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神経衰弱5

 それ以上言葉を交わすことなく人混みを進んでいく。開けた扉は宿屋のものだ。店主に空室の確認をし、一泊分の値段を支払う。振り返れば、俺の言葉を待っているユニスと、視線の絡まないメイがいる。ユニスの手枷を外し、店主から受け取った鍵を彼女に託した。


「ここから先の調査は俺一人でやる。子供が酒場に行くのは良くないからな」


「いつも酒場で暮らしてるんですから、別に気にしませんよ」


「住処と他店は別物だ。メイと一緒に部屋にいてくれ。食料なら鞄に入ってるから、一歩も外に出るな。それと、ユニス」


「はい」


「何かあったら、首を撃ち抜け」


 誰の、とは言わなかった。ユニスにだけ届いたであろうささめきに、彼女は全て把捉した様子で静かに頷いた。二階へ上がっていく二人の背を見届けてから、壮年の店主に問いかける。


「すみません、この街にキャバレーはありますか?」


「キャバレー……ああ、一軒だけ知っているよ。ウチの宿を出て右手側に真っ直ぐ、ずっと歩いていくと、赤い建物が見えてくるはずだ。そこがそうだよ。毎日楽団が演奏をしていてね、店の前を通りかかっても音楽が聞こえてくるから、近くまで行けばわかるさ。確かこの時間でも開いていたはずだよ」


「右手側に真っ直ぐ……ありがとうございます」


「君、観光客だろう? あの店はあまり良い評判を聞かないし、スリや薬物の売人もいるそうだから気を付けるんだよ」


 神妙な面持ちで顎髭を撫でる店主。彼の親切心にもう一度謝礼を紡いでから宿を出る。


 青霄せいしょうが茜空に変わった頃、モルタル外壁を赤で塗り潰している建物が見えた。踊る人間を描いた看板には『The free spirited』と記されており、店内からは弦楽器と管楽器の音色が溢れていた。


 扉を開けて中に入り、陽気な旋律と、語り合う人々のさざめきに眉を顰めた。テーブル席では数組の集団が談笑していて、カウンター席には女性店員と話しながらグラスを傾ける客が数名。客席よりも奥に備えられた舞台で、楽団を背に踊っている女性達がいた。


 カウンターの空席に歩み寄ると、近くにいた女性店員が振り向く。俺の正面まで来た彼女はカウンターから身を乗り出して来た。


「あら、いい男。何を飲む? ココに来るの初めてでしょ、サービスしてあげましょうか」


「結構だ、飲みに来たんじゃない。人を探してる」


「こんなところに?」


「カレン・バーナーズって女を知っているか?」


 艶麗な笑みが崩れる。不安を宿した虹彩が揺れていた。喧騒から遊離した静けさが彼女との間に漂う。僅かな警戒を携えて、彼女が俺の顔を覗き込んだ。


「カレンが、どうしたの。貴方警察?」


「違う。彼女の様子がおかしかったと、彼女の母親に相談されただけの知人だ。カレンはどこにいる?」


「今日は来てないわ。休むなんて聞いていないから、心配してたところよ」


「最後に会った時、変わった様子はなかったか」


「それなら私より、彼らの方が知ってるはず」


 彼女が目弾きした先、そこで数人の男性が酒を飲みながらトランプをしていた。彼らもこちらを見ており、すぐに視線がぶつかり合う。俺と見合った金髪の男性が、仲間達に何かを言ってから席を立った。近付いてくる気配から目を逸らし、女性に言葉を返す。


「彼らはなんのグループだ」


「本人に聞いた方が早いんじゃない? ――ねえ、ダニエル?」


 男性の影が視界に落ちる。獰猛な獣じみた瞳を睨み返せば、彼がテーブルに拳を打ち付けた。


「なんだよコイツ、店選びが下手くそな観光客か? 良かったな、ブレンダに構ってもらえて」


「やめてダニエル、違うわよ。カレンを探してるらしいわ。カレンのお母さんの知り合いだって。貴方達この前カレンと帰っていったでしょ? なにかあった?」


「……知らねぇよ」


「彼女がどこにいるか分かるか?」


「知らねぇって。なんなんだよ、警察の取り調べかよ」


 舌を打った彼はうんざりした様子で頭を掻く。何も知らないにしては、女性へ返答する際に不自然な間があった。淡々と追及する。


「帰ってきた彼女はひどく暴力的で、会話が成り立たない状態だったそうだ。家を荒らして逃げていったらしい」


「それって……薬物じゃないの? ダニエル、あなたまさかカレンに……」


「なんのことか分からないな。ほら、何も持ってないぜ? カレンならそのうち帰るだろうし、深入りせずに帰れよ。道を踏み外しちまう前にさ」


 ポケットの袋布を引き出して空であることを示すと、彼はそこに両手を突っ込む。立ち去ろうとした彼の肩を掴んだ。店内に響く溌剌はつらつな音楽が不釣り合いなほど、互いの目つきは剣尖に似ていた。


「まだ話がある」


「……俺は忠告したからな?」


「忠告なんて要らない。俺を客だと思って話せ。お前はどんな薬物を売ってるんだ? コカイン、ヘロイン、大麻、覚醒剤……在り来りなものしかないのなら話は終わりだ」


 懐から取り出して見せたのは札束。瞬刻だけ目を瞠った彼が一歩俺に近付いた。彼は唾を飲んで喉を上下させると、アルコールに満ちた溜息を吐いていた。


「……売買は、ココじゃ行ってない。アンタが本当にクスリに興味があるってんなら、また別の場所で会えるはずさ。その時はカレンに売ったのと同じのを売ってやるよ。まるで別人になったみたいに、体から力が湧いてくるようなクスリだぜ。意識も飛んでスッキリ出来る。バーの客である俺じゃなく、売人の俺と再会出来ることを祈っとけ」


 彼は仲間に「帰るぞ」と投げかけ、すぐに退店していく。彼らの集団は皆二十代くらいだろうか。帰りがけにこちらを瞥見してくる青年達から顔を背ける。大した情報が入らず渋面を浮かべていれば、女性店員が水を差し出してきた。厚意に手を伸ばす。念のため香りを確認してから、本当にただの水であるそれを喉へと流し込んだ。


 女性が他の客の方へ歩いていき、笑顔を振り撒く。これ以上ここにいても収穫はないだろう。そう判断し、水を飲み干した。


 不意に、「あの」と控えめに呼ばれた。刺青にピアスと派手な格好だが、面差しはどこか臆病にも見える青年が詰め寄ってきた。


「貴方は本当に、カレンの母親の知り合いなんですか。……カレンの、愛人とかじゃなくて?」


「そんなわけないだろ。生憎彼女の顔すら知らない」


「そっか……カレンなら、今僕の家にいます」


 予期せぬことに、反応が遅れる。酒場の舞台に向けた拍手が鳴り満ちる。客席からの歓声とステージの劇伴が緩やかに余韻へと変わっていく。交わされ始めたグラスの音に返辞を重ねた。


「……カレン・バーナーズと会わせてもらっても構わないか?」


「ええ、大丈夫です。まだ苦しんでるかもしれないけど、お母さんがカレンを心配してるってわかれば、少し落ち着いてくれるかも……だから、慰めてあげてくれませんか」


 慰めの言葉を掛けてやれる自信はなく、口を噤んでしまう。彼は俺の沈黙を受け止めた上で、「行きましょう」と革靴を鳴らした。


 重い扉を開閉し、楽団が再び奏で始めた旋律を店内に閉じ込める。小夜風が幽かに流れる夕暮れは、人々を影絵のように塗り潰しつつあった。


 敷き詰められた石を靴底が叩いていく。この時間帯でも人通りは多く、靴底が鳴らす人音は雨声に似ていて、止みそうになかった。斜め前を歩く彼が、雑音に呑まれない程度の声で話し始める。


「ダニエルが……あぁ、さっき貴方と話してたウチのリーダーなんですけど、カレンに薬を渡したみたいで。彼女……使うのを躊躇っていたらダニエルに無理矢理打たれたそうです。気付いた時には帰宅していて、妹の腕を折ってしまっていたって。母親に怯えた目を向けられ、それから逃げるように僕のところに来たんです。薬を打たれなければこんなことにはならなかった、君のせいじゃないって慰めても、泣いてしまうばかりで」


「つまり、彼女の行動は全て、ただの薬物による症状だっていうのか?」


「……ただの薬物って言っていいのか分からない。アレを使った人はみんな人を殺したり物を壊したりするんです。それも、普通の人の力じゃ出来やしないやり方で。素手で人体を引きちぎったり、鉄を砕いたり。薬の効果が切れるまで、会話も成り立たない」


 その症状に重なるのは、やはり魔女の姿だった。人の四肢をもぎ、臓物や脳髄さえも玩具にする所業。母の最期を思い出して奥歯を鳴らした。悠然を繕い、今起きている事件に集中する。


 聞く限り、薬の効果は身体能力の強化、副作用として脳に障害を引き起こす。探せばそういった薬物もあるだろうが、人並外れた力を得られる薬など聞いたことがない。本当に薬物によるものなのだろうか。彼の様子から判断するに、今のカレンは会話が成り立つ。薬ではなく、メイと同じように成功した魔女である可能性も視野に入れた。


「それにしても、よく事件にならないものだな」


「悪ガキの喧嘩、で片付いてるんですよ。死人が出ていると言っても、まだ片手で収まる程度ですし。僕達薬物中毒者なんて一般人から見たらゴミだから」


「……それで? 危険な薬を何故、カレンに教えた」


「っ教えたんじゃない……! 知らない間にダニエルが彼女を誑かしたんだ! あいつ、薬を打ったカレンを縛って、薬の効果をしばらく観察したって笑いながら言ってた!」


 叫び声に、通行人の目が集まる。注目されてしまっていることに彼自身も気付いたようで、声を潜めていった。


「取り乱してすみません。えっと、僕が薬物中毒だから、彼女も同じようになりたかったんだと思います。僕は彼女に薬物を使わないでほしくて、なにもあげなかった。だから、ダニエルなんかに声を掛けたんだ」


「人を殺してしまうような薬を、どうしてまだ売り続けてる」


「そんなの金になるからに決まってるでしょう。僕は、アレを使うのも売るのもやめた方がいいと思っていますし、このグループももう抜けたい。ダニエル達はあの薬にハマっちゃってたまに打ってるけど、アジトを滅茶苦茶に壊すからやめて欲しいし」


 大通りから細い路地へと進む。民家が立ち並ぶ細道は薄暗い。食べ物を抱えた女性や、走っていく子供とぶつかりそうになりながらも彼の背を追いかけた。斜陽の光も届かず、既に夜が訪れている場所だった。


「薬は、どこから仕入れてるものなんだ。外国か?」


「いいえ、女の人です。『魔女の秘薬』って、あの人は言ってた。まだ試作品なんだって。その人はいきなり現れて、僕達が売ってるのよりいい薬があるってくれたんです。売り上げも求めてこないし、他では売ってない薬だから評判も良くて、毎週仕入れてる。今日は追加の薬の受け渡し日だから、ダニエルと彼女は会うはずです。適当な女の子をアジトに連れ込むと思う」


「薬と女になんの関係がある」


「『魔女の秘薬』は、魔女を生むものらしいんですよ。薬を持ってくる女の人が、女の子を魔女にしたがってる。よく分からないけど、カレンもそのせいでダニエルに……」


 魔女を生む、『魔女』と近い能力を一時的に得られる薬。そしてそれを作っている女。その女は、アテナなのではないかと勘繰ってしまう。魔法を使える者なら、そういった薬を造ることも可能だろう。譲渡の魔法を使えるO型、或いは吸収の魔法を扱えるAB型だろうかと勘考していたら、男性が足を止めていた。


「ここです。――カレン」


 解錠の音が響く。木造りの扉を開けた先は、暖色の室内光で満ちていた。リビングを抜けた部屋で一人の女性が膝を抱えている。起きたばかりのようにも見える、乱れた茶髪。生地の薄いシャツを纏っただけの細腕が、長袖から透けて見えた。白い布越しに伺察した限り、赤い紐が縫い付けられた形跡はなかった。

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