4&エピローグ
道の駅につくと、夏ミカンソフトクリームを食べた。十月も中頃を過ぎていたので、ソフトクリームが一番おいしい季節ではない。けれど、雑誌にのるだけあって、夏ミカンソフトクリームは甘さと柑橘類の清々しさが心地よく、悪くなかった。
甘い物好きのブンは、ソフトクリームのほかに地産の饅頭やらパンやらをお土産コーナーで買っていたが、どうにもその顔が浮かない。
ソフトクリームを舐めている間も、どこかぼーっとして、自分がソフトクリームを舐めているのか、それともコーンを食べているのか、わかっていないように見えた。
「ありゃ、もうなくなってるやん。はや」
コーンも食い尽くしたブンが、手をはらう。二人は道の駅の裏を流れる、川辺のベンチにいた。鴨が二羽、砂州でひなたぼっこをしている。
「良い日よりやね。結婚式をあげるには、もってこいやったなあ」
「そうね」
「僕らのデートにも、もってこい」
「かもね」
「――あのな」
ブンが川面を見つめながら、言う。
「僕、今迷ってるです。君に話すべきか、どうか」
「先生はそのために私を誘ってくれたのじゃないの?」
うん、とブンが頷く。
「勉強になると思うたんや。君ら若い子には想像もできんことが、昔はあった。それを知るいい機会やと。知ることが、君の分別を育てる。おもろいもんがあったら、何でもかんでも写真にとって、皆にみせよう、そういう軽率なことをせんようになってほしかったからな」
「先生、私のこと、そんな風に思ってたの?」
ちょっと、いや、かなり心外だ。
「いや、君のことは、心の優しいいい子やと思ってますよ」
「本当に?」
「ほんま、ほんま。感心するぐらい」
「なら、いいけど……」
褒められて嬉しいと思ってしまう自分が、ブンにいいように転がされているようで、歯がゆい。
「言い方が悪かったな。君は若いのに分別がある。だからこそ、いろいろ知って、その分別に深みをだしてほしかった。でもな、君の世知を肥やすために、あのお爺さんの過去を引っ張り出すのは、つらくなってきた」
そう言ったブンは、物憂げにため息をついた。
「それでも私に教える必要があると思ったから、私を連れてきたのじゃなかったの? だって、先生は、初めからわかっていたのでしょう? お爺さんが何を隠しているか――倉に、何が隠されていたか」
アミがたずねると、ブンはしばし間をおいて、「たまたまなんや」と答えた。
「僕な、あの家のこと知ってましたの」
「どういうこと?」
「君の友達の日記に、国道をトンネルみっつ抜けたところ、て書いてあったやろ? それでもしかしたらと思って、後々調べてみてん。そしたら、やっぱり、僕が前に調査したことのある家やってん」
「調査って、なんの?」
「民俗学のフィールドワークでな、県下の古い家屋の作りを調べたことがありまして。あの時は大学の先生のお供やったから、お爺さんも僕の顔、記憶になかったようやけど」
「そうだったの? じゃあ、あの家に足を運んだのは二度目ってこと? あ、そうか。だから、あの家の作りについて、色々と知識があったのね。でも、だったらどうして、お爺さんにその時のこと――」
ブンが首をふる。
「思いだしてもらっても、懐かしがってくれるような関係ちゃうのよ。恥ずかしいことに、君らに『分別ある行動せえよ』と偉そうに言っときながら、僕らも同じことやっててん」
「というと?」
「近所への聞き込みで、あの家に立派な倉があったこと知って、どんな作りやったか、何を収納してたか、聞き出そうとしたんや。そしたら、追い返されてしもうた」
はは、とブンが照れ隠しのように笑い、「ほんま、偉そうなこと言えませんなぁ」と頭をかく。
「けど、その時の態度で、僕には察しがついてしもうたんや。倉にはたぶん、〝あれ〟があったんやろうなって。古い家にはたまにあんねん」
「あれって? ――先生?」
ブンは苦い顔をしていた。これから口にする言葉を舌のうえにのせて、その不味さに顔を顰めているかのような。
「座敷牢や」
とブンは言った。
座敷牢――アミは聞いたことがない。けれど、牢、という言葉から役割はわかる。牢屋。何者かを、閉じ込めておく場所。
三十年前に壊された倉に。
――一体、なにが。
閉じ込められていたのだろう?
口にせずとも、ブンにはアミの頭のなかがわかったらしい。はあ、とため息をつくと、アミに向き直った。
「間違っても今から話すこと、SNSサイトなんかに書き込んだらあかんで?」
「そんなこと、しない」
ブンが頷く。けれど、細められた目はすこし寂しそうだった。
「あそこにおったのは、ゲドや」
「ゲド?」
首を傾ぐ。
「ゲド、ゲドつき、ここらへんではそう言いますの。はやい話、憑きものですわ」
「憑きものって、狐憑きとか、そういう?」
「そう。狐憑き、くだ憑き、狼憑き、地方では犬神筋ともいいますね。ま、犬神は他とちょっと違いますけど――ようするに、動物霊が人にのりうつって、本人の正気を失わせることを言います」
「ゲドっていうのは何なの? 狐?」
「猫より少し大きな、牙のあるものらしいですね。ゲドつきは、他の憑きものと違って、ゲドが本人を乗っ取るのではなく、本人にしか見えないゲドに襲われるのやそうです。ゲドがくる、ゲドに嚙まれる、言うて、外もよう歩けんようになってしまう、一種の脅迫概念に取り憑かれるのやて」
まぁしかし、とブンが続ける。
「この際、ゲドが何なのか、というのは重要じゃない。そもそもゲドと言うたのも、ここら辺ではそう呼ぶというだけのことで、実際にあそこにゲドつきがいたのかどうかはわかりません。一番重要なのは、あそこに、あの倉に、座敷牢があった、ということです。証拠のない僕の推測ですけど、まぁ、間違いないやろ。さっき庭先で聞いた親族の話にも、ちらほら、そのことがでてきてましたし」
「そうだったの? 私、全然気づかなかった」
「そりゃ座敷牢があった、とは言ってませんよ。でもね、お母さんのことが聞えてきましたんや」
「お母さん?」
アミの頭には花婿の母親が思い浮かぶ。それがブンにもわかったのか、ちゃうちゃう、と手をふる。
「僕がお母さん、言うたのは、花婿のお父さんのお母さん――三十年以上まえに亡くなられたそうですが、花婿のお婆さんのことです」
「三十年前――」
倉が壊されたのもまさにその頃。
と言うことは、あの倉のなか、座敷牢にいたのは――。
「詳しいことはわからんよ」
ブンが言う。
「でも、漏れ聞いた話を繋ぐかぎり、あのお爺さんのお母さんは、心の病を患ってたみたいやなあ」
「心の病?」
「ちょっとした躁鬱の気があったのやないかな。今でなら、薬を飲んで症状を和らげれば、普通に生活できた程度の。話を聞いた限りでは、そんな感じやったから」
「それだけで座敷牢に閉じ込めていたというの? それって――」
酷いじゃない。
「残酷と思うんやな?」
当然だ。頷く。
「それは君が知らんからですわ」
「どういうことよ」
例えどんなことがあっても、自分の母親を閉じ込めるようなことが許されるはずない。
「今でこそ心の病は、色々と名前があるし、それが世間にも知れわたっとる。ちゃんと医学的な病気として認知されとる。けどな、ほんのちょっと、一昔まえは、そんなもんなかったんや。心が病気にかかることなんてない、体が悪くないのに普通じゃないのは怠けているのか、もしくは、何かよくないものが憑いたか。そういう扱いを受けてたのや。今だって、すこし田舎にいけば、誤解と差別がようけのこっとるんやで。さっき話したゲドだって、その一つや」
「だから閉じ込めたっていうの? お母さんに変なものがついたと勘違いしたから、だから――」
「あのお爺さんがそう思ったんちゃうかもしれん。けどな、周りのもん、近所の人たち、ちかばの村でそんな話がたてば、もう終わりなんや」
「終わり?」
「憑きものがでた家は、まずもって、まともな縁組みができん。憑きものは家を祟ると信じられとる。せやから、犬神筋の家なんかも、縁者同士の近親婚が多い。家から憑きものがでたとなったら、跡継ぎを望めんようになる。家が潰れるんや。これは君らの感覚から言ったらわからんようやけど、自分の代で家を潰すなんてことは、死ぬことより辛いんやで」
お爺さん大変な苦労してはったと思うよ、とブンは続ける。
「お爺さんだけやないかも。もしかしたら、お爺さんのお母さん、自分から牢に入ったかもしれん。普段は普通に暮らせるけれども、いつ人前で発作をおこすやもしれんから、それを恐れて、息子や家のために閉じこもってたのかもしれん」
「そこまですることって――」
「あるんや」
ブンが言い切る。
「昔の人にとっては、たかが仲間はずれやない。見捨てられ、孤立してしまえば、生きていけんかった。母親を閉じ込めて、泣きながらでも、風評を塞がんことには家を続けていけんかったんや」
エピローグ
昔はねえ、なんでも借りたり貸したりして。お米も、塩も、お醤油も。それこそ、赤ん坊を隣の子供におしつけて、自分は働きにでたりして。
貧乏したけぇね。
頼れるものは、ぜーんぶ頼って、助け合って生きてたよ。
週明けの月曜日、アミはまたもやブンの部屋にいた。
時刻は午後七時を過ぎている。
ブンは職員会議でいない。
アミは勝手にコーヒーを淹れながら、昨晩に祖母が話してくれたことを思い出していた。
とても一人じゃあ生きていけんかったよ、と祖母は教えてくれたものだ。
カチャ、とドアが開き、なんやまだいたの、とブンが入ってくる。
「職員会議終わったの? あ、それと、コーヒーのミルク切れてる」
ブンはデスクを占領しているアミに顔を顰め、「君、入り浸りすぎや」と唇を尖らせた。
「ここ、自分の部屋やと思うてない?」
「そっくりそのまま返させてもらうわ」
痛いところを突かれてか、ブンは黙ってマグカップにコーヒーを注いだ。それから、「あ、そや」と何か思い出したようにニヤつく。
「例のSNSサイト、職員会議で出ましたで」
「え? なんで?」
一瞬、真美子の日記が何か問題になったのかと思う。が、違うようで、問題になったのはSNSサイト自体らしい。
「生徒が授業中、携帯いじくって話ききよらへんって。携帯をいじくりよる現場をおさえんでも、後でコメントを見たら、明らかに授業中に書き込まれとる。それでばれて、携帯を没収される子もおるって。アホやろ」
ブンがからからと笑う。
「だから言ったじゃない。あれは病気。みんな中毒なのよ」
「いや、実は、そうでもないらしくて」
意外にも、ブンがSNS依存者の肩をもつ。
「会議でサイトのことが議論されているとき、生物の先生がおもろいこと言いましてな。はぁ、言い得て妙やと思うて、感心してしまいましたわ」
「なんて言ったの?」
「他の先生方は、どうして四六時中サイトを覗く必要があるんや、と理解できへんようでしたけど、生物の先生はね、それが本能やから仕方ない、と言いはったんですわ」
「本能?」
「そう。動物の本能らしいです。三大欲求と同じくらい強烈で、しかも古い欲求なんやて」
「SNSサイトをのぞくことが?」
いやいや違うくて、とブンが可笑しそうに首をふる。
「つながろうとする気持ち」
つながろうとする気持ち? アミはオウム返しをして、眉をよせる。
「生物の先生曰く、哺乳類の多くは群れを作る。それは個の力では乗り越えられない自然界を、群れの力で生き抜くため。自然界において孤立する、いうのは、そのまま死を意味してた。せやから動物は、本能的に群れを欲する気持ちがある。それも、死に直結することやから強力な感情として」
孤立する恐怖――アミの心にもよく響く。SNSサイトにうんざりしながらも断ち切れないのは、まさに「孤立する恐怖」があるから。
「つまり、君らがSNSサイトにどっぷりはまってしまうのは、最近の社会問題でもなんでもなくて、有史以前からある本能に振り回された結果なんです」
面白いもんですなあ、とブンは言う。
「友達がおらんかて生命の危機に瀕するわけちゃうのに、一人でいることが死ぬよりも辛いと思う子がよーけおる。一人でいるとこを見られたくない、なんとか友達が多いふうに見せようと見栄をはる。SNSサイトではフレンド数、言うのでしたっけ? その数のことばかり気にする。ぜーんぶ、僕らが猿やったころの名残なんですからなぁ」
「そうだったんだ……」
「お爺さんも、怯えてたんやろな」
ブンが呟く。
「息子の結婚が決まって、ほっと胸をなで下ろしてところに、君の友達が写真を撮った。それが丁度、倉があったところやから」
「座敷牢と自分のお母さんのことがばれると思って、息子さんの結婚が台無しにされるかもと考えた?」
「そこまでは考えてへんやろ。いや、何も考えてなかったかもしらん。理屈やない。自分たちのつながりを脅かされることが、ひたすら怖かった――それだけのことちゃうの」
結局、とブンは続ける。
「変わらんのや。今も昔も。つながっていたい、一人になりたくない、そういう気持ちに、僕らはいつまでも振り回されてしまうのやろな」
ブンが遠い目をする。
きっと、お爺さんのことを思い出しているのだろうな、と思う。
自分の子供が、花嫁を迎えた日。
新しいつながりができた日。
その日に、泣いていたお爺さんのことを。
とりあえず、「むこうがわの礼節」はこのお話まででしばらくお休みします。
次回からは他の物語をあげていこうと思うので、そちらもよろしかったら読んでいただければ嬉しいです。




