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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
二巻/第一章
33/108

凋落5

     (三)


 メイとユニスの気配がなくなったのを音耳で感取しながら執刀する。携えたさいはただのテーブルナイフ。大身の武器があれば良かったが、食堂車にそんなものがあるわけもない。


 素肌に銀器の冷たさが沁みていく。いつ攻めるべきか。窺窬きゆする目路の中で、零露が少年の影を血紅色に染めていた。


 少年の唸り声は憂き音のよう。彼の手にぶらさがる、頭部を失くした死体。その悴首かせくびの断面が血をあやす。少年は果実でも潰すように頸部を押しひしぐ。


 獣と見紛うほど牙を剥きながらも、その容色は哀絶で満ちていて、頬は涙で濡れていた。


 彼が攻撃してくる素振りはない。悪夢から目覚めた幼子を思わせる姿。哀韻だけを放つ彼に眉を顰めた。


「……魔女かと思ったが、そうじゃないのか……? お前──」


「ぁああああああ!」


 咄嗟に身構える。開戦を示す釁端きんたんが悲鳴によって告げられた。


 頬を掠める勁風けいふう。勢い良く棄擲きてきされた遺体に舌を打つ。疑氷は砕かれ、やはり彼は魔女なのだと睨んだ。


 否、そんなことはもうどうでもいい。迷いを委却し、飛び掛かって来た彼を掻き払う。風の断裂音が響くほど快捷かいしょうな動きに歯噛みした。


 戛然かつぜんたる鋼の鳴動。刃物じみた素手で切り散らす彼に、刃金で応じる。迫撃は止まない。身体に魔力を走らせ、彼の速度に適応していく。眈眈たんたんと反撃の隙を待ちあぐむ。


 宙へ身を投げた彼の閃影。羽虫のように輪旋と飛び回る踪跡そうせきを虹彩で追い続ける。


 こちらに打突を仕掛けては、床や壁を踏みしだき、弾かれるようにまた跳びかかってくる。すれ違いざまの斬撃を弾き躱すことで深手は負っていない。けれども無傷ではいられない。


 行き違うたびに表皮を掻いがれていく。刻削されていくのは頬、腕、肩、胴。恐らく彼は心臓を狙う思考を持ち合わせていない。浅浅とした殺意しかない彼を明徹な殺意で切り据えるべく刺刀を構え直した。


 双眼を見開く。魔力を注いだ視覚は勁疾けいしつ魔女かれを鮮やかに映し出す。耳元で秒針が鳴った。いくつもの動作を一秒に捻じ込むイメージを固める。それを具象する魔力を滾らせる。


 眼前に飛び込んできた彼の逆息が、耳朶を打った。彼の前腕部を握り込んだ。互いの髪が触れ合う。


 腕を封じられた彼の開口はひどく緩慢。こちらの喉を食い裂こうとする歯牙。血にまみれた唾液が糸を引いていく。


 牙を突き立てられる前に捻った体。突き放すように振るった己の腕。彼の息骨は熱かった。首筋の表皮を焦がしたそれは、痛みを走らせる前に落下。そうして塵埃に呑まれていた。


 ち落とした彼がテーブルを潰崩かいほうさせる。跳ね上がったテーブルクロスは砕屑を巻き上げ、重なり合う轟音を伴って彼と共に地面へ沈み込む。


 彼が態勢を立て直す前にその脊髄を鑿空さっくう。擊刺した刃口を更に深部へ。臓物を抉るほど深くまで通徹──直後、涼やかな璆鏘きゅうそうが秒針の音と合奏する。


 魔力を注ぎ込んだことにより、テーブルナイフは銀粉を散渙させて砕けていた。


「く、そ……ッ!」


 しまった、と動きを止めた小隙の間、彼は床を押して跳ね上がった。刺創の痛みを物ともせず、鈍ることのない彼の動き。髪筋ほどもない眇たる分陰の中で、俺は右手首を断截されていた。血走った袖先から意識を逸らし、刻下に後退した。


 陸梁りくりょうと飛び回る彼はテーブルや椅子を破壊し木香を漂わせる。机上にあった銀器が転げ落ちて騒ぐ。割れた食器の音と落剥らくはくする硝子の音が混ざり合う。


 彼を見上げた先で照明が揺落した。零砕する硝子を避けるべく後方へ跳躍。着地した地面に左手の平を這わせ、落ちていたフォークに指先を滑らせた。


 放擲したフォークは彼の肩を抉る。散った羶血せんけつはたった鮮少。彼は煩わしいと言わんばかりに俺を芥視かいしし、咆号を上げた。


「ぅぅうううああああああ!」


 人並外れた威武を纏った彼が、驍悍ぎょうかんな脚部を打ち下ろす。照明を失くした車内は小暗く、空明に舞う彼の影を色濃く浮き上がらせていた。それを頼りに襲撃を避く。毀敗きはいする床。跳ね上がった木材の破片が重力で落ちるよりも早く、こちらへ追撃を繰り出す彼。


 切り苛むことを目的とした殴打は彼我の隔たりを寸裂していく。されど決して間合いには入ってやらない。最低限の魔力を四肢に伝わせて最小限の動きで回避に徹する。


 彼の爪という利刃が壁をきさぐ。搏撃はくげきを去なし、後目で武器を探る。魔女のように素手で戦うことも可能だが、魔力が尽きてしまえばこの四肢は動かなくなる。そんな事態は避けたかった。


 鳥さながらに幾度も天井と床を行き来する少年。俺の正面に降り立った彼が椅子を圧壊する。壊裂した椅子の脚を反射的に掻い繰った。


 彼の大ぶりな横撃を木材で受け止めた。態勢を立て直す様子はなく果鋭に虚空を寸断する彼。息無しに振り下ろされる双腕を弾きつつ拳固に魔力を流伝させる。それは、ただの木板を利刀と化すためだ。


 降り出した雹の如く延々と叩きつけられる衝突音。鈍い音が次第に高く、高く変化する。刃音とも言える響きをあざなって彼と切り結ぶ。


 硬度を《拡張》した木は今や真刀のよう。鋒鏑ほうてきとして申し分ない。切刃を振るい彼の殴撃を打ち散らした。


 時計に耳を澄ます。一。突き除けた彼を追斬る。彼の左腕──肌骨きこつうずまる鋒端が血脈を引き裂き骨を鳴かせる。


 不快な擦過音。不快な感触。俺にとってそれは長く五感を刺激していたが、彼は抵抗を打ち籠むさいげきすら見い出せなかっただろう。


 刃を振り抜き彼の片腕を横截おうせつ。紅雨に似た赤い余沫が空無に浮漂ふひょうする。霜剣を構え直すもまだ秒針の刻みは聞こえない。


 己の太刀影を捉えたまま彼の心臓を取りひしぐ。肋骨の隙間へと押し込んだ突先。二。経過した刻の報せ。彼から引き抜いた得物は尺鉄ほどの長さに折れていた。


 猩血の雫が弾けるより早く、刃を返す。同時に彼の足を蹴り払った。後頭部を床に打ち付け、した彼の傍へひざまずく。


 次の一撃で切り留む。優雅さなど欠片もない、勁悍けいかんな痛撃を打ち込んだ。


 酸痛を訴える呻き声。それは彼のものであり俺のものでもあった。


「くっ……!」


「うう……うあああああ!」


 彼は俺の腹部を片腕で穿き、臓腑を掻き回すように暴れ出す。痛みに乱れていく片息が、五月蝿い。迸出へいしゅつする血液が淋漓りんりと流れ続ける。


 彼に揺さぶられる中でどうにか刃を引き抜いた。だが、魔力の薄れた剣相はしおれた古木でしかない。再度魔力を込めようとするも、彼の腕が貫通した痛みで意識が途切れる。ぼんやりとした煙景が黒み渡っていく。


「ッ、ぁ……ぐ、……」


「わぁああああ!」


 魔女特有の激声は耳障りだった。だが今は、それによって自我を繋ぎ止められている。けれども限界は近い。魔力も消費しすぎたようで、耳鳴りがひどかった。


 眩瞑げんめいを覚え、少年の形影すら歪み切って、波紋を広げる色彩が混ざり合う。震える呼気を吐き出した。魔法で止血を試みるも、塞いだ傷は刺さり続けている彼の腕によって開かれる。


 滲む視界。溶いた顔料を思わせる現前で、少年の落涙が眩しかった。己の武器を取り落とす。力の入らない手を、雫へと伸ばしていく。


 泣血きゅうけつする子供の体温が手の甲に触れた。魔女の涙は、人のそれと変わらず温かかった。


「もう、黙ってろ……。すぐ、楽にしてやるから」


 トドメを刺す好機など窺っていられない。自身に突き刺さる彼の細腕を左手で握りしめた。


 熱せられたように潰爛かいらんと崩れていく彼の腕。魔力でひねり潰して引き千切る。朦朧としながら彼の首をも徒手で切り離そうとした。


「──やめてくれ!」


 俺を引き止めたのは激越とした男性の叫びだ。言下に放たれた発砲音。血の気が引いた。


 剽疾ひょうしつに起き返るも間に合わない。足を撃ち抜かれ、壁に倒れ込んだ。列車の震動が腹部の傷と太腿の銃創に響く。顔を向ける気力もなく、壁に凭れたまま黒目だけで闖入者を流眄りゅうべんした。


 男性は、足を負傷しているのか靴音を擦っていた。今にも倒れ込みそうな足取り。だというのに彼は、ふらふらとなえぎながらも俺の直線上に立ち、こちらに拳銃を向けてくる。


 彼の射界にいるのは俺だけだ。魔女の少年ではなく、俺を敵とみなしている。


 刀鋸のような視線が打違うちかい、彼と反目した。眼界が淡煙で覆われていく。それでも、威嚇の代わりに男性を睨めつけた。


「お前……どういう、つもりだ」


「この子が悪いのは分かってる。この子が危険なのも分かってるんだ! けど、薬を打てば大人しくなる……今日は、薬が切れるのが何故かいつもより早かっただけなんだ……!」


「なに、わけのわからないことを……」


 薄れる意識のせいで彼の言葉が皆式かいしき理解できない。聞き留めた台詞を咀嚼するよう、脳裏で糾返あざかえす。


 彼の苛厳な眼差しが俺を咎めている。少年を傷付けた俺に対する憤怨ふんえんが、その目顔から見て取れた。思い違いではないと分かるほどの敵愾心がそこにあった。


 口ぶりから察するに男性は、少年が無辜の乗客を殺害したと知っている。詭激きげきに暴れ回る姿も見ていたはずだ。あのまま放っておけば乗客全員が殺されていた。


 だというのに、彼が少年に注いでいるのは暖かな恩愛と、慰めの哀婉。


 俺は、惨絶なまでに壊頽かいたいした車内を顎で指し示した。


「これは、その少年が引き起こした惨劇だぞ。危険……だなんてものじゃない」


「わかってるさ!」


「その少年は魔女だろ。魔女を鎮める薬を、持っているってことは……お前、魔女の研究員か」


「魔女……? 私はそんなもの知らない! この子は大事な息子なんだ! まだ傷付けようとするのなら君を撃」


「──やめろ!」


 旭影を受けて閃いたのは、皎皎きょうきょうたる長髪。男性の視線を金引いたのは白い少女だ。


 波打つ白髪が俺の前に降り立って、男性の拳銃を蹴り飛ばす。メイの凛とした玉姿ぎょくしを、男性が瞠目して見つめていた。


 メイが振り向いたかと思えば、その目顔が憂患を滲ませ始める。


「エドウィン、ひどい怪我じゃないか……! 早く手当てを! ッあぁでも、どういう状況か分からないけど魔女も仕留めないと……! オッサン!」


「分かってるよ、メイちゃんは魔女をよろしくね」


 踏み散らされた血の音がやけに大きく聞こえた。肩で息をしながら俯くと、思いのほか血痕が瀰散びさんしていた。


 紅い水面に反射した姿はマスターのものだ。駆け寄ってきた彼に引き寄せられ、脱力した身体が彼の方へ倒れ込む。痛みに呻く俺を支えながら、彼はゆっくりと膝を折っていく。


「座って。流れた血を出来る限り君に《吸収》させる」


「マスター、俺はいいから、あの男性を……」


「君が優先だよ、エドウィン。そのままじゃ死ぬ。手首もあとで繋げようか」


 俺が座ったのを確認すると、マスターは左手で傷口を覆った。右手は床の古血を撫でていた。


 彼の言う通り、このままだと死ぬ。気にしないよう目をそばめていただけで、今の俺は死を近くに感じていた。目の前にある彼の顰笑ひんしょうさえもぼやけて見えるのだから、瞑するのも時間の問題だろう。


 魔法を使うことが出来ても、この身に宿っているのは普通の人間と同様、死火に焼き尽くされる徒命あだいのちでしかない。実感して自嘲した。


 簡単には溶けない勁雪けいせつもいずれは融滌ゆうできして水になる。夢ばかりのしぶとさがあるだけ。


 マスターの手つきには憂思が優しく纏わりついていた。子供を心配する親のような憐れみを受け止め、嗚呼、と気付く。あの男性が魔女の少年に向けていたものも、同じものだった。


「内臓から治していくから、痛むよ」


「分かってる。……、ッ……」


 傷口に沈み、肺腑を目指す彼の手に嘔吐く。痛覚を忘れたくてマスターの肩越しにメイの方を覗き見た。


 魔女と交戦する熾盛しじょうな衝突音が耳底に響く。死を恐れているような魔女の抗心が、叫び声から流露していた。


 己の臓物を焦がす痛みは、次第に温かな熱へ変わっていく。命の燭燼しょくじんに彼の魔力が灯る。幽冥へ引き込まれそうだった意識が少しずつはっきりとしてきた。


 僅かに安堵したが、彼の手がより深く押し込まれる感覚に両目を硬く閉ざす。傷口に元々魔女の腕が貫通していたからか、そのぶん奥まで触れて治さなければいけないみたいだった。


 声にならない乾声ひごえが、噛み締めた唇の隙間から漏れ出す。引きも切らずに襲い来る激痛に俯いて、片手で口元を押さえる。悲鳴と嘔吐感を抑えこんでいれば、メイの吃驚が鳴り渡ってきた。


「何してるんだ⁉」


「っ……メイ……?」


「君はまだ動いちゃダメだ。メイちゃん! どうした⁉」


 薫然と漂ってくるのは鉄錆を思わせる腥い香り。気付けば魔女の声も止み、マスターの焦燥の余韻が聞こえるくらい幽閑が広がり始めている。


 心寂うらさびれた空気が沁みてくるが、マスターは俺の治療を続けており、俺も動くことが出来なかった。


「っちょっと! おじさん! 死ぬなよ……!」


「──メイさん、どうしたんですか⁉ 戦闘は終わったんです⁉」


「ユニス! どうしよう、この人死んじゃうよ……!」


「どうしようって……その状態じゃ、もうどうにもなりません!」


 二人の声だけを聴きながら、マスターを急かすべく彼の袖に皺を刻む。ユニスは戦闘に巻き込まれぬように伏在していたのか、俺達と同じく何があったのかを見ておらず、状況を把握出来ていないらしい。


「メイちゃん、どういう状況だったのか教えてくれ」


「わからないよ、魔女を殺そうとしたらいきなり飛び出して来たんだ。そうしたら魔女に首を噛み切られたみたいで……! 急いで魔女は殺したけど、この人の傷が酷くて、もう意識がない。駄目だ……」


 メイの声柄は暗く痛ましい。敵ではない人間の死は、メイの心を掻き暗したようだった。


 伝播してくる喑愁に歯噛みする。俺にとってもあの男性は殺すべき相手ではなかった。


 魔女の少年を息子と呼んだ彼。恐らく、不幸な奇禍に巻き込まれただけの一般人。彼から、聞かなければならないことがいくつもあった。


 しばらくの闃然げきぜんを経て、マスターの手が俺から離れていく。


「……エドウィン、治ったよ。手も繋げたいんだが、どこに落として来たんだい?」



「ああ……」


 力無く視点を落とすと傷口は綺麗に塞がっていた。だが体力も魔力も回復しておらず、歩き回ることは出来そうにない。治療で疲弊したせいか、先程よりも魔力が薄れているような気がした。


 それでも蹌蹌そうそうと立ち上がったのは、男性の死を見届けなければならなかったからだ。


 座り込むメイの前で閉眼している男性。その結喉けっこうは抉れ、首の内部が垣間見える隙孔げっこうから、血が流れ続けていた。苦し気な衰色は既に血の気を失くしている。


 彼が魔女を連れて何をしようとしていたのか、今考えてみてもわからない。魔女について知らなかったのは本当だろう。彼と少年に何があったのか、その詳細を調べた方がいい。


 事件の起端を見つけるため、彼と少年の亡骸を眺める。観視すればするほど、己の罪累を実感して顔が歪んでいく。


 粛として声のない中で黙祷を捧げた。滲み出した心痛を意識の外へ押し退け、足を踏み出した。床に転がっていた食器に気付かず、倒れかけた体がメイに支えられる。


「エドウィン、無理はしないで。ごめん……この人を死なせてしまって」


「メイのせいじゃない。……とりあえず、その男性が何故魔女を連れていたのか分からないから、所持品を調べた方がいい。それと、前方車両に生存者がいるか確認しに行かないとな……いない可能性のほうが高いが……」


 男性は荷物をコンパートメントに置いたままなのか、拳銃以外なにも手にしていない。ジャケットなどを漁れば何か出てくるかもしれないが、それだけでは『誰が何の目的で少年を魔女にし、父親に渡したのか』に関して知ることは出来なさそうだった。


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