二人目のS級料理人
マンプ・クーネル号の四階層目には、多目的用途のイベントホールが用意されている。
そこはまるで小型のコンサートホールのような、落ちつきと荘厳さに満ちた空間。ホールの最奥部には赤いカーテンに隠されたステージがあり、それを取り囲むように多くの客席が用意されていた。客席は全三階層となっており、様々な視点からここで行われるコンサートやショーを楽しむ事が可能となっている。
客席の色は上品なワインレッド。全体的に木彫りを模した装飾は、あたりに張り巡らされている。こういった雰囲気に慣れていない日本人にとっては、落ちつかない事この上ない場所であろうということは想像に難くない。
今現在、このイベントホールは封鎖されている。
今は何もイベントが行われていない上、この先にもしばらく予定が無いからだ。
故に無人。ここは静寂に満ちた場所となっている。
――――はずだった。
「おいおい、俺様をこんな所に呼びだしといて何用だよ? どうでもいい要件なら殺すぜイ?」
大きな両開きの扉を乱暴に抉じ開け、一人の男がイベントホールへと入っていく。その男は、まるで我が家のような気楽さで強引に扉を閉めると、すたすたと歩みを進めて一つの席へと近づいていった。
男の向かう先は、ステージのすぐ近くにある前列から数えて四つ目ほどの席の中央。そこには椅子にちょこんと腰をかける小さな影があった。
この男、天川甘太郎はそこに接近するにつれてどんどん顔をしかめていく。
「ったく、何で俺様がこんな面倒事を……」
甘太郎がここに来る切っ掛けとなったのは、約一週間前の出来事だ。
突然、彼の元に手紙が届いたのである。もちろんメッシ=デリシャからの招待状では無い。
差出人は、彼の父・天川照真――――の師にあたる人物である。
ルセット・デルニエール。世界に三人しか居ないと言われる“S級調理師免許”の取得者だ。
フランス人であり、同時にフランス料理を極めたこの人物は、一時期天川照真に料理を教えていた時期がある。故に師。何せ、ルセットはこの世で一番最初にS級調理師免許を取得した人間だ。実力は申し分ない。
そんな人物から、唐突に甘太郎へと手紙が届いたのであった。
手紙はやけに気合いの入った筆書きのものとなっており、内容はシンプルに一文だけ。
――――儂、船。ショーマの息子来い。一週間後。
最初は、外国人なのにやけに綺麗な日本文字だなぁ、とだけしか思わなかった甘太郎。
だが呼ばれている“息子”というのが自分の事を指してると気付くなり、ふと我に返り全力で拒否した。ショーマとは彼の父、天川照真の事であったのだ。
甘太郎は人の言う事に従うのが大嫌いである。だから絶対に行かぬと最初は抗戦の意志まで見せつけた。こんな面倒、誰がしょい込むかと考えていたのだ。
しかしその抵抗は、父の一言により呆気なく瓦解させられた。
「なら、今からフランスはお前の敵という事になるね」
……有り得ない。なんて言いきれないのが、世界最高峰の料理人なのだから困ってしまう話だ。
甘太郎はその言葉を受け、一瞬青ざめつつもしっかりと考える。
……別に怖気づいたわけではない。けれどもむやみやたらと敵を増やすのも非効率だ。それに船というものにも興味がある。何かが始まってくれるという期待もあるのだ。本当に怖気づいたわけではない。
という事で、甘太郎は同封されていたパンフレットからマンプ・クーネル号の事を知り、嫌々ながらも乗る事にしたのである。
まさか妹と乗り合わせるとは想像だにしていなかったが、甘太郎としては今更嫌な事の一つや二つ増えても変わらないという心情ではあった。
ちなみに、フランスのルセット・デルニエールとはどんな人物なのか。
一応、来る前に父に問うてみた事もある。すると天川照真は複雑そうな表情でこう答えたのであった。
「あー、ハムスターみたいな奴だよ。今や僕ちんの方が圧倒的に強いけど、当時はこのナリでこんな強いのかよーって驚いたものさ。ま、それでも僕ちんに挫折感を与えない程度の実力だったけどね。はーっはっは!」
その言葉を聞き、甘太郎は当てにならない奴に聞いてしまったと後悔したものだが、冷静に考えるとルセットをよく知るはずの父が的外れな事を言うとも考えにくい。どういう意味で小動物を指したのかは不明だが、そういう要素があるという事を理解した上で会った方がいいだろうと甘太郎は考えた。
ルセットは記録媒体を好まず、写真や動画の流出を徹底的に防いでいる。故に調べるのにも限度があった。まともな情報すらも出てこない、というあたりに作為的なものを感じつつも、甘太郎が次第にルセットに興味を示していくのは半ば必然であったといえる。
とはいえ、ルセットは相当昔から活躍している人物だ。父よりもだいぶ年上である事を考慮すると、相当な高齢に達していても不思議ではない。むしろ若い可能性が皆無になるぐらいだ。
兎にも角にも、そのルセット・デルニエールはこのイベントホール内に居る。
甘太郎は柄にも無く緊張気味に喉を鳴らし、人の気配があった席の方へと歩いていく。対面の時は近い。
そして、その瞬間は呆気なく訪れた。
「ほう、来たか」
ステージ付近、一つの席から立ち上がった人物が、くるりと甘太郎の方に振り向いたのである。
ちょうどお互いの全身を見回せるような距離。まだ席まで近付ききっていない甘太郎は、驚愕にびくりと身を強張らせる。
……これがルセット・デルニエール……!?
甘太郎はルセットの姿を見て硬直する。
確かに、父の言う通りであった。
フランス人形が着物を着ている、まず甘太郎が抱いた印象はそれだ。金髪碧眼。一種の造形美を感じさせる巻き毛。白い肌。目が大きく、愛らしい顔立ち。絵に描いたようなフランス美少女とはまさにこの事だろう。
なのに纏っているものは桜模様のついた桃色の着物。それもサイズが大きいのか、襟元が大いにずれて左肩が露出してしまっていた。胸元までもが非常に際どくなっている。
洋風美少女とはだけた着物。一見、アンバランスにも思えるその組み合わせは、どういうわけか絶妙な親和性を発揮し、彼女の小動物的な可愛らしさを存分に引き出している。
というか、少女であった。どう見ても十代半ばの少女にしか見えなかった。これが天川照真より年上の老人とはとても思えなかった。甘太郎は驚きのあまり口を開く。
そして、最大の特徴。
天川照真の言っていた通りの特徴。
そう、それはルセットの周囲を包む“金色の球体”である。透ける“くす球”の中に人が入っているような絵面。その球体は半透明であり、恐らく食柱毒によって生成されたエネルギー体である事が想像できる。
金色の球体エネルギーに包まれた、金髪碧眼少女の桃色和服。
そんな状態のルセットを見て、甘太郎は思わずこう叫ぶのであった。
「ハムスターボールかよっ!!!!?」
ハムスターボールとは、ハムスターを室内で散歩させるための飼育アイテムの事である。半透明のプラスチック球体にハムスターを入る事により、安全に室内を走りまわらせる事が可能な代物なのだ。
余談だが、最近では危険性を呼びかける声が増えており、あまり見かけなくなっている。
とはいえ、甘太郎はハムスターボールの存在は知っていたのですぐに突っ込む事が出来たというわけだ。
それを受け、ルセットは眉根を寄せてこう答える。
「はぁ? 誰がハムスターが如き超愛らしい美少女じゃって? いいぞ、もっと言え!」
流暢すぎる日本語であった。
これにより天川甘太郎の動きは完全に停止する。
……これは、どこから突っ込めばいいんだよ……
甘太郎は珍しく突っ込み側に回ってしまった自分に悲哀を感じつつも、ひとまず色々と知りたいと考えるのであった。
●
天川甘太郎はイベントホールの席に座り、大声で喚き散らしていた。
「もしもし父上~、俺様俺様! おいおい聞いてないんだけど! のじゃロリだなんて俺様聞いてないんだけど!? しかもだいぶ耳遠いみたいなんだけどォ!? ほんとに大丈夫なのかこいつ! つーか日本語めっちゃ流暢だな、色々とおかしいけど! こいつに日本語教えたの誰だよ!? えっ、父上お前かよ!? はぁ!? ちょっと! おいコラ親父ィ! 聞けよクソが! あっ、ちょっ! クソがぁ!」
甘太郎は早速父親に電話していた。想定外の事態に一言相談したくなってしまったのである。しかし、やけに淡泊な反応しか返ってこなかった上に速攻切られてしまった。
まったくもって愛情に欠ける父である、甘太郎はそんな事を思いながら怒りを噛みしめる。
電話が切れたツー、ツーという音を耳に受けながら、甘太郎はチラリと隣の席を見てみた。そこには変わらぬ笑顔の少女が座っている。厳密には、少女に見えているだけの老婆のはずなのだが。
ルセット・デルニエール。
明らかに甘太郎の父よりも年上であったはずのその人物は、どの角度から見ても十代半ばのような金髪碧眼桃色和服の美少女にしか見えない。あえて左肩を露出させるような滅茶苦茶な着こなしも、見た目の幼さを更に増長しているかのようだ。そして何よりも、彼女を包むように展開している金色の球体エネルギー。彼女の座る椅子などを貫通してるあたり、物質の干渉を通さないバリアなどではないようだ。
だが、人にどんな影響があるのかわかったものではない。甘太郎は決してその球体の中には入るまいと誓うのであった。
何にせよこれだけの存在感が横にある、というだけで甘太郎は落ち着かない。甘太郎は珍しく弱っていた。
対するルセットは、やけに色気を感じさせる所作で自身の縦ロールを弄り、狼狽する甘太郎に対してニコリと柔らかな笑みを浮かべる。
「さぁて、今回お前さんを呼んだのは他でもない。儂のために働いて欲しいのじゃ」
「えっ!? もう本題入るのか!? ちょっと色々と聞きたいんだけ――――」
「まあまあ、良いではないか。それより儂の話を聞け。聞くのじゃ」
言葉を遮られた。こればかりは流石の甘太郎も面食らう。
「お、おう……」
甘太郎は珍しく押され気味になっている自分に苛立ちつつも、ただ相槌を打つ事しか出来ない。女相手には基本的に舐め腐って接する甘太郎だが、今回ばかりは調子が狂って仕方が無いのだ。
これがS級調理師免許所有者の為せる技なのだろうか。
実際、今のルセットからはどことなく天川照真のようなやりにくさが感じられてしまう。もしS級の特徴がこの絡みにくさなのだとしたら世の中間違っている、と思わざるを得ない甘太郎であった。
だが当のルセットは甘太郎の反応になどほとんど関心を示さず、ただただ無邪気な笑みを浮かべ、楽しそうに脚をぶらぶらさせながら続ける。
「実は、折り入ってお前さんに頼みがある」
「頼みごと? それも俺様にって、どういうこ――――」
「まあ聞け。聞くのじゃ」
「……ああ」
どうやら甘太郎がこの船に呼ばれた理由はその“頼みごと”とやらにあるようであった。
とはいえ頼みたい事があって人を呼ぶ、というのはあながち珍しい事でも無い。甘太郎としても、その可能性はここに来る前から有り得るものとして想定していた。
だが、肝心の内容に関してはまるで想像がつかない。
ほぼ万能に近い天川照真と同格、またはそれ以上の実力を持つS級調理師免許所有者がわざわざ人を頼る理由。それも何故かあまり接点の無い甘太郎に頼る理由。そればかりは聞かない事にはどうする事も出来ない。
ルセットは、そんな甘太郎の疑問に満ちた視線を受けて微笑む。
「二人ほど、人を探してきて欲しいのじゃ。この船の中にたぶん居る」
「人探し? そらまた妙な話――――」
「探して欲しい人物は二人。一人は、まあ名前……というか実力ぐらいしか知らんからいいとして……いや、やっぱり軽い説明ぐらいはしておこう」
「おいおい、なんだそのぼんやりした注文は。せめて人に頼むならもっと情報纏めてから頼めよ。俺様は探偵じゃな――――」
「お前さんにはまず、ユルティム・シュガーという人間を見つけて欲しい。そんで、場所だけ後で教えてくれ」
遮るように、ルセットは聞き慣れぬ人物の名前を口にした。少なくとも甘太郎は知らない名前である。
ルセットは甘太郎の言葉や怪訝そうな表情をまるで無視し、当たり前のように話を続けていく。
「ユルティム・シュガー。そいつはちょっと前フランス、いや、世界各地で伝説を作った料理人じゃ」
続くルセットの言葉によれば、簡単な概要はこうであった。
伝説の料理人、ユルティム・シュガー。スペルの読み方も一定ではない、人の名前にしても少々変わった名前。そんな半ば都市伝説に近い人物が、確実に実在していたという所からルセットは説明を始めた。
ユルティムは、あらゆる国を渡り歩いては各国の大会などで名声を得ては姿を消しているらしい。それが故に情報が少なく、未だ正体不明と言われているようである。ユルティム・シュガーという名称も、各国でこの人物が得た二つ名などを組み合わせて作られた“通り名”のようなものなのだそうだ。
だが、それ以上の情報を誰も知らない。厳密には、ユルティムを見たという人物は複数居るのだが、その全ての情報が噛み合っていないのだ。愛らしい美少女だったという声もあれば、精悍な青年だったという声もあり、挙句の果てには人の姿をしていなかったと言う者まで現れる始末。
そんな人物に対して誰が名付けたのか、ついた異名が「籠」。ユルティムは世界で初めて、正体を知られぬまま異名を得た料理人なのである。
そして、そのユルティムがこの船に居るという噂をルセットは耳にしたらしい。
「と、いうことなのじゃ。何か質問は?」
「なんでこれ俺様に――――」
「そりゃーその食柱毒さえあれば、もし何らかの組織の思惑が絡んできても平気じゃろ? 死なないんだから。危険な事も気兼ねなく頼めるなーとな。それがこんな頼みやすそうな位置にいるなんて儂はなんて幸福なんじゃろー。さすが儂、儂ラブ」
「鉄砲玉扱いかよふざ――――」
「それに一人で探すのは骨が折れるし、あまり会いたくない奴もここにおるのじゃよ。で、あんまり儂の息がかかった者を送り込むのもあれだったし今回は少数精鋭って事じゃな」
「てめ――――」
「ま、頑張ってくれ。もちろんスーパーなお礼はするぞ! 期待してるといい!」
「……で、その二人目ってのは?」
甘太郎は、ここに来てひとまず話を全て聞き切ろうとした。これ以上、無駄な会話を続けたくなかったのである。なんとなく嫌だったのだ。自分でペースを握れないのはどうにも気分が悪い。
兎にも角にも“必要な話”だけをして、さっさと会話を切り上げたいという思惑。頼みごとを実際に聞くかどうかは別としても、まずはこの二人きりの会話をどうにかして終わらせたかったのである。
だが、そんな甘太郎の思惑などまるで気にも留めない様子で、ルセットはクスクスと笑って応じた。
「なーんじゃ。キレやすいと聞いていたが、お前さん結構我慢強いのお。気に入った。ハグしてやろう。光栄に思え、何せ儂は超絶美少女だからな。一生の宝にするといい」
「そういうのは別にい――――」
「シオン・ソルトバレー。二人目はこいつじゃ。こっちに関しては情報が多いぞ」
ルセットはそう言うなり、既にガバガバとなっている襟元に手を突っ込み、そこから透明なファイルを取り出した。ファイルの中には白い資料がいくつか挟まれている。これが彼女の言う所の「情報」なのだろう。
だが、甘太郎の興味はそちらには向かなかった。
どちらかと言えば、今のルセットの言葉に引っかかりを感じていたのである。記憶の片隅に引っかかるような違和感。そういったもののせいで、甘太郎の興味は一つの単語の持つ引力に吸いとられていた。
「シオン? どこかで聞いたことあるような名ま――――」
「おっ、早速心当たりか? なら丁度いい。正直、こいつについてはこれが限界でな。調べるのも危険だったから結構キツかったのじゃ。やー良かった良かった」
「おい危険って――――」
「これは、もしかしたらすぐに見つけてしまうかもしれんな。どれ、写真も見てみるのじゃ」
「話聞けよ、なんなんだお前は」
ルセットはファイルから一枚の写真を取り出し、甘太郎に手裏剣が如く投げつける。
それを難なくキャッチした甘太郎は、やはり疑問によって鈍った身体を無理矢理動かしていく。
胸にある小骨程度の引っかかり。甘太郎は、そんな状態のままルセットの取り出した写真に目を向ける。
――――するとそこには想像以上のものが写されていて、疑問は全て氷解された。
甘太郎はそこで全てを思い出す。
「あっ、俺様こいつ知ってるわ。ほんのちょっとだけど」
写真には、間違いなく天川甘太郎が知っている人物が写し出されていた。どう見ても見覚えのあるその容姿が、一切隠れる事無く写真に収まっているのである。これは間違いようも無い。
どういうわけか“名前”は甘太郎の知っているものと多少異なっていたが、それでも同一人物と思わざるを得ないような説得力がその写真にはあった。
甘太郎は不思議そうな表情で、じっくりと写真を見回す。が、何度見ても知っている人にしか見えない。これは一体どういう事なのか。甘太郎の脳内に様々な可能性が浮かんでは消えていく。そんなこんなで思考は順調には進まず、答えが今の情報量で出てくるはずも無い。
と、ここでルセットが解説を始める。
「こやつの異名は“第六天魔”という。メッシ=デリシャの料理人じゃよ。こいつはユルティム以上に厄介であろう料理人なのじゃ。何せ、現在所在が不明となっている三つのS級調理師免許のうち最後の一つを“この女”が持っているという話だしの」
「あ? なんか俺様の知っている奴とどんどん離れていくんだが……」
甘太郎が知っている“彼”は、日本国内で細々とした伝説を作った程度である。そんな大層なものでは決してない。少なくとも、確か調理師免許のランクはA級で止まっているはずだ。
そんな甘太郎の反応に、ルセットも「そうか」と少々表情を曇らせる。甘太郎の知っている情報が、あまり有効な手がかりではなさそうだと察したのだろう。
しかしルセットは、すぐに気を取り直したようにこの長話をこう切り上げるのであった。
「ちなみにこいつはすぐに見つかると思う。こいつに関しても居場所を把握して伝えてくれるだけでいい。じゃが、嗅ぎまわっている事は絶対に悟られるなよ。じゃないと」
一拍。それから一言。
「いくら不死持ちだろうと、本当に死ぬぞ」
脅しのような言葉。
危険なんてものではなかった。基本的に死なない甘太郎に対してここまで言うのだ。単に心配性であるとか、はったりを言っているわけではなさそうである。ならば危険で無いはずがない。
それにしても唐突に船に呼んだと思えばいきなり人探しを頼みつけ、更にそれが命の危険まで絡んでくるとはどういう事だろうか。甘太郎は不満の一つも口にしたくなる。実際のところ不満なら何度か口にしたが、まだまだそれでは足りないぐらいだ。
そういえば、天川照真が以前に「僕ちんの師匠だった人はかなり強引な人でね、や、強引というかかなり理不尽っていうの? 逆らうと超めんどーだから適当に従って手を抜くのがベストっていうぐらい本当厄介な奴。とにかくナチュラルにクズ」と言っていたのを甘太郎は思い出す。本当に、驚くほどその通りだった。
これは照真の口ぶりからして、断っても何かされそうな気配である。能力も未だ不明なこの女が何をしでかすのか、甘太郎はまだ知らないのだ。迂闊にS級は敵に回せない。
しかしながら、甘太郎にはそれでもまだ「断る」という選択肢があった。それは彼の父もまたS級である……というのは一切関係なく、ただ単に天川甘太郎という男の性格のお陰である。
相手が何であろうとまずは舐めてかかって痛い目を見るのが、甘太郎の性分だ。そうであるが故に実力を見誤る事多数なのだが、長所として「流されない」「脅しは通用しない」という面も存在する。
甘太郎は断れるのだ。
だが、ルセットの忠告に対し、甘太郎は嬉々としてすぐにこう答えた。
「面白いじゃないか。いいぜイ、やってや――――」
「ほう? やってくれるのか」
「決め台詞ぐらい言わせ――――!」
「意外じゃな」
「……まあ、な」
自身でも意外なほどに、天川甘太郎は乗り気であった。
途中まではいきなり断ってもいいと考えていた甘太郎だったが、これまでの話を聞いて少々興味が湧いて来たのである。好奇心には逆らわない。それが彼の生き方であり、正義である。
謎多き二人の人物の捜索。父と同じレベルの実力者からの意味深な依頼。そしてリスク伴う激しい冒険の予感。それらは何気に甘太郎の気持ちを昂らせた。
甘太郎はこれまで退屈していたのである。何でも出来る代わりに可能性を失った彼は、何かを失うたびに新たな何かを探し続けてきた。前回は演歌歌手の夢だったが、新たな目的はまだ見つかっていない。
ならばこれを切っ掛けに何かが変わるかもしれない、なんて事を考えたのだ。
だから甘太郎は止まらない。自身の可能性を見つけるためにも。
「ただし言いなりは気に食わないんでな。もし俺様が完璧に全部こなせたら何でも言う事聞け――――」
「いやーんえっちぃッ!」
「はあ? 何言――――」
「まあ、何でもとは言わんが大概の願いなら叶えてやろう。これなら満足か? 満足と言え」
「……けちめ。まあいいけどな」
こうして、甘太郎はなんだかんだでルセットの依頼を引き受ける形となった。
ここから本日二つ目の物語が幕を開けるのである。天川甘太郎、その物語がついに始まるのだ。
それからルセットと数回の受け答えを行い、渡された資料に目を通してから甘太郎はイベントホールを後にした。ルセットはまだここに残っているようだが、別に一緒に行動する義理も理由も無い。
甘太郎は一人でホールから出て、入口付近で永眠らせていた警備員達を生き返らせ、柄にもなくワクワクしながら船内の探検を楽しもうと企てるのであった。何はともあれここから全て始まるのである。
まずは何処へ行こうか、甘太郎の目的地は揺れる。
そして、シンプルな思考と共に一つの場所が選ばれた。甘太郎は早速“そこ”へと向かう。
そんな甘太郎の心は、あまりにも似合わない事に少年のように弾んでいた。それは本当に久しぶりの感覚。
しかし。
「にしても、意外と大した事なさそうだったな」
正直なところ、天川甘太郎が父と同格以上の力を持つ相手に期待をしていたのは事実である。
だが実際に対面してみて、ルセット・デルニエールにそれらしい威圧感や迫力を感じなかったという事に、甘太郎は少なからず落胆していた。
容姿、というよりは全体的な見た目こそインパクトが多少あったものの、それ以上の何かを見出す事が出来なかったのは残念極まりない事実である。このままではただ老人口調なだけの幼女だ。性格面も多少強引なところが目立つ程度で、そこまでの理不尽さも感じなかった。
「……なんというか、最強キャラの一角のくせしてキャラ薄かったし」
何より印象が希薄、というのは問題であった。あれでは少々絡みにくい程度で、甘太郎の父が苦手意識を抱くのさえも納得がいかないぐらいだ。
そもそも長年闘ってきたという年季すらも感じさせないのは流石に興ざめである。
甘太郎の中で膨らみゆく不満と失望。
もっとも、実際に調理を始めるまで料理人の真価はわからない、というのは彼の父からしてもそうなのだが、それでも甘太郎は期待しすぎた反動もあってかどうにも腑に落ちなかった。
いくら理屈で考えようと、感情が納得しないのでは意味が無い。
……これ以上考えても不毛だ。
甘太郎はひとまずその思考を放棄する事にし、同時に抱いていた疑問に意識を向ける。
「そういや……」
甘太郎の心には一つだけ引っかかりがあった。
それはこの封鎖されたイベントホールに、どうやってルセットが入ったのかという点である。甘太郎の場合は警備員を一時的に殺し、それでようやく中へと入る事が出来たのだ。
それなのにルセットは何の痕跡も無く、平然と中に入っていた。何らかの能力を使ったのは明白だが、それにしてもあのハムスターボールでどう解決したのか気になる所である。
そもそもにしてどうして面会場所にここを選んだのかも不明な上、ルセットはあの場所で何がしたいのかも不明瞭なままだ。依頼に関しても謎が多く、どうにもあのルセット・デルニエールの事はよくわからない。
甘太郎は思考を巡らせるが、まあいいかの一言でそれらを廃棄し、目的地へと向かうのであった。




