第20話-1 虹彩
ううむ、とアレクサンダーは教室の席で考え込んでいた。
(手ごわい)
ミハエルがここ二、三日、どうにもこうにもよそよそしい。
もとより心を開いてくれる気配などなかったが、ここ数日は「用事があるから」と、きっぱりと一緒に帰ることを断られてしまっている。
本当に用事があるのならばともかく、どうもこのままミハエルが自分との関係を疎遠に持ち込もうとしているような気がしてならない。
(俺はミハエルとの時間を楽しいと思っているけど、あいつにとってはそうでもないといということか……)
アレクサンダーは、がっくりと肩を落とす。
(俺が強引に押しかけているのもあるかもしれないが、それにしても……)
ここへきて一向にミハエルが警戒心を解いてくれないことに、アレクサンダーは一抹の寂しさを感じている。
とはいえ、ただでさえ唸るように「かまうな」と言われてしまっているのに、さらに強引に踏み込むようなことをして、好感など持ってもらえるはずがない。
(もしかして俺って、つきまとっているだけ?)
自身の思い出にこじつけてミハエルに執着しているだけなのかもしれない。
現にミハエルからは、泉で出会ったことを否定されている。
アレクサンダーだって、嫌悪を滲ませるミハエルを前に引き下がろうと思わなかったわけでもない。
だが、そうしようとするたびに、彼のことを放っておけない気分になるのだ。
アレクサンダーの脳裏に泉の少年がチラチラと思い浮かぶ。まるで胸に空風を飼っているような顔。
なぜだか時に、少年とミハエルの姿が重なりあう。
そんな中、先日ひとつだけミハエルとの関係で手ごたえを感じたことがある。
差し入れとして渡したマリツィーパーンに、ミハエルが一瞬だけ眼を煌めかせたのだ。
「はは……かわいいな」
子豚や林檎の形をしたお菓子にミハエルが静かに目を落としながら、ほんのわずかに口元を緩めるのをアレクサンダーは見逃さなかった。
このギムナジウムでミハエルと出会ってからというもの、こんなことは初めてだった。
それはほんのかすかな淡い笑みだったかもしれない。それでもアレクサンダーは俄かに扉の開かれた心地になった。
おままごとの玩具のようなマリツィーパーンは、菓子職人が遊び心で作ったものだ。
この時期、菓子職人たちはクリスマス用にシュトレンを仕込む。
シュトレンの芯に練り込むマリツィーパーン・ペーストを準備するついでに、配合を変えて可愛く造形したものをお茶の時間に並べたらしい。
アレクサンダーは皿に並べられたそれらのいくつかを紙袋に詰めて持ち出した。
これまではミハエルにことごとく差し入れを突き返されてきたのに、この時は素直に受け取ってくれた。
(泉の少年も、可愛い人形が好きだった)
アレクサンダーは、泉の畔でのことを思い出す。
泉の少年とミハエルの特徴が一致するたびに、アレクサンダーは心が掻き立てられるような気がする。
アレクサンダーはこの日も授業が終わるやいなや、すかさずミハエルに声をかけた。
「ミハエル、一緒に帰ろうぜ」
既に外套を羽織り終えたミハエルは、制帽をかぶりながらアレクサンダーの方をちらりと見る。
かと思うと、すぐに眼をそらされた。
「……用事があるから、無理だよ」
物思いに沈んだような声だ。
アレクサンダーは、教室を出ようとするミハエルを後ろから追いかける。
ミハエルは校舎から出るやいなや、空を見上げている。
アレクサンダーもつられて空を見上げる。空は一面に灰色をしている。
さらには、この時期日没が早く、日が暮れ始めている。
「僕と君は、帰り道が逆だろ」
やはり、くぐもった声だ。
「なあ、ミハエル。落ち込んでないか?」
アレクサンダーは気になって、ミハエルの顔を覗き込んだ。
「声の調子がいつもと少し違う気がするぜ」
ここ二、三日、つっけんどんにしているようでいて、なんとなくミハエルにいつものような勢いがない。
顔も薄っすらとむくんで見えるのは気のせいだろうか。
ミハエルはサッと蒼ざめたかと思うと、「別に」と答えた。
「疲れているのか?」
「いいや」
それから、アレクサンダーを避けるようにして歩きはじめる。アレクサンダーはすかさずミハエルの後ろをついて行く。
しばらく二人で黙って歩いた後、小さな教会の傍を通りすぎたところでミハエルが動作鈍くアレクサンダーの方へ向き直った。
「僕は用事があるから今日は無理だと……」
「用事ってどんな?」
「……用事は、用事だよ」
気まずそうに目をそらしている。それからかぶせるように言い放った。
「君には関係ない」
(また、関係ない、か)
アレクサンダーは、思わず尋ねていた。
「なあ、お前って、俺のこと嫌い?」
「………別に」
ミハエルは目を泳がせている。
「俺のこと避けているよな?」
「………」
ミハエルが黙り込む。
「そんなことは、ない」
俯いて、消え入りそうな声だ。
「用事があるならが手伝ってやる。だから一緒に帰ろうぜ」
アレクサンダーは、ニッと笑みを浮かべてみせる。押しつけがましいのは百も承知だ。
ミハエルは何か考えるふうにながらも、しどろもどろしている。
それから仕方なさそうに小さくため息をついたかと思うと、帰路の敷石を踏みはじめた。
黙ってはいるがアレクサンダーがついてくるのを許してくれたらしい。




