第二章 二十三
ロバロの背にいるルルディは、私の声に従わず、懸命に首を振って絶対の拒否を示す。
「ルルディ!」
もう駄目かーー私の中ではほとんど緊張の糸が切れかかっている。
もしもこの時、死を覚悟したのなら走馬灯が回転し始めただろう。
しかし私はほんの昨日、ハイドラが何気なしに言った言葉を思い出していた。
(いつか、オルヒアさんの故郷に行ってみたい)
約束はしていない。してはいないが、必ず連れて行くと心に誓ったことは覚えている。
目の前を何かが通過していこうとした時、無意識にそれを掴んだ。
掴んだのは何本かの蔓。
どこから繋がっているのか、どこへ繋がっているのか、確認も確信も無いままロバロに飛びつく。
「オルヒア! ハイドラが! ハイドラがああっ‼ 」
泣きじゃくるルルディは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
こんな蔓の二、三本でロバロの巨体をどうにか出来るのか、全くわからない。しかし、このまま底の見えない奈落へ落ちて行くよりかは、ずっとマシなはずだ。
私は手にした蔓を必死でロバロに巻き付け、最後をルルディに手渡す。
「死んでも離すな! ハイドラのことは心配ない!」
根拠などは何も無い。予感もないし、虫の報せもない。
そう願って、行動するだけだ。
残る蔓を右腕に巻き付け、身体を預ける。
もはや崖と一体化した桟橋の床板を蹴り、ハイドラの元へと走った。
辺りはもうもうとした土煙でよく見えないが、触手同士が絡まり合い、争っているように見える。
「(もしかして、アレが何匹かいるのか?)」
土煙下方にぐったりとぶら下がるハイドラの姿を確認した。今なら煙に紛れてハイドラを救出できるかもしれない。
私は躊躇せず腕の蔓を操り、下へと移動する。その動きを察知してか、触手の一本がにわかにうねり、はるか外側を右へ左へと通過して行く。
はっきりとこちらが見えておらず、闇雲に攻撃している。そんな動きだ。
これなら壁際にぎりぎりを移動して行けば安全にハイドラの元へたどり着ける。
焦る気持ちを抑えつつ、なんとか顔が確認できる位置まで降りて来れた。
「ハイドラ!」
ぐったりと動かないが、怪我をしている様子はない。わずかにホッとして剣に手をかけた瞬間、蔓を巻きつけた右腕が蔓ごと外側へ引っ張られる!
あ、と思った時には、もうすでに暴れまわる触手の直撃を食らっていた。
視界が揺れ、呼吸が止まる。
周りの音が急激に小さくなり、天地もわからないまま崩壊した桟橋と火口の奈落が交互に現れては消えて行く。
手が届きそうだった愛する弟子は、あっという間に彼方へと遠ざかる。
結局無力な私は、何もできないまま惨めにも奈落の底へと落ちて行った。