「あーっ、ちょ、ちょお、待ってな。俺、めっちゃ、あの、混乱してて」

「いいよゆっくりで。多分、俺はハルが焦ってる理由分かってるけどね」

「ヒェ……マジで?」

「マジですよ。記憶力はいいから」

「俺……ちょっと夢みがちやってん、昔は。は……恥ずかしい話なんやけど」

 もう俺は息も絶え絶えだった。

 さっき俺は鳴神くんに好き避けを謝ろうと思っていた。

 俺はそれ以上に、もっと失礼な勘違いと嫌がらせを子供の頃鳴神くんに対してしていた。

 俺の隣で鳴神くんは、神社にいる狐みたいににっこり微笑んでいた。妖怪じみた美しさって意味だ。

「そうだね。すごく恥ずかしいねー。俺も恥ずかしかったなぁ」

 鳴神くんの顔が俺に近づいてくる。昔、こんなふうにアキちゃんに顔を近づけたのは俺の方だった。

 もうベタ惚れで、好き好きアピール激しくて。俺はアキちゃんにずっと一緒にいたいなとか言っていた。

「アキちゃんのこと、俺、神社にいる狐が化けた女の子やと思ってて」

「あーそんなところだと思ってた。じゃないと、あんなことシないよね」

「アキちゃんに、俺……俺は……」

 村の夏祭りの日、俺は神社の裏山でアキちゃんと出会った。アキちゃんは藍色の着物を着ていた。頭には狐のお面を付けていて、それはそれは可愛らしくて。

 俺はその子に一目惚れした。夏休みのお祭りの時期にしか会えない不思議な女の子。五歳の初恋だ。

 着物の男モノとか女モノとか知らなかったから、女の子だと疑っていなかった。

「和風ファンタジーって面白いよね。夢を壊すようで悪いんだけど、俺神社に住んでるけど、お狐さんじゃないし、魔法は使えない。あと男です」

「はい。分かってます。大丈夫です」

 鳴神くんはくすくすと微笑んだ。

「三年生のときかな? いつか絶対、アキちゃんのこと迎えに行くからって言われて。俺の家の神社で。俺は、その日ハルに……」

 俺は両耳を塞いだ。

 一年に一回くらいしか会えない子だったから。あの日は、どうしても自分の気持ちを伝えたかったんだと思う。

「あー……マジでそういうお年頃やってん。ごめん、鳴神くんマジで許して……」

「別に全然、怒ってないよ。子供同士のチューくらいで」

「わぁあああ! ごめんなさい、ごめんなさいぃ!」

「だから、怒ってないって」

 鳴神くんは混乱している俺の頭をよしよしって撫でた。

「まぁ、ね。再会した日。もう、俺のことアキちゃんって呼んでくれないんだーって思ったら、それは少し悲しかったかな。あんなに仲良しで将来の約束までしたのに、狐のアキちゃんとの楽しい思い出、ハルは全部忘れちゃったんだーって」

 そう言って鳴神くんは、コン、と狐のポーズで戯けた。

「ひぃ」

「俺と結婚の約束までしたのに」

 俺が固まっていたら、同じことを言葉を変えて言い直された。

「あ……あぁ……」

 ぷるぷると小刻みに震えていたら、ん? と笑顔のままの鳴神くんは首を傾げて俺のことを覗き込んできた。熱が上がっている。倒れそうだ。昔のことは忘れていたとしても、今現在、俺は鳴神くんのことが好きだから。こんな至近距離で見つめられたら心臓が破裂する。

「あ、あの、鳴神くん。子供の頃……迎えに行くってアレ、どこまで本気にしてたん?」

「そうだなぁ、昔は結構本気だった。もちろん小学生までの話だけど。――でも、先月ハルがこっちに転校してくるって知って。あの迎えに来てくれるって話、もしかしてハル本気だったのかなぁ? とか考えたりしたかな」

「こ、子供やってん! 不思議な和風ファンタジーに憧れてた可哀想な頭の少年で!」

「うん。分かるよ、俺もハルちゃんと遊んでるうちに、俺って実は狐の生まれ変わりかもしれないって思うようになって、子供の頃、親困らせたから」

「あぁ……マジで、ごめん」

「いいよ」


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