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黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって  作者: 帆々
帳が降りるそのときまで

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20/58

7

 王子の決断と告白をサラは胸に抱えきれずにいた。


 彼の言葉に安易に頷きはしなかった。しかし拒みもしなかった。それは曖昧な承諾だ。


 夜更けに訪れて婆やに打ち明けてみた。婆やは頷いて話を聞いた後で、


「早晩そういう流れになるのでは、と思っておりましたよ」


 と驚きも見せなかった。


 王子とは距離をとっていたつもりが、見る人が見れば勘づくものらしい。慧眼にも驚くが、サラは羞恥に頬が熱くなった。


「五つも歳の若い方よ。厳しく言えば止めてくれるのに、そうできなかった……。諭すと傷ついた顔をなさるの。それがお気の毒に思えて、ついなあなあに許してしまったの。何の為の「姉や」かしら。自分が恥ずかしい……」


 情けなくもなり顔を伏せた。


「お嬢様のお気持ちは?」


「辛い生い立ちだからか、人に思いやりがあるわ。常にわたしの意思を聞いて下さる。忍耐強くて……年の割に冷めたところがおありだけれど、環境のせいね。それにとても聡明よ」


 婆やは笑って首を傾げた。


「さすがお育ちで威厳はおありですが、王子様が優れたお方なのは存じていますよ。お人なりではなく、あなた様のお気持ちですよ。婆やの目からも、絵にしたいようなおきれいな若さまでいらっしゃる」


「そうね、眩しいくらい。……ここは閉鎖的な場所で、彼にはわたししかいない。恋ではなくて、年上のわたしへ母性を取り違えているだけではないの? 彼はあまり愛情に恵まれないでお育ちだったから」


「男はどこか母親に似た人を妻に選ぶと聞きますよ。お嬢様に甘えたお気持ちがあってどうしていけないのです? 婆やにはとんと……」


「……わたしを選んでリヴは後悔しないかしら。妻にしたいと言ってくれるけれど、ここを出たら彼には可能性がたくさんあるのに」


「よそに目移りしてあなた様を粗略にするようなお方なら、はっきりと愛想が尽きるというものでしょう。その時はお暇を頂戴すればよろしいじゃありませんか。サラ様には「王子様の元奥方様」という、大層ご立派な肩書きが増えるだけですよ」


 そんなに単純でいいのか。サラの中で絡まった糸のような思いを、婆やの言葉はその絡んだ部分だけを切り取って見せた。


「……それはそうね。最初の計画通り、また家庭教師の口を探せばいいわね」


 婆やを前に打ち明け、サラは自分の気持ちがつかめてきている。


 彼の言葉が嬉しかったのは事実だ。驚きと戸惑いの後では迷いが生じた。彼の感情の品定めと自分のそれが心をもやもやと揺さぶり続けていた……。


 そうでありながら、この先、王子と別れて生きていく自分の姿を描けないでいる。それだけこの邸での二年間は充実していたし、濃密だった。


 心の動きをのぞいたように婆やはサラの手を包んだ。


「ゆくゆく王子様がどのようなお立場に落ち着かれるのかは、婆やにはわかりません。どうなられても、お嬢様がお側にいらっしゃれば、お辛い時には甘えさせて慰めて差し上げられる。それは「姉や」にしかできないことだと思いますよ」


 頷くことも言葉を返すこともできなかった。ただわかったことがある。


(わたしが望むのは、リヴに幸せであってほしい)


 それだけだ。


 迷いのもやを払い落とせば当たり前の真実が現れた。




 王子が父の王へ宛てて手紙を書いた。それをサラは読ませてもらった。


 虚飾なく端正で、確かな学びの成果と質実な人柄が現れた文章だった。この手紙を書くに至って、思うところがなかったはずがない。しかし、負の感情が滲む箇所もなく淡々と結ばれていた。


「父上はきっと受け入れて下さると思う」


 王子はさらりと言い、手紙に封をした。


 それはすぐに配達に出され、日数をかけて王宮に送られる。


 責務を果たしたとばかりに、王子は爽快な様子だ。まだ王の裁可を得ていないが、既に王子の権威を脱いだように見えた。直に負ってきたその身分は、彼にとって重いばかりで煌めきも輝きもしなかった。


 彼らしく律して恨み言の一つも述べない。その目はもう先を見ている。その潔さは褒めて称えるべきだ。


(でも……)


 身分を捨ててでしか開けない未来が、彼に相応しいのか。サラの中ではまだその天秤が釣り合わない。


 その感情は切なさを呼んで、よく一人で涙ぐんだ。


 


 ある時エイミが興奮した。今回はその原因が大階段の肖像だった。肖像画の婦人が母親を思わせて気に触るらしい。例によって罵って叫ぶ。


 王子は嫌々するように身を捩る母親を抑えた。サラに問う。


「似ているのか?」


「さあ、わたしは大伯母様にお会いしたことがないの」


 他の場所ならともかく、次同じことがあれば階段では危ない。エイミをなだめた後で絵を取り外すことにした。


「いいのかしら? ずっとここに飾られていたのに」


「このご婦人には別の場所に移っていただこう」


 王子は構う様子もなく額に手をかける。使用人のゼアと共に壁から外した。婦人画は空いた客間の一つを飾ることになった。


 それくらいが出来事の静かな日々が流れた。


 サラは王子と日課になっている散歩に出かけた。鬱蒼とした庭を抜け邸の裏に出ると崖に繋がる道がある。


 林を小動物が走って行くのが見えた。崖からは海風が吹く。通い慣れて見飽きたほどの風景だった。二人は手を繋ぎ歩いた。


 荒れた波を前に風に包まれて過ごす時間だった。距離を保っていた頑なさが溶け、寄り添って口づける習慣が生まれた。


 口づけを拒むと彼は傷ついた顔をする。やや拗ねたその様子にサラの心がいじらしさにうずいた。彼の熱に押されたのは、実はそれが大きな理由かもしれない。

 

「サラが嫌がることは決してしない」


 その約束を王子は破らなかった。触れるだけの口づけが幾度か繰り返される。そうすることで思いが通うような暖かな気持ちになれた。 


 邸に戻ってすぐに異変に気づいた。表から砂利を踏む人々の足音がする。サラと王子は庭に入ったところだった。


 客があったのは確かだ。サラは王子を見た。その横顔がやや緊張している。


「王宮からの使者かもしれない」


 王子が出した手紙に対して父王が反応し、使者が送られる。ごく妥当なことだ。彼が歩を早めたのをサラは止めた。


 変に胸騒ぎがした。


 使用人はサラと王子がどこに散歩に出たのかも知っている。王宮の使者の来訪なら緊急事態で、ゼアニアのいずれかが報せに走ってくるはずだ。しかし、それはなかった。


 大伯母からの荷が届く場合ですら、ゼアニアはサラや王子を探して報せに来る。単調な日々で、それすらも非日常だからだ。


 王宮からの使者となれば、なおのこと彼らは大騒ぎするはずだった。


(でも来ない)


 それが大きな違和感になってサラの胸を騒がせた。 


「リヴはまだ出ないで」


「なぜ? 父上の返答を知りたい」


「お使者かもわからない。あなたは隠れていて」


 訝しむ彼をサラは裏口から邸の中に押し入れた。そこは使われない地下室に繋がる階段がある。その中ほどに彼を留まらせる。使われないままの藁の束の匂いがした。


「使者に決まっている」


「先に確かめさせて。確かめた後ですぐに呼ぶから」


「どうして?」


 それに返答せずに、サラは彼に自分から口づけた。初めてのことだ。ほんのわずか長く、触れた唇を離した。


「お願い、リヴはそこにいて」


 強く頼むと王子は折れてくれた。扉を閉じ、サラは庭の中ほどに向かう。


 古びた作業小屋があり庭仕事の道具が揃っていた。中に入って目当てのものを探す。壁のフックに作業用ズボンがかけられてあった。スカートを落としそれをはいた。結った髪をこれもかけてあった帽子を被って押し込む。


 そこを出てすぐだ。藪の向こうに黒い人影を見た。サラの立てた音にこちらへやって来る。距離を隔てて全身が黒ずくめの身なりが目に入った。


 相手は声もかけずに距離を詰めてくる。サラは背を向けて走り出した。


(絶対におかしい)


 王子への使者なら礼をとって然るべきだ。無言で追いかけてくるなどあり得ない。


 サラは崖へ向けて散歩道を戻る。そこしか先がないからだった。息を乱して走り木の陰に隠れた。海風の影響で痩せた幹ばかりだ。男はすぐに彼女を見つけたことだろう。


(リヴを隠して良かった)


 激しい鼓動を感じながら思った。恐怖もある。しかし、王子と入れ替われたことが何よりも彼女を落ち着かせていた。


(リヴを守らなくちゃ)


 男は銃を向けているのがサラからも見える。それ以上の距離を詰めてこない。


 男の位置から、日を背にした彼女の顔の造作はつぶさに見えないはずだ。しかし顔の白さはわかる。ズボンをはいた姿は小柄で華奢な王子そのものに映る。


 黒い装束の男がもう一人増えた。先の男と何か交わし、同じくサラに銃口を向けた。彼女が動けずにいると、じわりと距離が縮まった。


 近づかれては王子でないことに気づかれてしまう。彼女は木の陰から出て崖に迫った。


 黒い男達が何者なのかはわからない。ただ王子を狙っていることだけは確かだ。拐うでもなく命乞いを求めるのでもなく、銃を向けているだけだ。


(殺すことが目的)


 銃口の一つが迷うように焦れたように揺れる。接近してこないのも発泡を仕掛けないのも、罪もない子供を手にかけることにためらいがあるのかもしれない。


 銃の先が揺れるのは「自分から飛び降りてくれ」と訴えられているかのようだ。


 サラの背後にはもう逃げ場がない。


 崖に導いてしまったのは王子から離すことしか頭になかった為だ。喉の奥が渇いてひりひりとする。どうしようもなく怖かった。


 それでも、


(リヴを守らなくちゃ)


 それだけを呪文のように繰り返し思い続けている。


 強い風が吹いた。体が彼方へ持っていかれそうになる。


 その時ふと浮かんだ。このまま海に落ちたら、おそらく岩にぶつかり死ぬだろう。波がそこで砕けるのを彼女は何度も何度も見てきた。


 ただ、そうすることで王子の死を偽装できるのでは?


 彼らの目的は王子の命だ。自ら手にかけることを厭い、距離をじわじわと詰め獲物が勝手に崖から落ちてくれるのを待っている。


 サラが選べる道は二つあった。一つは崖から身を投げること。残りは王子を彼らに差し出すこと。


(絶対にできない……!)


 彼女は「姉や」だ。


 そう強く自覚するとこれまで過ごした王子との日々が胸に溢れ出した。隔絶された世界で二人は手を取り合って暮らしてきた。陰鬱な邸の中にあって、いずれの瞬間も今はひどく愛おしい。


(リヴ……)


 彼女は目を閉じ背後に倒れ込んだ。支えるものは何もなく、吸い込まれるように下へ下へ落ちていく。


 何を思う間もなく終わりが訪れた。


 体を打ち砕く衝撃と共にサラは消えた。


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