第21話 彼らの事情
アレクサンダーは自室の寝台の上に寝転がっていた。
帰宅が遅くなってしまい、屋敷に着いた頃には既に家族は時間通り夕餐を済ませていた。
二人の姉たちは嫁ぎ、二人の兄たちは大学に進学し、二人の弟たちは遠方の寄宿舎に身を寄せている。
この屋敷に住む子どもといえばアレクサンダーと、末妹のミアだけである。
遅い帰宅に母からは小言をもらったが、食事は残しておいてくれた。
アレクサンダーは、使用人に見守られながら一人で食事を済ませた。
今は部屋に戻り、羽毛布団の上に仰向けになっている。
ミアは別の子ども部屋で子守と一緒に過ごしていることだろう。
それぞれに部屋を与えられ、広々とした空間を気兼ねなく使うことができる。
使用人は部屋の外にいる。用事があれば備え付けのベルで呼べばいい。
つまり、誰にも邪魔されることなく考えに耽ることができるということだ。
アレクサンダーはやわらかい布団に体をもたせながら、自身の腕を枕に天井を眺めていた。
(ミハエルは多分、可愛いものが好きだ)
(それも、人形のような)
先日の反応でもしやと思ったが、女の子の人形を模ったこの日のブレーツンで確信した。
ミハエルは普段、へえ、とか、ふん、とか素っ気ないくせに、人形のように可愛く模ったものには目を煌めかせる。
泉の少年を彷彿とさせる、あの眼。
煌々と燃える暖炉の炎を見つめる眼といい、アレクサンダーは、もっと間近であの眼を見たいと思った。
アレクサンダーはひとつ気がかりなことがある。
この日のミハエルとの小屋の中での会話のことである。
勉強の合間に、アレクサンダーは息抜きのつもりで何気なく口を開いた。
「そういえば、ゲオルグとは兄弟なんだな」
ミハエルがピクリと反応する。
「それ、本人から聞いたの?」
顔を上げ、アレクサンダーのことを見つめている。
ミハエルからなんとなく、ただならぬ気配を感じ取る。
「いや、ほら、ゲオルグと苗字が一緒だろ」
本当はモーリッツから聞き出したのだが、そのことは伏せておいた。
「ふん……」
ミハエルは疑いの眼を向けながらも、納得したのか、ノートに視線を戻している。
それ以上悪態をつくわけでもなく、絹の扇のような睫毛を伏せて静かに勉強に集中している。
第八学年には、ゲオルグ・ダミッシュという生徒がいる。
銀縁の眼鏡をかけ、シルバーグレイの短髪の生徒だ。
背はそこまで高くないが、体格はそれなりに筋肉質で、横幅がある。
ミハエルとは顔も雰囲気も似ていない。
事情を知らなければ二人が兄弟だとは気づかないだろう。
―――アイツんち、複雑なんだよな。
以前モーリッツが言いかけた言葉が気になり、先日アレクサンダーはモーリッツにミハエルの家庭事情を尋ねてみた。
モーリッツが教えてくれたことには、ゲオルグとミハエルは腹違いの兄弟なのだという。
ダミッシュ家の夫人は後妻で、ミハエルとは血がつながっていないのだと。
それからゲオルグの二学年下にフランツという弟がいる。
つまりミハエルには、血を分ける兄弟が二人いるということだ。
たしかにフランツ・ダミッシュと言う名前の生徒が第六学年にいる。
蹴球が好きで、アレクサンダーが校庭で試合をしていると時々加わってくる。薄茶色の髪と目を持った、懐っこい生徒だ。
彼もミハエルとはあまり似ていない。
一方で、フランツは顔の造形こそゲオルグとあまり似ていないものの、なんとなく醸し出す雰囲気の似ているところがある。
モーリッツがさらに声をひそめて教えてくれたことには、ミハエルはゲオルグのことを良く思っていないのだという。
ゲオルグはミハエルに歩み寄って仲良くしたいと思っているに、ミハエルはゲオルグを受け入れる気がないのだと。
「ゲオルグのことを嫌っているらしい」
冷たく距離を置かれるゲオルグは、心底傷ついているのだと教えてくれた。
それでもゲオルグは諦めず、懸命にミハエルの心を開こうとしているというので、モーリッツはゲオルグに同情していた。
「俺がこの話をしたって、誰にも言うなよな」
モーリッツからは耳打ちして固く口止めされた。
(ダミッシュ家にそんな事情があったのか)
ゲオルグもダミッシュ姓であることには気付いていた。
しかし、二人が教室で話している姿を一度も見かけたことがない。
教室で孤立しているミハエルとは対照的に、ゲオルグは人づきあいが上手いと、アレクサンダーは思う。
時々アレクサンダーにも話しかけてくる気さくな奴だ。
アレクサンダーが編入してくるまでは、まとめ役のような立ち位置にいたという。
教室での様子からも、級友たちから信頼されているのが感じてとれた。
もし、ミハエルが心を閉ざしているの理由の一つとして家庭環境が影響しているだとしたら、自宅の裏門から出入りしたり、本邸と離れたこのような小屋で生活したりするのも多少は納得がいく。
アレクサンダーは最初の方こそミハエルを級友たちの輪に入れようと働きかけていた。
しかし、実のところ途中で級友たちから「ミハエルを誘うのはやめておけ」とはっきりと言われてしまっていた。
級友たちが口々に言うには、
「ミハエルはいつも俺らのこと避けているし、本当は俺らのこと見下しているらしいぜ」
「ああ見えてけっこう嫌な奴らしいぜ」
「人嫌いらしい。あいつ、陰気だよな」
「頭が良いのを鼻にかけているらしい」
誰もが皆、ミハエルとはあまり接触したくないようだった。
やはり遠巻きにされているのは勘違いではなかったのだ。
それにしても、ミハエルはそんなに嫌な奴だろうか?
はたして、本当に頭が良いのを鼻にかけているだろうか?
アレクサンダーにしてみれば、むしろ必死に己に鞭を奮い、他人のことなど気に掛けている余裕もなさそうに見えるのだが。
アレクサンダーは、改めてミハエルの日ごろの言動を思い起こしてみた。
―――気色の悪い奴、変態野郎、恥知らず、クソが、殺す、来るな、帰れ―――……
数々の辛辣な言葉が頭の中を駆け巡る。
アレクサンダーは、思わず頭を抱えた。
(……いや、まあ、俺が無理やり押しかけているせいではあるし?)
悪態をつかれた事実を無かったことにする。
それはともかく、ミハエルの暮らしぶりを知っている身としては、ミハエルは嫌な奴と言うよりも人間関係に不器用な奴だという気がする。
もっと言うと、繊細で、他人にはやすやすと触れられない何かを持ち合わせている感じがする。
それこそ、自らを檻に閉じ込めているような。
そうでなければ、小屋で時折見せる寂しそうな顔はなんだというのだろう。
それに、ノートや差し入れを受け取る際の、時に素直なあの態度は。
教室で空虚なビー玉みたいな眼をしているミハエルのことは、やはり気がかりである。
とはいえ、ゲオルグとミハエルの兄弟関係がどのようなものであるかを本人たちに直接確認するのは、さすがにアレクサンダーも憚られる。
(自分は自分として、ミハエルと関係を築くだけだ)
ミハエルのことが気がかりで小屋に押しかけているが、もっと上手く友情を築けないものか。
アレクサンダーは考えを巡らせた。




