9.乾 火馬
乾 火馬。巨人の星の主人公かよ…
大丈夫ですよね?怒られませんよね?
自分たちの輝かしい野球人生に一回戦敗退という汚名を残してくれたイヌイを見に、南洋第一のナインは球場に足を運んでいた。
予想通り、甲子園を狙える強豪を負かした高校というだけあって、偵察校の数が鈴なりに増えている。
顔見知りのプロのスカウトも、何人か来ているようだ。
本当なら、肩痛から復活した自分のマウンドを見に来るはずだった。
それが、相変わらずのジャージ姿でキャッチボールに励む海浜のナインを、おもしろそうに見ている。
その原因を作ったのが自分だと思うと、他人ながら恥ずかしいものがあった。
相手の高校も、どうせ南洋第一と当たると思っていたのが、随分弱そうな高校になって、戸惑い半分、嬉しさ半分という所らしい。
さかんに気にしているようだ。
「プレイボール!」
審判の掛け声とともに散った海浜ナイン。
やはりピッチャーは、あの長身隻腕のイヌイが投げるようだ。
振りかぶる事もできず、相変わらず窮屈そうなフォームから投げ込まれた球は、傍目から見ても恐ろしく速かった。
ズドォォォン…
「なあ、お前見えたか?」
「いや、こうして横から見てても判んねえぜ」
「何キロ位でてるんだ?」
「少なくとも、バッターからだと“消える魔球”だろうな」
呆然とする相手バッターを尻目に、ポンポンと調子よく剛速球を投げ込むイヌイ。
あっと言う間に三者三振に討ち取った。
「いいぞぉ!」
能口は、なかばやけくそで掛け声をかけた。
イヌイは、気がついたらしく長い片腕を大きく振って嬉しそうに笑った。
他のナインも気づいたらしく、律儀に帽子を脱いでおじきしている。
「チェッ、俺の気持ち、判ってんのかよ」
一回戦敗退のチームでは、スカウトの扱いもぐっと落ちてしまう。
自分たちの人生設計を狂わせといて、最敬礼もないものだ。
とはいえ、イヌイの朗らかな笑顔は、見ていて気分の悪いものではない。
他のナインの謙虚さも、球場のお客にとっては好感の持てるものだったらしい。
パラパラと、拍手が起こっていた。
海浜の打線は、相変わらずただ振り回すだけだった。
それでも、相手ピッチャーのレベルが南洋第一ほどでは無いため、時々当たる事もあった。
ほとんどがボテボテのゴロだったり、打ち上げてしまったりであるが、そのうち点は入りそうである。
そして、イヌイの投球は相変わらず凄まじかった。
相手校も対策を練ってきたらしく、徹底的なバンド作戦を敢行した。
ピッチャーが全く守備の役に立たない事を見越して、なんとかその前に転がそうという訳である。
だが、極端な前進守備を敷く守備陣が、イヌイにボール処理をさせなかった。
もし強打すれば、楽々と脇を抜けるだろうが、そもそも振っていてはバットに当たらないので、判っていてもバンドするしかない。
そして、バント自体当て損ないがとても多く、打ち上げてしまったフライもすぐに捕られてしまう。
特に、キャッチャーの後ろに構えたショートが、ファールフライでもアウトにしてしまうのだ。
回が順調に進み、投手戦となった9回裏、ついに海浜の四番バッターがサヨナラホームランを打って、試合は終わった。
今まで振り回していたのは、どうやらタイミングを計っていたらしい。
そして、南洋第一ナインの前で、彼らは再び号泣し、泣きながら互いの健闘を讃え合っていたのである。
「なんなんだよ、あいつら…」
なんでこんな奴らに負けたんだ?
未だに、能口はキツネにでもつままれたような気がしていた。
未だに、運動靴にジャージのまま。
ホント、なんでこんな奴らに負けたんだろう…