12 エピローグ
七月一日 空母翔鸞
「えー、昨今の欧州情勢は憂慮すべき事態であり、合衆国は関係各国に冷静な対応を求めるものである」
真新しい翔鸞の中でもさらに真新しい搭乗員控え室で、成瀬一飛曹は新聞を広げて読み上げてきた。
「必要とあらば合衆国は各国政府への調停の場を用意する準備がある。各国の良識ある対応を期待する。ロシア合衆国大統領、ヨシフ・スターリン」
いささか暇を持て余している搭乗員たちは新聞を読んだり将棋を指したり茶を飲んだりして無為に時間を過ごしていた。
「こいつ空母四隻も売りつけといて、何自分は関係ないみたいなこと云ってるんですかね」
新聞を叩いて成瀬一飛曹は毒づく。彼等ロシア合衆国のボロジノ級とガングート級の四隻の空母が秘密裏にブランドル帝国に売却されたおかげで戦局は大きく動いてしまった。豊秋津皇国への宣戦布告と同時に行われた舞鶴空襲により秋津海軍は主力たる第一艦隊が戦わずして動けなくなった。その後返す刀でノルマン海を荒らし回ったおかげで、制海権の天秤がブランドル側に傾きつつある。
「ねえ隊長、これはロシアはブランドルについたってことなんですか」
成瀬が首を回した先では紅宮綺羅が優雅にお茶を飲んでいた。
「実質的にはそうだろう。ブランドルは形勢逆転の切り札である空母がほしい。ロシアは航空母艦の使用実績がほしい。恐らく船の乗組員も搭乗員も半分ぐらいはロシアの義勇兵だろう」
航空母艦も艦載機も、渡されただけで使えるほど甘くは無い。顧問なり義勇兵なりの形式を取って兵を送り込んでいるだろう。端から見れば派兵しているも同じだった。
「だが表向きはあくまでも商業活動だ。まだ戦争には参加していない。なかなか巧妙な手段だね」
敵ながら綺羅はロシアの狡猾な手段を褒める。
「まあおかげで我々の行動も認められた訳だ、良かった良かった」
事態を引っ張った張本人が肩をすくめてみせる。あの舞鶴空襲を引き起こした恐るべき敵艦隊に立ち向かい、及ばずとも一発浴びせて見せた翔鸞と搭乗員たちは今やちょっとした英雄になっていた。
「いやぁ、ああするしか無かったからとはいえ、少々やり過ぎたとは思っていたんだ」
表向き、翔鸞は舞鶴の惨状を聞いて取るものも取りあえず反撃したことになっている。実はその時無線が使えなく、独断で攻撃していたことは伏せられている。そう云う意味で彼等は賭に勝ったのである。
「にしても、これからどうなりますかね。大陸に派兵された連中もあんまり芳しくないようですが」
新聞は勇ましく書いてはいるが、その悲壮美に酔った文体から負けているらしいことが伺える。だからこそ翔鸞の反撃はことさらに勇壮に取り上げられていた。
まあ仕方が無い。成瀬は言葉には出さずにいささか誇張された自分たちの記事を眺める。何しろあの攻撃の中心人物は紅宮綺羅なのだ。注目せずにはいられない。
「十式を装備しているのはうちらぐらいだからな。お呼びがかかっても良さそうなものなのだが」
大陸に派遣された遣欧軍が苦戦しているのも、戦闘機の性能の差だとも云われている。スペイン内戦で活躍した六式艦戦も、陸軍の七式戦も、寄る年波には勝てぬと云うことか。
「そのためには搭乗員の補充がないと」
成瀬は搭乗員控え室を見回した。あの日、あのときの爆撃で彼等翔鸞第一戦闘機中隊は三名の搭乗員を喪っていた。負傷者は復帰し、一人は転属で補充できた。しかしあと二人は必要であった。
扉が叩かれたのはそんなときだった。
「失礼します」
若く、少々上ずった声が聞こえてきた。
「入りたまえ」
綺羅が鷹揚に許可を出す。視線は茶碗に向けたまま。しかしその口元は僅かに笑っていた。
「本日付で翔鸞第一戦闘機中隊に配属となりました、丹羽洋一三飛曹であります。よろしくお願いします!」
大きさだけが自慢の声が、搭乗員控え室に響いた。
「お、同じく松岡大介三飛曹であります」
若々しい声は更に続く。
「中隊付整備班に配属されました、小野朱音三技曹です。お世話になります」
瑞々しい声も響いてきた。
「おいおい、なんだお前ら。まだ訓練残ってるだろ」
見回した成瀬一飛曹が呆れた口ぶりで云った。
「はい、飛行練習過程は四ヶ月繰り上げで卒業となりました。こちらでの戦闘経験を評価していただきました」
「まったく、即席訓練で新兵前線に放り込むだなんて、世も末だ」
文句を云ってはいるが、成瀬の口元もどこか嬉しそうだった。
「宜しい、着任を許可する」
座ったままで綺羅は例の崩した敬礼を行う。
「私が紅宮綺羅だ。翔鸞第一戦闘飛行中隊長をやっている」
洋一と視線が合う。ほら云ったろう。縁というものは不思議なものだ。云わずとも洋一にはそれが聞こえた。
「わが中隊へようこそ。楽しいことになりそうだ」
そう云って綺羅は、見るものすべてを惹きつける笑みを浮かべた。
お読み頂きありがとうございました。
二の巻を1/28(木)の夜に投下の予定です。