トラとウマ1
「やばい・・・・・・見つかってる。おいっ、速度を上げてくれ!」
プルプル震えながら外の様子を見たアベルが、御者に向かって叫んだ。
その大声に驚いて、マーガレットは思わず身体が跳ねた。
マーガレットも窓を窺うと、逸れ人は思ったよりも近くにやってきていた。馬車は町に近づいて速度を落としていたが、逸れ人がここまで追ってくるとはおかしい。思わずアベルを見た。きつく手を握りこんで口元に当てて恐怖に耐えていた。
「ねえ、アベル。今、見つかってるって言った? 何で?」
おかしい。マーガレットの知る逸れ人は、その場でゆらゆらと歩き回る程度だった。こんな長い距離をついてくる者はいなかった。
「俺ってアイツらをひきつける体質なのかな。
前も、騎士団の演習の時、近くの精霊の森から俺が呼んじゃったみたいでさ。ついてこられた。」
アベルは青い顔をしてへらりと笑った。精一杯の強がりだが膝が笑っている。
「あの時は、偶々僧侶が森に住んでいて助かったけど。
悪いが俺は門の手前で先に降りる。領主様に後で参るって伝えて。」
「降りてアベルはどうするの?」
「町に引き入れたらダメだろ。町から引き離すよ。」
逸れ人は偶に、生きている人の生気を吸い取るのだ。
そろそろ門に着くころだろう。まだアレと距離はある。震える膝にバチンと叩き気合を入れた。
「クレイア様、バレット殿。私は馬車を下ります。
しかし皆様はこのままでマーガレットと共に我が領主のもとへ行っていただきたい。
どうぞよろしくお願いします。」
そう言って御者に指示を出そうとするとバレットが腕を引いて止めた。
「少しだけ、アベル君に協力してあげましょうか?」
にっこり笑顔のバレットがいた。
何故だろう。この人に素直にハイと言えないのは。
「一緒に降りましょう。念のため、御者の方には除霊できる方を呼んでもらって下さい。」
返事は必要としていなかったようだ。バレットの身体はもう扉に向いている。空いている手はクレイアの腕を掴んでいた。クレイアも連れていくらしい。
「えと、じゃ、マーガレット。後でまた・・・・・・」
「いえ。マーガレットちゃんも一緒に降りましょうね。」
「えっ?」
「なっ?」
もう辺りは夕暮れの薄青い闇に沈んでいる。
町の門が見えてきた。
「待ってろよ、アルベルト! すぐに僧侶を引きずってきてやるからな!!」
御者役の騎士は、馬を急き立てて空の馬車を引きながら町に入って行った。
本音は、万が一でも逸れ人のトラウマ持ちになりたくないからだろう。騎士生活は下っ端確定だ。
「マーガレットまで連れてくる必要はなかったんじゃないですか?」
恐怖に耐えながらも、不満げな表情を器用に作りつつ、アベルはバレットに言った。
バレットは涼しい顔だ。さらに先ほどまで、マーガレットと何かこそこそ話し合っていたのだ。
不愉快極まりなかった。
不愉快?
・・・・・・なんでだ?
仲間はずれにされたから?
子供か俺は。
久々の逸れ人の恐怖で頭までおかしくなったらしい。
アベルは慌てて頭を振って変な思考を追い出した。
「マーガレットちゃんは重要な役目がありますからね。
アベル君はの出番は後半ですから、出番までゆっくりそこで見ていて下さい。」
怖くて満足に動けないでしょう、と言われた。
アベルの騎士の矜持はボロボロだ。
「クレイア様。少しの間、ララナ様の迷子石を使わせて下さい。」
「?」
「あの悪霊、感じませんか?」
「・・・・・・あの時のか。」
「大した影響はないでしょうが、立つ鳥跡を濁さずにいきましょう。
それとですね、迷子石で・・・・・・、なので拘束が必要かと・・・・・・・。」
「ああ、なるほど・・・・・・・。」
クレイアと話し合いが終わったバレットは、マーガレットと共にもうすぐそこまで迫っている逸れ人に向かった。
一方、アベルは街道の脇に座っていた。
アベルはここで待っててね、と先ほどマーガレットにも言われ置いて行かれたのだ。
怖いやら情けないやらで散々だ。しかし膝の震えがまだ収まらないアベルにとって助かったのは内緒だ。
それにアベルには重要?な使命もあるのだ。現在、隣にはクレイアが座っている。
クレイアを見守っておいてくれと頼まれたのだ。連れていく必要がないなら何故馬車から降ろしたのだ。
それにクレイア様は俺より確実に強いだろ!
アベルはちょっとやさぐれた。
そしてすぐに、マーガレット達が向かったほうで逸れ人の声なき悲鳴が聞こえたような気がした。
「クレイア様。先ほどから何を見ているんですか?」
沈黙と視線に耐えきれず、アベルは聞いた。
実はクレイアは馬車からずっと無言でアベルを観察し続けていた。美女なら未だしも男に見続けられるとは大変居心地が悪い。いったい何なのだと文句の一つも付けたいが、他国の王子である客人にケチをつけるわけにもいかず今まで黙っていた。もちろん逸れ人で取り乱していたのもあるが。
「悪霊の気配が消えたな。あの娘は呑み込みが早い。大したものだ。」
ふと目の焦点が合ったようにクレイアの視線が変わった。
「マーガレットが消したんですか?!」
質問の答えになっていないがもういいや。アベルはマイペースな客人との会話は諦めた。
それにしても逸れ人の気配(?)が消えたのは何となくわかったが、マーガレットが消したとは。彼女は魔女であり僧侶にもなったようだ。
「次はお前の番だ。上手く行くことを願っておけ。」
「はい?」
次の瞬間、アベルの身体の自由が奪われた。
「クレイア様、こちらは終わりましたよ! 力を吸収したらあっという間に消えちゃいましたー。」
こういう力の使い方もできるんですね!と興奮気味にマーガレットがしゃべりながら戻って来た。手にはキラ星石改め、迷子石が夕闇のなかで煌々と光を放っていた。
「あの力を起こす練習の時に放った力が、死者の無念とまじりあって逸れ人になっちゃうなんて。
これから気軽に力を流せないですねぇ!」
「・・・・・・それは秘密と言いましたよね。マーガレットちゃん?」
バレットは口の前に人さし指を当ててにっこりした。この顔は黒い炎が背景に揺らめきそうなやつだ。
「そうでしたっけ?すいません。力を使うとなんだかふわふわした気分になってしまって。」
うふふ、お口が軽くなっちゃうみたーい、と負けずに素敵な笑顔をおみまいしてやった。
ふわふわ気分なんて嘘だ。アベルにこの人たちの危険性を伝えたかったのだ。
クレイアとバレットの強大な力は辺りを漂い続けていたようだ。
現にあの逸れ人はここに現れた。あの人達の意思に関係なく、漏れ出した力は逸れ人を作ってしまうのだ。
バレットは、マーガレットの力を覚醒させた時に使った力は回収できたと言って、さらに、力の弱いマーガレットも、今後は力を放出しない使い方をするように言われた。
ルーンの人々にはこのことは内緒にしておきましょう。
どこでも、自分たちの手に負えない強大な力は、やがて恐れられ、排除する方向に動くでしょう。
いくら国交がないとはいえ、こちらの方々にルクシャーン王国に恐怖心を持ってもらいたくないのです。
わかりますよね? マーガレットちゃん。
貴方もやがて追われる立場になりたくないでしょう。
逸れ人を消した後、バレットはマーガレットに言い聞かせた。脅しとも取れるこのセリフで、マーガレットはクレイアとバレットは自分たちの力の危険性を隠そうとしていると思った。マーガレットが同じルクシャーン人だとわかって口止めができると思ったようだ。
バレットとマーガレットの睨み合いは、座ったままのクレイアによって止められた。
「バレット。ここまで協力してくれたんだ。良いではないか。始めてやれ。」
クレイアの隣ではアベルが俯いて座っていた。どうしたのだろう?
マーガレットが不審に思って声をかけようとした時、バレットがこちらを向いて諦めたように言った。
「有利な取り引きができると思ったんですが。クレイア様はお優しいですねぇ。
わかりました。」
何を始めるつもりなのか。彼らの会話は全くわからない。
マーガレットは夕闇に沈むアベルの方をみた。彼はさっきから全く声を出していない。
嫌な予感がした。マーガレットは迷子石を握った手が、じっとりと汗ばんでいるのに気づいた。
バレットはマーガレットに身を寄せ、彼女が握ったままの光り輝く迷子石を手ごと取り上げた。
「では、この余った力を使って、アベル君のトラウマを消してみましょうか。」
「!」
反射的にアベルを見ると、立ち上がったクレイアの足元に倒れて転がっていた。
読んでいただきありがとうございました。




