【5】DEBU_DUNGEON 1日目(海雀撃鳥)
10年前。突然日本中に不思議なダンジョンが生まれ、その攻略を配信するのが大人気になりました。勿論そうなるまでには色々あったのですが、割愛します。
「ほー、あれが日本のダンジョンですか。本当に大きな穴があるんですねえ」
というわけで日本国は東京都、とあるフランチャイズのカフェテリア。
窓際の席で抹茶フラペチーノを啜る、彼の名はデイブ・ファットマン。
見かけは人懐こい髭面のデブといった風情で、お腹は太っちょ、瞳はつぶら。人生の悩みとは無縁そうな能天気な顔つきのおじさんです。
「その通り! 22世紀のゴールドラッシュの最前線にして、君がこれから潜る場所だ!」
その向かいの席でアイスアメリカーノを呷るのはダング・トレイダー。デイブの昔馴染みであり、ダンジョン配信への参入を持ちかけてきたビジネスパートナーです。
こちらは「おじさん」ではなく「おじいさん」と呼ぶべき年齢ですが、ガッチリとした体は日に焼けていて、いかにも羽振りがよさそうです。
そした彼らの視線は窓の外、郊外の土地にぽっかりと空いた深穴に向けられていました。
大きさは高層ビルが丸ごと収まりそうなほど。不自然なまでに底が見えない真っ黒な穴です。そこから沢山の人が働きアリのように出入りしています。
あれが「東京ダンジョン」です。日本のダンジョンの中でもっとも大きく、もっとも多くの人数が行き来し、もっとも多くの未踏破地域を残す不思議な大穴でした。ここに潜るために、彼らふたりは海を越えてやってきたのです。
「あの大穴の先は文字通り別世界。中には危険な怪物がウヨウヨしてるが、地球上にはない素材やお宝もザクザクだ。初期に見つかった『結界石』と『熱電木』は知ってるだろ?」
「そりゃあ勿論。強力な閉じ込め磁場を出す石と、熱をそのまま電気に変換する木ですよね。核融合炉に使うやつ」
「その通り。今の日本で電気がタダ同然なのもダンジョン素材のお陰ってわけだ。そういうお宝をゲットして企業に売りつけりゃ大金持ちだ!」
ダングが自信満々に言いました。
「それにダチから聞いた情報じゃ、探索を主導してる企業連合は攻略の利権をめぐって内輪揉めの真っ最中だ。自分とこ以外の配信者に対する妨害行為の疑いまで出てるくらいでな。そうやって企業が足踏みしてる間に、俺たちでお宝をかっさらおうってことよ!」
「なるほど……」
ベンティサイズの抹茶フラペチーノをずぞぞと啜りつつ、デイブは頷きました。
あまりにも見通しが甘い気がしますが、ダングが持ちかける儲け話は大体こんなものです。海の底に眠る財宝を探して海賊とドンパチやったり、内戦中の国で秘匿された美術品を探したりした過去のビジネスに比べれば、ずっと楽で安全な仕事に思えました。
「しかし、何でそれを配信する必要があるんですか? 位置をバラしたらお宝を狙った賊に襲われたりするんじゃ……」
「むしろ安全のために推奨されてるんだぜ。ダンジョンの中は無法地帯も同然だが、出入り口はあの大穴ひとつだからな」
ダングが手慣れたセールスマンのようにスラスラと答えました。
「それに配信のアーカイブを残しておけば情報共有にもなるし、そこから人脈ができたりもする。……そして、これが一番大事なんだが」
「何です?」
「広告や投げ銭で収益が入るんだ! 探索の儲けも合わせりゃ、うまくいけば毎日銀座で寿司が食えるって寸法よ!」
「毎日お寿司!? それはやるしかないですね!」
デイブが満面の笑みで同意した後、ふと気づいたように言いました。
「でも僕、動画配信なんてやったことありませんよ?」
「心配ご無用! そういうのに詳しいダチに声をかけてある」
ダングがノートPCを操作し、WEB会議用アプリを立ち上げました。本来相手の顔が映っている画面には、黒スーツを着て獣耳を生やした女の子の2Dアバターが浮かんでいます。
「一日中配信にかじりついてる、筋金入りのダンジョン配信オタクだ!」
『はじめまして。プロスペクター、と呼んでください』
アバターが機械的な声で丁寧に名乗りました。女性のように聞こえますが、変声ソフトを通しているので、実際の性別はよくわかりません。
「はじめまして、僕はデイブです!」
『どうも。……ふーむ、ちょっと鈍そうですが、まあ愛嬌があるとも言えますか』
「ム」
デイブが眉根を寄せましたが、獣耳のアバターはどこ吹く風。プログラムされた朗らかな笑顔でふたりに笑いかけました。
『配信の設定やコメントへの対応は私がしますので、デイブ様は探索に集中してください。ダンジョンの知識もありますので、多少は探索のアドバイスもできるかと』
「なんか愚弄された気がするけど……まあいいや。よろしくお願いします」
デイブは丁寧に挨拶を返しました。
どうにも癖が強そうですが、ダングは金儲けにはシビアです。口だけのアマチュアを起用したりはしないでしょう。
「探索はデイブ、配信はプロスペクター、戦利品を売り捌くのは俺。しばらくはこの3人チームだ。さあ、そうと決まれば始めるぞ!」
そういうことになったのでした。
◇
ごごーん……ごごーん……ごごーん……
そんなわけで数百メートルほど移動し、東京ダンジョン深穴前。
デイブは深穴の縁に設置された無骨なリフトに乗り、ダンジョンの中へ降下していました。ダンジョン探索に商機を見出した企業連合が設置したものです。
「ちょりっちょりーす!」「わっぴっぴ~!」「ピーヨピヨピヨ! 愚かな人間共!」
車が4、5台は乗りそうなリフトにはデイブの他に10人ほどが乗っていて、何人かは手持ちのタブレットやドローンに向けて珍妙な挨拶をしています。配信者でしょう。
「僕もああいうのやらなきゃいけないのかなあ……」
対するデイブは無骨なヘルメットを被り、大きなカバンを背負って完全武装。
ジャケットの前後には開設されたばかりのチャンネル名「DEBU_DUNGEON」と、「Subscribe」と書かれた赤いボタン、サムズアップした親指が描かれています。配信中も常に好評価とチャンネル登録を呼びかけていくスタイルです。
荷物はひときれのパン、ナイフ、ランプ……ではなく、大人の頭くらいあるメロンパン、肉厚のマチェーテ、大容量LEDライトなど。本当はショットガンを持ち込みたかったのですが、いろいろな面で困難だったので見送りました。
『付け焼刃の一発芸や突飛なキャラ付けに頼っても、数字には繋がりません。最初は人目があるという意識さえ持っていれば、それでよろしいかと』
そばでホバリングする黄色いドローンから、プロスペクターの声が答えました。
ドローンはガード付きのプロペラを6基備えたヘキサコプター型で、ダングが調達した軍用パーツから組み上げたものです。胴体部分にはカメラや通信機などが詰め込まれていて、今はプロスペクターの2Dアバターを空中に投影していました。
「良かった! じゃあよろしくお願いしますね」
『ええ、貰ったお金の分は働きますよ。……では、リフトの下をご覧ください』
デイブが言う通りにすると、さっきまでは真っ黒な穴しかなかったはずのリフトの下には、鬱蒼とした森が広がっていました。
「森だ! さっきまで何も見えなかったのに!」
『ダンジョンの中に入ったからです。これより下は文字通りの別世界です』
「なのに通信や配信はできるんですね?」
『この中を満たす魔力の流れが電波を媒介し、ダンジョンの外に中継しているのです。セキュリティ意識のない隣家のWi-fiにタダ乗りするようなものですね。……さて』
画面外でカタカタとタイプ音が鳴り、アバターの横に「●配信準備中」の文字が浮かびました。
『開始時刻を5分後に設定しました。ともに初配信と参りましょう』
◇
【Auto Trans】初めての東京ダンジョン攻略【DEBU_DUNGEON】
◇
『――このバカみたいな体脂肪を抱えた男性はデイブ・ファットマンと言い、海賊の秘宝から始まり独裁者の隠し財産、遺跡の水晶ガイコツまで掘り当てた規格外の冒険者です。そんな彼の目的は“ダンジョンで一攫千金”にあり、そのためなら手段を選びません』
――
『草』
『いきなり散々な言われようで草』
『初見』
『Vtuberかと思ったら探索者と実況者が別なのか』
――
立て板に水を流すようなプロスペクターの語りの中、配信画面にコメントがちらほらと流れていきます。既に20人ほどがチャンネルを登録しているようです。
「探索する人が自分で実況することもあるんですか?」
『勿論。コメントを読んでいる間に魔物に襲撃されることもあるので、安全上の観点からはお勧めできませんが』
プロスペクターの解説を聞きながら、デイブはのしのしとダンジョンを歩いていました。
配信が始まった時には不安もありましたが、プロスペクターは流れるようなトークで見事に場を温め、視聴者を引き留めています。性格はともかく仕事ぶりは頼りになりそうです。
「この魔物っていうのも不思議な生き物ですよね。軍用犬よりは弱いけど……ん?」
「シュシューッ!」
デイブの目の前に生えていた木が突然ガサガサと音を立て、根っこを地面から引き抜いて立ち上がりました。
――
『お』
『来た』
『初見の反応楽しみ』
――
『あの魔物はトレントと言います。見た目の通り”歩く植物”と言うほかない生態で、頑丈な幹や枝を振り下ろして攻撃します。しかしこの魔物には明確な弱点があります』
「わーっ! 木が動いた! うわーっ!」
デイブは巨体に似合わぬ俊敏性で飛び退き、トレントのボディプレスを躱しました。
そのまま敵が身を起こす前に肉薄。大振りのマチェットを押し当て、峰側についた鋸刃でバリバリと幹を切り裂いていきます。
『……感知力が弱く動きも鈍いので、初手の奇襲さえ躱せばこの通りというわけです。擬態の上手さに攻撃力が釣り合っていない生き物、それがトレントです』
「うわーっ! うわーっ!」
「シューッ!?」
幹を完全に切断すると、トレントは断末魔の代わりにぶるりと震え、爆発四散しました。
後に残ったのは節くれ立った太い木の棒がひとつと、リンゴのような木の実がふたつ。それとくすんだビー玉のような結晶がいくつか。死して屍拾う者なしです。
――
『デブのくせに素早くて草』
『手際が鮮やかすぎる』
『ほんとに初ダンジョンかこれ』
『切り抜き作っていい?』
――
『切り抜きはご自由に作っていただいて構いませんよ。……ああ、デイブ様。魔石を拾うのをお忘れなく。ダンジョンの外で売却できますので』
「このビーチグラスみたいなやつかな? こんなの何に使うんだろう」
デイブが青い結晶を拾い上げて尋ねました。
『魔力を豊富に含んでいるので、研究用に企業連合が買い取っています。基本的には強い魔物ほど質のよいものをドロップします』
「その魔力っていうのもよく分かりませんけど……」
『我々の世界には存在しないエネルギーです。ダンジョン産のアイテムの中には魔力でしか動かないものもあるので、手広く集めているのです。それひとつで100円くらいかしら』
――
『魔石の値段ってそんなもんなんだ』
『初歩的なことから説明してくれて助かる』
――
『ありがとうございます。今回は初配信の初探索ですので、まずは基本からと。……魔物狩り専門でなくても、配信ついでに魔石を拾う探索者は多いですよ。7~8個も拾えば一食分くらいにはなりますから』
「割に合うような、合わないような……もしかしてこの実も売れるんですか?」
『いいえ、基本的に買い取りは魔石かアイテムだけです。おやつにでもされては?』
「じゃあ食べちゃおっと」
デイブは太い枝を杖の代わりにして、リンゴもどきをシャグシャグ齧りながら歩き始めました。あんまり甘くはありませんが、水分補給と思えば悪くない味でした。
『この調子なら1層は苦戦しないでしょうし、今回はフロアボスの顔を拝むあたりまで進んでみましょう。……では、ここからは移動タイムとなります。質問があればどうぞ』
「1層、2層って何ですか?」
『デイブ様に言ったのではないのですが……』
プロスペクターは呆れながらも説明してくれました。
ダンジョンというものは階層構造になっていて、階層ごとにいるフロアボスを倒せば次の階層に移動できる仕組みになっています。フロアボスは何度でも復活しますが、一度自分を倒した探索者にはもう敵対してこないのだとか。
そして大抵のダンジョンは全4~5層でおしまいですが、東京ダンジョンは7層まで踏破されているにも関わらず、まだまだ深くまで続いています。
深層探索を進めているのはほとんどが企業所属のガチ勢で、国の許可を得て最新テクノロジーで武装したプロ集団。安全に稼ぎたいフリーランスや、緩く冒険気分を味わいたいエンジョイ勢は、既に情報が揃っている既踏破層を主戦場にしている……というのが、今の東京ダンジョンの実情のようでした。
――
『調子に乗って深く潜ったところで大怪我することが多いから気を付けて』
『まだ10台なのに大怪我して下半身機械になった人とかいたよね』
『焦らずほどほどがいいですよ』
『いのちだいじに』
――
『だそうです、デイブ様。せいぜいお気をつけて』
「あはは……ありがとうございます!」
デイブは笑ってお礼を言いましたが、多分そうはいかないだろうな、とも思いました。
今日は初日なのでゆっくりした進行ですが、ダングは明日か明後日にでも「じゃあ深層に潜ってこい」と言い出すでしょう。そして、仮にダングが何も言ってこなかったとしても、一攫千金のチャンスは恐らく未踏の深層にしかないのです。
色々なことに思いを巡らせながら、デイブはプロスペクターの案内のもと、1層のフロアボスがいるという場所まで歩いていきました。
◇
「あれ……? 何もいませんね」
デイブが太い木の幹に隠れながら言いました。
目の前には円い広場のような場所があり、その奥には木でできた観音開きの大扉。手前には「FOREST BEAST」と刻まれた石碑が置かれ、門番の名前を周囲に知らしめています。
本来はここにフォレストビーストがいて、倒せば後ろの扉から2層に降りられるのでしょう。しかし、肝心の門番の姿はどこにもありませんでした。
――
『誰かが倒した直後なのかな?』
『森獣は可愛いから見てほしかったのにな』
『ぷいぷい鳴きながらケツ振るのかわいいんだよね』
――
『ふむ……残念です。想定していた取れ高がなくなってしまいました。大きなウォンバットのようで、あらゆる動作が愛くるしいボスだったのですが』
「それ、自分が見たかっただけじゃないんですか?」
『否定はしません。……ともあれ、このままでは2層にも進めません。数分もすればリスポーンしますから、それまで休憩でもされてはいかがでしょう』
「なら持ってきたメロンパンでも食べちゃおうかな」
デイブがどかりと腰を下ろした、まさにそのとき――2層へと続く大扉が、重い軋み音を立てて開きました。
「ん? ……んん!?」
這いずるように2層から上がってきたのは、血だるまになったひとりの女の子でした。
歳は若く、長い黒髪で、防御モジュールと特殊繊維を組み合わせた防護スーツを着ています。モジュールのいくつかは破損し、中の流体が赤い血に混じって漏れ出していました。
手に持っているのは薙刀のような長柄武器のようですが、へし折られたのか柄の部分しか残っておらず、ただの棒でしかありません。
――
『"なでしこ"の白菊ちゃんじゃないか』
『配信してなかったっけ』
『急に回線不具合で落ちてた。まずくないかこれ』
『救助呼ぼう』
――
「酷い怪我じゃないか! 手当てしないと!」
デイブは立ち上がり、ドローンを連れて女の子に駆け寄りました。
『大和白菊。配信グループ"なでしこ"所属、チャンネル登録者数105万人。深層攻略勢のひとりで、今日も配信中のはずですが……妙ですね。数時間前に突然終了しています』
「きっと魔物にやられたんだ。君、大丈夫かい!?」
デイブが女の子に肩を貸し、傷の調子を確かめました。
そして、気付きました。女の子の怪我は爪や牙、刃物などによる外傷ではありません。
……銃弾、それも対人用に使われる9ミリ拳銃弾の傷です。
「に……」
今にも死にそうな様子の白菊がデイブに縋りつき、掠れた声を絞り出しました。
「逃げて……!」
次の瞬間、派手な音がして大扉が吹き飛び、黒い影が弾丸のように飛び出しました。
デイブは咄嗟に白菊を抱き寄せ、地面を横っ飛びに転がりました。直後に無数の銃弾がふたりがいた場所を通り抜けました。
「いきなり撃ってきた!?」
デイブは素早く身を起こし、襲撃者の姿を確かめました。
身長はデイブと同じくらいですが、そのシルエットは異様なほど細身。少なくとも外から見える部位は全て黒い機械部品に置き換えられています。
両脚は稲妻のような形に折れ曲がった逆関節。腰にはプラズマスラスター、背中には撃鉄のような用途不明のパーツ。右手に小口径のサブマシンガンを持っています。
おそらくは第4世代、出力を保ったまま小型・軽量化した最新のサイボーグ。
これほどの改造度合、しかも全身を新品のパーツで固められるのはフリーランスではありません。少なくとも、ダンジョンの中で生まれた存在でないのは火を見るより明らかでした……ここに居合わせたデイブを見逃しはすまいということも。
「――お前、何を聞いた? まあいい、消えろ」
黒ずくめのサイボーグが全身に帯電し、背中の撃鉄をガチンと打合せました。デイブが身に着けた金属製品にバチバチとスパークが走り、そばのドローンが一瞬制御を失ってふらりと揺れました。
「あのサイズで電磁パルス兵器なの!?」
電子機器が強力な電磁パルスを浴びると、回路にサージ電流が流れて故障してしまうことがあります。白菊の配信が途中で不自然に止まったのは、このEMPで配信機材を破壊されたからでしょう。
つまり――目の前の黒ずくめの装備は、自分がカメラに映されないようにした上で、配信者を暗殺することに特化しているのです。
『デイ……ザザザ……大丈夫ですか? 一瞬通信が途切れましたが』
――
『何あれ』
『魔物? じゃないよね』
『犯罪だろこれ』
――
しかし幸運なことに、デイブのドローンは破壊を免れていました。軍用部品を使って組み上げたので、たまたま電子回路がシールドされていたのです。誰にも見られず暗殺を果たす敵の目的は、この時点で頓挫したと言えるでしょう。
「チ……いいドローンを使ってやがる」
ですが、今ここでデイブが生き延びられるかどうかは、まったく別の話です。
「うわーっ!」
デイブは女の子を抱えたまま一目散に逃げ出し、鬱蒼とした森の中に逃げ込みました。
黒ずくめは舌打ちして右手の機関銃を連射しましたが、9ミリ弾に太い木を貫通するほどの威力はありません。結局一発も被弾することなく、デイブの大きな身体は深い森の中に消えました。
◇
『……通報と救助要請を出しました。配信は止めましょうか?』
「いや、このまま配信しよう。ドローンを壊そうとしたってことは、あいつもカメラに映されたらまずいんだと思う」
深い森の中、ちょっとした盆地のようになっている場所で、デイブは身を隠しつつ白菊の手当てをしていました。
デイブに「逃げて」と伝えたきり、白菊は意識を失ったままです。銃創は肩、脚、脇腹にひとつずつ。致命部位への被弾はないようですが、いかんせん血を流し過ぎています。救助が遅れれば、命に関わるでしょう。
「企業連合が揉めてるとは聞いてたけど、まさか暗殺沙汰が起きるとは思わなかったな」
『とんだ初配信になってしまいましたね。この後は?』
「……」
デイブは少し考えました。
ダンジョンの外から救助と治安部隊が来るまでここに隠れている、というのもひとつの手です。しかしサイボーグの機動力を考えると、応援が来るより先に敵に見つかる確率の方が高いように思えます。
「待ち構えて、やっつけるしかない」
これまでのビジネスの経験から、デイブはそう判断しました。
幸い相手はひとりで、装備は暗殺に特化しているぶん火力不足。逃げ出したデイブに弾を当て損ねているところから見るに、使い手も若く、未熟のようです。
「けど正面切って戦うのは無理だ。何か考えないと……」
デイブが呟いた、そのとき――そばに生えた木が、がさがさと不自然に揺れました。
◇
「……」
派手にスラスターを吹かしてデイブたちを捜索していた黒ずくめのサイボーグが、ある地点で動きを止めました。
ちょっとした盆地のようになっている、いかにも隠れるのにうってつけな場所に生えた茂みの一角。そこで大きな何かが動いたのを、サイバネアイの動体センサーが感知したのです。
「……そこか。手間をかけさせる……!」
黒ずくめは足音を抑えてこっそりと近付くと、茂みに向かって銃弾を叩き込みました。
「なにッ!?」
「シュー……」
しかし茂みの中にいたのは、デイブでも標的でもなく――死にかけの状態で横倒しにされたトレントでした。
直後、爆発四散。黒ずくめは反射的に防御姿勢。そこに背後から助走をつけたデイブが飛び掛かり、強烈なタックルをかけて押し倒しました。
「悪いけど、僕だって死にたくないんだ!」
デイブがトレントのドロップした太棒を振り上げ、黒ずくめの頭を何度も殴りつけます。サイボーグとはいえ脳は生身であり、重いもので殴られれば震盪を起こします。
「舐めるな、デブが!」「うわーっ!?」
しかし、ここで無慈悲な出力差が首をもたげました。
黒ずくめは細身な外見からは信じられないほどのパワーでデイブを突き飛ばし、取り落としたサブマシンガンを拾い上げると、逆に馬乗りになりました。カバーで覆われたのっぺらぼうの顔面に、明かな怒気が滲んで見えました。
「ハーッ、ハァーッ……! クソッ! ドローンはどこだ! 撮っているだろう!」
「は、ははは……最新型って凄いね。細いのにとんでもないパワーだ」
「このッ!」
黒ずくめはデイブの横面を乱暴に殴りつけ、背中のEMP兵器を発動しました。
電磁パルスが周囲を駆け巡り、木の上で撮影していたドローンが制御を失い、枝にぶつかって墜落しました。
あとはこの男を殺してドローンを破壊し、標的を始末してゲームセット。サイボーグは憂さが晴れたように鼻を鳴らし、手にしたサブマシンガンをデイブに向けようとしました。
「僕みたいな旧世代型とは大違い」
ガシャン。
そのとき、デイブの太っちょのお腹が展開し、中から荷電粒子砲の砲口が露出しました。
「え?」
次の瞬間、至近距離から放射された熱奔流が黒ずくめを呑み込みました。
機構の型こそ古いものの、結界石-熱電木式マイクロ核ジェネレーターに直結した荷電粒子砲の熱量は、鋼すら跡形もなく蒸発させます。黒ずくめは一瞬で全身を焼き尽くされ、全身のサイバネ機構を誘爆させてバラバラに吹き飛びました。
「まったく……こんなとこでサイボーグとやり合うなんて聞いてないよ、もう」
デイブが疲れきった様子で立ち上がりました。仕事を終えた違法改造サイバネが蒸気を吹いて排熱し、再び腹部の奥深くに格納されました。
彼はプロペラの故障したドローンを拾い上げると、カメラの向こうにいるプロスペクターと視聴者たちに手を振り、自らの無事を知らせました。
遠くからは救助チームの足音と、呼びかける声が近付いてきていました。
◇
「がははは! 初日からチャンネル登録者数1万人とはやるじゃないか、デイブ!」
その日の夜、ダングが高笑いを上げてデイブの肩を叩きました。
救助された後――重症の白菊は無論、病院送り。デイブは短い取り調べのあと、居合わせた第三者に過ぎないとして解放されました。
荷電粒子砲については、発射の瞬間がカメラに映っていなかったのと、プロスペクターが取り調べの間に入って誤魔化してくれたため、「相手のボディが殴られた衝撃で異常を起こして爆発した」ということになり、違法改造の発覚は避けられました。
「何にせよ、今日はいい日だぜ! 企業同士の内輪揉めは真実、つまり俺らが勝ちにいけるってこった! 今日は銀座の寿司屋でパーッとやるぞ!」
「いいですね!」
不可思議なダンジョンに、過激化する企業対立。どうも今回のビジネスも楽にはならなそうです。そういう懸念をひとまず思考の端にやりつつ、デイブは満面の笑みで夜の東京に繰り出すのでした。
(一日目 終わり)