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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
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結婚狂騒曲、それから



 美しい旋律が部屋を満たす。

 のびやかで明るく、それでいて繊細。まだ柔らかい剣ダコの出来た細い指が巧みに弓を操り音を奏で、桜色の爪先が愛らしい白魚の指が白と黒の鍵盤を弾く。

 時折目を合わせては微笑み合い、堪え切れないように破顔する。薔薇色に染まった頬の、なんと可愛らしいことか。


「尊いの極み…………!」

「おい顔面気持ち悪いぞ」


 二人の邪魔をしないように距離を取り、背後に控える専属侍女と側近は、小さな声で呟いた。

 アリアドネはあまりの感激に叫び出したい衝動を堪える為、腹の辺りで重ねた手をぎりぎりと抓り上げるオプション付きである。


 白で統一された王城の一室の中央に置かれた、重厚なピアノ。椅子に浅く腰かけて鍵盤を弾くシェヘラザードの傍に立ち、ゆったりとヴァイオリンを弾くのはリュークである。

 婚約者である二人はたまの逢瀬の傍ら、音楽の勉強に励んでいた。収穫祭の時に交わした会話から実現したことである。

 さすが王家の嫡子と、公爵家のご令嬢である。音楽に造詣の深くないアリアドネでも、文句なしに美しいと感じる音色だ。少し間を開けて隣に控えるバルドゥールも、仏頂面だがどこか心地よさそうにしているので、やはり二人の腕前は中々のものなのだろう。


 指の運びを違えることなく演奏は佳境に近づいていく。

 公爵家の女教師ガヴァネスはシェヘラザードの演奏に心がないとケチをつけていたが、この演奏を聴けばもうそんなことは言えないだろう。

 視線を合わせて微笑み合う我が主の、なんとお美しいことか。……じゃない、演奏の素晴らしいことか。明るい曲調に合った楽し気な空気感は、今のシェヘラザードだからこそ出せるものだろう。婚約者同士、仲が良くて何よりである。

 アリアドネは部屋に備え付けてある小部屋に移動し、休憩の準備を始めることにした。

 王城のメイドがするべき仕事であるといえばそうなのだが、リューク殿下が自身の側近と婚約者の侍女以外の使用人を下がらせたために、ティーセットの用意は必然的にアリアドネの仕事となっていた。

 さすが王城の使用人と言うべきか、明らかに純粋な人ではないアリアドネに対しても丁寧な所作を崩さなかった初老のメイド長から、器具やカップの場所を教えてもらったので、その通りに準備を進める。

 練習を繰り返し――付き合ってもらったルーカスの腹が毎日ちゃぷちゃぷになるくらいの練習量だ――他の侍女やメイドに比べても遜色ないものが淹れられるようになったと自負している。


 茶器を温め、茶葉を蒸らしている時にちょうど演奏が終わったらしい。

 手を止めて拍手を送る。若干二名の観客だったので拍手の量も勢いも物足りないが、シェヘラザードは恥ずかしそうにはにかんだ。リューク殿下が差し伸べた手に手を重ねて立ち上がる。


「殿下、シェヘラザード様、素晴らしい演奏でした。そろそろ休憩なさっては如何です?」


 シェヘラザードの手前かにこやかな笑顔を崩さないバルドゥールの提案に乗り、リューク殿下のエスコートのもと、お茶会の準備を完了させたテラスへと出た。

 風は少し冷たいが、日差しが温かいので寒さはほとんど感じない。引かれた椅子に腰かけたシェヘラザードにひざ掛けを薦めて、アリアドネは蒸らしの終えた紅茶を注いだ。


「ありがとう、アリアドネ」

「いいえ。冷やしたら大変ですから」


 紅茶と焼き菓子の準備を終えて、シェヘラザードの後ろに立つ。

 テーブルにつくことが許されているのは、リュークとシェヘラザード、主である二人だけだ。バルドゥールもリュークの後ろに控えている。

 リュークはカップに口をつけ、柔らかく微笑んだ。


「うん、いい香りだ。美味しい」

「恐れ入ります」


 水っ腹になるまで練習した甲斐があった。アリアドネは人知れず拳を握った。  


「リューク様、今日はお誘いありがとうございます。とてもお上手で、びっくりしました」

「ありがとう。シェヘラも素晴らしかったよ、とても楽しかった。心がないなど、もう誰にも言えないね」

「それは……リューク様と一緒だったからですわ」

「……シェヘラ!」

 

 頬を赤く染めて恥ずかし気に胸の内を告白するシェヘラザードの姿に、さすがのリュークも心を動かされたのだろう。頬を染めて、感激したように名を呼んだ。

 何度も人生をやり直したせいか、老獪ぶりを発揮して子供らしいところなどないかと思われる殿下だが、心を寄せる少女の素直な言葉を前にはそうも言っていられないようだった。

 照れ隠しにティーカップへと伸ばしたシェヘラザードの手を捉える。対して大きさの変わらない手で包み込めば、ますます頬を赤らめた。恥ずかしそうに視線をあちこちに泳がせ――しかし観念したかのように、嬉しそうに微笑んだ。

 婚約者との時間を多くとることは、シェヘラザードにとって効果的に働いたらしい。

 おとなしく引っ込み思案な性格はそのままだが、感情表現が豊かになったように思える。アリアドネにとっては、リュークとの信頼関係を築くことに否やはないし、可愛らしい主の表情がいつもよりも多く見れるので願ったり叶ったりである。


「そういえば、ウィンプソン准将の婚約が正式に決まったそうだね」

「そうなのです!」


 リュークが思い出したようにそう言えば、シェヘラザードの表情がぱあと輝いた。


「義姉上となる人とはうまくやれそうかい?」

「はい! とてもお優しくて凛々しくて、とても素敵な人ですわ。ねえ、アリアドネもそう思うでしょう?」

「ええ勿論。私も稽古をつけていただいたりと、とても良くしていただいております」

「私も妹も、アナスタシア様が本当のお姉さまになる日を心待ちにしているんです」


 御前試合の後少しして、シェヘラザードの兄ヒュンケルと、その副官であるアナスタシアの婚約が正式に整った。

 王侯貴族の前であれだけ派手に痴話喧嘩とも言える舌戦を繰り広げた二人の戦いは、最終的にヒュンケルの勝利で幕を下ろした。やはり水魔法を得意とするアナスタシアと、風や火を組み合わせてうまく戦うヒュンケルでは相性が悪すぎたようだった。


 決闘に勝利した暁にヒュンケルが望んだのは、アナスタシアから竜騎士爵を剥奪すること。しかし真の目的は、長年焦がれていた想いアナスタシアを手に入れることだった。

 そのためだけに王侯貴族の見ている前で己の思いを吐露し、明け透けに彼女を求めた。アナスタシアもまた、押し込めていた自分の感情を露わにしていたために、二人が想い合っているのは観客たちにもよく分かった。

 

 身分の違いは貴族の婚姻には致命的だ。しかしそれを補って余りある能力がアナスタシアにはあり――この御前試合をもって、ヒュンケルは大きな後ろ盾を手にしたのである。

 世論だ。

 あんなにも想い合う二人を引き離すのか。愛し合う二人を許してもいいのではないか。

 人はいつだって刺激を求めている。それは平民も貴族も問わずそうであり、身分の頂点に立つ国王も同様だ。

 竜騎士同士でありながら元奴隷と公爵家という身分の差で、けして許されない情を抱くヒュンケルとアナスタシアの決闘は、代わり映えのない退屈な毎日を過ごす王にとって最高の刺激だったようだ。

 二人の婚姻は、王直々に許しが下りた。

 王が許せばヒュンケルの父であるウィンプソン公爵も許さぬわけにはいかない。

 幸いにもアナスタシアとの婚約の話が持ち上がっていたダービー男爵は、御前試合当日に無認可奴隷や盗品の売買などの罪により捕縛されたために、縁談は白紙になった。

 実際にはリューク殿下やウィンプソン公爵が裏で動き、アリアドネやバルドゥールに捕縛を命じたので、なるべくしてなったと言ってもいいだろう。

 結果を見るとヒュンケルが王や公爵を利用したのか、果たしてその逆か、分からなくなるのだが。


(分からなくていいんだろうなぁ)


 分かってしまったらアリアドネは、このままのほほんと生きていけない気がする。

 楽しそうに未来の義姉になる人のことを話す主と、向かいで優し気な瞳を細めるその婚約者を、アリアドネはついつい遠い目をして見つめてしまう。


「仲がいいようで何よりだよ。僕にとっても将来の義兄上義姉上になる方々だからね。シェヘラが嬉しそうでよかった」

「まぁ、殿下ったら……」


 にっこりと微笑むリュークの言葉にシェヘラザードは頬を染めた。

 先ほどから婚約者を口説きにかかっているとしか思えない言葉選びをする第一王子を、アリアドネは胡乱な目で見やる。向かいを見れば、その後ろに控える側近も同じような目で主を見ていたので、何ともしょっぱい気持ちになった。


 言葉の端々から、「シェヘラザードと結婚するぞ!」という気概をひしひしと感じる。

 結婚しなかった未来、結婚しても幸福でなかった未来ばかりを繰り返してきた彼としては、今のうちに打てる布石はなんでも打っておいて、埋められる外堀は埋めるだけ埋めておきたいのだろう。

 シェヘラザードも満更ではなさそうなので、是非ともこのまま良好な関係を築いていってほしい。


 そのためにもアリアドネは、出来る限り前回とは違うことをしなければならない。

 特異点であるアリアドネの行動が、静かな水面に投げ込んだ小石の如く、大きく波紋を広げていく。その波紋はいつか波になり、嵐となって周囲を巻き込んでいくだろう。



 運命の大きく動く学院生活まで、あと4年。

 

 リュークの半人の血が覚醒するのはいつなのか。

 学院に現れるシェヘラザードの婚約者は、今目の前で微笑む第一王子、リカルド・リューク・メルバーンなのか。あるいは、王家の影となっている第二王子、エヴァン・リューク・メルバーンなのか。

 今はまだ誰もわからない。


 けれどこの穏やかな時間が出来るだけ長く続けばいいと、アリアドネは願っている。




御拝読ありがとうございます。

幼少期編はここで終了、時が経ちまして12歳入学直前編になります。

キリのいいところでストックが切れましたので、もう少し書き溜めてから続きを公開していきたいと思います。

再開は早くて7月半ば、遅くとも8月にはスタート出来たらと考えております。

それまでは番外編や登場人物紹介などをいくつか予定しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。


感想や評価など頂けると励みになります。

再開後もよろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです! 題名だとひたすら重そうでしたが、アリアドネのコメディ感が良い感じに中和されてて、読みやすかったです。 一周目のアリアドネがポンコツ脳筋過ぎて、こんなにも二周目が必要な主人…
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