第四章 三十二
「ハイ、アーンして下さい。あーん」
「……ハイドラ、お前の手の方が大変だろう。その……あーんは私にはやらせてくれないか」
「そういう事は、ちゃんと手を動かせるようになってから言ってください」
そう言うと僕達二人は互いを見つめ合い、少し恥ずかしそうに笑った。
ここは以前”薬師の隠れ家”と呼んでいた、火口の穴の途中にあるあの場所だ。
あの時本殿の崩壊に巻き込まれ、僕たち三人は落下した。
助けてくれる人も、助かる方法も、そんなものは何もなく、もうどうにもならないと初めて死というものを身近に感じた時間だった。
「ハイドラ、上はまだ暗いのか?」
「フラウラさんの話だと、以前のような状態に戻るまで一年はかかるんじゃないかって」
「……そうか。迷宮内の植物は全滅だろうな」
「光がなくては……ね。収穫者のみんなの事が気がかりです」
本殿の真下にあった迷宮の太陽”神功光明”は、燃えながら落下してくる瓦礫の直撃を受け、瓦解していた。
迷宮は翠塔山の下の大空洞にあるため、神功光明が無ければ真っ暗な洞窟と同じになってしまう。当然、植物も野菜も育たず、収穫者にも門前町にも国中にも影響するだろう。
結局、神功光明と言われるアレの正体をすごく短く言うと、”もり”なのだそうだ。
僕がロジエさんにもらった光る”もり”や天井の粒。あれは小さな神功光明と言える。 生まれて、死んで、また生まれる。この輪廻の中に神功光明がある。
”もり”は死期が近づくと火口の底に集まり、結晶化する。それが半日かけて発光しながら上昇し、減光しながら下降する。そして火口の底で再び結晶化したものが次の日の神功光明として登っていくのだ。
植物を育てられるほど光を放つようになるには、大量の結晶が必要で、今いる"もり"が全て結晶化しても全然足りないらしい。
「フラウラは今日も?」
「ハイ。ルルディに付きっ切りです」
「そうか……早く会って礼を言いたいものだ」
僕たち三人を助けてくれたのは、フラウラさんたち森の民と"もり"だった。
彼女達は、本殿に異変が起きた時から"もり"と協力して僕たちの位置を探り、落下すると同時に、その下に集結して触手で編んだ網との二段構えで衝撃を吸収、ズタボロになった僕達を見事に受け止めたのだった。
僕とオルヒアさんが、その位置が分かる光る"もり"を持ってたという幸運と、森の守護者たる"もり"と心を通わすフラウラさんがそこにいたという幸運が重なった結果だった。
そしてあれから一週間がたったが、オルヒアさんは未だ立つこともできず、ルルディは昏睡したままだった。
「ウーヴァの時より呪いが進んでいて、状態がかなり深刻だ。正直、どうなるか全くわからん」
大薬師ウーヴァの解呪過程を経験済みのロジエさんからも、前向きな言葉は聞けなかった。呪いを解くために必要な稀少三種は揃っている。しかし、解呪霊薬を作るべきルルディ本人が危険な状態で、それどころではない。フラウラさんが片時も離れず看病を続けているが、見通しは暗いままだった。
右手と背中の傷のために、大してことのできない僕は、ここでこうしてオルヒアさんの世話をしつつ吉報を待ち続けることしか出来ず、歯がゆい日々を送っていた。
水を汲んでこようと立ち上がった時、外にいるロバロの唸り声が聞こえた。
「……何でしょうね」
「わからんが、用心しろよ。ブブキの遺体は見つかっていないからな」
怪我のために持つことさえ出来ないのだが、とりあえず剣を腰に挿し、外の様子を伺う。
ロバロは出入口を背に、三間ほど先にある繁みに向かって唸っていた。
僕は彼の背中を軽く叩いて落ち着かせると、慎重に繁みに近づく。次第に葉に隠れたたくさんの"もり"が見え始め、一人の人間を運んでいる場面に出くわした。
「お前は……」
そこには、骨と皮だけと言っても差し支えないほどやせ細った男が、うずくまっていた。病的に青白い肌、ほとんど抜け落ちた髪の毛、くぼんだ眼窩の底から怯えた目玉でこちらを見ている。そして岩蝕の右手に、角。
聖薬師ニエベがそこにいた。




