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3 サクラサク 3-5

5


 玲はそれから暫く戻ってくる気配がない。

 ちらと部室を見回すと愛奈がニコニコと編み物をしている。日進月歩、ちまちまと進んでゆく作業の甲斐もあり、セーターだろうか上着の形になってきている。これが出来たらぬいぐるみを作るのだそうだ。


 桜は相変わらず本と携帯とノートを見比べて作業に没頭している。時折うーん、やらふーんといった音を含んだ溜息を吐く。秀一は並んだ本を開いてパラパラと捲って戻す、を繰り返していた。あまり興味を引くような本は見当たらない。


 暫くそんな事をしていたら携帯が震えた。『愛奈、アイスが食べたいです』と書かれたメッセージと脱力系キャラの画像が添えられていた。愛奈を盗み見ると、ほんのりと頬っぺたがピンク色だった。

 秀一はうーん、と数秒思惑を巡らせ手近にあった持ち易そうな本をポケットに押し込む。「帰ります」と一言伝え部室を離れた。廊下で愛奈にメッセージを送る自分をふと客観視しーー桜にはバレバレだろうなぁ、と苦笑い一つ。


 秀一が部室から出て行ってしまい、部室に残った愛奈と桜。


 桜は何やら訝しい気持ちを感じていた。滅多に携帯が鳴る事のない秀一。彼が一日二度も携帯を見て席を立つなどそうそうない。少なくとも桜が見ていた限り今日が初だろう。ーーさては女でも出来たのか? と含み笑いを漏らした。ならば今度からかってやらねば……などと考えていた桜はふと考える。


 玲も何やら電話をしていたし、葵も戻ってこない。これは自分の誕生日に何かやるための隠密行動と考えられないだろうか。愛奈が携帯を触っているのは別段珍しくない。むしろよく弄っているので違和感は感じられなかったが、もしかしたら今日の連絡のうち幾つかは文芸部の中で行われたものかもしれない。皆がこそこそやり取りをしているというのであればいよいよ怪しい。


「葵さん達も来ないですね……愛奈もそろそろ帰りますぅ」


 言いながらあせあせと編み物を袋に入れて逃亡モードの愛奈が目に入る。あら、と思考が生まれる。

 これといった前触れもなく急に携帯一つを機に帰宅した秀一。それを追いかけるように帰宅を宣言する愛奈。それはそういうことだろう、間違いないだろう……嫌でもそう繋がってしまう。


 葵が花見に自分の誕生日を指定した以上、祝ってくれるのは間違いないだろう。少なくともそれを忘れて予定を立てるような親友ではないはずだ。そしてそれを機に何かしらサプライズを仕掛けてくるのも十分に考えられる。それに他の三人が協力してこそこそし出すのも道理ではある。けれど秀一と愛奈のこの挙動はそれとは別、そんな気がしてならない。


 同時に何かがストン、と収まるような感触を覚える。以前感じた違和感、愛奈が見せた小さな変化。

 あれはやはり、恋だったのだ。


「マナはきっといいお嫁さんになるよ」


「ふぇ!? き、急に何を言い出すんですか花さんっ!」


 瞬間沸騰ーー何って判りやすい反応なのこの娘、と桜は苦笑する。わたわたと騒がしい手元が紙袋を放り、べしゃっと床に倒れる音が飛び込んできた。


「シュウイチ君は……いい旦那さんに……なるのかな? まだよくわからないわ」


「ふぇぇ!? どうして秀一君がそこで出てくるんですかぁ!?」


 拾い上げた紙袋がまた音を立てて倒れた。屈んで見えない愛奈の表情が容易に想像できてしまう。そうか秀一『君』ときたかと桜は自分の口の端が勝手に吊り上がるのを感じた。


 愛奈は他人との距離感を掴むのが非常に上手い、と桜は感じている。愛らしい風体もだが裏表なく憎めない性格もあるだろう。警戒心を解き、すっと心に入ってくる。けれど本人が人見知りというのもあるだろうが、入り過ぎない。距離を置かれていると感じさせず絶妙な距離を保つのが上手いのだ。

 そんな彼女との付き合いは早半年程になるが、未だに自分を花『さん』と呼ぶ。葵に対しても同様だった。桜の知る限り、それは異性にも言えた。その愛奈が『君』と言うのは少々只事ではない、と思われた。


「玲クンは……子供の扱いとか上手そうだしきっと大丈夫でしょう」


「ふぇ、あ、うん。きっといい奥さんになります……じゃあ、お疲れさまでしたっ」


 ぱたぱたと忙しなく愛奈は部室を出て行ってしまった。

 誤魔化せたかしら、と桜は頬を掻く。せっかくからかい甲斐のある二人なのだから、今暫く知らない顔をしておくのも面白い。慌てる愛奈の姿を思い返し、くすっと漏らしてしまった。


 恋かーーひどく懐かしい響きに感じる。暫くその感情は空白だった。

 半年、たった半年というべきか。もう半年というべきか。置き忘れたその感情を探るように、桜は眼を閉じた。


「久しぶりに、逢いに行ってみようかな……」


 うっすらと眼が開かれてゆく。そこに誰かが居たような温もりを置いたままーーけれど部室には誰も居なかった。


 遠くからピッと笛の音が聞こえる。

 携帯電話を片手に操作しながら歩く男子、小走りで駆けてゆく女子。くすくすと楽しそうに会話しながら歩く女子二人組、ワイワイと闊歩する男子四人組……秀一は校門に立ってそれらの生徒を横目に眺めていた。幾度目だろう、笛の音が響いた。毎朝登校する時は砂利一つ感じさせない綺麗な石の道路に、チラホラと桜の花弁が落ちて擦れている。

 秀一はぱたぱたとした足音を背中越しに感じ振り返った。


「ぉ、遅くなってごめんなさいですっ!」


 愛奈の声だ。秀一は大したことないですよ、と笑って返す。


「今日、はぁ……今日までアイス二つ注文したら……ふぅ……一つサービスなんですぅ!! これは見逃してはいけないと思うんですっ」


 急いで来たのだろう、まだ少し荒い息を抑えながら愛奈は力説する。所々に挟まれる吐息が妙に艶っぽい。秀一はCMで見た映像がぼんやり脳内再生されるような感覚を感じる。


「そう言えばそんなコマーシャルやってたな。……でも、そんなにたくさん食べられるかな」


 少しばつの悪そうな顔をしてしまった。秀一も以前敬語禁止と言われていただけに自然に振る舞おうとしているのだが、今一つしっくりこない。愛奈が敬語だからというのもあるだろう。

 傍から聞いていたらどちらが先輩かわからないような状況だ。


「秀一君は一個でいいんですよぅ……あっ、でもでもっ一口……分けてください」


 一歩前に出てこちらを覗き込むような仕草の愛奈。秀一は少し意地悪な笑みを浮かべて返す。


「むしろ一口でいいの? 俺多分三つを一口づつ貰うから……三倍持って行ったほうがいいよ?」


「ぅぅ、そうですね……あっ、じゃあ秀一君も三個にしましょう! 頑張って食べて下さい」


 くっ、と眉間に力が入る。けれど直ぐにそれは弛んだ。愛奈は人差し指を立ててうんうんと二度首を揺らす。


「わかった。じゃあ三個にするよ……でも、味被らないように頼むよ愛奈先輩」


「ふぇっ!? じゃ、じゃあ早いもの勝ちですぅ」


 一瞬驚いて直ぐに決意めいた表情を浮かべる愛奈。ころころと忙しく変わる表情を再三見せられて秀一はくっくっと肩を揺らした。 

 

 さして広くない店内に押し込まれたようなテーブルと椅子がある。

 駅に隣接しているという事もあるだろう、店内は制服の生徒や同年代と思われる私服の男女、親子連れなど多くの客で賑わう。壁に引っ付いたカウンター席がちょうど二つ空いたのを見て、二人はそこに陣取る。


 運良く角の席だった。

 愛奈の隣には一目で造り物と判る身長大程の木がどっかりと置かれている。正面の壁には『本日最終日!』と書かれたポスターが等間隔で張られていた。見渡すと店内に同じポスターが相当数張られていて、賑やかな店内を盛り上げている。


 暫くして二人はカップに所狭しと収まる数色のアイスを持って帰ってきた。秀一は赤と白の混ざったアイスーーイチゴチーズケーキ味のアイスを突きながら喋る。


「そういえば、お花見の日って桜先輩の誕生日らしいね」


「ふぇ!? ……あっ、本当ですっ、うぅ……忘れてましたぁ……」


 抹茶味のアイスから手を放し、手帳を取り出す愛奈は泣きそうな表情を作って見せた。


「えっ、良かったな思い出せて……で、プレゼントどうしようか迷ってるんだけど……愛奈先輩は……」


「愛奈はケーキ係やりますぅ!」


 まぁ、そうだろうなと秀一は口に出してから気付いた。

 全く何時に起きて作っているのかと呆れるくらい、愛奈は結構な頻度で洋菓子やケーキを作って持ってくる。当然ながら作り慣れているのだろう。愛奈のデザートはかなり美味しい。バースデーケーキの一つや二つ魔法のように出してしまいそうな雰囲気がある。


「桜さんだと……うーん。コーヒーの何かとか、あと空手の何かとか……」


「空手?」


「はいっ。空手ですぅ! ……あれ? 秀一君知らなかったんですかぁ?」


 桜はコーヒーの勉強に励みつつも割と多趣味な方らしい。空手やピアノは実際やっているらしいし、書道とか華道もやってしまいそうな雰囲気がある。尤も、後半は全くの妄想だが。


「何だか……何をあげればいいのか迷うな」


「花さんは大人だから……きっと何でも喜んでくれますよ!」


 そうだねと秀一は笑顔を返してその話題は流れてゆく。 

 その後は葵の話や玲の話など、当たり障りのない話題が過ぎていった。途中、秀一の誕生日を聞かれたり、愛奈の誕生日を聞いたりしたーーすぐに手帳に記録している愛奈。秀一は手帳が無かったので暫し考え、携帯の電話帳に加えておいた。

 愛奈も慣れてきたのだろう。必要以上に赤面したり言葉を詰まらせたりも減ってきたように感じる。何だかんだと小一時間アイスを食べながら雑談に費やした。その後帰宅する流れになったので愛奈が乗るバスを待つ間、秀一もバス停に付き合う事にした。


 ロータリーは幾つもの乗り場を抱えていて大きなスペースを誇る。本数が多いので行列が立ち並ぶのは人気のある乗り場に限られているが、それでも時間帯的な理由もあって人通りはかなり多い。愛奈の行く先は別に並ばなくてもいいようで、バスが来るまで立ち話をすることになった。


「あれっ? あれれ~?」


 聞き慣れた声がして秀一は顔を上げた。悪戯な微笑みだ。桜が立っていた。

 反射的に身を固くする秀一と愛奈。


「アンタ達いつの間にそういう感じになったのかなぁ?」


「ひっ、あのっ、まだ、そんなんじゃないんですぅ!!」


 上擦った声で弁解する愛奈。次に返される言葉を察知したのか、さらに一歩後ずさる。


「まだ? ふぅん。まだって事はそういう事なのかしら」


「い、いや桜先輩……ホントそういうんじゃないんです。少し仲良くさせて貰ってますけど。それより桜先輩こそどうしてバス停に?」


 想像よりも秀一が落ち着いていたのが期待外れだったのか、少し眉を顰めて桜は話す。


「……ちょっとね。懐かしくなっちゃって。逢って来たのよ。元カレに」


 思わずえっ、と声が出る。

 どう声を掛けたらいいのか言葉を組み立ててみたけれど、秀一はそれを形に出来なかった。助け舟を求めるように愛奈を見ると、どうしてだろう哀しそうな表情で俯いてしまっていた。


「ま、葵には色々八つ当たりしちゃったり迷惑かけたけどね。今はもう何ていうか、受け入れたから。別にタブーって程じゃないからし……ホラ、そんな顔しないでよ、マナ」


 秀一は呆気に取られた。愛奈の表情は俯いているけれど伝わる。それは泣き出しそうなほど曇ってしまっていた。どんな別れ方をしたのか想像ができない。けれど碌な別れ方をしていないだろう事は明白だった。言及しない方がいいだろうと秀一は沈黙を選ぶ。


「マナ、バス来たんじゃない? ごめんね、楽しい気分を壊しちゃって」


「……ううん。愛奈、どう声を掛ければいいのか……ちょっとわからなくなっちゃって……こちらこそ、ごめんなさい。じゃぁ行くね。二人とも、またですぅ!」


 ぺこりと頭を下げてパタパタと駆けてゆく愛奈。秀一は大きく数回、桜は胸の前で小刻みに数回、それぞれ手を振って答える。

 

「マナは本当に優しいね」


 見送りながら桜はそう呟く。聞こえていないだろう愛奈が、丁度そのタイミングで蹴躓いて「はわっ」と声を上げた。聞こえて……いないはずだ。

 

「ホントに何もないの? アンタ達。こそこそ逢い引きしてるのに?」


「アイス食べに行っただけですって」


 逢い引きと言われてしまうと完全に否定できない状況証拠を握られている。少し心苦しいが何もないのは事実だし下手に誤魔化しても仕方がない。秀一は愛想笑いを作って返した。


「ふぅん。じゃあそういう事にしておくわ。まだ皆には言わないでおいてあげるわ」


「まだ?」


「ふふっ……そうね。まだ。アンタがあっちもこっちも手を出すようなら……うっかりポロッと出ちゃうかもしれないわよって事」


 秀一はそんな事しません、と冷静な口調で返した。桜は意地悪な笑みを作ってふぅん、と一言呟いて見せた。


「じゃ、アタシ行くから。また明日ね、シュウイチ君!」


 桜はそう告げるとはたはたと手を振って駅の人込みへと消えて行ってしまった。桜の失恋、愛奈があんな顔をするのも珍しいーー壮絶な何かがあったのだろうか? 秀一の知らない桜、自分は知らずに彼女の傷に触れたりしていなかっただろうか? 秀一は何だか足が重くなった気がして桜を見送っても暫く動かなかった。程なくして、秀一の携帯電話が震える。


『あーん、して欲しかったですか?』


 愛奈からのメッセージ。ソフトクリームの画像が添えられてきた。時間を持て余したのだろう。秀一はやれやれといった表情で携帯を弄る。


『手が滑ったとか何とかなってべたべたになりそうなので、まだいいです』


 ふと、気付けば歩き出していた。そのまま家に帰ってしまおうと彼は帰路に着く。

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