3 サクラサク 3-4
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「今週末、文芸活動としてお花見をしようと思います」
ある日、葵が突然そんな事を言い出した。
相変わらずの唐突さに「えっ?」と携帯電話片手に硬直する秀一。彼の横で何やら衣装作りに熱を上げていた愛奈と玲も首だけ葵に向けて硬直する。表情だけ見たら「何言ってるのこの人」という不信感を丸出した表情を浮かべながら。
「はぁ? 何言ってるのアンタ……けど、はぁ。拒否権は……無いのよね……アンタの事だから」
おでこに伸ばした指の先を当て、桜が苦々しい表情を作る。愛奈と玲の表情をそのまま口に出したような物言いに秀一は苦笑を禁じ得なかった。しかしこの調子だと事前に誰も聞かされていなかったのだろう。
「いえいえっっ。勿論ワタシ国穂葵、あくまで各々の意思を尊重する方針ですのでッ! 嫌だと言う方は参加せずとも構わないです!! 最悪一人だってワタシはお花見をする気満々ですからねッ! ……ただ、お兄さんに関しては不参加だった場合、今後一年もの間帰宅する時に靴の中から桜海老がもっさり出てくるルートに入りますが」
「それ人為的なものですよね!? っていうか姑息な嫌がらせしないで下さい!!! 大体ーー」
勢いで口に出しかけた言葉をもう一度反芻する秀一。
確かに入学式の時期ならお花見も楽しめるだろうが、もう四月も三週目だ。一部の咲き遅れた桜のまばらな開花を見る事は可能かもしれないとしても、大方散ってしまった後だ。如何せんお花見というのには時期が遅過ぎるように感じる。
「うん……葵先輩、知ってての事だとは思うんだけど、この時期になったら桜は……。ボクの家でももう取り扱いがそろそろ終了だし……」
秀一に続いたのは玲だった。ぼそぼそと言いにくそうに指摘する。隣に居た愛奈もうんうんと小さく首を振って主張する。
「おっといけません、勘違いさせてしまったようですね!! 花見と言っても我々文芸部たるもの、たかが花見と侮ってはいけませんッ! お酒も飲めませんし、何よりあんな人込みの中に突っ込んでいったら本当の自分が出せない内向的な皆さんですからきっと盛り上がらないでしょうッ!!」
「さらっと暴言なんですけど!!! ……まぁ俺は否定できないけど……」
秀一は周りを見回し気づく。桜は気まずそうに目線を落とし、愛奈は半開きの口を隠そうともせず明後日の方向を眺め、玲は半笑いで天井と睨めっこ中ーーあれ? 誰も目を合わせてくれないぞ、と。
「異論はないようですね? ……まぁそんな訳でこの国穂葵、考えましたッ!! 文芸と言うからには四季折々の景色を感じ、瑞々しい感性を養うのに花見は必須!! しかしそれは忙しない宴ではなく、むしろ慎ましくとも心静かに季節を感じる事こそ肝要ではないかと!! それが我々文芸部に相応しい花見なのではないかとっっ!!」
「まぁ、言いたい事は大体飲み込めた。でも、肝心の花がないってのは……」
葵は人差し指をピッと立てて眼鏡を反射させる。よくぞ聞いてくれました、そう言っているようなポーズだ。
「藤です!! 藤の花見をしましょうっっ!!!」
おぉ、と感嘆の呟きが重なった。
藤の花は煌びやかで優美、香りも良い。花見としても人気が高く、桜ほど浸透していないとは言えど有名なスポットとなると相当数の人が訪れる。神社や古都、公園などではライトアップされたり出店が出たりと、一般的にも広く知られていた。
ただ、桜のように全国どこでもといった手軽さには欠ける。それなりの規模になると全国でも数える程しか無い。しかし小規模な隠れスポットは各地に点在し、案外ハードルは低い。藤は初夏にかけて季節を彩る花としては一級品と言えた。
「そこで出し物なんですが……」
「うぉぉぉい!! 慎ましくとも心静かにとか云々はどこ行った!?」
「お兄さん、これは部活動です!! 遊びに行くのではなく部活動なのです!! ですから何か一つでも文芸的な活動をする事が重要ですッ!! 勿論ワタシも思い出作りと称した小旅行でワイワイやりたい気持ちはあります。しかしそれでは文芸部として活動記録は残りませんし、何より部費が下りませんッ!!」
あっ、と秀一は察した。葵は何だかんだと理由を付けて部費で遊ぶ気だ。なかなか褒められた事ではないが、確かに飲み食いするお金が浮くのは秀一としても助かる事だ。誰だってそうだろう。葵が部活に拘るのはそこがあるからに他ならない。それなら何かひと手間掛ける程度の協力をするもの吝かではない。
「そこで、各自手紙を書いてきて下さい」
葵は続けて説明に入る。
手紙、それは自分に宛てた手紙だと言う。過去の自分を戒める何か、現在の自分を励ます何か、未来の自分に向けた何か、何を綴ってもいい。手紙形式で書く事、発表を前提とした内容である事、自分宛てだと言う事。それさえ守れば自由だそうだ。
要するにそれらは花見を通して自分を見つめ直し創作した手紙、という体で活動記録として提出する。それにより文化的な活動をしたと証明できるので部費が使えるという事だ。
「……以上、といった感じで出し物を発表する時間を設けますが、基本的には遊びに行くのと大して変わらないと思って下さって結構ですッ!! 場所や時間に関しましてはワタシの方で詰めておきますので丸々丸投げで大丈夫ですのでご安心下さい!! ……では、早速ですが現時点で参加できるという方はいらっしゃいますか!?」
「まぁ、暇だし桜海老を詰められるのもごめんだしな……」
秀一は言うが早いか挙手する。横からチラリと視線が投げかけられたような気配を感じた。
「愛奈も行きますぅ」
「週末はバイトの人も居るだろうし、ボクもいいよ」
続いて愛奈と玲が挙手した。葵は三人を確認するとうんうんと大袈裟に首を上下させる。自然と桜に視線が注がれる事になりーー
「わかったわよ。行くわ。行くわよ。……何か、釈然としないものがあるけど」
桜は渋々といった様子で参加を表明した。秀一はその様子を見て何か引っ掛かりを感じる。何か桜に思うところでもあるというのだろうか? 唐突な提案、これも何か葵の狙いがあるーーそう考えるのが自然だと思うが彼にその心当たりはない。葵が忠告してこなかったと言うことは、愛奈の時を思い返すに秀一には直接関係がないこととも考えられる。
一先ず流れに任せるのがいいだろう、とぼんやりと考えた。
その後、葵は早速手続きに入るからと忙しなく部室から出て行ってしまった。愛奈と玲は衣装作りを再開し、何やら生地について話し合っているのが耳に入ってくる。桜は少し浮かない表情でノートに何かを書き写しているようだった。持っていた本がコーヒーのロースト云々の物だったので、何やら勉強なのだろうと秀一は結論付けた。
程無くして、秀一の携帯が震える。ーー葵からの呼び出しだ。
朝日ヶ丘高校の図書室は少し変わっている。
秀一も最近知って驚いたのだが、この図書室は私語厳禁、喋ったら異端審問会に掛けられるといった図書室らしい取り決めが無い。
まず図書室はそれなりの広さがある。本棚が並ぶ図書館らしい一画と隣接して、幾つかのテーブルと自販機が置かれていた。その開けた雰囲気はさながらカフェだ。ディベートスペースと呼ばれているもので、実際ただの休憩室のように使われている事が多い。それなりに賑わう場所でもあった。
本棚の奥には自習室がある。そちらは図書室らしい図書室と言える。本を持ち込む事が可能で、読書に集中したい場合も使用できた。こちらは私語をする生徒も居ない。防音に優れた設備を使用しているのもあり、静寂が支配する空間となっている。
秀一はそのディベートスペースに呼び出された。
「やぁやぁご足労戴きまして恐縮です!!」
秀一の姿を確認すると葵は立ち上がって手招いた。やや暗めの栗色の髪を撫でながら申し訳ないというジェスチャーで迎える。
「男手が必要とかですか? 部室に本を運ぶとか……」
「いえいえ、そんなんではありませんですっ。大体文芸部の本は全て偉大な先輩方からの寄贈でして、図書室の本とはまた別ですからねっ! 無期限貸し出し可能なのもそういった背景がありまして……って話はまぁ今は別に必要ないですねッ! ……いや、これは別にメールとかでも良かったのですが、今週末のお花見の話になります」
秀一はあぁそのことか、と納得する。文芸部にとって秀一は唯一の男子生徒でもあり下級生だ。準備にあたり雑用の一つや二つ頼まれるのも無理はないだろう。あまり体育会系の縦社会を感じさせない部活だが多少の手伝いくらいはしないと秀一自身気まずい。
「あぁ、何か勘違いしてそうな顔ですねっっ!! 今回のお花見は新入生歓迎会も兼ねていますので、お兄さんはただ参加して下さればいいんですよ!! なので面倒な事は特にありません、が。実はこのお花見、開催日が花ちゃんの誕生日と一緒なんですよ!! めでたいですねっ!!」
「あ、なるほど」
秀一は合点がいった。桜の表情や態度は不満と言うより不振といった色合いが強かった。桜の誕生日を知る葵がその日に花見を提案する事で何かを企んでいるのではと一歩引くのも仕方がないだろう。斯く言う秀一も先程何かしらの予知ではと勘ぐったばかりだ。
「で、孔明先生は何かサプライズを?」
「いえいえ!! まあサプライズと言うほどではないですが、機を見てお祝いの言葉とプレゼント位はお渡ししたいなと思っている次第でして。お兄さんも用意できたらお願いしたいなという感じですねぇ」
「あぁ、それなら協力するよ。……あぁ、何をあげたらいいのかな。孔明先生の眼力で最高のチョイスを教えてもらえたら楽なんだけど」
「それは残念ながらお答えできませんねっ!! プレゼントなんてものは正直何でもいいと思うのです。お兄さんが花ちゃんと接してこれがいいなと思う物を上げるのが一番でしょうねぇ……それに予知能力も万能ではないですし、限界もありますからねっ!!」
秀一は至極ごもっともな意見に苦い顔をする。付き合いが浅いから聞いたのだけれど……。
それと同時に、ふと疑問が湧いたのでそっちをぶつける事にした。予知能力について普段は話したがらない葵に今なら色々と聞けるかもしれない。以前より会話の流れで葵が自ら予知を口に出した時に、何かしらの情報を聞き出そうと挑んでいた秀一だが結果は散々だった。本気かどうか解らない言葉で何となく有耶無耶にされてきた。
「限界ってどういうことだ? 自分で見たいと思っているものを選んで視られない、とかそういう感じか? それとも知り合いまでしか視られないとか範囲の問題なのか?」
「そうですねぇ……。そうとも言えるしそうではないとも言えます。正直に申し上げますと、ワタシある一定の時期から先の事が全く視えないのです。それも近い将来から先が。……まぁ見当はついています。恐らくワタシが生娘でなくなってしまうというのが原因でしょうねぇ」
生娘ーー秀一は暫し唖然とする。
言葉通りそれは処女であるという意味。男と交わりのない女子を指して使う言葉。あっけらかんと飛び出たそれがある種神秘的とも言える彼女の特殊能力の根幹だとすると、葵の能力は確かに有限だった。勿論、貞操を守り続けるならば無限とも言えるだろうが、それはそれで酷な話である。
葵が言う限界とは恐らくその辺りのことを指していたのだろう。もう彼女がそう視ているというのであれば避けられない未来なのか、避ける気がない未来なのかーー兎も角、それは秀一にはどうにも出来ない領分の話ではある。
「そういう訳でワタシは占い師として生きてはいけないようですッ! まぁそれは別にワタシも期待してはいなかったのですが。……しかし心躍りますねっ! お兄さんがワタシを女にしてくれるなんて光栄なことですからねッ!!」
「イヤイヤイヤ、そんな予定無いんで!!!」
秀一はそれが軽口だと睨む。どこまで本気か悟らせないいつもの葵だ。少なくとも近い将来から先が視えないというのは本当な気もする。それすらあくまで希望的観測に過ぎないけれど。それから秀一は幾つか質問してみたが、冗談のような答えばかりが返ってくる。これ以上話す気はないのだろう、秀一はそれきり予知能力の質問を出さないようにした。
「あぁ、でもそろそろ玲ちゃんにも手相占いのタネ明かしをして差し上げましょうかっっ。……ではお兄さんわざわざご足労戴きましてありがとうございましたッ! 誕生日の件は宜しくお願いしますね!!」
そう言う葵に一先ずの別れを告げて秀一は部室へ戻った。
程無くして玲が電話してくると席を立ったのを見て葵だと解ったが特に何も言わなかった。玲は葵の能力をカミングアウトされてどんなリアクションを取るのか少し興味がある。案外すんなり飲み込んでしまいそうでもある。
けれどまた葵のさるかに合戦に参加するのも少し楽しそうだとも思う。自分がターゲットになったらたまったものではないけれど……ターゲットにされそうだけれど。