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十年ぶりの再会

日向から送られてきた住所に着いた。木造二階建ての古いアパート。錆ついた階段を昇る間も、金属がきしむ音に懐かしさを覚えた。


私たちが育った施設が閉鎖すると聞き、先日、園長に会いに行った。そのとき、施設で保管していた日向のスケッチブックを届けてほしいと頼まれた。日向に何度連絡しても、返事がないらしい。


園長から日向の連絡先を教えてもらい、荷物を届けたいとLINEを送ると、住所だけが返ってきた。そっけない返事だったが、久しぶりに会えると思うと、少し楽しみでもあった。


鳴るかどうかも分からない呼び鈴を押した。三回は押したが、反応がない。四十度を超えるといわれる暑さと戦いながら、四回目のチャレンジをしようとしたとき、LINEが鳴った。


「開いてる」


私はドアを開け、涼しい空気が流れてくることを期待した。期待は裏切られ、足の踏み場のない玄関から、甘みと苦みが混在した異臭が私を迎えた。


「日向! 佐藤だけど」


反応はない。とりあえず、足場を作りながら奥へ向かった。六畳の部屋に日向がいた。


「日向、久しぶり」


中学を卒業して以来、およそ十年ぶりの再会だった。ぼさぼさの髪の下に、昔と変わらない端正な顔があった。背は昔より高くなったのに、座っていると妙に小さく見える。着ているのは、中学の頃に見たジャージだった。


「ヤニくれ」

「俺は吸わないよ」


壁はヤニで黄ばんでいた。床には、吸い殻と空き箱の山。昔は、変わったやつだと思いながら、よく二人で本を読んだ。ふと漏らす言葉が気になって、続きを聞くうちに夕方になったこともある。今は、その続きを聞く前に掃除が必要そうだった。


「そこのシケモクとってくれ」


もう小指の先ほどしかない、吸いかけの煙草を指さして日向が言った。


これをまだ吸うのか。


日向は煙草を受け取ると、曲がったところを指でまっすぐにして、火をつけた。


「お前、今何してるんだ?」

「なーんにも」

「仕事は?」

「してない」

「就活中?」

「してない」


何もしてないって何? どうやって生きてるの?


日向はぼんやりと天井に向かって煙を吐いていた。


「お前、飯食ってんのか?」


もともとやせ型の印象があった日向だが、今の日向はかなり痩せているように見える。


日向は答えない。


ゴミに埋まったキッチンで、料理をしているようには見えなかった。普段は何を食べているんだ。


ゴミをかき分けた先の冷蔵庫に、その答えはあった。


カルピスとガルボ。


こいつ、これだけで生きているのか。


冷蔵庫いっぱいに敷き詰められたカルピスとガルボを前に、私は少し笑った。


「カルピスとってー」

「はいよ」


私はカルピスを取り出して日向に渡した。


「お前、まさかだけど、こればっかり食べてるわけじゃないよな?」


日向の返事はない。


「ちょっと待ってろ」


私はスマホの地図アプリでスーパーを検索した。徒歩二分のところに大きなスーパーを見つけた。


そこで生姜焼き弁当を二つ買った。日向の部屋に電子レンジがあったかどうか分からなかったから、店の隅にあるレンジで温めてから外に出た。


部屋に戻ろうとしたとき、LINEが鳴った。


「ハイライト」


煙草を買ってこいということだろう。私はスーパーに戻り、指示された銘柄の煙草を買った。


部屋に戻った私は、日向に生姜焼き弁当と煙草を渡した。


「こういうのをちゃんと食べろ」


生姜焼きの甘辛い匂いが漂うなか、日向は買ってきた煙草に火をつけ、また煙を吐いた。


煙草を吸い続ける日向を見て、私は我に返った。あまりの惨状と歪さに、今日の目的を忘れていた。


私は鞄からスケッチブックを取り出した。


「これ、園長からお前にだって。昔描いた絵が残ってたみたいで、渡してくれって」


スケッチブックを開くと、見覚えのある絵があった。日向が施設を出る直前に描いたものだった。


黒い四角のまわりに、丸とも人ともつかないものが、いくつか描かれていた。日向の絵は、いつもこんなふうだった。何かを描いているのか、ただ色を塗るのが好きなのか、私にはよく分からなかった。


「これ、何描いたの?」


あのとき聞き忘れていたことを、ふと思い出して尋ねてみた。


「覚えてない」


私はスケッチブックを閉じ、置き場所を探したが、結局、ゴミの上に置くしかなかった。


「園長からの連絡、なんで返さないんだよ」

「忘れてた」

「施設、閉鎖されちゃうらしいぞ」

「ふーん」

「ふーんって。世話になった園長に、何か言うことくらいあるだろ」

「考えるのめんどくさい」


「めんどくさいって。俺たち、あそこで育ったんだぞ」

「知ってる」


私は生姜焼き弁当の蓋を開けた。温めたはずの肉は、もうぬるくなっていた。


「園長、最後まで大変だっただろうな。昔、寄付金が盗まれた時も、子供を責めたりせんかったし」


日向は煙を吐いた。


「あれ、結局どうなったんだろうな」


自分で口にして初めて、私はその続きを知らないことに気づいた。


*


雨の日、施設は忙しくなった。


雨漏りする場所はいつも決まっていた。その下にバケツを並べ、私たちはポタポタという音と生活した。最初は楽しいイベントのように感じていたが、中学生になる頃には、めんどくさくてしょうがなかった。

バケツが溢れないように気にしていなければならない。雨が降っている間は、何をしていても落ち着かなかった。


ある日、ぶかぶかのズボンを履いた、怖い顔の人たちがやってきた。屋根を直してくれる人たちだった。

私は何人かに雨漏りする場所を教えた。大きな手でバケツを持ち上げ、天井を見上げ、屋根に登っていく。最初は怖かった人たちが、日に日にかっこよく見えてきた。


二週間ほどで工事は終わった。


「寄付のおかげで、屋根を直せました」


園長は、食堂でそう話した。

雨の日のイベントがなくなり、少し寂しくもあった。それでも、屋根を叩く雨の音を聞きながら、もうバケツを気にしなくていいのだと思うと安心した。


その少し後だった。


「皆さん、聞いてください」


いつも明るい園長が、悲しさをにじませた声を絞り出した。

時刻は十二時十分。食堂では、昼食を食べながら午後の遊びの相談をしていた。幼い子供たちも園長の様子を感じ取ったのか、静かになるまで時間はかからなかった。


「昨日、園の寄付金が盗まれました」


小さい子には、寄付金という言葉はわからなかったかもしれない。けれど、お金が盗まれたことは理解したのだろう。皆が園長を見つめ、次の言葉を待っていた。


「心当たりがある子は、園長室に来てください。いつでも話を聞きますから」


そう言い残して、園長は食堂を出ていった。


噂が広がるのは早かった。


「美咲ちゃん、昨日、園長室の掃除当番だったよねー」


誰が言い出したのかはわからない。ただの確認のつもりだったのかもしれない。だが、それだけで十分だった。


「美咲、お金があったの知ってたんだって」


職員に、掃除のとき何か見なかったかと聞かれていた。美咲が現金を見たことは、そのやり取りから広まった。

「昨日の夜、一人でどこかに行ってた」

「いつも一人でいて、何考えてるかわからん」

「園長に構ってもらいたくて、よく園長室に行ってるし」


掃除当番だった。

お金のことを知っていた。

夜に起きていた。

一人でいた。


この施設という一つの国では、それだけで美咲を有罪にできた。少なくとも、私にはできた。


次の登校日の夕方、職員が私たちの荷物を確認した。


「お金が紛れていないか、見せてね」


私は机の引き出しを開けた。向かいのロッカーでは、園長が美咲の古い辞書の箱を取り出し、中を確かめて棚に戻していた。美咲は、学校へ持っていく布の鞄を膝に抱えていた。

何も見つからなかったらしい。

疑われている美咲のことを、園長自ら気にかけてくれているのだと思った。


その日の夕食時、小学校低学年の女の子が園長に尋ねた。


「園長先生の大事なお金、美咲ちゃんが取ったのー?」


盗難が告げられたとき以上に、食堂が静かになった。

園長は女の子の前で腰をかがめ、やさしい声で答えた。


「美咲ちゃんは、そんなことをするような子じゃありませんよ。人のお金を取ることは悪いことです。この園に、そんな悪いことをする子がいるわけないじゃないですか」


一度、皆の顔を見渡した。


「もし、間違えちゃったとしたら、必ず謝りに来てくれますよ。ちゃんと謝れる子は優しい子です。私は、どんな失敗でも許しますよ」


私はその時、園長に尊敬の念を感じた。


皆の前では決して犯人を断定しない。責めることもしない。それでいて、優しく謝罪の機会を与えている。

美咲が謝りに行けば、この事件は解決する。私は勝手に安堵していた。


数日後、いつも通り一人で本を読む美咲を見かけた。


もう謝りに行ったのだろうか。

事件がどうなったのか、園長からの話はなかった。私が見る限り、美咲の生活や態度にも変化はない。反省している様子もない。


少し気味が悪かった。

私は、その事件について美咲に何も聞かなかった。


*


「美咲がやったって、みんな言ってたな」


私は弁当の米を箸でほぐした。日向の弁当は、まだ蓋が閉まっている。


「掃除当番だったし、お金があることも知ってたらしいし。夜に廊下にいたの、見た子もいただに」

「その寄付金、どこにあったんだ?」

「そりゃ園長室だら」

「なんで?」

「だって、園長が寄付金もらって、盗まれたって」

「うん。だから、どこにしまったの?」

「普通に考えて、園長室の金庫だら」

「金庫は、今お前が足した話だら」


箸が止まった。


「……誰かに聞いたっけ」

「知らんわ」


確かに、園長は寄付金をどこにしまったか言っていなかった。どこから盗まれたかも言っていない。

でも、お金を金庫に入れるのは普通だと思う。


「それで、美咲は金庫を開けれたのけ?」

「開けたんじゃないの」

「どうやって」

「園長室によく出入りしてたから、番号覚えただら」

「番号を知ってた話も、お前の想像だら」


美咲が番号を盗み見たところなど、見たことはなかった。


園長室には、毎晩鍵がかかっていた。廊下はきしむし、建て付けの悪いドアは開け閉めするたびに大きな音がした。

夜にこっそり入るのは、簡単なことではなかったはずだ。


鍵の掛け忘れがあったのかもしれない。そこまで考え、私は箸を置いた。

一つ足りないところを埋めるたび、見ていないことがまた一つ増えた。


「夜に盗まれたって、誰が言った?」

「美咲が夜、廊下にいたって」

「見たのは廊下だら。盗ったとこじゃない」


私は弁当へ目を落とした。


「そもそも、寄付金は誰が受け取ったの?」

「そりゃ園長だら」

「誰から?」

「知らない」

「どうやって?」

「封筒に入れて、手渡しじゃないの」

「なんで?」

「だって、盗まれただに」

「それ、誰が言ったの?」

「園長」


日向は、灰を落とす場所を探していた。


「盗まれたって、園長が言っただけだら」


*


日向と話をした私は、どうにも落ち着かない気持ち悪さをお土産に帰宅した。


園長に絵を渡した報告をすると、施設の片付けを手伝ってほしいと頼まれた。

翌日、私は施設へ向かった。


いつものやさしい笑顔で迎えてくれる園長に、罪悪感を覚えた。疑うようなことを考えていたのが、顔に出ていないだろうか。


二人で廊下を拭いている時、私は天井を見上げた。


「ここ、ずっと雨漏りしてたところですよね」

「そうねえ。懐かしいわね」

「屋根の工事をしてもらって、ほんと助かりました。寄付してくれた方に感謝ですね」

「そうね。ありがたいわよね」

「誰が寄付してくれたんですか?」

「誰だったかしらね。忘れてしまったわ」


あの義理堅い園長が、寄付してくれた人を忘れるなんてことがあるのか。

十年ほど前のことなのだから、忘れてもおかしくはない。それでも、胸の中の気持ち悪さは消えなかった。


「当時の記録って、残ってます?」

「なんで?」

「いや、どんな方が寄付してくださったのか、気になって」

「園長室の棚にあると思うわよ」

「ちょっと見せてもらっていいですか?」

「ここまで拭き終わったらね」


拭き掃除を終え、私は園長室に向かった。


施設の一番奥まで、廊下が懐かしい音を鳴らした。建て付けの悪いドアも昔のままだった。

棚には古い資料が何十冊も並んでいた。屋根の工事があった年を確かめ、二〇一六年のファイルを開いた。


私の胸は、理由もわからず騒いでいた。


〈二〇一六年十月六日 寄付者:杉浦正明 金額:二百万円 振込確認済〉


寄付金は、振込だった。


園長が封筒で受け取ったのだと、私は勝手に思っていた。

振り込まれたお金を引き出したのだろうか。なぜ、わざわざ。


ほかの寄付の記録も確認した。一月と四月には、前後の年にも同じ人から寄付があった。十月の二百万円だけは、この年にしかなく、寄付者も別人だった。


園長が部屋に戻ってきた。

私は、少しの覚悟を決めた。


「この十月の二百万円って、あの盗まれた寄付金ですか?」

「そうよ。あの時は大変だったのよ。屋根屋さんに支払いを待ってもらったりして、何とか払ったんですから」

「これ、振込って書いてありますけど、盗まれた時は現金だったんですか?」

「そうよ。現金で支払ってほしいって言われたから、わざわざ下ろしてきたのよ。そしたら、あんなことになっちゃって。振込にすればよかったわ」


説明はつながった。少なくとも、振込で受け取ったことと、現金がなくなったことは矛盾しない。


私は園長に挨拶し、施設を出た。門を閉めてから、帳簿で見た工事会社の名前をスマホで調べた。

本当に現金払いを頼まれたのなら、会社の人も同じことを言うだろう。そうであってほしかった。疑った自分を恥じるだけで済むなら、その方がずっと楽だった。


お礼も言える。私はそう理由を足して、会社へ向かった。


着いてみて驚いた。かなり立派な会社ではないか。

あの職人たちの風貌から、勝手に小さな会社を想像していた。申し訳なくなった。


受付で、施設が閉鎖されること、当時の担当者にお礼を伝えたいことを話した。その場では会えなかったが、翌日の午後なら少し時間を取れると教えてもらった。


翌日、約束の時間に訪ねると、強面の男がやってきた。見覚えがあるような、ないような顔だった。


「佐藤と申します。急にすみません」

「どうも。部長の柴田です」


名刺を差し出す手は大きかった。


「施設の片付けをしていて、当時の帳簿を見まして。閉鎖になる前に、お礼をお伝えしたかったんです。本当にありがとうございました」

「いえいえ、私たちは仕事をしただけですから。あの後、雨漏りは大丈夫でしたか?」

「はい。おかげで、バケツを並べずに済むようになりました」

「それは何より」


思いのほか、やわらかい印象の人だった。

私は少し安心して、聞きたかったことを口にした。


「当時は、現金払いを頼まれたんだと園長から聞いたんですが」

「現金ですか?」

「はい。支払いのためにお金を下ろしたって」

「うちは、ずっと振込でお願いしているんですけどね。ちょっと待っててください」


柴田さんは席を外した。

待っている間、受付の時計の針を見ていた。少しずつ、心に黒い霧がかかっていくようだった。


戻ってきた柴田さんは、紙を数枚持っていた。


「当時の記録が残ってました。振込でいただいてますね。請求書にも、振込先を書いてあります」

「現金で払ってほしいとは、言ってないんですか?」

「ええ。私が担当した工事ですし、現金払いを頼んだ覚えはありません。そんなことしたら、経理に怒られちゃいますよ」


柴田さんは笑った。


工事代は振込で払われていた。

現金払いを頼まれたという園長の話は、違っていた。


私は請求書の写しを見せてもらい、日付と振込先をメモした。手元の文字が、いつもより読みにくかった。


帰りの電車で日向にLINEを送った。

「今から行っていいか」

返事は、また「開いてる」だった。


*


私は日向の前に座り、施設で見た記録と、工事会社で聞いた話を伝えた。


「ふーん」


日向は新しい煙草に火をつけた。


現金払いの話が違っていても、現金そのものがなかったとは限らない。

そこまでは、分かっていた。


「美咲を疑う理由、もうないよな」

「夜に盗ったって話はな」

「だったら、無実だら」

「夜じゃなけりゃ、何もしてないことになるけ?」


私は膝の上のメモを見た。


「でも、現金にする必要がない」

「下ろす理由が嘘でも、金は下ろせるら」


園長については、帳簿と請求書を確かめようと思った。

美咲については、ただ疑いを消してやりたくなっていた。


「美咲の話だけ、抜けてるら」


日向は煙を吐いた。


「会ってくる。謝らないといけないし」

「何したかも聞けばいいじゃん」

「何もしてないだろ」


言ってから、しまったと思った。

日向は私を見ていなかった。


「また、聞く前に決めてる」


私はメモを鞄にしまった。


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