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インドア聖女は早くおうちに帰りたい  作者: 和原茉白


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第327話 馬車は進む


 カノンがほくほくとハサミを買って帰ってきた時、バロチ工房は、カノンたちが出て行った時と変わらない、和やかな空気だった。

 りのはお茶の準備をしておいて、コニーとハンナがお茶菓子を持ってきてくれたタイミングでお湯をいれる。


「わ、このお菓子おいしい……!」

「ほんとね、リンゴの甘さとクッキーがよく合ってる」


 焼き林檎に蜂蜜をからめたものを、薄めのビスケットに挟んだようなお菓子は、優しくも脳天を突き抜ける甘さで、重い話で沈んだ心を日常に引き戻すような効果があった。

 ララも、アドレアンも、ユーゴもアダンも、先ほどと何も変わらないような顔をしてお茶を飲み、お菓子を食べている。


 大人だな、みんな。


 身もふたもないことを思いながら、りのも同じようにお茶を飲んだ。





 ララと、三人の弟子たちに見送られて、りのたちはディリエ書店へ向かっていた。

 馬車で一気にヘウ街を戻り、そこから坂を上る馬車へ乗り込む。

 カノンは元気いっぱいで、見るもの聞くものすべてが楽しいらしく、隣に座ったロゼリアやユーゴを相手ににぎやかに何かを話していた。「防音」をユーゴがかけているのだろう、こちらにはその内容はわからないけれど、はじけるようなカノンの笑顔をみれば胸がほっこりと暖まった。


「――リノア様」

「なあに、アディさん」


 小さなささやきに、りのは瞬時に「防音」をかけた。りのとアドレアンと、りのの隣に座っているアダンのまわりに。


「ノヴァリスは、ダンジョン攻略につき合ってくれていた奴でなぁ」


 美しい翡翠色の目が、どこともなく宙を眺めていた。


「ようのろけられたもんじゃったよ、うちの妻が世界一だとな」

「アドレアン卿、あれはやはり、エーファ王太后が?」

「そなたには信じられんじゃろうな、アダン。王妃ともあろうものが、冒険者に媚薬を飲ませて無理やり自分を抱かせているなぞ」

「信じがたいといいますか、普通に怖いのでは?」

「ダリュラの毒は遅効性での。飲ませてすぐは効果の高い催淫剤らしい。自分の好みの者、惚れている者に相手を見せるのだそうじゃ。王太后は、わけもわからぬまま大量に飲ませて、ことが終わった後にノヴァリスが耐えきれなくなって暴れ出したんじゃろ」


 苦い笑みだった。


「私も不思議です。エーファ王妃……当時ですけど……別に王家の血をひいてないですよね? なのになんでそんな力があったんですか?」


 フィンレーを生んだとはいえ、エーファ自身は侯爵家の出だ。いかに公爵家が力を落としていたとしても、そこには越えられない壁があるのが、身分社会というものなのでは?


「エーファ王妃は、まさしく傀儡として育てられた娘での」


 アドレアンの目が細められる。


「貴族主義をきわめた家では、貴族の優位以外にも、男尊女卑の傾向がとても強いのが普通じゃった。だから、本来なら女であるエーファは、男であるルトガー王に逆らうことはなかったじゃろう。しかし、エーファの父、グスタフは蛇のように狡猾な男でなあ……。王をしのぐ傀儡として娘を育てたんじゃ」


 王をしのぐ、傀儡?

 意味がつかめないりのを見て、アドレアンは言葉を足した。


「王子を産めば、お前は王の母。王家や公爵家などより上になれる。政治や子育てなど、下賤なことは下々に任せよ。父はお前のためにその下賤な政治や王子の育成を請け負ってやろう。お前はただ、高貴なものとして国の顔となればよい。そういう教育じゃ」


 政治も経済も、社交も、エーファは何も教えられなかったのだそうだ。

 ただ王子を産めばいい、後は好きにしろ。


「醜悪。そんなあからさまな道具扱いって、あります?」

「あったんじゃよ、リノア様。だから、あの王太后は本当に頭も心も空っぽで、何もできんかった。何も、な」


 じろりと、アダンがアドレアンを横目で見た。


「アドレアン卿、それに同情して、優しい言葉でもおかけになったのでは?」

「優しい言葉ではなかったと思うが、まあ言葉はかけたとも。あんなのを王妃として扱うのはごめんだったからの」


 なるほど、とりのにもわかった。


「王太后には、それが生まれて初めて、自分を見てくれた言葉として届いた、とか……? それで惚れこまれたんです?」

「知っておったか」

「ラウさんに聞きましたよ」


 あの野郎、とアドレアンが小さく呟くのがおかしくて、りのは思わず笑ってしまった。


「ラウも大分迫られておったからの」

「え、アディさんだけじゃなく?」

「ラウは別枠としても、当時、高位貴族の男は一度は誘われておるじゃろうて」

「娼婦と変わりませんな」

「娼婦よりひどいわ。娼婦はお仕事。嫌がってるのに無理やりさせるのは、男だろうが女だろうが犯罪よ」


 ノヴァリスはその毒牙にかかって、ララは一生消えない傷を負った。


「貴族の後は、冒険者にも手を出しおってな。それもノヴァリスだけではなく、幾人も。あそこまで強烈な媚薬を飲まされたのは、ノヴァリスだけだったようじゃが」


 そうだろうなあ、とりのは思った。

 だってノヴァリスは、アドレアンとカラーリングが似ている。何をしたって、恋人として妻として、優しく抱かれたかったのかもしれない。

 恋する男に似ていさえすればいい、なんてメンタルはよくわからないが。逆にむなしいだけでは?


「フィンレー様たち、頑張ったんですねえ……そんな傀儡が王妃としてやれてたってことは、それを操る貴族たちの仕組みががっちりでき上ってたってことでしょう? それを崩すのは、大仕事だったのでは?」

「儂は早くに領地へ引っ込んだから詳しい話は聞いただけじゃが、聞くだに過酷じゃったよ」


 それこそ気を抜く暇も、眠る暇もなかったろうさ。

 アドレアンの目が、前の席に座るユーゴを見つめていた。


「陛下に、儂らが差し出せるものは多くはなかった。よき教師と、よき友と。それ以外には何もできなんだよ」

「アディさん、それ、一番大切だと思います」


 りのは迷わず断言した。


「大きなことをするときに大切なのは、権威や知識やお金じゃないです。そっちももちろんあるに越したことはないけど、それよりもやり方を教えてくれる人と、同じ方向を向いて一緒に走ってくれる人のほうが得難いです」

「……そうじゃろうか」


 アドレアンの声が小さくなった。

 かぽかぽとのんきな馬の歩みと反対の、重く凝った暗さがある声。


「儂は弟妹に、とっとと領地へ帰れ、エーファ王太后の執着を切れば王太后自身も落ち着くだろうと言われて、ノヴァリスがあんなことになった後、とるものもとりあえず領地に戻らされてしもうてな。できるかぎりの支援はしたが、フィンレー陛下にも、……エーファ王太后にも、何かできることがもっとあったのではと、思うてしまう。――今でも思い出す、王太后の足元にノヴァリスが倒れていて、何をしていると怒鳴った儂に、あれは叫んだ」



 なぜ貴様はわらわの思いに答えぬのじゃ! こやつもそなたも、わらわがそんなに嫌いなのか!



「頭湧いてるんじゃないのその女」


 アドレアンを、りのはぎろりとにらみつけた。

 この優しい人が、どれだけその言葉を重荷にして生きてこなければならなかったのか。

 思えば腹の奥がぐつりと煮える。


「嫌われることしてるんだから嫌われるに決まってるじゃない。そんなこと、教えてもらわなくたって自分で学ぶべきことでしょうに。学ばなかった自分の怠惰を人のせいにしてんじゃないわ。嫌われたくないなら、嫌われないようにふるまえばよかっただけじゃない。だいたいアディさんもアディさんよ」


 アドレアンがしゅんと眉根を下げた。


「そんな女に同情するなんて優しすぎます。嫌なことされたんだから、寄るなアバズレくらい言えばよかったんだわ」

「あばずれ」

「好きな男に振り向ていもらえないからって片っ端から男食いまわるなんて、アバズレ以外の何だと? え、こっちではそれ、普通のことなんです?」


 ぶんぶんとアドレアンとアダンが首を振ったのを見て、りのはよかったあと胸をなでおろした。


「アディさん、ノヴァリスさんが亡くなったのは悲しいことだけれど、アディさんの責任じゃないです。責任があるのは媚薬を飲ませたエーファ王太后です。人の責任を自分のものにしちゃダメです」


 詭弁であっても、そんな害悪な女のために、アドレアンが重荷を背負うのは嫌だ。

 りのは拳をにぎって力説した。隣でアダンが深く頷いてくれるのが頼もしい。


「――そう、じゃな。人の責任を、奪い取ってはならぬな……」

「そんなことするより、これからのことを考えましょう。フィンレー陛下はまだまだ基盤が弱い。アディさんや引退した騎士様たちの支えが必要です。貴族派の家もまだ残ってます。そいつらは確実にカノンちゃんにも手を伸ばしてくるでしょう。シメる準備が必要です」


 りのの本気交じりの冗談に、アダンはひきつり、アドレアンは大笑した。


「そうじゃな、カノン様を、リノア様を守らねばな」

「おじいちゃん、どうしたのー?」


 カノンがぱっと振り返ったので、りのは「防音」をほどく。ユーゴも同じようにしたのだろう、会話が届いた。


「いやいや、儂もまだまだじゃなと思うてな」

「えー? まだ強くなりたいの? 筋トレの強度、上げてみるー?」



 呆れたようなカノンに、馬車の中が笑いに満ちた。




今日はここまで! お読みいただきありがとうございます。

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とっても嬉しいです。どうか少しでも楽しんでもらえますように!

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