3 サクラサク 3-10
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「それでは皆さんッ! グラスをご用意下さいっっ!! それでは不詳ワタシ国穂葵が乾杯の音頭をとらせて戴きますッ! まず新入生の御二人、文芸部に入って下さってありがとうございます! 我が朝日ヶ丘高校文芸部は歴史を紐解けば……」
「はい、カンパーイ!!」
「「「乾杯っっ!!」」」
お約束とも言えるカットイン音頭からお花見は始まる。割り込んだ桜も、割り込まれた葵も目を弓なりにしてグラスを合わせた。レジャーシートの傍らには規則正しく並んだ五人分の靴、汗をかいた大きいペットボトルの烏龍茶。お昼時の日差しは長袖には少々厳しく、秀一は羽織ったシャツを脱いだ。太陽は燦々、風は微々、芝は柔々。まったく愚蒙な程の陽気だーー
見上げれば藤棚。糸を引く花火のようにたおやかな薄紫がびっしりと垂れ下がる。翳る花は濃紫、日向の花は白にも見える。一房毎に変化のあるグラデーション、粛々と佇む姿は薄幸の美人或いは尤物を彷彿とさせる。観賞会と撮影会が突発的に催され、一頻り堪能した後にこうして何となく集まってきた。
先日の雨で花弁が寂しくなるかと思われた藤も、呆れるくらいびっしりと鎬を削る。葵の話によると、元々やや早目の時期だったけれど雨の後の晴れでいよいよ開花に拍車が懸かったようだ。
会場は隣町の自然公園。
ちらほらと散歩している年配夫婦や家族連れ、アスレチックに挑む子供連れが見られる。他にも数組、花見客が来ている。場所を取り合うようなこともなく、葵の読み通り内々で慎ましやかに花見をするに相応しい環境。少々荷物が多くなってしまったが、玲の母が花屋のワゴンを使って運んでくれた。荷物を置いたら直ぐに仕事に戻って行ってしまったけれど。
この日のために葵は吃驚するほどクオリティの高いしおりを制作してきた。
写真、見出し、コメント、タイムスケジュール……全てパソコンで編集された数ページの冊子は、ちょっとしたイベントのパンフレットのような拘りを感じさせる。表紙に使用されたのは自然公園の景色と合成された玲のコスプレ写真。玲が全力でしおりを焼却しようとしたが皆で宥めた。
開会の言葉に三十五分割り当てられていたのが部員達の背筋を薄ら寒くさせたが、桜の圧倒的な要約力で事なきを得た。「じゃあ始めまーす」の八文字で済んだのが大きな要因だろう。大幅に時間を短縮することができ、直ぐに乾杯の音頭にまで漕ぎ着けた。
書記兼会計兼副部長兼監査の肩書きは伊達ではないーー秀一もしおりの背表紙に書かれた『文芸部役員』の項目が部長以外の全部が桜だった事で初めて知ったのだけれど。因みに愛奈は『借り部員』らしい。仮部員の誤植なのかレンタル移籍中なのか難しい所だが、究明する程の事でもないかと看過した。
何はともあれ文芸部のお花見は目映いばかりの瑞々しさの中、幕を切る。
「それでは乾杯も終了したので宴のお料理お披露目会を開始しましょうかッ!! 事前にお伝えした通り、準備して戴いた料理やお菓子など、お披露目しましょうッ!! 因みにワタシ国穂葵、本日はサンドウィッチをご用意させて戴きましたッ!! 定番のものから一風変わった変わり種までご用意させて戴きましたのでどうぞお召し上がり下さいッ!!」
「アタシは店で出してる軽食の付け合せとか、揚げ物。……料理は得意じゃないんだよね。ま、これで勘弁してよ」
葵が開いたのはサンドウィッチだ。定番の卵サンドやハムサンド、野菜サンド等が色取り取りに並んでいる。特に野菜サンドはバリエーションが多い。トマトやレタス、きゅうり等の定番野菜に加えバジルやアボカド、エビやベーコン、オリーブやクリームチーズなどが適宜組み合わされている。イチゴやオレンジ等のデザートサンドも別容器に入っていた。
桜はポテトやコロッケ、唐揚げや蒸し芋などがギッシリ詰まった弁当箱を開いて気まずそうにしていたがなかなか皆の反応は好感触だった。安心したのか照れくさそうな顔で「こっちもあるからさ」と水筒と紙コップを取り出して見せる。中身は見ずとも解る。
「ボクはおにぎりっ! あはは……こんなのしか作れないんだよね。桜先輩みたいに飲食店でもないし……でも、お米はいいお米だから!」
「俺は……まぁ料理には誰も期待してないと思うからスナックとジュース大量に買ってきた。あと荷物持ち頑張るって事で……お願いします」
玲が不格好な三角形を取り出しながら後ろ髪を撫でる。秀一はいっそ開き直って堂々としていた。まるで打合せしてきたような取り合わせが出来上がった。お互いを把握しているなら必然の結果だったとも言えるけれど。残った愛奈が小さく葵に目配せをした。
その合図を確認して葵が切り出す。
「はいっっ! というわけでマナちゃんには食事の代わりにデザート作りを頑張って貰いましたッ! 理由は……解っちゃってるとは思いますが。では……花ちゃん、お誕生日おめでとうございますッ!! ハイ拍手!!」
パチパチと拍手が広がる。口々に「おめでとう」と掛けられ桜は含羞の色を浮かべた。愛奈が箱からケーキを取り出しロウソクを立てた。お店で買うのと殆ど変わらない丁寧な作りのデコレーションケーキが桜の前に差し出される。
「じゃあ、折角です。歌が終わったら花ちゃんに吹き消してもらう感じでいきましょうかッ! それでは歌はお兄さん、宜しくお願いします!! ーー国家、斉唱!!」
「国際行事!?」
油断も隙もない葵の無茶振りに秀一は肝を冷やしたけれど、いざハッピーバースディトゥユーを歌い出すと葵が合図を出して結局合唱になった。歌が終わり桜がロウソクを吹き消すと、もう一度拍手が起きる。
続いて葵の呼び掛けで咲き乱れる藤を背に記念撮影が行われた。ケーキを手にはにかむ桜を中心に、後ろから抱きつく愛奈、その横には控えめなピース姿の秀一が居る。前列には清々しいまでの笑顔を浮かべた玲と眼鏡を反射させる葵がそれぞれ桜の横に写る。
人の良さそうな男性からデジカメを受け取ると、皆で覗き込むように写真を確認した。あれやこれやとお互い言い合っている女性陣を苦々しい表情で見守っていた秀一だけれど、文芸部らしくていい写真だと素直にそう思った。
続いてプレゼントの贈呈に入る。皆それぞれ秀一の運んだ大きな箱からラッピングされた箱や紙袋を取り出してきた。皆が荷物を運んで会場設営に励む間、秀一は男だから重い物を運ぶーーというのを理由に別行動をした。桜の目の届かないように運びこっそり荷物に混ぜて置いておいた物だが、目ざとい彼女の事だし気付いていないわけがない。見て見ぬふりをしてくれたのだろうと秀一は考えていた。
桜に箱が手渡されてゆく。「開けていい?」の質問に頷く一同。小さいタオルの付いた入浴剤や可愛らしいトートバッグが箱から顔を出す。
「桜先輩おめでとうございます」
秀一もまた用意したプレゼントを手渡す。ピンク色の包紙には淡い配色の水玉が書かれている。黄色、水色のものもあれば、緑や白といった色の水玉が重なったり離れたり……それらの大小様々な水玉が包み紙を可愛らしく飾っていた。
桜は「開けても大丈夫?」と律儀にも尋ねてくる。秀一も他の部員がそうしたように掌を返して微笑んでみせた。黄色いリボンがするすると解かれていく。細めの長方形を裏返し、中心に貼られたセロハンテープをカリカリと二、三度引っ掻く桜を見て秀一はふぅと溜息を吐いた。
本当にこれで良かったのだろうかーー既に投げられた賽を前にし秀一は自問自答する。結局、楓に勧められたお店を離れ、秀一は次に向かったお店でハンドタオルを選んだ。それまでに打ち合わせた内容を悉く引っ繰り返したような秀一の采配。
今日一日何だったんだ、と言われる事を覚悟した秀一に「私、秀一とお散歩しに来ただけだから」と別段呆れる様子もなく、苛立つ様子もなく言ってのけた楓。尤も、そう見えないだけで内心どうか云々に関しては楓の場合特に判らないところだけれど、秀一には少なくともそう見えた。相変わらず抑揚に乏しい口調がそれ以前と何も変わらず乏しい。それが秀一にとって何よりの意思表示に感じられた。
兎も角、楓が勧めたショップーー文句無しの模範解答を蹴って他のお店でプレゼントを買ったことには少々の呵責が彼にはあった。賭けに出たとも言える行為、その末がすぐそこまで迫っていた。
秀一のプレゼントには興味があるようで、玲と愛奈が桜の背から覗き込んでいる。
「あ、あはっ! ちょっ、ちょっと秀一クン! なぁにこれ? 可愛いけど!」
「あっ、これ『こやみちゃん』ですっ。可愛いですぅ! 愛奈小さい時大好きでした……けどぉ……」
吹き出すように声を発したのは玲だった。思ったまま言葉にしてしまったようで、申し訳無さそうに身を縮める。続いた愛奈も楽しそうな声を上げたものの、思い出すように眉を顰めて声を落とした。二人は恐る恐る桜を覗き見る。
「……ったく、アンタどんなセンスしてんのよ。これ子供向けキャラのタオルじゃない」
桜は苦々しそうに開いた掌の先をおでこに付ける。
葵に視線を移し「アンタ、何か言った?」と苦々しい様子で訊いた。葵はきょとんとした様子で「いえ、ワタシは何も」と答える。
ーーまずかったか。秀一はこめかみの辺りに嫌な倦怠感を感じた。
プレゼントを前に露骨に嫌な顔をする者は殆ど居ない。多くの人は嫌な物だったとしても本人の前ではそれを出さない。少なくとも桜に関して言えば、仮に嬉しくなくても場の空気を保つために言葉を選ぶくらいの事はするだろう……それを考慮に入れると、このリアクションは最悪なものと言ってもいい。
それを自覚した瞬間、秀一に霧が掛かるような寒気が襲う。ぬるりと肌にまとわり付くような薄ら寒さだ。頭の中に後悔を代表する言葉が次々流し込まれてくるような気味の悪さが襲う。
「でっ、でも可愛いですよこやみちゃん! すごーく困った時にはおおやみちゃんになって……髪が伸びて大人っぽくなって……あ、あの……」
愛奈が今にも沈みそうな助け舟を出す。
こやみちゃんは紫のジャージを着た女の子のデフォルメキャラだ。二頭身にデフォルメ化された等身がだらりと身を投げ出し、常にどんよりとした空気を纏っている。小さい女の子を中心に長く愛されているキャラでもある。今回秀一はこの『こやみちゃん』のキャラグッズをプレゼントに選んだ。
理由は単純、違和感だった。
桜のイメージに合うのは子供向けキャラグッズではない、そんな事は秀一もよく解っていた。けれど秀一が感じた違和感ーーかつて雨の日桜が何の気無しに取り出したハンカチ、それの放つ違和感が秀一にこれを選ばせた。
桜のイメージと掛け離れた子供向けキャラの柄、それは桜にとって特別な思い入れがあるのではないかと秀一にそう感じさせた。桜はそれを出さないだけで可愛いキャラが好きなのかも知れない、そうとも考えられた。秀一が見ていた桜は、月光の第一楽章のように彼の中に『こういうものだ』と印象付けただけのメジャーな側面に過ぎないのではないのかと彼を駆り立てた。
けれど楓の言う『中途半端に踏み込んだだけ』に過ぎなかったのかも知れない。秀一はそんな事を考える。そう考えれば考えるほど人を慮ろうと思うのが奢りに思えてならなくなる。或いは単純に悔しかっただけなのかも知れない。彼は気恥ずかしさと後悔で居た堪れない気持ちを感じて俯いた。
「……って、アンタもマナもどうしたのよ? 世界の終わりみたいな顔しちゃって」
桜が困ったような声を出す。眉を釣り下げ、宥めるような口調。秀一はその姿を瞳に映しながら、口を開かないーー口の端が縫い付けられたように開かなかった。けれどそんな秀一を見て桜はふふっと小さく吹き出したかと思うと、けらけらと笑い出した。
「あのね、何を期待してたか知らないけど……アタシこんな性格だから『キャー嬉しいですぅ』とは言わないわよ? でも、正直ビックリしてる。アタシはアンタに一言もこやみちゃんの事は話してないわよね? どうやって調べたか知らないけど、狙い通りアタシはこの子が大好きよ……あのね、これでもかなり喜んでるのよ?」
ーーあれ? 桜先輩、今、何て? 秀一は飲み込めず硬直する。桜の背中から「ふぇ?」と間の抜けた声が一足遅れて飛んだ。その声に反応して振り返る桜は、愛奈の泣き出しそうな顔をまじまじ見て「アンタまでそんな顔しなくてもいいじゃない」ともう一度けらけらと笑った。
「はぁ、おっかしー……でも実際ひっどいセンスしてるわ。こんなの貰って喜ぶのアタシとマナくらいのもんじゃないの? 葵は嫌いだもんね、こやみちゃん」
「はい。絶望して諦めて地に伏せるなんて怠惰もいいところです。その時間を行動に使えば状況は好転するかもしれないというのに……虫唾が走ります」
あははー……と玲が愛想笑いを浮かべる。そうこうしているうちに緊張の糸が解けた。絡まって雁字搦めにされていた体が緩み秀一は安堵の溜息を漏らす。「よかった、驚かせないで下さいよ桜先輩」と漏らすと桜は苦笑する。
「いやー、アンタとマナが勝手にそう思いこんだのがいけないと思うのよね……。アタシ一言も嬉しくないとは言ってないんだし」
あぁ、確かにそうだと思うと秀一は気恥ずかしさに悶えたい気分になる。高々プレゼント、されどプレゼントーー秀一は今まで気にもしなかった贈る側の気苦労を味わって、改めて踏み出す怖さを感じた。けれど、喜んでもらえた時のこの何とも言えない気持ちーー胸の空くような達成感はまた一入だとも思う。
ーー宴は続く。
会話の輪が作られては消えて、離れたり、くっついたりしては奔放に形を変えた。部室では各々作業をしながらという事もあるだろう。解放的な気分も相まって話は弾む。
その最中だった。秀一は葵に忍ぶような小さい声を掛けられた。
「お兄さん、少し二人でお話ししませんか?」
どうしてだろう、秀一はその言葉に何か不穏な空気を感じる。そのトーンがこの先に待っているのがラブコメ展開だという期待を微塵も感じさせないものだったからだろうか?