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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
四巻/第二章
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喚想するウィスタリア4

     (三)


 ユニスに借りた藤色のワンピースは、フリルがよく揺れていた。僕が馬車から降りると、夕方の暗路に膨らんだ影が落ちる。パニエによって作られたシルエットは童話の挿絵になりそうだった。


 僕と一緒に乗っていたグレンさんが、袖を軽く引っ張った。人混みに呑まれそうだったから心配してくれたのだろう、彼の手つきは優しい。別の馬車からはユニスとマスターが降りてきて、瑠璃色のワンピースを揺らした彼女が僕に駆け寄った。


「メイさん、劇場の外観見てみましたか!? すごいですよ!」


「僕も馬車から眺めてたよ。綺麗だよね」


 初めて訪れた劇場は、宮殿と見紛うほどの造りをしていた。柱一つ一つの装飾も細かく、三階の壁面には人物が彫られている。柱で場面を区切って、移り変わる物語を描くように、点在する像の表情やポーズは異なっていた。


 屋根の上では天使が羽を広げている。それら全ての彫刻が照明によって輝くものだから、建物自体が芸術品みたいだった。


「二人とも、そろそろ始まるから会場に行くよ」


「中はもっと綺麗だぞ」


 大人二人の喜色を見上げ、僕とユニスは顔を合わせて笑った。遊びに来たわけではないのに、エントランスホールに踏み入っただけでも嬉笑と歓楽に満ちていて、心が明るくなっていく。これから始まるオペラを、心待ちにしている人々があちこちで談話していた。


 ユニスと並んで歩きながら、彼女よりも上の方を見上げた。そこには誰もいない。遠くにいる知らない人たちの笑顔が映るだけ。


「エドウィンとも、来られたらよかったですね」


 僕の心髄に気付いたのは、僕よりもユニスの方が先で、苦笑してしまう。あの日、彼と一緒に帰ることが出来ていたら、ここには彼もいたはずなのだ。彼は騒がしいのが苦手だから、きっと賑やかなホールに眉を顰める。僕達よりはしゃいでいるマスターに呆れて笑う。そうして楽しそうな僕達に、優しく微笑んでくれる。


 空想に浸ってから僕は頷いた。


「うん。でも、今は楽しもう。オペラってこんな感じなんだよって、エドウィンに教えてあげたい」


「あの人はあんまりオペラに興味はなさそうですけど……そうですね。全部終わったらお墓参りに行って、色々話してあげましょ」


 重そうな両開き戸をくぐって会場に入れば、その広さと煌びやかな景観に吐息が溢れた。整列する椅子は数え切れないほど多く、バルコニー席なんて観客を収める額縁のよう。一室一室が、美しい植物の彫刻で化粧されていた。


 高い天井には絵画が描かれており、シャンデリアが燦然とその色彩を照らし出す。正面に向き直れば臙脂の緞帳。舞台を四角く取り囲む壁にも、金色の蔦が絡みつく。舞台より上方の壁では、花や木の実が輝き、黄金の葡萄が零れ落ちそうなくらい果実を膨らませていた。


 着席していく人々に押し出され、転びかけた僕は首根っこを掴まれた。


「私達の座席はこっちだよ、おいで」


 連れられて行ったのは、二階のバルコニー席だ。一階席の空間では物珍しさに圧倒されたが、個室のような環境は居心地が良く、人知れず安堵していた。それはユニスも同様のようで、彼女は僕の正面の席で深呼吸をしている。


 マスターはユニスの隣、グレンさんは僕の隣でオペラグラスを片手に昔話をしていた。二人で何度かオペラ鑑賞をしたことがあるらしい。


 暫くして、開演のベルが鳴った。ステージを背にした楽団が、音楽を奏で始める。会場の照明は薄暗くなる。さざ波に似た弦楽器の静けさが次第に膨らんで、管楽器の音色も合わさると幕が上がり切る。


 華々しい舞台上の眩しさに、観客の目は集まった。上手側には一人の少年、下手側には二人の男女。彼らはどうやら親子のようだ。歌声が序章を物語る。


 少年は漁へ向かう両親に手を振って、彼らの帰りを待っていた。けれども両親は帰ってこなかった。


『空はこんなに晴れていて、海が荒れる気配などなかったのに。今だってお日様が丸い形を保ったまま水面に浮かんでいる。なのに、ああ、どうして』


『オスニエル。よく聞いてオスニエル。あれは神様のしわざよ。貴方の血筋は神様の怒りにとらわれているの』


 少年の哀韻に、少女のソプラノが重なる。ベージュ色のワンピースが舞台上で踊る。項垂れたまま立ち上がれない少年の周りを、少女が軽やかな足取りで廻っていった。


『僕はなんにも悪いことをしたことなんてない』


『ずっと昔、神様を怒らせたの』


『母様も父様も優しい人だった』


『貴方が知らないご先祖様が神様を怒らせたの』


『祖父も祖母も神様を怒らせるような人じゃない』


『ずぅっと昔よ。それからずっとずっと、神様は怒り続けているのよ。そう、ずっと、ずっと』


 少女の鶯声(おうせい)がのびやかに響き渡った。少年はようやく顔を上げる。踊っていた少女は彼の目の前で足を止め、二人はその手を取り合った。静かに、少年のアルト声が静かな歌を紡ぎ出す。


『君はよく知っているんだね』


『貴方をずっと見てきたもの。忘れたの? 森での遊び方も、木登りの仕方も、木の実の酸っぱさも貴方が教えてくれたのよ』


 控えめに笑う少年を、少女が破顔して引っ張っていく。舞台から袖に引っ込んだ二人は、手を繋いだまま再び踊り出る。楽しげな思い出を回想していくようだった。やがて少年と別れた少女が、母親に叱られていた。


『あの子は罪の証だ。あの子の血筋が罪を犯したから、私達はこの村にとらわれているんだ。ああ、神様に許しを乞わなければ。ほらお前も、神様に謝りなさい』


『罪? 罪ってなに? あの子はあんなに優しくて素敵なのに。おかしいわ。悪い事をしていないのに罪だなんて、おかしいわ。罪ってなに?』


 少女の寂しそうな歌声が会場を包む。微かな怒りを込めた眼差しが客席を見回す。女性たちがコーラスを添えながら少女に本を渡していった。少女は本を一冊一冊開いては放り捨てる。蕭然としたメロディーに、本を開く音も綺麗に重なる。


 少女がとある本を開いた時、楽団の演奏は静まった。


『ああ、これが罪。そうなのね』


 玲瓏な吟声が高らかに響き渡り、暗転。本をめくる少女を背に、少年が真っ直ぐ立っていた。少女は影の中、少年は赫奕(かくえき)とした光の中。楽団の演奏に合わせて、彼が一歩踏み出す。


『神様。神様、僕に対しても怒っておられるのですか。いったい何が、貴方の怒りを買っているのでしょう。お話しなければ分かり合えません。そうだ、会わなければ。僕は神様に会わなければ』


 少年が袖に駆けていくと、少女がこちらを向いた。『罪なんて。理不尽だ。神様のせいだ』少女の静かな怨声が淡々とした旋律を奏でる。同じ歌詞を繰り返す。彼女は涙を拭う仕草をして、入場した少年に向き直っていた。


『オーフェリア。僕は旅に出る。旅に出るんだ。神様に謝りに行くんだ』


『一人じゃ危ないわ。きっと事故にあって死んでしまう。神様の怒りが貴方を荒波に巻き込むでしょう』


『このままここで生きていても、いつかは怒りによって葬られるのだろう。だから僕は旅に出るんだ。神様に謝りに行くんだ』


 少年の決意は烈火のごとく燃えている。演奏も熱を増し、少年の凛とした歌声に寄りそっていた。旅立ちを歌う彼の片腕に、少女が絡みついた。震えるほどの決意を、彼女の柔らかな調べが追いかける。


『私も付いて行くわ。貴方と共に』


『君には待っていて欲しい。君まで神様に憎まれたら、私は罪悪感で潰れてしまう』


『それでも付いて行くわ。貴方と一緒に』


『僕は、僕と君が幸せになる為に、神様に許しを乞うんだ』


『それなら、ほら、一緒に行かないと』


 そこからは二人の長い冒険が描かれた。意地悪な山賊との出会い、不思議な妖精との出会い、優しい貴族との出会い。一つ一つが彼らの絆を強くしていく。


 悪い出会いも良い出会いも重ねて、彼らは船旅に出た。それは『神の住む島』を目指す船旅だった。辿り着いた島は、嫌な音色で満ちていた。


 神様の足元には何人もの人間が蹲っていた。みすぼらしい服を着た彼らは、歌詞のない呻き声を紡ぐ。生気の感じられない人間達に囲まれて、神様は一片の穢れもない装いをしていた。


 神様は少年に全てを語り聞かせた。少年たちが崇め、恐れていた自分は悪魔でしかない。少年の血筋は、体に魔力の花を咲かせる。悪魔はそれを摘み取りたくて、彼の訪れを待っていたのだと笑った。


 神様、いや、悪魔の足元にいる人間達は、魔力の花を抜き取られた少年の祖先だった。その中に両親の姿も見つけ、少年は憤る。


 少年は悪魔を倒し、少女の歌声が島に蔓延る邪気を払っていく。とうに亡くなっていた先祖たちは成仏していき、少年は両親と涙の別れを交わした。


 悪魔の呪いから解放された少年と、彼を慰める少女が抱き合いながら故郷を目指す。


 かくして、幕は閉じた。


 僕は驟雨(しゅうう)のごとき拍手に目を細めつつ、神の住む島について考えていた。物語で地名が出てくることはなく、神の住む島がどこにあるのか、細かな情報は得られなかった。だが『魔力の花』が人体に咲くものであること、神様によって刻まれた罪など、やはりエドウィンの一族を想起させる。


 ひとまず原作者に会わなければ。と、僕が顔を上げれば、正面でユニスは眠っており、その隣でマスターは泣き顔を拭っていた。僕の引き攣った顔はグレンさんの苦笑とぶつかる。目を合わせた彼は、僕にふっと微笑んだ。


「楽しめたかな、メイさん」


「う、うん。今は早く原作者さんに会いたいかも」


「それなら一階の食堂に行こう。会えるといいな」


「会えないと困るんだ。急ごう。っだからユニスは起きて、オッサンもとっとと涙拭いて支度して」


 バルコニー席が薄暗かったからか、廊下の眩しさに目を細めた。劇場を後にしていく人達や、食堂へ向かっていく人達の、波打つ彩りに酔いそうになる。背の高いマスターとグレンさんが先導し、道を開けてくれる。彼らの足跡をなぞっていると、隣でユニスがあくびをしていた。


「面白かったですね。楽器の音も歌声もすごく響いていて、豪華な子守歌みたいでした」


「うん……いつから寝てたの?」


「ちゃ、ちゃんと最後まで見てましたよ! 神様に許してもらってハッピーエンドでしたよね! よかったぁ」


「結末まで寝てたんじゃないか……」


「えっ」


 確かに、楽器の音色と歌声が調和していて、曲調を変えながら延々とメロディーが流れ込んでくるから、眠くなるのも無理はない。僕も、ヒロインが主人公を恋しく思っているシーンなど、ゆったりとした好音に眠気を誘われていた。神の住む島に辿り着くまでも長く感じた。


 一階の食堂は、劇場の客席と同じくらい広かった。それでも既に空席は少ない。グレンさんが食事会と言っていたが、本当にパーティ会場のごとく賑わっている。


 通り過ぎる食卓を流し見するだけでも、美味しそうな肉料理の香りや、つやめくベリーのケーキが食欲をかきたてていた。ワインを持ったウエイターとぶつかりかけ、謝りながら食堂の奥を目指していった。


 窓際の座席から欣快の声が上がる。そこに腰掛けている人の姿はよく見えなかった。()の如き男女の背中が、壁を作っていた。これほどの人間を惹きつける存在なんて、役者か、原作者か、何らかの分野での有名人。


 マスター達も気付いたのだろう。そして彼らの目線の高さから、そこに誰がいるのか目睹(もくと)できたらしい。


 僕は群衆の奥、窓硝子を凝望した。人海の渦中に誰がいるのか。夜色を透かす窓が、その背中を反射していた。スーツ姿の男性がペンを走らせている。何かを綴った手帳を、目の前の女性に手渡していた。歓声が上がる。そうして僕は確信する。


「リアム、あの人じゃないか? ティモシー・ハーヴェイ」


「そうみたいだね」


「すごい人だかりですよ……声、かけられますか?」


「ああ、私に任せて──ってメイちゃん!?」


 ウエイターや客の間を縫って駆けた。それでも原作者の席まで長い列が出来ており、そこには野次馬も含まれていてなかなか辿り着けない。違う方角から向かおうとしたら、僕とぶつかった男性が本を取り落としていた。


「っすみません」


「君、サインなら順番を守って」


「ごめんなさい、通して。すみません……」


 進めば進むほど人混みに呑まれていく。原作者の座席は半円形に取り囲まれていた。背の高い大人たちの背中に何度も顔をぶつける。男女の香水の香りが混ざり合っていて噎せそうになる。パニエで膨らんだワンピースは動きにくい。だが、形振り構っていられない。


 賑わいの輪から押し出された僕は、標的の真正面から分け入ることにした。


「すみません、通ります」


「ちょっと、私達ちゃんと並んでるのよ?」


「あっ、こら、君」


「──っすみません、大事な話なんだ……!」


 立ち並ぶ人を押しのけて、押しのけて。僕は真っ白なテーブルクロスに両手を突き、叫んでいた。


 ペンを握る老人が僕を見上げた。柔らかな白髪と白い髭が、老いた輪郭を縁取っている。たるんだ瞼を持ち上げて、彼は吃驚を示していた。沢山の不満や怪訝の声が弥漫(びまん)しているのに、僕は今、乱れた己の息差ししか、うまく聞きとれなかった。


 雑音は声を結ばない。だけど、目の前にいる彼の音吐だけははっきりと、言葉を伴って僕の耳に届いた。


「なんだね、君は」


「神様の住む島がどこにあるのか教えてくれませんか」


「現実にはないよ」


「嘘だ……だって貴方は、魔法の記憶を消されなかった村について、知ってるんでしょ!?」


 勢いあまって卓子に打ち付けた両手が、銀器を跳ねさせた。ワイングラスの中で葡萄酒が波紋を広げる。老人の奥まった目色は窺えない。尚も懇願しようとした僕は、喧擾(けんじょう)を鎮めにきた従業員によって制止されていた。


「君、サインなら後ろに並びなさい」


「アッシュフィールドって名前に聞き覚えは!? ねえ! ハーヴェイさん! ちょっと、離せよ……!」


 二人の男性に腕一本ずつ引っ張られて、僕は原作者からどんどん遠ざけられていく。全力で振り払えば簡単に吹き飛ばせるが、これ以上騒ぎを起こしたらマスターやグレンさんにも迷惑がかかるだろう。


 切歯して踵を鳴らす。踏み止まろうとする僕の足元で、ヒールは嫌な音を立てて床板を滑った。


「すまない、うちの子だ! 離してやってくれ」


 後頭部を打ったのはマスターの焦燥。僕はようやく解放されて、マスターに背後から抱きしめられた。


「メイちゃん、痛かっただろう。大丈──」


「サイン会は終わりだ。場所を変えて話そうか、お嬢さん」


 マスターに悪態を吐こうとしたまま、僕は大口を開けて硬直した。先程の老人、ティモシー・ハーヴェイが、帰り支度を済ませた格好で僕を見下ろしていた。



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