DREAM DIVER workaholic4
『レインボー・ドリーム』は大手企業が連なるビル街の一角にあった。
「『WD課』の方ですね、お伺いしております。こちらへどうぞ」
受付の女性が笑顔で二人を出迎えた。織田は物珍しくてつい、目があちこちに行く。様々なゲームのポスターが貼ってあった。
「オリタ、キョロキョロするな」
「…すみません……」
ジェシカに注意され恥ずかしくなって下を向いた。結局聞き込みにはジェシカと織田がいくことになった。織田に聴取を経験させたいとのジェシカの意向と、織田の少しの好奇心によって決められたのだ。もちろん浅井が大いにブーイングを起こして駄々をこねた。しかしジェシカの『お前の能力を認めているから潜入をお願いしてるのよ』との言葉にまたしても釣られ、牧田と共に潜っている。マックはジェシカたちに着いてきたがったが(可愛い女性社員を見たいがため)、ジェシカに睨まれ大人しくダイブルームでのサポートに回った。神山は彼のお守りだ…。
「こちらです。支店長、WD課の方をお連れ致しました」
エレベーターに乗せられ上階で降りる。少し歩いて一つの部屋の前で止まり、女性社員がノックして声をかける。中から声がして女性社員がドアを開けた。二人が入ったのを確認して一礼して去る。ジェシカが中にいた五十代前半の男に歩み寄った。
「『DLS治療室副監理官』の『ジェシカ・フローレンス』よ。こっちは同じくダイバーの『アレックス・織田』」
「オリタです、よろしくお願いします…」
織田の声が緊張で上擦った。男は自分の席から立ち、二人にソファーに座るよう促した。名刺を取り出しジェシカと織田に渡す。
「わたしは『レインボー・ドリーム』の支店長をしております『アヤセ・勉(ツトム)』と言います…お二方には我が社の社員のためにご足労頂いて申し訳ない…」
本当に申し訳無さそうにするアヤセ。そんな彼に対してジェシカははっきりと言い放つ。
「それは問題ないわ。回りくどいのは嫌いだし時間が勿体ないから単刀直入に聞くけど、この会社の勤務体制はどうなっているの?」
「……勤務体制…ですか…?」
アヤセの眉がぴくりと動いた。河野のことを聞かれると思っていたのかもしれない。
「…我が社は基本、朝八時十五分から五時十五分までの昼一時間休憩で、三時にも十分休憩が入ります。土、日も基本は休みですが、納期が迫っている時は適時それに合わせて休日出勤があったりもします…」
「残業は?」
「……残業も納期によって各自出来る範囲でしてもらう、という位置付けです…」
アヤセの言葉にジェシカが、ふうん、と流す。それに支店長が上目遣いに聞いた…。
「…まだ何か聞きたいことがおありですか…?」
「実際の勤怠管理表を見せてくれない?」
「…分かりました…しばしお待ちを……」
そう言うと自分のパソコンから一枚の紙をプリントアウトして持ってきた。
「…なるほど、相違ないようね……」
ジェシカがそれを確かめる。織田は二人のやり取りを唯眺めていた…。
「後、最初に彼を発見した彼の同僚にも話を聞きたいのだけれど」
ジェシカがそう言うと、またぴくりとアヤセの目元が動く。しかし平静を装ってか、笑顔で返す。
「…良いですよ…呼びますのでしばらくお待ちください…」
アヤセが電話をかけて人を呼ぶ。しばらくするとドアがノックされ二人の男性が入って来た。
「キタダくん、ウノセくん、こちらはWD課の方々だ…」
「…こんにちは、キタダです」
「ウノセです、初めまして…」
支店長に紹介された二人はジェシカと織田に挨拶をする。キタダと言った男性は少し茶髪のパーマがかかった髪をしていた。ウノセはキタダより少し背が低く、ずんぐりむっくりといった体型だ。二人ともカジュアルな格好をしている。ジェシカが彼らと挨拶を交わす。
「仕事中呼び出して悪かったわね。わたしはジェシカ、こっちはオリタよ。貴方たちに聞きたいのはコウノについてなんだけど、彼がDLSを発症する前、何か変わったことはなかった?」
彼女の問いに二人は顔を見合わせた。
「…変わったことと言っても……」
「……特には…なあ……?」
二人とも自信無さげに目配せをする。ジェシカが更に質問を重ねる。
「貴方たちが昨日の朝、コウノを発見したのよね?」
「はい」
「それはコウノの部屋で間違いないわね?」
「…はい…」
何を聞くのだろう、とキタダたちの顔が怪訝なものになっている。と同時に、歯切れの悪さも感じる。瞳が右上を泳いだ。ジェシカは、そう、と言って会話を終わらせる。
「…ありがとう、参考になったわ」
「いいえ、どういたしまして。捜査に協力できて何よりです」
帰るそぶりを見せたジェシカにアヤセが笑顔を向けた。その笑顔がどうにも嘘臭く織田には見える。部屋を出、送ろうとするアヤセをとどめ、キタダとウノセに送ってもらうことになった。途中ジェシカが二人に尋ねる。
「社内に仮眠できるような休憩室ってある?」
「…え…あ、あります…が……」
「案内して」
有無を言わせないジェシカに二人は戸惑いつつも、言われる通り案内した。
「…ここになります……」
「ありがとう。ちょっと部屋借りるわね。出ててもらえる?」
「…え…、ちょっ……」
「大丈夫よ、すぐに済むから。最近忙しくて睡眠不足なの…内緒にしてて頂戴ね」
そう言って彼女が片目を閉じて笑みを浮かべて見せると、男たちは頷いてしまうのだった…。織田も部屋の中に引っ張り込まれ、扉が閉められた。
「…これは立派な仮眠室ね…」
ジェシカが部屋を見回す。そこには何人もが横になれる十二畳くらいの畳と、押入れの中には布団と枕まである。窓にはカーテンが取り付けられていた。
「…俺の夢の中と同じだ……」
織田はひどいデジャヴを感じる。昨日のトレーニングを思い出して気まずくなってきた。そんな織田の気持ちを知ってか知らずか、ジェシカが織田に近づいてくる。
「…正夢にしてやろうか…?」
妖艶に笑んだジェシカ。少し背の高い織田の後頭部に右手を添え、左手は彼の服の上から胸元に沿わす。
「…ふっ、副か…っ…!」
「お前にイイことを教えてやろう…」
ジェシカの指が胸元から首筋、首筋から顎のラインをなぞる…。そしてピタリと人指し指を織田の唇に押し当てた。
「仮眠室が充実している会社は、“ブラック企業”の可能性が高いのよ…」
「……え………?」
トレーニング時と同じシチュエーションに胸が高鳴った織田だったが、ジェシカの言葉に持っていかれかけていた理性を取り戻す。彼女がくい、と仮眠室の外を顎で指し示した。ぼそぼそと声が聞こえる…。
「……だ…じょうぶ…かよ……支店…に送って……って言われた…だろ……」
「…大丈夫…だ……ちょっと…くらい……」
あの二人が外で話しているようだ。ジェシカと織田は息をひそめて聞き耳をたてた。
「勝手に仮眠室なんかに入らせてどうすんだよ!何か嗅ぎ付けられたら支店長に怒られるぞ…!」
「…しっ!静かに…大丈夫だって……分かりゃしないよ…」
声から、背の低いほうのウノセが茶髪のキタダに何事か言い迫っているらしい。
「…バレたらタダじゃ済まないって…お前、ここの会社クビになりたくないだろ……?」
「……そりゃあ憧れて入った所だし、仕事はないと困るけど……でももう正直限界だよ…付いて行けない」
「……キタダ………」
悲愴感が滲み出たキタダの言葉にウノセも黙る。その沈黙を破るようにジェシカがスッと立ち上がり、ドアを開けた…。二人の顔に驚きが表れる。
「課から連絡が入ったわ…すぐに戻って来い、ですって。まったく、人使いが荒いんだから…これだから“ブラック”は嫌ね…」
ジェシカの自虐的言葉にキタダとウノセは何とも言えない顔をした…。出口に向かう途中ジェシカが話しかける。
「貴方たちはコウノと仲が良かったの?」
その問いに顔を見合わせてキタダが答えた。
「…まあまあ、ですかね…同じ部署でしたし、ウノセと僕とコウノでたまに一緒に飲みに行ったりはしてました」
「そう。ねえ、一つ聞きたいのだけれど、昨日コウノの部屋に行った時、貴方たちがコウノを見つけたのよね?」
ジェシカはまた同じ質問をした。それに訝しがりながらもキタダが答える。
「…はい……」
「それは朝?」
「…そうですね…」
それが何か、と言う感じで眉をひそめる彼にジェシカは鋭く問いを投げ掛ける。
「その時に“鍵”は開いていたのかしら?」
「……は………」
キタダとウノセが一瞬息をのんだのが分かった……。ジェシカは続ける。
「今時、鍵を開けたまま眠る人なんていないわよね?開けたまま寝落ちしたとしても……いいえ、安全性を考えるなら、大体家に帰ったらすぐに鍵は閉めるモノ……貴方たち、何か言いたいことはない…?」
ジェシカの鋭い眼差しに二人は何も返す言葉がないようだった…。しばらく二人で顔を見合わせていたが、やがてキタダが口を開いた……。
「……実は……僕たちがコウノを家に運んだんです…」
「…おい…キタダ……」
「もう無理だよ…ずっとは隠し通せない。それに会社の言いなりになってたって、会社は何も保障してはくれない……お前も知ってるだろ…」
「…………」
ウノセが押し黙る。キタダがジェシカのほうに向き直った。
「…ここは“ブラック企業”と言って構わないと思います。僕たちは一日十二時間労働なんてザラです。休日出勤、サービス残業……昨日もコウノはここで仕事をしていたんです……お前も一緒だったよな……」
「…ああ……」
ウノセが答える。
「俺とコウノは納期に追われていた…朝の三時過ぎに俺が仮眠から戻って、コウノにも休むよう言ったんだ…」
ジェシカたちは他の人の目につかないように、廊下の陰で話す。ウノセは昨日のことを思い出しながら続けた。
「六時過ぎだったか、もうすぐ次のシフトのやつらが来るから、それまでに起こしとこうと思って呼びに行ったら、もう通常の眠りじゃなかったんだよ……」
ジェシカが彼を見ながら尋ねる。
「…どうして彼を家に運んだの?」
「……支店長の指示だよ…日曜日まで会社に泊まり込みで、しかも毎日のように日付が変わるまで残業させてたことがバレちまったら、会社のイメージダウンは免れられない。ヘタしたら、過重勤務で訴えられるかもしれない……だから出勤してきたコイツと一緒にコウノを家に運んだんだ……家でドリームロストシンドロームになったように見せかけるためにな…」
ウノセがばつが悪そうに頭を撫でた…。
「…そこまでして……」
織田が信じられない、といった様子で思わず呟いた。そんな彼をチラリと見てウノセは続ける。
「…そう思うだろ?…でも、この会社ん中いたらそれが普通になっちまうんだよ……社畜のように働かされる毎日が。皆きっと麻痺してくるんだろうな……」
疲れを多大に含んだ溜め息を吐いたウノセに織田は同情を感じずにはいられなかった…。話を聞き終わったジェシカが礼を伝える。
「話してくれて感謝するわ。貴方たちの“勇気”は決して無駄にはならない」
その言葉に二人また顔を見合わせて、今度は少し照れたように笑った…。本当のことを言ったおかげか、どことなくすっきりしたような表情をした二人に見送られ、ジェシカと織田は会社の外に出た。赤い車に乗り込んで発進させる。織田が運転しながらジェシカに尋ねかける。
「…『レインボー・ドリーム』はやっぱりコウノの見ている夢の中と同じでしたね……」
ジェシカが窓に頬杖をつきながら答えた。
「そうね…でも案外ブラックな企業って多いものよ……さっきウノセが言ってたように第三者から見れば異常な職場環境でも、中で実際に働いている人たちにはそれが当たり前になってしまっている。それに我々消費者を含め、この社会のシステム全体が数多の企業にそうならざるを得ないように求め過ぎている部分はあるわ…そういう社会に組み込まれてしまっているのよ…」
高架下の光景を眺めつつ答える。水面が太陽の光を反射して美しかった…。車が信号で止まる。
「……俺たちにも原因の一端はある、ということですね………」
織田が難しい顔をして言った。そんな彼を横目で見つつジェシカが口を開く。
「まあね…でも貴方がそこまで深刻に考えることでもないわ。貴方、真面目過ぎるのよ……アサイが言ってたみたいに、DLSになってしまうわよ」
「…そんなことないですよ……」
軽く笑って言ったジェシカに、織田は小さく反論しながらアクセルを踏むのであった……。
「……ところでこのルート、どこへ向かってるんですか…?治療室への帰り道から外れてるんですが……」
織田が車に付いているナビに目を遣った。ナビの矢印は街の中心部を少し外れた、住宅が集まっているほうを示している。
「コウノの自宅よ。少し調べておきたいことがあるの」
ナビの到着場所は七階建てのアパートだった。エレベーターで六階の彼の部屋へと向かう。コウノの荷物から預かっているカードキーを錠に通す。ロック解除音がしてドアが開いた。玄関からサニタリーやキッチンのある廊下を抜けて室内に入る。
「一人暮らしにしては部屋は綺麗にしてますね…」
何日も泊まり込みがあるような会社に勤めているにしては、こざっぱりとしている。織田はゴミが山のように溜まって食べ物や洗濯物が散らかっている汚い部屋を想像していたが、それはなかった。
「…むしろ生活感がないわね……」
ジェシカが冷蔵庫を開けた。中にはボトルに入った水と干からびた漬け物だけ。がら空きだ。部屋にはベッドと本棚、そして大きなディスプレイのパソコンがあった。そのPCの電源をジェシカが入れる。
「…“パスワード”か……」
パソコンを起動させると、コードを要求する画面が現れた。ジェシカは少し考えて、幾つかのキーを入力する。するとセキュリティが解除され、ホーム画面に切り替わった…。
「……副監……何をしたんですか……?」
それを見ていた織田が、吃驚といった様子でジェシカに声をかけた。驚きで瞳を大きく見開いている。
「何って、ロックを解除したのよ」
さも当然のように答えたジェシカに、織田は戸惑いを隠せない。そんな簡単に他人のPCロックを解除出来るものか。セキュリティの解けたコウノのパソコンを更に操作しているジェシカを、呆れと驚愕が混じった目で眺める。
「…副監ってシステムプログラミングも出来るんですか…?」
他人のPCを自分のもののように自由に操る彼女を見て、そう問う。ジェシカは画面から目を離さずに、キーボードを打ち込みながら答えた。
「…ある程度はね……プログラミングが出来るとシステムを弄れるから重宝するのよ。ダイブ中のモードやボーダーの調整も自分でコントロール出来るし、グラフィックチェンジも自分で変換出来る。便利よ」
軽く言ってのけるジェシカだが、言ってる内容はけっこう凄いことである。普通、ダイバー中のモードRやボーダーDなどメンタルリズムの調整は、ダイブルームのサポート要員が受け持つものである。基本的なオペレーティングのやり方は、ダイバーになる者なら養成所にしろ実地にしろ習うものだが、それはマニュアルに基づいたハード的なコネクト作業だけだ。そこから更に細かい調整は実際の経験を通して学んでゆく。ダイブ能力に加え、それらのテクニカルな面においての熟練度もダイバーランクに影響してくる。しかし、無意識下や強い意志力を別にして、ダイブ中に自分でモードとボーダーの調整をしてグラフィックチェンジするダイバーなんて聞いたことがない。患者の夢にダイブしている時はダイバーも意識体だ。システムに干渉するためのハード的なものは何も持たない。そんなダイバーがシステムを動かすにはまず、患者の夢の中という仮想空間で自分の力場を生み出し、そこで演算用の仮想キーボードを作って、それにモードをコントロールするなりボーダーを調整するなり、自分の望む結果を得るための計算式を打ち込み、思った通りに動くプログラムを造り出す。それをシステムソフトウェアに読み込ませれば完了だ。
(………そんな膨大な作業、ダイブ中に出来るわけがない………)
織田は想像して頭が痛くなった…。もしそれが本当に出来るとしたら、彼女のことは“ダイバー”ではなく、“ハッカー”と呼ぶべきだと織田は思った。織田が呆然とキーボードを叩くジェシカの背中を眺めている間にも、彼女は様々なセキュリティ画面らしきページを打ち破っていく。まさか映画やドラマの中で見るような非現実性を感じさせる存在が、身近にいるとは思わなかった……。
「…まあ、プログラムするにしろ意志力によるにしろ、脳に負担がかかるからそんなに頻繁には出来ないけどね」
自分の電子端末に何かのデータをコピーしているジェシカがそう言う。
「……そうでしょうね……」
織田は痛くなった頭をほぐすように、こめかみを揉んだ。データを移す作業が終わったジェシカが立ち上がる。
「さてと、そろそろルームに戻るぞ。鍵をかけ忘れるなよ」
「はい」
二人が車に戻って乗り込もうとした時、ジェシカの携帯端末に通信が入る。
「どうした?」
『副監、なるべく早く戻って来てくれるかなー。『転換』が起きてケンたちが“別の部屋”に飛ばされたんだよー…』
マックの声が端末から聞こえる。口調はいつもの感じだが、どことなく緊張感も含んでいる気がした…。
「…分かった。すぐに戻る。居場所は分かっているのか?」
『それは大丈夫』
「そのまま意識の追跡を続けろ。見失うな」
『了解ー。じゃあね~』
通信が切れた音がした…。瞳が鋭くなったジェシカに恐る恐る尋ねる。
「……何かあったんですか…?」
「やっと進展があったそうよ…」
そう言って口元に妖艶な笑みを浮かべる彼女。しかし目は鋭いままだ…。素早く車に乗り込む。
「急いで戻るぞ」
「了解」
運転席に乗り込んだ織田は力強くアクセルを踏み込み車を発進させた―……。