第三章 二十四
私は刀を構え、その瞬間を待った。
穴の開口部が見え、競争が終わりに近づく
しかしブブキに減速する気配は無い
まさか
縦穴の上はへは、恐らく空船の桟橋があった火口へと繋がっているが、下は光も届かない暗黒の奈落だ。なんの準備も計算もなしに飛び降りるなんて自殺行為以外のなにものでもない。
しかし、しかしだ
この勢いは最初から止まるつもりなどない、そうとしか思えない。
三歩、二歩と目の前に開口部が迫る。
私が混乱の中、我慢しきれず放った一刀はあえなく空を切り、ブブキにもルルディにも届かなかった。
!
怪人は開口部へ出た途端身体をひねり、何のためらいもなく下宙空へと身を踊らせる。
逃げるなら上へ。完全にその思い込みの裏をかかれた。
「ルルディ! 」
私の虚しい叫びは縦穴の中に響いたが、呼びかけられた少女は何の反応も示さない。
空中の怪人は、椀を逆さまにした様な傘状の物を広げ、ふわりと宙に浮く。
後は下からの気流に乗って上へ上へ登って行く。
「楽しかったわ! 必ず生き残ってまたアタシを愉しませてちょうだい」
勝ち誇った捨て台詞と高笑いが耳に残る。悔しいが今は屈辱に耐えるしかない
それに私にはまだやれる事が残っている
その場で踵を返すと、弟子の元へと急ぐ。
ハイドラは一度、あの"森の人"に襲われている。はっきりと覚えていないが、その時誰かに助けられたと言っていた。
そう都合よく何度も助けが来るとは思えないが、少なくともアレに対抗する人なり勢力なりが存在することは間違いない。
寝室を抜け、再び通路の戻った私は、目の前の光景に目を疑った。
「な……なんだコレは……」
"森の人"が、身にまとう緑の葉を揺らし、何かを一心不乱に食べている。
しかもそれが一頭ではなく、大小合わせて何十頭という"森の人"が、この狭い通路に殺到しているのだった。
「オルヒアさあん……助けてくださあい……」
ハイドラが、その緑のもさもさの下から情けない声を出している。
そこには大胆にも、寝転ぶ少年に馬乗りになる見知らぬ少女の姿があった。
ルルディ⁉ ……ではない。
私はルルディの印象をそのまま目の前の少女に重ねてしまったが、その容姿はまるで違う。褐色の肌と金色の瞳は、同じ一族なのではと思わせる特徴だった。
しかし、なんなんだこの状況は。
少女の太ももに挟まれて鼻の下を伸ばしまくるハイドラは、先ほどまでの凛々しい我が弟子と同一人物とは思えない。
そしてむくむくと湧き上がる殺意。
同時にじわじわと湧き出るなみだ。
右肩の激痛に耐えて激闘を繰り広げたのにとか、ルルディが拐われた直後なのにとか、そんな些事が理由ではない。
もっと何か深いところにある感情が、胸の奥底のドロドロが、私を支配する。
後から思えば、何故それだったのかと思う。
剣士ならば刀を振り上げただろう、弟子への折檻ならば拳を振り上げただろう、 しかし私は平手を振り上げ、思いきり彼の頬を打った。
「バカッ!」
後悔の行為、なんて子供っぽい。
一番バカなのは他ならぬ私自身だろうに。




