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むこうがわの礼節  作者: Kずき
第二話 のぞくことの礼節
7/8

3


 お爺さんは何を恐れていたのだろう。


 アミは二度目になるダッシュボードを睨みながら、考えていた。


 土曜日。アミはブンの愛車、青のパジェロミニに乗っている。初めて乗ったのは、ブンと二人で登山をしたとき。あれから半月ぶりの乗車。この車の芳香剤にも慣れてきた。


 二人は今、新しくできた道の駅へ、夏ミカンソフトクリームを食べるために国道を走っている。アミの住む街は瀬戸内海に近い。道の駅へは日本海に抜けるように山間を走って行く。


 この小旅行のお誘いをかけたのは、ブンから。


「こないだの件、ちょっと面白いことがわかりましてん。そんなわけで、僕とデートしましょか」


 そんなわけでとは、どういうわけなのか、いまいちわからなかったが、アミは誘いにのった。ついていけば、教えてもらえると思ったから。


 真美子の日記にでてきた、お爺さん。一体、何を隠そうとしたのか。


『狐の窓、と言いますのはな』


 あの日、ブンが教えてくれたこと。


『影絵のキツネがありますやろ? ほれ、指でつくる。あれを両手で作ってな、こう、裏表にして重ね合わせる。これでできた穴を言いますのや。本当はもうすこし複雑に指を重ねるのやけど、形はそんなに重要じゃない。


 要するに、狐の窓も穴を作ってむこう側をのぞく、というものです。


 この狐の窓、何に使うか。


 見えざるものを見抜くときに使いますの。


 狐の窓のほかに、股のぞき、袖のしたのぞき、猟師さんなんかは銃の照門からのぞく、というのもありますけど、僕が知るかぎり、狐の窓が一番強力なのぞき穴ですね。


 たいがいのものは見破る、と言われています。


 さて、狐の窓にしろ、なんにしろ、のぞき穴。何を見破るのか。例をあげてみましょ。


 一番有名な話は、ツル女房でっしゃろな。

 ツルの恩返し。

 あれものぞくという行為によって、女房の本性を見抜いてしまいますやろ? 


 天気なのに雨が降る、いわゆる狐の嫁入り。これに降られたときは、袖のしたからのぞくと狐の花嫁行列が見えると言いますね。


 東北のほうではおくり狼を見破る、とも言います。


 帰り道、なにやら後ろに気配がある。しかし、振り返れど姿は見えへん。そんなとき、狐の窓を作ってのぞくと、狼がつけてきているのがわかるのだそうです。


 さっきも言いましたけど、猟師さんは山中で得体の知れないものにであったとき、なにやら奇妙な感じがしたときは銃の照穴からのぞく。すると正体を見抜ける。だいたい、山のなかを歩いていて、背中がざわざわするようでしたら、狐がついてきとるといいますね。


 四国のほうでは、バケモノがいきあう道を、ナワスジ、とも言います。こういうところを牛やら馬、犬、動物を連れて通ろうとすると、動物が一歩も動けへんようになる。そういうとき、動物を引っ張る綱でわっかを作り、のぞくと、何がそこにいるのが見えるそうです。


 このように、のぞき穴からのぞく、つまり民俗学的にいうのぞくという行為には、正体を見破る、隠れているものを暴く、という意味合いがあるんです。


 これはね、ただ単に昔の人がそう信じてる、というだけやない。


 君は狐の窓なんて知らんかった。


 せやけど、君は僕にのぞかれて身をひいた。


 人間はな、本能的に、のぞくことに秘められているメッセージを感じ取るんや。言うたやろ? のぞく、という行為にはあるメッセージが暗喩されてると。それが、見破る、秘密を暴く、ということ。


 つまりやね。


 のぞく、という行為。狐の窓でも、携帯のカメラでも、とにかくのぞき見ることは、こう言ってることも同じなんや。


 あんたの正体を見破ってやるぞ。あんたの隠してるもの、見てやるぞ。


 こう考えれば、お爺さんがえらい怒ったわけ、説明できるのやないかな? お爺さんが民俗学的な意味での、のぞく、を知っていたわけやないやろうけど、やはり本能的な部分でそういうメッセージを感じ取ったのやと、僕は思うわ』


 この話を聞いて、アミはますます思ったものだ。


 正体を見破る。秘密を暴く。そのメッセージを向けられて、お爺さんは怒り、怯えた。それは、正体を見破られては困ること、暴かれてはならない秘密があればこそではないだろうか?


 ブンはそれがわかっているようなのに、まだ教えてくれない。


「ここやな」


 出発してから二時間あまり。トンネルを抜けた先に、山里の集落がひろがった。山肌にそうようにして、オレンジ色の瓦葺きが並んでいる。真っ赤な彼岸花が、田畑を縁取っていた。


「なんや、太鼓の音がしますねえ」


 三叉路のわき、お地蔵様の隣にパジェロを駐めると、ブンが風を嗅ぐように顔をだした。確かに、太鼓の音が聞えてくる。


「お祭りでもやってるのかしら?」


「亥の子の祭りかな? 日付ちょっとちゃうような気がするけど……」


 二人して車をでると、集落の天辺から、二人組の人が下りてくる。よく見ると、二人は紋付き羽織に袴。それに夜でもないのに一人が提灯をさげている。もう一人が、手に太鼓をぶら下げていた。


 なにあれ、とアミが声をあげるより前に、ブンが「ちょっと」と肩を叩く。


「あれ」


 ブンが指したのは、提灯の二人組とは反対の方向。人の行列がこちらにやってくる。その集団も、男は羽織に袴、女は黒留め袖と、正装の出で立ち。一体なに、とブンに聞こうとしたところで、答えが目に入る。


「結婚式だ」


 行列のなかごろ、白無垢に包まれた花嫁が、付き添いの者に日傘をさしてもらいながら歩いている。


「これは嫁入りやな。きょーび、珍しい」


 ブンが興奮して鼻の穴をひろげる。


「伝統的な婚礼の儀なんて、そうそう見れるもんやないよ。君、運がいいなぁ」


 そう言って嬉しそうにしているのはブン自身である。


 やがて、提灯をもった二人組と花嫁の行列が出会う。ブンとアミは少し離れたところから、それを見つめた。


 挨拶が交わされると、花嫁の行列は二人組に連れられてなだらかな傾斜を登って行く。見守っていると、行列から一人がはぐれて、ブンとアミの方へ歩み寄ってきた。


「お婿さんのご親類?」


 中年の女性で、声を張り上げるようにして聞いてくる。


「いやあ、違いますう。僕ら、ちょっと通りかかっただけで、太鼓の音がしますから、なんやお祭りかな思うて。きれーな花嫁さんやから見取れてしまってましたわあ。えろう、すんません」


 ブンも声を張る。女性は「あらあ」と機嫌のよい声をあげると、歩みを止めず、目の前までやってきた。


「それは何か縁のあることで。どちらから?」


 目尻の下がった、愛想の良さそうなあばさんだった。


「僕、Y高の教師してます小室文太郎言います。こっちは教え子の――」


「百千アミです。Y高の二年生になります」


 二人が挨拶すると、おばさんが「やだぁっ」と悲鳴のような声をあげた。


「今日のお婿さんもY高の出なんですよお! 十年前の卒業生になるのかしら。貴方、十年前はもうこっちに?」


「いや、残念。僕が赴任してきたのはほんの三年前からでして」


「あらーそう。でも、偶然ってあるのねぇ。私、今回の縁談の仲人をさしていただいたんです。良かったら、お二人とも、いらっしゃいません? 母校の先生と可愛らしい後輩さんがいらっしゃったとなれば、お婿さん、喜んでくれると思うんです」


 仲人のおばさんがニコニコと聞いてくる。アミは「いえ、でも」と断ろうとした。後輩と言っても、縁もゆかりもない仲だし、ブンも恩師というわけではない。


「そうですか。じゃ、お言葉にあまえて、一つお祝いの言葉を述べさせてもらいます」


 ――ええ?


 ブンの答えに戸惑う。いくらなんでも厚かましい。


「先生、いきなり飛び込むなんて――」


 それこそ礼儀に反するのではないだろうか? しかし、ブンは、そうじゃない、と言う。


「婚礼の儀は、一種のお祭りなんです。皆でめでたい、めでたいと祝ってあげるのが一番なんですわ。昔は紅白餅をまいて、村をあげて行ってたんやで?」


 ブンの言葉に仲人のおばさんが、そうですそうです、と頷く。アミが狼狽えているうちに、二人は花嫁行列を追って歩き始めてしまった。


「でも、きょーび白無垢の嫁入りなんて、珍しいですなぁ。婿さんは、由緒あるお家で?」


「ここの在所の、本家筋の長男さん。家も百年以上つづいている旧家らしくて」


「へえ」


 ブンと仲人のおばさんが談笑を続ける。アミは、本当にいいのかなぁ、と未だに不安を拭えないままついていく。すると、行列の行く先がわかる。


 里を見下ろすような、小高い丘。


 庭に天を突くような銀杏の木が、堂々と生えている。


 ――あそこ、もしかして……。


 アミがブンを見ると、ブンは一つ、頷いた。


「僕ら呼ばれとるみたいやろ? こういう時は、すなおに従ったらええんや」


 ゆるやかな坂を上り詰めると、造花と御神酒の入った角樽で飾らされた門が見えてくる。アミとブンは、誰に訝られることもなく庭先へと入り、婚礼の儀に加わった。


 神主の祝詞が終わると、親しい者から順に、上座の花婿花嫁、それぞれの両親に挨拶をする。それを待っている間、庭では早くも御神酒とオードブルの料理がふるまわれ、談笑がはじまえる。子供達もいたので、サイダーも用意されており、アミとブンは紙コップに一杯ずつもらった。花嫁、花婿どちらの親戚でもないアミは、両家の子供達から奇妙な目でみられ、居心地の悪い思いをする。


 あんたどこの子? と聞かれないうちに、ブンの元へと逃げた。


 ブンは先ほどの仲人と一緒に、庭の隅で銀杏の木を見上げている。真美子が写真を撮り、叱られた、あの木だ。


 立派な木ですねえ、とブンが言うと、仲人は自分のものを誇るように得意げになり、庭木でここまでのものはあまりないでしょう、と答える。それから、ここには、と銀杏の隣を指す。そこは奇妙なほどになにもない、更地だった。


「昔、倉があったそうです。二階建ての、それは立派な」


「ほお」


 ブンの目が、細められる。


「三十年ほど前に潰してしまったそうですけど、ここの在所では本家の大倉と言って有名だったそうですよ」


「そんなに立派な倉、何が入ってたんでしょうなぁ」


 ブンが今はなき倉を仰ぐようにして、呟く。アミはその声のなかに、奇妙なニュアンスを感じ取った。


「きっと代々の家宝がねむっていたんでしょうねえ」


 仲人のおばさんはブンの声に何も感じなかったらしく、相変わらずニコニコと返す。


 アミはブンの横顔を見た。


 何も無い場所を見上げているブン。


 けれど、その瞳には何かが映っているような気がする。


 三十年前に取り壊された、倉。かつてその明かり取りから外を覗いていた、〝何か〟。


 ――先生は倉に何があったのか、わかってるんだ。


 真由美が写真をとり、怒られた銀杏の木。その隣に、三十年前はあった、倉。そのなかみ。


 アミはたずねたかったが、この場では憚られた。


「あの、花婿さんの方があきましたから」


 銀杏の側に立ち、庭に溢れる人々の談話をながめていると、仲人のおばさんがブンとアミを呼ぶ。


 縁側から続く座敷では、襖が取り払われ、十二畳はあるような間ができている。その奥に、一段ほど座を高くして、花婿と花嫁は座っている。まわりは両親がかためて、花婿、花嫁にお祝いの挨拶をつげていく人々に低頭してお礼をのべていた。


 花嫁の方は、懐かしい友人が訪れたようで、挨拶が長くなっている。花婿の方は一通り終わったようで、堅苦しい雰囲気が崩れつつあった。そこに仲人がブンを引っ張ってきたのである。


「こちらね、Y高の先生をしてらっしゃる――」


 仲人はプレゼントを披露するように、ブンを花婿、そのご両親に紹介する。アミは最後の最後まで「誰です、あんたら」と訝られるのではないかと思っていたが、ブンはすぐに打ち解けた。


 ブンは何かと知識があるようで、学校のことのほかに、この家の作りをしきりに褒めている。すると、花婿の両親、特に父親の相好がくずれたのだ。


「いやあ、先生、そんな大層なものじゃねぇって、こんな古い家、倒れてねぇのが唯一の自慢ぐらいでして――どうぞ一杯、まぁ、一杯」


 父親がしきりにすすめる酒を、ブンは「車ですから」と断るのに大変そう。それほど、赤ら顔の父親はブンを気に入り、家が褒められる度に、「そんなことねぇって」と手をふりながらも、嬉しくて仕方ないようだった。


 それにしても、


 とアミは思う。


 ――お父さん、ずいぶんお歳ね。


 花婿の父親。小柄で、赤ら顔。着ている羽織も布団をかぶっているようにぶかぶかだ。歳をとって、体が小さくなったのだろう。


 六十――もしかしたら、七十に達するかもしれない。


 ――きっと真美子の日記にでてきたお爺さんは、このお父さんね。


 花婿のほうは、二十代後半といったところ。仲人のおばさんは「長男」と言っていたから、ずいぶん遅い初子だ。


 そんなことを考えていると、不意に、ブンが居住いをただし、深々と頭を下げた。


「こんな立派なお家を守るのは、大変だったことでしょう。さぞ、ご苦労もされたことでしょう」


 ブンの姿に、言葉に、笑っていた父親の顔が固まる。


「ご子息様の晴れの姿、ご立派でございます。お父様、お母様も、ご苦労様でございました」


 ブンは顔をあげると、ひしと父親の顔をみて、再び深く頭をさげる。ご苦労様でごいました、ともう一度言った。


 先ほどまで赤の他人だったブンが、花婿のご両親の苦労を偲ぶ。すこしやり過ぎではないか、とアミには思えた。


 それとも、これが礼儀というものだろうか?


 けれど、アミにはただの礼儀、形の上だけには思えない。


 ブンの態度、言葉には、本当に、心の底から、ご両親の苦労を思い、労う気持ちが伝わってくるのだ。あたかも、ご両親が花婿をここまで育て上げた苦労の全てを、知っているかのように。


「ありがとうございます」


 花婿の母親は、ブンに応えてすぐに頭を下げた。けれど、父親は固まっている。


 真っ赤だった顔が、さらに赤くなる。


 ひ、


 としゃっくりのような声を漏らしたかと思うと、父親は恥ずかしくて隠れるように、手で顔を被った。


「お父ちゃん……」


 母親が父親の異変に気づいて、すぐさに背中をさする。


「おい、父さん、泣くことあるかよ」


 花婿も恥ずかしそうに父親をささえる。


 父親は、ひ、ひ、と繰り返して、歯を食いしばるようにして、身のうちからあふれ出るものを耐えようとしていた。けれど、どうしようもできないようで、痩せた顎の先から雫となって、畳に落ちていく。


 ぼた、ぼた、と音がたつほど、大きな涙。


「すいません、すいません――」


 父親は母親と息子にささえられながら、ブンに頭を下げていた。

次回は2013/02/05予定です。

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