トラとウマ3
背中が柔らかくて温かくて気持ち良い。
しかし堅い地面にうつ伏せに寝ていると苦しい。
相反する気持ちに意識が覚醒した。騎士生活の普段ならすぐさま身を起こすが、今は全身が泥のように重くて動けなかった。
いや、だるくて力が入らない上に、どうやら人が背中に乗っているのみたいだ。背後からすぴすぴと寝息が伝わってきてくすぐったい。そして背中は温かいのに心なしか肌寒いのは何だ?
アベルは無意識に小さく呻いた。
「おや、目が覚めましたね。気分はいかがですか?
ああ、まだ動かないで下さいよ。マーガレットちゃんが気持ちよさそうに寝ていますから。」
ギョッとして首だけ巡らすと、マーガレットのスカートと、自分が半裸なのが見えた。
良かった、ズボンは履いてる。
じゃない、なんでだ?!
「いえね、クレイア様のご厚意で、アベル君のトラウマの治療をしたんです。
正確にはマーガレットちゃんに治療のやり方を教えたんですが。」
アベルは目の前のクレイアに、感謝どころか非難の目線を送った。
もちろんトラウマを克服できるのが本当ならありがたい。ありがたいが、毎度のことこいつらは勝手に事を進めすぎじゃないだろうか。いくら身分が高いと言っても、相手を気にしなさすぎるだろ。
それになぜ、素人のマーガレットに治療させる必要があったんだ。
お礼よりも先に文句を言ってやりたいが、本当にだるくて呻くのもやっとだ。駆け出しの頃、ヘマして強盗に刺されて、傷からの高熱でうなされた時のようだった。
「そろそろ拘束を解きましょうか。その前にアベル君、気分が不自然なくらい高揚していませんか?」
逆にしゃべれないほど体調不良なのに、高揚してるように見えるか?と目で訴える。
「一般的にトラウマ治療で抑圧された魂が急に解放されると、興奮状態になることが多いのです。」
確かに身体がだるいわりに、頭はすっきりした不思議な感じだが、興奮はしてないぞ?
「この治療の恐ろしい所は、治療された直後の者が興奮状態になり、治療士を襲うことが多いことです。
相手が男だろうが女だろうがです。」
まて。
「クレイア様はもちろんですが、私も男になんぞ襲われたくありませんからね。」
俺も男なぞ襲いたくない。
いや違う。それよりマーガレットが無事そうで良かった!俺は犯罪者になってないよな?!
「マーガレットちゃんはそういう点で、かなり優秀な治療士になりそうですね。治療後の興奮がないなんてなかなかないですよ。
彼女の軟膏も効き目が桁違いでしたし、これは連れて帰りたくなりますねぇ。」
!?
「ところでアベル君。背中に当たっているマーガレットちゃんの唇は気持ち良いですか?」
!!!!!
「・・・・・・アベル!治った?!」
目覚めた途端、マーガレットは叫んだ。
街道に敷いたマントの上で寝ていたようだ。一番に目に入ったのは満天の星空と、覗き込んできたバレットの顔だった。
アベルは少し離れて蹲っていた。
彼は治ったが、暫く立ち上がれない事情があるからと、バレットからそっとしておくように言われた。
バレットは散々アベルで遊んで満足した後、クレイアから呆れた目線を受けつつアベルに身を整えさせた。途中、アベルがよんどころ無い事情でその場を離れてからマーガレットが目を覚ましたのだった。
バレットが、もう少し早く起きたらもっと面白かったのに、と残念に思ったのは内緒だ。
「クレイア様、バレット様。ありがとうございました。そして疑ってごめんなさい。」
マーガレットはまずお礼と謝罪を述べた。治療は本当だった。アベルはまだピンと来てないようだが、トラウマの消えていく様をみたマーガレットは確信していた。
「ええ、私も誤解させてしまって悪かったですね。
普段から王宮で狸共を相手に話しているせいか、含んだ物言いになってしまいました。」
「バレット。お前はいつも楽しんでいるだろう。」
クレイアのセリフは聞こえなかったようにバレットは続けた。
「マーガレットちゃん、貴方の力は思った以上に強く、しかしそれは身を守る力でない。
人は未知なる力に次第に脅威を感じるものです。
いつかマーガレットちゃんは、力の事で周りから恐れられ、この地を追われるかもしれません。」
バレットの言うことは先ほどと同じ内容だったが、先ほどよりもっと素直に聞けた。
過ぎた力は身を滅ぼしてしまう・・・・・・・。
そういえば、おばあちゃんも私が町へ行くのは危険だと言い続けていた。ハッパー町へも、仕入れと納品の必要最低限しか行かないものだと言われ、信じて疑っていなかった。
おばあちゃんも私のこと、薄々気づいていたのかな。
「もしマーガレットちゃんが良ければ、ルクシャーンに一緒に行きますか?
あなたなら優秀な治療士になれるでしょう。
なんなら次期宰相の養女の地位も約束しますよ?」
「バレット。彼女はララナ王女と同じような年なはずだ。
それを娘とは、お前の目にはどう見えているんだ。」
?
「え?12、3歳の子じゃ・・・・・・・。そう言えば15年前に来たのだから計算が合わないですね。
では年頃の淑女?」
「たぶん私、18歳くらいだと思います。でも今までそんなに若く見られたことは無いですよ?」
そう言えば、バレットはずっとマーガレットちゃん呼びだった。目が悪いってチラッと言っていたような気もするが、そんなに若く見えても嬉しくない。
「ではアベル君も同じくらい?」
確か1こ上だというと、バレットはじゃあ遠慮なくもっといじって楽しめば良かったとこぼした。たぶんそれ良い事じゃないよね、とマーガレットは勘違いされていて初めて良かったと感じた。
「バレットは視力を力に取られている。目の代わりに魂や力の流れで物事を見ているのだ。
偶にお前たちのように、魂の成熟度が年齢と違うものがいる。」
「行動が落ち着いているから早熟な子供なんだと思っていたら・・・・・・。
まあ、お二人ともそれぞれ特殊な環境下に置かれていましたからね。」
暗に魂的に未熟と言われたが頷くしかなかった。確かに大人の女性とは何か、マーガレットはわからなかった。森での暮らしでは、初めからおばあちゃんだけだった。
アベルは?と目線を上げると、バレットがトラウマは魂を抑圧していたからですよ、と優しい笑顔で教えてくれた。
優しい?
ギョッとして(いや優しい態度に驚くのも失礼だが)、バレットを二度見したらまだいい笑顔だった。
「では、次期宰相夫人の地位はいかがでしょう。マーガレット? 苦労はさせませんよ。
ふふ、しがらみのない、治癒に特化した能力者。なんてお得な結婚相手でしょう。
そろそろ婚約者、欲しかったんですよねぇ。」
「・・・・・・バレット、本音が口にでている。」
奴の言うことは気にしなくて良い、とクレイアが助け舟を出してくれた。マーガレットは首の皮一枚で命が助かった気分だった。結婚とは知識としてしか知らないが、決してバレットが黒い笑顔で言っているようなものでないと思う。
そうしてバレットから距離をそっと取った時、我が騎士様のアベルはようやくこちらに歩いて来たのだった。
「マーガレット、もう起きて大丈夫? 治療、ありがとう。話は客人方から聞いたよ。
クレイア様、バレット殿、マーガレットを任せてしまってすいません。ありがとうございました。」
「アベルこそ、大丈夫だった?おかしい所はない?」
「おかしいのはこの状況だけだよ。」
客人達が思ったよりも敵意がないとわかり、アベルも周りをみる余裕が出てきた。
安心させるようにマーガレットの両手を持って優しく握った。
あともう一息、次はちゃんと俺が守るからね、と小さく言った。一般人の彼女が巻き込まれてどんなに心細い気持ちでいるだろう。なのに騎士の自分を心配させてしまった。
自分は守る立場の騎士なのだ。もうひと頑張りしなくては!
ただ、彼女の唇はまともに見れそうになく、視線は顔から微妙に外した。
だから気が付けなかったのだが、マーガレットはひとり頬を赤くしていた。
ふとアベルの耳に、遠くから車輪の転がる音が聞こえてきた。
「バレット殿、馬車の音が近づいてきます。この音は数台こちらに向かってくるようですね。」
「・・・・・・いやしかし、飛空籠に乗って無事に帰られる体力がないと、連れて帰られないか。」
「バレット殿?」
「バレット、あきらめろ。」
クレイアが呆れながら言った。
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