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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「愛情よりも大切な」編 vs味覚破壊
9/98

弁当の罠 -五つの味が行き着く先は 3-

 待つこと数秒。遂にその平坦な唇が動いた。


「塩谷始音さん。お願いします。どうかあのお嬢様の代わりに、この私と戦ってくれませんか?」

「……え?」


 その“お願い”は彼の予想をあまりにも上をいっていたため、またしても彼の心の準備は無意味となるのであった。


「それ、どういう意味?」


 まるで意図の読めない提案だ。

 天川と辛籐の対決は、塩谷には全く関係の無い話だ。おそらく事の発端は天川が戦いを申し込み、辛籐がそれを受けた形になるのだろう。というか天川が挑戦側に立っている以上、それ以外あり得ないと考えられる。

 ならばこの戦いの中心に立っているのは、むしろ天川の方だ。なのにその彼女の代役として、他の人を戦わせようとするのはどういう魂胆だろうか。

 塩谷の脳は色々な可能性を浮かべるが、それら全てが明確な答えを得ることが出来ずに霧散していく。


「ていうか、何で僕? 僕じゃ辛籐さんには絶対勝てないと思うけど」


 以前、辛籐と会った時、塩谷はただの天川と同じ学校の生徒として名乗ったはずだ。

 彼が料理人だと言うことが知られていない以上、どうして塩谷が戦わなければならないのかが不明瞭である。

 しかし辛籐の目は真剣だ。彼女は笑みを消し、目を細め、以前のような鋭い視線をぶつけてくる。どうやら少し怒ったようだ。


「舐めないで欲しいですね。気になったので調べたんですよ、貴方の事を。何が勝てないですか、あり得ませんよ。『三柱天使トリニティエンジェル』の異名を持つ生ける伝説、塩谷始音が相手ならいくら私でも苦戦ぐらいは……」

「その呼び方はやめてよ。恥ずかしいから好きじゃないんだ」


 遮るように言葉を紡ぐ。塩谷の視線も鋭さを増す。

 事実、塩谷はその異名が好きではない。色々と問いただしたいこともあったが、まずはそこから否定しておきたかった。

 だが、辛籐の表情は揺るがない。


「そうですか? 少なくとも私は自分の『不落嬢』よりは好きですけど。漢字のみというのがどうにも好きになれないんですよ。どうせならもっと雷冥殲滅者ライトニングジェノサイダーとかそういう異名の方が良かったです」

「えっ、何そのセンス? 僕はむしろ君のようなシンプルなネーミングが良かったよ。どうしてこういうのって自分で決められないんだろうね」

「同感です。で、どうなんですか。あのお嬢様の代わりに戦ってくれますか?」

「……まずは、理由から教えてくれないかな」


 塩谷は、少し苛立ち気味に質問する。

 このあいだから立て続けに巻き込まれてばかりで、彼も少々溜まっているのだ。そのうえ情報を小出しにする辛籐の態度にも、若干腹が立っているというのも事実だ。

 それでも辛籐の顔に変化はない。


「そうですね。それには少しの事情説明が必要になります」

「いちいちもったいぶるね。なるべく単刀直入にお願い出来ないかな」

「わかりました。簡単に言うとですね。私が……あのお嬢様、いえ、あの家系の者に勝つのは少し不味いんですよ。だから、代役が欲しいんです」

「え?」


 天川の家系が少し特異なのは聞いていたが、それが辛籐にも絡んでくるとは想定外である。

 そういえば天川は以前、辛籐とは親戚同士と言っていたが、その辺りが関係してくるのかと塩谷は想像する。


「私達の家はそれぞれ料理人の名門となっており、更に会社の経営もしています。そしてそれらを総括した五味グループというのが存在していまして、そこは五つの料理人の家系が立ちあげた会社が集まってできているんですよ」

「五味、グループ?」


 それは塩谷の知らない名前であった。

 いくら記憶を遡ろうと、聞いたことすらない名前であった。


「ご存知ないのも仕方ないですよ。最近出来たばかりですし、何よりなるべく表舞台に出ないようにしていますから。それで、その五味グループに所属しているのが、辛籐、三ヶ峰、霜月、天川、渋堂という五つの家です」


 辛籐が語った五つの家、勢力の名前。

 それらは単体ならば、塩谷でも知っているような有名なものばかりであった。それなのに殆ど公になっていないということは、活動云々以外にも、多少秘密裏に同盟を結んだという可能性も見えてくる。

 天川と辛籐が居るというだけでも脅威だというのに、三ヶ峰と霜月もかなり有名な料理の名門であったと塩谷は記憶を掘り起こす。

 酸味の強い料理を作らせたら敵はいないという異色のトリックスター、三ヶ峰。冷たい料理ならばアイス類から麺類まで幅広くこなす絶対零度の支配者、霜月。この二つを傘下に収めているのだけでも相当強大な勢力であることは容易に想像出来た。

 そして、残る一つは純和風の正統派。


「渋堂……!」


 その名字には聞きおぼえがある、なんて話では無かった。

 その名は、塩谷にとってあまりにも因縁が深すぎる。何故ならそれは、かつて共に高みを目指した友の名だからだ。

 渋堂の家は大きく闇が深いと聞いてはいたものの、まさかこんな所でも関わってくるとは塩谷自身想像もしていなかったことだ。

 無意識のうちに汗が吹き出し、息が苦しくなる。過去を思い出してしまったのだ。

 そんな異常に気がついた辛籐が、ようやく塩谷に意識を向けてくる。


「どうしました?」

「いや、気にしないで。続けて」

「わかりました。それで、この五味グループはお互い停戦協定を結んでいるのですよ。手を組んだ方が、商業的に見ても美味しいというわけですね。で、ですね。ここまで聞いたらもう想像がつくと思いますが、実は五味グループ間の料理対決は禁止までとはいかなくとも、何と言うか暗黙の了解でアウトに片足突っ込んでいるんですよ」

「……まさか」

「そう、いくら落ちこぼれとはいえ天川家の人間ですよ。私は戦いたくなかったんですけどね。あのお嬢様が昔から父に認められたくて色々してきたのはわかっていましたが、まさか公衆の面前で挑んでくるとは思っていませんでしたよ。相当挑発されましたからね。あそこで断ったら、それはそれで私の評判が落ちるのでやむをえませんでしたよ」

「えっ、じゃあ辛籐さんは戦う気なかったの?」


 これは塩谷にとっても意外な事実であった。

 この間、天川と対峙した時は戦うつもり満々のように見えたので、実は戦うつもりなどなかったと後で言われても納得しきれない。

 けれどもその気持ちは辛籐の中でぶれることは無かったらしく、彼女は変わらず表情のまま変わらぬ平坦な唇から告げる。


「気がつきませんでした? 私の必殺料理を食べた以上、私の力には気がついていると思いますが、あれ対戦相手に使うのは実際超リスキーですよ? 何せ奥の手なんですから、そうやすやすと明かせませんよ。あんなの自分の力を見せつけたいからに決まってるじゃないですか。そうすれば臆して逃げてくれると思ったんですよ。実際、効果ありませんでしたけどね」

「……なるほど」

「それに普段なら言われても能力、というかあの香辛料なんて使いませんよ。一応、手の内隠してこその力ですからね。基本的に、味覚が壊れるまでのものを使うのは本番だけです。あれ、相当効いたと思ったんですけどね。あのお嬢様のメンタルを正直舐めていました」


 たしかに辛籐の言うことはもっともである。

 天川は、いくら塩谷が止めにかかろうと止まらなかった。何か執着でもあるかのように、執拗に辛籐との勝負に拘り続けた。

 だが辛籐の話を聞く限り、天川がここまで諦めない理由を推測するのはそう難しいことではない。

 あくまで塩谷の推測だが、天川甘音は恐らく家族に自分の力を見せつけたかったのだろう。そんな中、こと対決において無双の強さを誇る辛籐に目をつけたのだろう。きっと天川は五味グループのことなど何も意識していないに違いない。

 それどころか正しく把握しているかどうかも怪しい。一瞬、家で止められなかったのかと考える塩谷だったが、よくよく考えればそれで止まる天川甘音ではないことに気がつく。


「それで天川さんの説得は難しいから僕に代役という形で出場させて、僕が辛籐さんと戦えば問題ないってことだね」

「そういうことです。それに、単純な興味として貴方と戦ってみたいんですよ。私の力が何処まで通用するか……」

「悪いけど、断るよ」

「えっ?」


 辛籐の表情が大きく変わる。

 恐らく彼女は断られるとは思っていなかったのだろう。まさか弁当の分の恩まで無為にされるとは想像もしていなかったのであろう。

 塩谷も状況が分からないわけでもないし、他人事だと思って切り捨てようという気持ちがあったわけでもない。

 しかしそれでも彼はもうこれ以上、料理に関わり合いをもちたくはなかったのだ。


「僕はもう料理はやめたから。それに君のほうが絶対に強い。僕じゃ勝てないよ」

「……そうですか。料理人をやめたとは聞いていましたが、まさかここまでとは思っていませんでした。即答されるのは流石に想定外でしたし。だったら……」

「先に言っておくけど、どんな特典があっても僕はやらないよ。もう料理は、本当に嫌なんだ。それに、天川さんだって納得しないと思うよ」

「確かにそうですね。……わかりました。まあ、断られる可能性もゼロでは無いと分かっていたことですし、仕方ありませんね。そこまで意志が固いなら何を言っても無駄なようです」

(なんだろ、やけに物分かりがいい……これが天川さんにもあればなあ)

「じゃあ、二千円下さい」

「え?」


 前触れなく突然カツアゲされた。ちなみに塩谷は今、お金が無い。この間の食事のせいである。

 塩谷が驚いて辛籐の顔を見るが、どうやら真剣そのもののようだ。彼女は真顔である。


「え? じゃないですよ。お弁当代と、お弁当箱代です。私としては手伝ってくれる代わりの報酬のつもりだったのですが、まさか先に食べてしまうなんて思いませんでしたよ。断るなら、このぶんのお金は請求します。でも私は優しいので、四捨五入した金額で許してあげます」

「いや、待って。言い方は悪くなっちゃうけど、そっちが勝手にくれたものじゃないの、アレ……?」

「私は、貴方が手をつけるまでただの一言も食べていい、とは言いませんでしたよ? 先に手渡しただけです」

「いやいや、だって一品につき質問一つって……!」

「ええ、言いましたが何か? 私は食べたら答えると言っただけで、別に今食べろとは言っていませんし」

「ず、ずるい……それは流石にないよ、辛籐さん。ていうか、たしか僕が何で弁当をくれたのか聞いたら、別に深い理由は無いとか言ってなかったっけ……?」

「はい。深い理由なんてありませんよ。物で釣って無理矢理協力させたいという、非常に浅ましい理由はありましたが」

「ずるい……! それは流石に性根が穢れてるよ……!」


 ニコニコと営業的な笑みを浮かべる辛籐に対し、塩谷はただひたすら狼狽することしか出来ない。ちなみに笑みとは言っても、弧を描いているのは唇だけで目は笑っていない。

 彼は恐怖を感じ、竦み上がる。現にもう食べてしまったという引け目があるせいで、たとえただの屁理屈を言われても何も反論出来ない。


「じゃ、じゃあせめて、お金は今度返すっていうのは……!?」

「そうした場合、利息がつきますが? 結構、高額になりますよ。あ、間違っても踏み倒そうとか思わないで下さいね。辛籐を舐めないで下さい。貴方一人の命程度なら、簡単にどうとでも出来るんですから」

「えっ、命の危険まであるの!?」


 塩谷の今の金銭力では、少しでも値上がりされると厳しいものがある。ただでさえ天川の分の借りもあるのだ。あまり値段が上がってしまうと、最悪、返すのがひと月ふた月は遅れてしまう。これでは泥沼だ。ならば今借りを返すしかない。

 塩谷は、まんまと罠に引っ掛かったわけだ。彼は、さてどうしたものかと思考を巡らせる。

 だが、食べたのは事実だ。どう対処するにしても、そこは無視できない現実である。これをうまくかわすのは難しい。

 けれども、彼はもう二度と料理はしないと決めたのだ。それだけはどうにかして回避せねばと、必死に考える。しかし答えは出ない。


(万事休すか……もう、死ぬしかないかも……あっ、僕死ねなかったんだ。くそう)


 塩谷は、どうにもならない現実に落胆する。

 しかし、そこに救いの手が差し伸べられた。

 辛籐が急に冗談のような笑みを浮かべたのだ。今度は目も笑っている。それは、塩谷にとって救いの合図だった。


「なーんて、冗談ですよ。でも、せめて対決の場には来てくださいね。それぐらいならいいでしょう?」

「えっ? あ、うん。でも、さっき天川さんとは戦えないって……」

「あれはあくまで暗黙の了解の話ですからね。別に絶対守るべきルールじゃないですよ。それでも多少は不利になるでしょうが、一応考えがないわけではありません。無論、貴方が代わりに戦ってくれるのが一番確実なんですけどね。それで、来てくれますか?」

「……え、ああ、うん。それぐらいなら」


 またしてもデジャヴを感じる塩谷だが、ここは流石に頷くべき場面だから仕方ないと判断する。

 すると辛籐が満面の笑みを浮かべ、塩谷に視線を向けてきた。


「じゃ、決まりですね。絶対来てくださいよ」


 こうして塩谷は日時と場所を聞かされ、参加こそしないものの料理対決の場に行くこととなった。

 それだけ残し、辛籐は調理室を去って行った。弁当はくれるようなので、塩谷は一人で黙々と食べた後に教室へと戻った。


(何だかんだで美味しかったけど、何か腑に落ちないなあ)


 いつの間にか、天川と辛籐の両方に借りを作ってしまっていることに気が付き、一人ため息を吐く。

 料理対決で全てを清算しようと考え、彼はそれまでの現金調達を心がけることにした。

 何はともあれ時は無情なまでに早く過ぎていき、その日は徐々に近づいてくる。その間、塩谷がしたことといえば普段通りの生活だけだ。

 彼はまだ何も知らない。

 この先に待つ、二度目の死のことなど。

 そしてその元凶となる存在が、今まさに別の場所で命の危機に晒されていることなど、知る由も無かったのであった。

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