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神経衰弱6

「ルーク? ……その人は誰?」


 泣き腫らした瞳が俺を朧げに映す。弱り切っている佇まいも、華奢な腕も、素手で木を折れるようには見えない。魔女特有の血走った雰囲気も持たない、普通の女性だ。魔女ではないカレンに用はなかった。


 けれども一歩近づいたのは、彼女の妹であるアビーの泣き顔と、アビーを慰めたメイの姿が脳裏を過ぎったからだ。メイがアビーに言った仲直り、それを現実のものにしてやりたかった。


「彼は、カレンのお母さんの知り合いだって」


「貴方の母親に、手紙をもらったんです。リンダさんも、妹さんも、貴方の帰りを待ってますよ」


 母と妹の話を持ち出せば、落ち着いていたカレンがみるみる震え上がっていく。痙攣した紅唇は甲高い慨嘆を訴えた。


「嘘……嘘よ! お母さん、私のこと化物を見るような顔で見てた! アビーだって、あんな……どうして私、あの子の腕……! 許してもらえるわけないじゃない! もう帰れないのよ!」


「それでも、リンダさんが貴方を心配して俺に手紙を送ったのは事実です。妹さんだって、貴方と仲直りしたいと」


「心配なんて今だけ! きっと私の顔を見たら、あの日のことを思い出して怖がるに決まってる! 私だって、またあんなことをしちゃったら、本当に殺してしまったらどうすればいいの⁉ もう会わない方がいいのよ!」


 カレン自身の喉を裂くように張り上げられる悲鳴。割れた硝子を握って綴られていくような真情の、その痛ましさが胸間を刺しに来る。カレンを見ているうちに、複雑に絡まった感情が心奥しんおうからせり上がってきていた。同情ではない、熱を帯びたそれは苛立ちの類。


「貴方が妹さんを傷付けてしまったのは薬物のせいだ。薬の効果はもう切れているんです。もう二度と使わないようにすれば、あんなことは――」


「切れているなんて、本当に薬の効果だったのかなんて分からないじゃない! 初めから私があの力を持っていたのかもしれないのよ!」


「……なら振り払ってみせろ」


 堪えかねて彼女の腕を捻り上げていた。驚きながらも立ち上がった彼女は俺の手から逃れるべく暴れる。大した魔力も込めていないのに、抵抗を握り潰すことは容易かった。男性、ルークが制止しようとしてきたが、俺もカレンもそれを意に介さなかった。


「っやめてください! カレンも落ち着いて!」


「離して! 私、またアビーにしたように傷付けちゃう! 貴方の腕も折ってしまう!」


「ッ出来ないだろ、ちゃんと見ろ。貴方はただの人間だ。許されたいのなら本心を伝えに行け。家族だからって、いつでも謝れるわけじゃない、いつでも守れる訳でもない。帰る場所なんて簡単に失くなるんだ……!」


 流露した激情は怒号じみていた。中空から寂静じゃくじょうが降りてくる。深閑に占拠され、互いの乱れた呼気だけがやけに反響する。カレンの腕を離し、拳を固めた。咽喉が灼けるように熱かった。


 なぜ彼女に苛立つのか、そんなことは明白だった。日常が奪われることなどないと、信じきって甘えているからだ。変わらない明日が訪れることに慣れてしまって、当たり前にあるモノが失くなることなど、考えもしないからだ。


 失くす前にもっと、何か、できなかったのだろうか。そこまで千慮してから、俺はカレンをきっかけに、ただ過去の自分に怒りを滲ませているのだと、ようやく気付く。


 カレンの蜂蜜色の両目が、憂わしげに俺を諦視していた。曖昧にではなく明瞭に、互いの視線が初めてぶつかった。


 肩の力を抜いていたら、欷泣が静かに落ちていく。


「でも……私……。まだ、家族でいられるの……?」


 脱力したカレンが座り込む。濡れた硝子玉が洋灯の光を溜め込んで、虹彩をぼかしていた。彼女の前で片膝を突き、真っ直ぐに見つめる。安心させてやりたくて、唇で繊月を描いた。


「何言ってるんだ。貴方も、母親も妹も、互いに会いたがってるのに他人なわけないだろ。子供は子供らしく家に帰れ」


「……子供って歳じゃないわ」


「リンダさんにとっては、貴方はずっと子供だよ。――カレン、伝えたい言葉をぶつける相手を間違えるな。ここで喚いていても、何も届かない」


 頷いた彼女が、自分の体を掻き抱いた。彼女が呟いたのは独り言だった。母を呼びながら肩を震わせる彼女に、背を向ける。


 静観していたルークに近付くと、彼はようやく事が済んだのだと気付いたみたいだった。


「薬物の売買がどこで行われているか知っているか?」


「あ、ええ。オーダムストリート一七……小さい廃病院です」


「わかった。お前の組織も、薬も、壊してくる。構わないな」


「……ありがとう、ございます」


 俺に頭を下げると、彼はカレンに駆け寄った。穏やかな時間を紡ぎ始めた彼らを一瞥し、外へ出る。カレンに放った言葉が、今になって己の胸に圧し掛かる。焦慮に押し出された踵が高く鳴った。メイとユニスを迎えに、宿へ向かい始める。


 雨が、降っていた。煙雨に搔き暗された景色が、不思議と胸騒ぎを招く。


 踏みつけた水鏡は夜闇だけを揺らし、月の位置すらようとして知れなかった。


     (四)


 ユニスと神経衰弱メモリーをしながら、僕はエドウィンに言われたことを延々考えていた。言われなくたって分かっていることを、言語化されて突き付けられると肺腑を締め付けられる。


 僕という存在が曖昧であること。いつこの意識が消えるのか分からないこと。僕としてはこの悪夢が終わるのを願うばかりだ。夢であったなら良いと、何度も思った。


 瞬きをしたら僕は僕に戻っていて、シャノンが笑いかけてくれる。そんな数秒後を切願しながら何度も目を閉じた。ひとみに映し出される鮮やかな現実は、いつだって悪夢のまま。


 胸が痛む。心臓が脈打つ。この痛みも、この拍動も、僕のものなのかシャノンのものなのか分からなかった。


「メイさん? メイさんの番ですよ?」


「え……ああ、うん」


 開いたカードはJとQ。上下逆さに同じ絵が描かれた二枚を見つめ、何気なくカードをなぞった。そっと裏返すと、ユニスの手が伸びる。残っていた六枚を順に開いて、全てを攫った彼女は嬉笑し頭を揺らしていた。


「えへへ! 私の勝ちですね! 十勝二敗です!」


「おめでとう。楽しかった?」


「なんで『微笑ましい~』みたいな感じで私を見てるんですか、もしかしてわざと負けてたんですか⁉」


「そうじゃない、集中できなくて」


 自分の手札とユニスの手札を合わせ、カードを切っていく。ぼんやりしていたせいで、数枚のカードを飛ばしてしまった。慌てて拾い集めていたら、ユニスが長息を吐いていた。


「メイさんは、あまり深く考えなくていいんです。生きている今を全力で進んでいいんですよ」


「なに、いきなり」


「エドウィンが言ってたこと、気にしてるんでしょう。もしメイさんが自我のない魔女になっても、その先ってメイさんに関係ないことなんです。死んだあとのことを考えるようなものです。だから、気にしなくていいんですよ」


「それは、貴方達が僕を殺すから?」


 噴き出した苦笑に、ユニスが固まっていた。普段無邪気に笑っている彼女が、人形みたいに色を失くしていた。静けさが気まずい。謝罪の意を込めて撫でようとしたが、身を引かれたため腕を下ろした。


「ごめん、意地悪な聞き方をした。愚問だって分かってる。今のは八つ当たりだ」


「……いいえ。でも、私もエドウィンも、こうして関わってしまったメイさんを殺したいなんて思ってません。貴方が、狂わないでいてくれることを祈るばかりです。エドウィンだって……あの人は口下手なだけで、貴方のことを傷付けたくないと思ってます」


「……そう」


「もし、悩んだり何かあったら、こうやってお話しましょ。気晴らしになるかもしれないから」


 憂色が大人びていた。砂糖菓子めいた甘い優しさが、耳朶から染み渡っていく。


 下唇に歯を突き立てた。甘言に、反吐が出そうだったから。エドウィンもユニスも、僕に痛みを吐き出させてくれる。『言っていいのだ』と示してくる。込み上げたのは、自嘲か嘲笑か、曖昧な吐息だった。


 何も信じるな。人なんて、嘘しか吐かないのだから。


 沈着さを取り戻そうと、自己暗示みたいに呟いた。


「大丈夫。まだ死ねない。先生に会うまでは……まだ……」


 先生が、僕達を抱きしめた日を想起する。口角が震えながら吊り上がっていく。僕とシャノンが『ずっと一緒に幸せになれる』なんて、こうなることを分かっていて言ったのだろうか。なにが、幸せだ。


 それでも『先生の口から真実を聞きたい』と思うのも、『先生なら妹を救ってくれる』と縋ってしまうのも、人を信じる気持ちを捨てきれていない証だった。


 妹のことを考えて、アビーを思い出す。腕を折られても、姉を嫌いきれない妹。家族は、生まれてから長い時を一緒に辿るものだ。積もっていく思い出と愛情は、簡単に壊れない。


 彼女は姉と再会出来るだろうか。姉に会えない今、寂しがっていないだろうか。妹と重なって、慰めたかった。妹に注ぎたい深憂を、どこにやればいいのか分からないだけなのだと、自覚はしていた。


「……ユニス、一階に行ったら水もらえるかな。鞄に食べ物しか入ってなかったし、喉乾いたでしょ。取ってくるよ」


「あ、でしたら私が持ってきますよ。メイさんは待っていてください」


 三角巾のような帽子の後ろで、長いレースが揺れる。ユニスの後ろ姿が扉の向こうに消えてから、窓を振り仰いだ。藍色に染まりつつある茜空。窓を開けたら冷たい風が肌を刺した。


 自分の太腿にナイフが二本収められていることを確認してから、ベランダの柵に乗り上がる。魔女として身体能力が上がっている今の僕なら、二階から飛び降りるなど容易だろう。それでも跳んだことのない高さに、唾を飲んだ。


 怖気づいている時間が惜しい。空無に身を投げ、着地する。足が痛む感覚はあまりなかった。軽い身体を起こして立ち上がると、通行人に吃驚の目で刺されていた。目立ってしまっていた羞恥から逃れるよう、アビーの家へと走っていく。


 切り進んでいく風が心地良い。近付いてくる夜の気配に疾駆した。思案するのは事件のことだ。カレンさんが魔女であるのなら、彼女が先生に会っている可能性がある。


 流れに身を任せて待つのは苦手だ。先生の足跡を辿れる一抹の可能性を、余すことなく拾い上げた方がいい。部屋に隠れるよりも、左腕で揺れる赤い紐を見せびらかして、魔女を知る人間に出会える確率を上げた方がいい。


 エドウィンは僕との関係について利害の一致と言った。その通りだ。互いに利用出来る時だけ利用すれば、それでいいはず。だから僕が『待機しろ』という指示に従う必要はない。僕の行動は自分自身で選択する。どうせいつかは裏切られるのだから、仲間なんて、要らない。


 仮にこの単独行動を咎められても、まだ殺されたり捨てられたりはしないと思う。唯一成功した理性のある魔女、らしい僕は、彼らにとって大きな利用価値があるはずだから。少なくとも、先生に会えるまでは。


 僕を餌に先生と会えたなら、きっと用済みだとみなされ捨てられる。彼らより先に、彼らの情報を利用して先生を見つけ出す。


 到着したアビーの家の扉を叩く。少しして出てきたのは、片腕を布で吊った彼女。アビーは僕を見上げ、眉尻を下げて首を傾げていた。


「お姉さん、お母さんに会いに来たの? お母さん買い物に行ってていないの」


「ううん。アビーに会いに来たんだ。その……カレンさんがいなくなってから、ずっと寂しかったんじゃないかって、思って」


 大きな瞳が、月のように丸くなる。そこに映る僕が見えそうなくらい、透き通った眼だった。屈んで微笑みかければ、アビーは頷いて俯く。柔らかな茶髪をそっと撫でてやった。


「カレンさんは、おかしくなってしまう前に、誰かに会ったりしてた?」


「わからない……でも、お姉ちゃんの友達っていう男の人が何回か来たことはある」


「……女の人は来ない? 僕よりも少し年上くらいの見た目で、長い黒髪のお姉さん。知らないかな」


「見たことない。お姉ちゃんの友達、怖い男の人と、金髪のお姉さんと茶髪のお姉さんくらいしか分からない」


 カレンさんは、やはり魔女や先生と関わりがないのかもしれない。そっか、と相槌を打ってから、不安げな顔のアビーに笑ってみせた。僕を見上げる幼い瞳が、月気を反射していた。視線が絡んでいるようで、絡んでいないことに気付く。


 僕よりも高い位置を見つめて、アビーが蒼褪めていく。咄嗟に立ち上がって振り向けば、背の高い男性が立っていた。柔らかな金髪に、シャツから覗く首元の刺青。彼は苦りきった顔で、僕ではなくアビーを下瞰かかんしていた。


「カレンはいるか、アビー」


「ダニエル……。カレン、いない。帰ってきてない……」


「今日もかよ。あのクソ女……今日は大事な日なんだけどなぁ!」


 怒鳴るような声柄にアビーが肩を震わせる。アビーを背に匿うように立ち、男性、ダニエルを睨めかけた。


「よく分からないけど、アビーに怒ったってカレンさんが出てくるわけじゃない。怯えているだろ、大人しく帰ってくれ」


「なんだお前。……へぇ、綺麗な顔してるじゃねぇか。お前、カレンの代わりになってくれるか?」


 どこか虚ろな黒目に背筋が粟立つ。伸びてきた手を振り払うと胸倉を掴み上げられた。反射的に反撃しようとして、だけど手が動かない。この体に流れる力を、まだうまく扱える自信がなかった。


 悪人など殺しても構わない。そう思えど、背後で僕を心配している少女に、人を殺す様など見せたくなかった。赤の他人の死体だとしても、幼い少女の目には深い傷として焼き付いてしまう。


 手の平に爪を突き立て、唸るように吐き捨てる。


「代わりって……お前、カレンさんに、なにかしたのか」


「ハイになれる薬が欲しいって言うから、試薬をいくつかあげたんだよ。最初はアジトで打ってやって観察したんだ。いい暴れっぷりだったぜ、あの女! 泣き声がうるせえから家に帰してやったってのに、なんで家出してんだろうなぁ?」


「……観察、だって?」


「薬には被験者が必要だろ? 試薬の改良版が今日届く。カレンで試すつもりだったがお前でいいや。新しい薬はどのくらい暴れるのか楽しみだな」


「ッ……クソ野郎、離――!」


「メイさんを離しなさい」


 薄氷うすらいを思わせる少女の声。夜闇に紛れそうな暗色のワンピースが揺れていた。


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