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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
二巻/第一章
31/108

凋落3

 店員に空いている席まで案内され、僕達は腰を下ろす。どこに座るか悩んだが、ユニスは人と接触するのが嫌いだ。彼女の隣を空席にした方が気楽だろうと思い、僕はエドウィンの隣へ着座した。


 店員に渡されたメニューを開くなり、ユニスが欣懐きんかいと叫び出す。


「見てくださいケーキの種類! 沢山ありますよ! 全部頼みましょう!」


「マスターの金だぞ、少しは遠慮を……」


「マスターのお金なんですから無くならないでしょ? あの人お金持ちですもん」


「せめて食べ切れる量にしてくれ。……メイは何を食べたい?」


 エドウィンの顔が優しく笑み曲がる。婉麗な顔を見つめて、あることに着意した。


 エドウィンは知らない人に対して冷厳な態度で応じる。マスターやユニスに対しても冷ややかなことが多いが、赤の他人に対するものよりは温雅な雰囲気を纏っている。


 そして僕に対して。彼は、唇を緩めてふっと一粲いっさんしてくれることが、多いような気がした。


 それに気付いて嬉笑してしまった。


「……メイ、いきなり笑い出してどうしたんだ。俺は何を食べたいのか聞いたんだが」


「あぁ、ちゃんと聞いてたよ。でもエドウィンが笑ってくれるのが嬉しいなぁって思って」


 杲々(こうこう)とした朝日に照らされるメニューへ視点を落とす。一言も返されないためエドウィンを窺ったら、彼の姿色からは不満が滲んでいた。視界の隅ではユニスが窓を開けており、晨風しんぷうが舞い込んだ。


 列車は木々の間を進み始め、暗らかに落ちる清陰が心地よい空気を漂わせる。揺動する車内にも慣れてきたせいで眠気が込み上げ、小さくあくびをしてからメニューをめくる。


「僕は……スイーツも気になるけど、しょっぱいのも食べたいな。うーん……フィッシュアンドチップスといちごタルトにする」


「私はですね! チーズケーキとモンブランとチョコケーキと苺のムースケーキとフルーツタルトと」


「そのくらいしろ」


 奏でられるケーキの名称をエドウィンが断ち切った。ユニスがむっとしたような上目遣いでエドウィンを瞻仰せんごうしていたが、彼はそれに一瞥もくれず店員を呼んでいた。


 彼と店員のやり取りを聴視しつつメニューを閉じる。


 移り変わる風景を打ち守っていたら、広がる海に声を上げそうになった。感動を飲み込んで窓に顔を近付ける。


 滄溟の果ては見えないほど青一色の窓硝子。波打つたびに水面が瀲灔れんえんと煌めくものだから、宝石箱を覗き込んでいるみたいだ。耳を澄ませば漣漪れんいの音が、ざぁっと聞こえてくる。こんなに近くで海を見るのは初めてで、端から端まで流覧してしまう。


 琅琅とした鳥の鳴き声。朝の光がキラキラと閃爍せんしゃくする眺め。綺麗だな、と思いながら僕も窓を開けて身を乗り出す。


 水の中で揺らめく列車の倒影を凝望していると、背後から襟を引っ張られた。耳元に触れた口前には、困惑と呆れがほだてられていて、一つのため息を形成していた。


「危ないだろ、顔を出すな」


「え、大丈夫だよ」


「大丈夫じゃない。柱にぶつけて腕を持っていかれた、とかいう話もあるくらいだ。お前が何かとぶつかっても列車は止まらない。気を付けろ」


 僕をじっと守るエドウィンに頷いてから、窓を閉める。僕と同じく風光を見つめていたユニスが、前に向き直った。藤色の瞳はエドウィンを眼差す。彼もそれに気付いたようで、ほんの少し首を傾けていた。


「エドウィンの故郷って、どんなところなんですか?」


「……木々に囲まれている田舎だ。煌びやかな街とはかけ離れている。もう誰もいないから、廃れてるだろうしな。ただの森をイメージしてくれればいい」


「あぁ……私も田舎出身なので分かります」


「僕のいた村もそんな感じだったかも。エドウィンは子供の頃どんな感じだったの?」


 他愛ない雑談のつもりだったのだが、エドウィンは険しい顔をして沈黙する。僕の問いかけの遺響だけが列車の走行音に打たれていく。


 身にならない空談をするつもりはないと、言外に告げられているようで、申し訳なさで俯いたら彼の声がようやく紡がれた。


「そんなことを話して何になる。必要のない情報だろ」


「う、ん……ごめん……」


「メイさんは、エドウィンのことが知りたいだけだと思いますよ。今よりもっと仲良くなりたいんじゃないですか? 昔話って、仲良くなるのに必要な情報でしょ」


 僕が落ち込んでいるのを見て庇おうとしてくれたのか、刺々しいユニスの槍声がエドウィンに向けられていた。彼が怒っているわけではなく困っているだけなのは、その姿情を見れば分かる。三人揃って黙り込んでしまい、寂び返った場には周囲の食器の音が五月蝿いくらい届いてきていた。


 返答に疾苦していたエドウィンが、疲れたように頬杖を突いてそっぽを向いた。


「…………俺よりも、お前らで仲良くしてたらいい。せっかく歳が近いんだから二人で話したらどうだ」


 エドウィンの気持ちが分からなくて寸考してしまう。僕達に優しくしてくれるから、仲良くしたくないわけではないと思う。けれど隔たりを感じるのはどうしてだろう。


 彼はいつも、僕とユニスが笑い合っているのを優しい顔で見守ってくれる。子供を執り見る親のような面像を思い出して、僅かに答えへと近付いたような気がした。


 親子が友達になれないように、彼は、僕達とは友達になれない歳の差だと認識しているのかもしれない。


 しかし僕達とエドウィンの歳はそれほど離れていないのではないか、と考え込んでいたら、僕の風懐を読んだかのようにユニスが言った。


「歳が近いって、エドウィンも近いんじゃないですか? まぁ、メイさんの歳もエドウィンの歳も知らないですけど。お二人ともいくつなんです? ちなみに私は十五です」


 ユニスの言葉に目を見開く。彼女の形貌はどう見ても十代前半くらいだ。突飛な真実に目を白黒させたまま、テーブルから身を乗り出していた。


「ユニス、僕と同い年だったんだ⁉ もっと下だと思ってた!」


「は、ぇえ⁉ メイさん同い年だったんですか⁉」


「エドウィンは十八くらい?」


「十七とかじゃないですか?」


「……二十だ。十七って未成年だぞ。俺はそんなに子供に見えるのか」


 歳上だとは思っていたが、存外歳が離れていて瞠若してしまう。エドウィンの瑰麗かいれいな目鼻立ちに注目した。造り物みたいに整った瓊姿けいしは、二十と言われれば確かにそのくらいの年頃に見えた。観察するように彼を細視していたら目が合ってしまって、思わず顔を逸らした。


「エドウィン、すごく大人っぽく見える時と、ちょっと歳上かなぁくらいに見える時があって……というか、お兄さんに見える時と、お姉さんに見える時もある……」


「分かります、なんか色々分かりにくいんですよね、謎な人です」


「はぁ……?」


 不服を吐き出した彼をさりげなく覗き見る。どこか恐ろしさを感じるほど端正な姿。その魁傑かいけつさは人ではないもののようで、だからこそ人目を惹き付ける。


 僕は彼を見る度、不思議な魔力に吸い寄せられるような感覚を味わっているというのに。彼は自身の外見など一切気にしていない。


 魔力、と考えて、彼の美しさは魔法の類なのではないかと、空想じみた予想が情懐を満たしていく。そんな魔法はないだろうが、彼が高い魔力を保持しているのは確かだ。


 魔法を使わなければ動かないらしい彼の手足。それを普通の人のように動かして、日常を平然と過ごしている彼。


 一日中自分に魔法をかけ続けるなんて、僕の魔力では出来ない。すぐに衰弊すいへいしてしまう。ユニスも戦闘時に何発か銃を撃った後に喀血していた。


 魔法を使うことによって引き起こされる耳鳴りや吐血、貧血。戦闘時にしか魔法を使わない僕達よりもエドウィンの方がそれらに苛まれているはず。だからこそ、彼は無理をしていないだろうかという積憂が、いつでも僕の心の奥にあった。


 僕達の言談が途切れたところに、店員の丁寧な好音が割って入る。


「お待たせ致しました」


 机上にいくつもの皿を並べていく店員へ、エドウィンが「ありがとうございます」と言いながら手助けを始める。いつも酒場で接客をしているからか、エドウィンの手つきも、営業スマイルみたいな令色も、慣れたものだった。


 店員は客であるエドウィンに手伝わせてしまったことで、申し訳なさそうに眉尻を下げる。エドウィンも同様に困り顔で応じていた。


「お客様、大丈夫ですよ……! お客様のお手を煩わせる訳にはいきません!」


「いえ、頼みすぎてしまったので、大変でしょうから。後はそれだけですよね、頂戴します。お手数をお掛けして申し訳ありません」


「と、とんでもない……! ありがとうございます! ごゆっくりお過ごしください……!」


 店員に色深しい笑みを向けたエドウィンが、遠ざかった足音にまばたきをしてから、ユニスへ打ち放ちに低声をぶつけた。


「自分がどれほどの量を注文したか理解できたか? ユニス。置き場に困るほどだぞ」


「で、でも頼んでくれたのはエドウィンじゃないですか! 適当に減らして頼めばよかったでしょ!」


「……俺も失敗したなと思った。次からは甘やかさない。せめて二品までだ」


「せめて三品……」


「二、だ。いいな。分かったら早く食べろ」


 嘆嗟して落ち込んだ様子だったユニスが、食べろと言われた途端に幸福いっぱいの顔でフォークを手に取った。


 彼女の前に並べられているのはチーズケーキとモンブラン、チョコレートケーキと苺のムースケーキ、それにフルーツタルトだ。まずフルーツタルトに手を付けた彼女が、幸祐をあらわに声を上げていた。


 時間帯のせいか食堂車には子供の姿が増えてきており、歴落と話し声が止まない。そんな諠鬧けんとうの中でもユニスの声はひときわ高く耳を打つ。


「すっっっごく美味しいです! しあわせ~……!」


 微笑ましい姿に僕まで幸せが伝わってきて、家にいるような気持ちで和んでしまう。僕もフィッシュアンドチップスに手を伸ばし、口に放り込んだ。美味しいな、と思いながら咀嚼をしていたら、ふと視界にケーキが差し出された。


 僕が頼んだいちごタルトは手元にある。視線で疑問を示したらエドウィンがかすかに表情を緩めていた。


「半分食べていい。要らなければユニスにやるが」


「えっ、でもエドウィンはそれだけしか頼んでないのに、半分ももらうのは悪いよ」


「気にするな。そんなに食べられないから、半分もらってくれると助かる」


 もしかすると彼は、ユニスがたくさん頼んだから、僕が遠慮してあまり頼まなかったのではないか、と思ったのかもしれない。エドウィンの芳心に感謝して、ケーキにフォークを差し込んだ。


 柔らかいスポンジを切ると中から赤いジャムが零れ出す。半分こにしたものをいちごタルトの皿に載せてから、残りをエドウィンに返した。


「ありがとうエドウィン。これ、なんて名前のケーキなの?」


「ヴィクトリアケーキだ」


 その名称に手が止まる。頭の中で記憶の留記を捲って、どこで聞いた名前だったか思い出していく。想起したと同時に「あ!」と溢れた僕の声は、笑いさざめいていた客達さえ驚かせたらしい。水を打ったように沈黙が訪れていた。


 天彦みたいな自分の余声に恥ずかしくなりながら、他人のことを意識の外へと追いやる。エドウィンだけに焦点を合わせて、輪郭を持っていた客や店員の姿がぼやけ始めた頃、ようやく言葉を続けられた。


「ヴィクトリアケーキって、オッサンが言ってたエドウィンの好物だよね? もらってよかったの……⁉」


 その質問は羞恥心で上嗄れていたが、どうにか気にしないようにする。顔を動かさず瞳だけで見めぐらわしてみると、もう誰も僕のことなど気にしていない様子で、それぞれ閑談していた。


「思いのほか大きかったからな」


「普通サイズですよ。貴方ってすごい少食ですよね」


 モンブランを食べ終えたユニスが端雅な仕草で口元を拭う。僕とエドウィンが話している間、皿を二枚も空にしていた彼女に戸惑ってから、僕も銀器を鳴らす。一口大に切り分けたヴィクトリアケーキを舌の上にのせた。


 ふんわりとした生地と、ラズベリージャムの芳甘な味わいに頬が落ちそうになる。生クリームが使われていないから甘すぎず、スポンジや粉砂糖の優しい甘味とラズベリーの酸味がほどよくて、いくらでも食べられそうだった。


「美味しい……僕もコレ、好きだな……」


「そうか、口に合ったなら良かった」


 ヴィクトリアケーキを直ぐに食べ終えてしまって、また食べたいなと思いながら皿に目を落とす。


 ケーキがのっていた時は気にしていなかったが、よく見ると豪華な食器だ。細かな装飾が施されていて見入ってしまう。滑らかな曲線を描く金色の蔓。嬋媛せんえんと連なる植物が円を象っており、花冠を思わせる。暫く皿と見つめ合っていたら、エドウィンの怪訝な声柄が降ってきた。


「メイ、どうした? 食べきれそうになかったらユニスにあげればいいからな」


「私を残飯処理担当みたいに扱うのやめてくれます?」


「食べ切れるから大丈夫だよ。お皿が綺麗だったからつい」


「お皿……?」


 ユニスとエドウィンの疑問符が重なる。二人が同時に、手元にある食器を覗き込んだのを見て笑声を吹き零しそうになった。


 皿とにらめっこをしていたユニスが、なるほどと頷いてくれた。


「確かに、凝った造りですね」


「列車は金持ちも利用するからな。それなりの食器やそれなりの食事を用意しないと文句を言う輩もいるんだろう」


「食器なんてちゃんと洗われていればなんでも良くないですか? スイーツが美味しければ他はなんでもいいです」


 食い気しかないのか、と思うような、自分を貫く口ぶりがユニスらしくて、唇が緩んだ。長閑さに片笑みを浮かべたまま、僕はフィッシュアンドチップスを食べ進める。


 視野の端では、ユニスがスイーツを一口食べる度に感悦しており、他の客席でも子供達が笑顔で食事をしていて、食堂車には幸福があまねく広がっていた。


 寸閑の間だけ僕達の会話は途切れ、各々静かに食べ物と向き合う。そうしているといつの間にか僕とユニスの食器が合奏をしているような状態になっていた。


 エドウィンは空いた皿を丁寧に重ねて机の端に片付け、車窓を眺めていた。絵画みたいに黙したまま、はらめく葉音を硝子越しに聴いているようだった。


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