第72話 第三騎士団棟へ
りのの毎日はあいかわらず忙しい。
内容がみっちり詰まった講義がいくつもあり、その復習や調べ物のために図書館へ通い、得た知識や情報をまとめる。
時には知り合った食料品店の店主たちが訪ねてきて、いろいろなものを届けてくれる。
その隙間で料理をしたり、レシピの確認をしてこちらの材料のみで作れるか試したり。
りのは、何かを忘れるように、考えないように、新しい知識の吸収や人付き合いに集中していた。
リシェル・レンデリーア嬢による礼儀作法の講義も順調に進んでいる。
初めて会ったリシェル嬢は、それはそれはすごい美少女だった。
少し黄色がかった白金の眩しい髪に、晴れた日の海のような快活な青色の大きな瞳をしていて、声もまさしく鈴を振るような可憐なソプラノで、りのは思わず無言で鑑賞してしまったほどだった。もうしないと決めたのに、その決意をあっという間にひっくり返す美少女っぷりである。
ただ、リシェル嬢は、かなり無表情な少女だった。
笑いかけても冗談を言っても、あるいはちょっとだけつっけんどんに答えても、表情がほとんど変わらない。
あまりにも感情が無だったので、なんかまずいこと言ったかな、とか、怒ってるのかな、もしかして嫌われてるの? とか思ってしまうくらいだった。
ただ、特に第一王子に関する話をすることもなく、また言葉を惜しむタイプではないことが接しているうちにわかった。わからないことを問えばわかるまで教えてくれるし、説明も丁寧だ。「第一王子を許してあげて」なんてことも言わない。
何より、表情は無だが、声にはけっこう感情がのっていることに気づいた。
なるほど、変に表情や前後の流れからその気持ちを推し量るよりも、会話をして、声の感じとその内容で判断した方がいいタイプなのかもしれないと思った。
そこで、表情にとらわれずに会話をすることを心がけて、こちらも言葉を尽くすようにしたのである。
そうすると、徐々におたがいうちとけることができて、今はけっこう仲良くなってきていると思う。まあ無表情は変わらないのだが。
リシェル嬢曰く、「表情が硬いのは、お父様に似たのだと言われております……」。
ものすごく不満そうな声だったので、似たくはなかったんだなあと面白かった。
講義の方もそこそこ順調だ。
「リノア様は本当に身につけられるのが早くていらっしゃいますね」
としみじみ言われたが、一応四十年も生きているし、仕入れとかで海外に行くこともあったので、それなりのマナーを身につけていたことが役に立ったのだろうと思っている。
一通りの説明はできたので、そろそろ実地で練習をしてみましょう、と言われた。マナー講座はここからが本番だと、りのは背筋を正した。
そして、まずは二人でお茶会をすることになった。
(超美少女と、綺麗なお庭でお茶とお菓子とか、眼福になる予感しかしない!)
と、ひそかに楽しみにしている。
忙しくて、毎日するべきことがあって、少しずつ仲の良い人も増えてきて。
そんなある日の、昼食後の一枚の手紙が、りののこの国での生活を大きく変えることになる。
最近やっと形になってきた食パンもどきに、たっぷりの卵をはさんだ玉子サンドとチキンスープの昼食をとり、みんなで紅茶とチーズケーキのデザートを楽しんでいた時のこと。
ノックの音が鳴って、手紙が一通、ロゼリアに届けられた。
「ロゼに手紙って珍しいね。隊から? 急ぎだと大変だから確認してね、ロゼ」
「ありがとうございます。すみません」
そこまでは、ふつうの、いつもの日常の風景だったのだ。
ところが、届けられた手紙を見たロゼリアの顔が、青を通り越して真っ白になっていく。
かすかに震える唇をかみしめて、ロゼリアは視線を伏せた。
「どうしたの、ロゼ」
何事かと尋ねたりのに、ロゼリアは首を振った。
「なんでも、ありません」
「ロゼ?」
「私は、リンの護衛です。任務中です」
「どうしたのロゼ」
「だから、なんでもないのです。大丈夫です」
ああこれは放っといてはいけないやつだと思った。
深い人間関係があまり得意ではなくて、基本的に相手の言葉や意志や判断に口を挟まないりのだが、さすがにこれはわかる。
ロゼリアがとても無理をしている。駆け出したくて、けれど護衛任務に対する強い責任感で足をとどめている。
華奢な、けれどしっかりと剣ダコのある指から紙をさっとかすめとって目を通した。
『ライ兄さんが帰還。第三騎士団棟にて待つ デュー』
第三騎士団、と記憶を探って思いだしたのは国王フィンレーの言葉だった。ロゼリアの兄が団長を務める、自慢の騎士団だといっていた。そして、確かその仕事は、
「魔獣討伐……」
ぎゅっと握られたロゼリアの掌。
傷がついてしまう、とその手をとり、両手で包み込んで指を開かせた。
(ただの帰還でこんな手紙が来るわけないし、ロゼがこんな顔するわけない。これはつまり、結構な大怪我をして帰ってきたってこと?)
ならば行かせてあげたい。不安で心配だろう。
りのは、頼もしいメイドたちを振り返った。イリットが小さく頷くのが見えて、思わず笑みが浮かぶ。
「イリット」
「はい、リノア様」
「なんだかとっても外出したい気分なの。王城の中をいろいろ見てみたいです」
「承知いたしました。となりますとかなり広くなりますから、急いで馬か馬車をご用意します」
「ええお願い。早いのは馬よね。ロゼにのせてもらうから馬がいいかな」
「……リン?」
真っ白な顔のまま、視線を上げたロゼリアを、りのはまっすぐに見つめた。
ぱたんとドアの閉まる音がしたのは、おそらくイリットが厩舎へ知らせに走ってくれたのだろう。
メリルはさっとテーブルの上を片付け始めている。
「外出します。そうね、騎士団棟のあたりの庭を見てみたいから、護衛よろしくね」
「リン……っ」
大きな目がたちまちに潤んだ。零れ落ちないように、必死に目を開けるロゼリアの頭をそっと撫でる。
「ロゼ、あなたは私の護衛だけど、同時に、あの、私の大切な友だちでもあるの」
できるだけまっすぐに、届かないことがないように、言葉を一生懸命選ぶ。
つっかえながらもしっかりとロゼリアの目を見た。
眼のふちを赤くして、ゆらゆらと涙でけぶるマラカイトグリーンがとてもきれいだ。
「私はこんな性格だけど、でも友だちのためならできる限りをせいいっぱい頑張りたい。講義見てたでしょ、けっこう治癒魔術は得意なのよ、私」
先日の魔術の講義で、りのはユーゴから治癒魔術について教わっていた。
魔術師団員の手についていたひっかき傷を治したりもした。
スムーズに治ってすごい、とほめてくれたのは、ユーゴだけではなく、ロゼリアもだった。
「だからね、ロゼ、私に手伝えることがあったら、ちゃんと教えてほしい」
「はい、……はいっ!」
まだたった二十歳の女の子の頭をそっとりのは撫でた。
ロゼリアが騎士になったのは十八の時で、近衛に採用されたのは十九になったばかりのころだと聞いた。まだ、近衛としても騎士としてもそんなに経験を積んでいるわけではないのに、副隊長に昇進した、頑張り屋の女の子。
その彼女の騎士としての憧れが、二番目の兄なのだと、照れたように話していたことを思い出す。
きれいでかわいくて頼もしい、りのの友だち。
その友だちのためにできることがあるなら、なんだってしてあげたい、とりのは思った。




