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【2】東京ダンジョン(鈴本恭一)



 青い空こそ、このダンジョンの象徴だった。

 マスターの愛した街。

 東京ダンジョン。



 ******



 日本館の最上階で、骨しかない首長竜が僕に襲い掛かる。


『フタバスズキリュウ出た!』

『フタバサウルス・スズキ!』

『ピー助!』


 視聴者が一気に色めき立つ中、高性能の僕は脚部のタイヤを高速駆動。前を向きながら後ろへ走る。同時に両腕の機関銃を発射。


 甲高い発射音が瀟洒なホール内に響いた。


 が、練馬イベントで入手した車載機関銃の斉射を首長竜スケルトンはものともしない。

 空中を泳ぐように飛ぶ7メートルの目標は肉も腱もない骨だらけの体で7.62ミリダンジョン弾の全てを弾き返し、展示ホールを出て中央吹き抜けまで後退した僕を執拗に追いかける。


 強い。この国立科学博物館イベントのボスに違いない。


『74式効いてない』

『7.62ミリじゃダメだ』


「やっぱり62式っていう機関銃の方もってくれば良かったんじゃない? 練馬にいっぱいあったし」


『超いらねえ』

『マジやめろ』

『74式置いてくれたダンジョンマスターの良心を無駄にするな』

『いいからとっととマデュース使え』


「任せてユド!」


 廊下の片隅から蒼い影が疾駆する。

 鈴のような可憐な声をあげながら、しなやかな動きで少女姿のラピが襲い掛かった。

 浅草エリアで手に入れたビームサムライソードを抜き放ち、一閃。長く広い鰭状の前足が断ち切られる。

 同時に、その非実体の刀身が柄ごと砕け散った。


寿ことぶき!?」


 一撃で耐久力を失った得物に驚くラピへ、首長竜が鎌首をもたげた。そのひどく長い首を柔軟にねじ曲げる。

 釘のような歯がびっしり並んだ口を広げ、1.5メートルのラピに牙を向け、


「それはよくない」


 僕の肩の重機関銃に体躯を撃ち抜かれる。

 12.7ミリダンジョン弾は先ほどとは比べものにならない轟音を重々しく響かせ、フタバスズキリュウの骨格を破砕し貫通し壁や天井へ弾痕を刻む。


『マデュース!』

『M2最高! M2最高!』

『ブローニングは神』


 高速発射音を立て続ける武装に視聴者が騒ぐ。妙にファンが多いなこの武器。

 人気武器の弾丸はフタバスズキリュウの胴体を貫くが、頭や首には当たらない。肋骨や背骨を砕いても見えない糸で繋がっているかのように平然と浮かんでいる。


『頭やれ頭』

『狙ってそれとかマジ?』

『クソエイムおつ』

「制圧射撃ってご存知?」


 小うるさい視聴者をあしらう僕に、首長竜が頭蓋を向ける。巨体の割りに小さな頭が、屋内戦用に手足を折り畳んだ僕を捕捉する。

 隙が出来た。


「ラピ!」

「ありがと!」


 青い長い髪が翻る。

 小さな体が疾風になって駆けた。床を跳ね壁を蹴りあっという間に首長竜の頭蓋の付け根へ肉薄。ふた振り目のビームサムライソードを抜刀。蒼い一条の光が迸った。


 音もなく、フタバスズキリュウの首が落ちる。


 その瞬間、見えない何かで繋がっていた全身骨格が力なくバラバラになって床に落下。強敵はただの物体になって散らばった。


『さすラピ』

『ラピちゃんマジ頼りになる』

『もうラピちゃんだけでいいんじゃないかな?』


 失礼極まる視聴者たちを無視し、僕はラピへ手を振る。


「ありがと、ラピ」

「ユドもナイスアシスト。おおとりは壊れちゃったけど」


 球体関節の手を僕に振り、フリルいっぱいの白ブラウスと袴風ズボンの上に水色の羽織を纏った青い髪のラピが、左右で濃さの違う青い瞳を細めて微笑む。しかしその手にはサムライソードの残骸があった。


「ごめん、また浅草イベントでも巡ろうよ。今度は僕が手伝うから」

「ありがとう。でもまだみやびきりんもあるからだいじょぶ!」


 ズボンに差した2本のカタナ――僕の知る限りでは6代目になる――を僕に見せ、ラピは朗らかに笑った。


 そんなラピの青い瞳に、僕が映っていた。


 ボックス型の胴体。タイヤを備えた4本の多関節手足を屋内用に折り畳んでいる。両腕には車載機関銃。肩には重機関銃とミサイルランチャー。


「ユドの懸賞金イベントだから、私が手伝いたかっただけなんだ」


 ラピが柔らかくはにかむ。



 ………視聴者はエリアのイベントに懸賞金を設定できた。



 懸賞金は攻略に成功したら僕に、失敗したら視聴者に戻る。

 ただ事前にどの懸賞金イベントに挑むのかは僕はマスターと相談できた。勝算があって挑むから失敗はしづらい。


「せっかく懸賞金かけたのに、失敗するところは見たくないからね」

「そうだね。実績ほしいしね」


 ラピが微笑み、僕は肯う。

 ダンジョンで見付けたものはダンジョンマスターか他の探索者に買い取ってもらう。ダンジョンの金はダンジョンでしか稼げない。

 視聴者がどういう意図で貴重な金を懸賞金にしているのか、高性能な僕にも分からない。

 僕らが破壊されるのを見たいのか、単に博物館を見てみたいのか。可能性は無数にあった、面倒くさいことに。

 だからラピのシンプルな考えが、僕は好きだった。


『フタバスズキリュウでこれなら日本館ルートで正解だったな』

『ゼロ戦も今ないしな』

『え、日本館ゼロ戦ないの?』

『あれは筑波とかにいった』

『マジで?』

『地球館ルートだとTレックスとかいるしな』

『トリケラとアパトに勝てる未来が見えない』

『ティロとバシロのコンビで詰む』

『パラケラテリウム兄貴がどうしようもない』


「きみら何の話で盛り上がってるの?」

「でも今の恐竜をやっつけたから、イベント終了なんじゃないの?」

「いや、終了の通知が来なくて……」


『フタバスズキリュウは恐竜じゃない』

『恐竜は海にいない』

『首長竜は首長竜っていう爬虫類で恐竜じゃない』


「あ、そうなんだ。みんな物知りだ!」


『ラピちゃん素直すぎる』

『めっちゃ良い子』

『ぽんこつゴーレムとは違って』


「おい今僕の悪口言っただろ気付いてるぞおい」

「喧嘩しない喧嘩しない。マスターはイベントのボスがどれなのか教えてくれなかったの?」

「マスターは、僕の装備で倒せるかどうかだけ教えてくれて、どれを倒せばいいのかは教えてくれなかったか――――」



 そのとき。


 僕の高性能な感知器が、それに気付く。



 中央ホールの天井。アーチとドームを組み合わせた優美な白亜の天井。

 そこにあしらわれた鮮やかなステンドグラス。

 木と鳥が描かれたその向こう側。


「ッ!」


 僕はラピを片手で抱える。もう片手を咄嗟に吹き抜けの一番底、一階へ向けた。

 下方向へ向けた手首から先がワイヤーを伸ばしながら発射されるのと、天井が轟音を立て崩壊するのは、ほぼ同時だった。


「ユド!?」


 驚くラピを抱えたまま僕は一階へ躍り出る。一階の正面玄関の柱を掴んだ手がワイヤーを高速で引き戻す。僕らはワイヤーに引かれて正面玄関へ到達。無数の瓦礫が吹き抜けの中央ホールに落下し激しい轟音と振動を撒き散らす。


「ユド、あれ!」


 舞い上がる粉塵の向こう、破砕された天井の先に、青い空がある。東京ダンジョンの象徴である蒼穹。

 その下に。


「………なにあれ」


 赤い眼。

 青灰色の体。無数の細長い皺。

 冗談のように巨大なものが、僕らを見下ろしている。



『―――――シロナガスクジラだ』







 東京ダンジョン・上野エリア、国立科学博物館イベント・日本館ルート。



 その攻略すべき最後の相手が、僕ら2体のゴーレムの前に姿を現した。





 ******




 東京ダンジョンの青い空が、視聴者は殊の外お気に入りだった。

 そんな青空と博物館の間で泳ぐのは、全長30メートルに達する流線型の体躯をした一頭のクジラだ。


『シロナガスクジラ!』

『史上最重量の生物!』

『3代目!』

『え、待ってあれと戦うの?』

『TOW撃てTOW!』


 視聴者たちが一斉に騒ぎ出す。

 僕はラピを抱えたまま崩壊した天井に向け、重機関銃を発砲。

 首長竜の骨を砕いた12.7ミリダンジョン弾が、巨大クジラの皺だらけの底面へ吸い込まれるように命中。

 ……僕の高性能の視覚は、その銃撃の全てが容易く弾き返されたことを観測する。欠片も痛痒を感じていない。


「まずい」


 僕は冷静沈着に状況を把握する。まずい。要するにだいぶまずかった。


『ブローニングが効かない!?』

うねが硬すぎる!』

『捕鯨砲もってこい!』

『TOW使えって早く!』


 視聴者達の喚きに指示されるまでもなく、僕はミサイルの安全装置を解除。照準を定めようとした。


 が、それよりも早く、クジラの下あごが膨張する。


 細長い優美な流線型の体の先端、口と思しき場所が異様なまでに膨れ上がった。


「ユド!」


 ラピが警告するのと僕が全速力で玄関から外に出るのと、クジラの膨張した頭から轟音が発せられるのは、全くの同時だった。

 激烈な衝撃波が、国立科学博物館を吹き飛ばす。

 僕らが攻略した3階建ての建物が冗談のように割られて砕かれ、地面が縦に揺れてしまう。


「砲弾や熱線の類じゃない。声だけで吹き飛ばした。範囲外に出る以外に防ぎようがない」

「クジラって海ってとこにいるんでしょ? 海こわい。みんなよく遊べるね」


『誤解だ』

『いてたまるか』

『マデュース弾き返すクジラとかいやすぎる』

『TOW使えTOW!』

「分かってるって」


 濛々と粉塵煙を立てる国立科学博物館を出て、上野公園の噴水広場まで移動する。

 起動していたダンジョンミサイルを再照準。

 空中に浮かぶ巨大なシロナガスクジラを狙い、発射。


 肩のランチャーから意外と軽い音を出してミサイルが飛翔する。

 飛翔体側面から噴炎を放ち、底面からは2本の誘導ワイヤーをたなびかせ、高速でクジラの腹部へあっという間に直撃した。


 一瞬だけ弾ける橙色の火球。

 爆裂し広がる灰色の煙。

 練馬イベントで戦闘車両を撃破したミサイルの攻撃。

 それを。


 ―――30メートルの巨鯨は、全く意に介していなかった。


『無傷かよ…』

『TOWでダメならもう無理じゃん』


 あれほど騒いでいた視聴者たちが言葉を失う。

 僕の装備する武装で最強のダンジョンミサイルがまるで効いていないので無理もない。


「ユド、今の装備じゃ歯が立たないよ、どうする?」

「今考えてる」


 畝というらしい、クジラの底面に刻まれた深い皺のような肌は硬すぎる。僕のミサイルは駄目だった。ラピのサムライソードは? 駄目な気がする。僕の勘は当たる。高性能だから。

 あの畝を破壊する武器は僕らにはない。


「ラピ、君はイベントを破棄していい。君が壊れるところを僕の視聴者は見たくない」


 僕は腕に抱えた同業者を見て促す。するとラピは小さな顔を優しく微笑ませ、


「私の視聴者は、友達を見捨てるところを見たくないの」


 腰からリボルバーピストルを引き抜き、僕の背中に乗る。僕は走り出し、クジラから離れた。クジラは再び口を膨らませ、轟音を出して噴水広場を破壊する。

 僕はタイヤを高速回転させて上野駅まで走った。

 イベントボスはイベントを破棄しない限りどこまでも追ってくる。

 上野公園を覆うように、悠然とシロナガスクジラが泳いでいた。


「ユドこそ、イベント破棄しなくていいの?」

「せっかく僕の視聴者が懸賞金を掛けたんだから、ありがたく頂戴するのが高性能ゴーレムってものだよ」


 車道を走り上野駅から東を進む僕らへ、青灰色のクジラが音もなく泳ぎ追いかけてくる。

 時折あの轟音を吼えて駅だったりビルだったりを破壊する。


『これどこ向かってんだ?』

『倒せるのあれ』

『無理じゃね?』


「倒せない相手ならマスターがそう言ってる」

「でもミサイルも効かなかったよ?」

「畝は無理だね。あいつは空を泳いでる。下からの攻撃はたぶん効かない。だから……」


 僕は走る。東に向かって。


「あいつより高いところを目指そう」










 ******




 かつては人間も挑んでいた東京ダンジョン。


 今は誰も挑まない東京ダンジョン。


 僕らしか挑まない東京ダンジョン。





 ******














「見えた!」


 ひたすら東へ東へ走り続ける僕らの視界に、それを捉える。

 正確には、それはずっと視界にあった。

 他の建築物とあまりに大きさが違いすぎて、当たり前のように視界にある。


 籠を思わせる長大なトラス構造と2つの展望台。

 東京ダンジョン最大の高さを誇る塔。


『スカイツリー!』

『634メートルの化け物タワー!』

『下手なダンジョンよりダンジョンしてそうなやつ!』


 上野エリアを薙ぎ払い浅草エリアを吹き飛ばす破壊の化身のようなシロナガスクジラに意気消沈していた視聴者が、久しぶりに賑やかになる。


「それでユド、作戦はあるの?」

「上に登る。下からいくら攻撃しても無駄。上からだったら、もしかしたら攻撃が通じるかもしれない」

「なるほど、スカイツリーならクジラの泳いでるところより高いもんね」

「そう。けどひとつだけ問題があるんだ」

「え、なに?」


 背中に乗り青い長い髪をはためかせるラピに、僕は彼女の横にあるミサイルランチャーを示す。


「ミサイル、あと1発しかない」

「え?」

「練馬でゲットしたとき手元に残ったのは2発だけだったからね」


 ランチャーの残弾表示数は、1。

 ダンジョン弾はコンビニで買えるけどミサイルはそうはいかない。他のロケット砲とか持ってくれば良かった。


「つまり、失敗できないってこと?」

「仰る通りでございます」

「わぁ」


 濃さの異なる両眼を丸くして、ラピはぐっと拳を握り込み、


「気合い入れてこ」


 昂ぶる眼差しで微笑んだ。蒼と青の瞳を燃やす。

 かと思うと、あれ、と首を可愛らしく捻った。 


「ところでユド、上を取ったとして、その後どこ狙えばいいと思う?」

「そうだねえ………みんなどう思う?」


『他力本願かい』

『弱点はない』

『シャチでさえ滅多に襲わない。襲うのは人間くらい』

『でもシャチがクジラ窒息させてるの見たことある』

『クジラは鼻が上についてるからな』

『窒息で死んだのはシロナガスじゃない。シロナガスだったら吹き飛ばせる』


「窒息ってなあに?」

「排気ガスを外に出せなくて体がおかしくなること」

「わ、大変だ」

「まぁあのクジラが呼吸してるようには見えないけど。でも狙う価値はありそうだ」


 僕らは作戦を取り決め、総合商業施設や水族館の入ったビルへ腕を発射。手が外壁を掴み、ワイヤーが僕らを引き寄せる。


 同時に、シロナガスクジラが頭を大きく膨らませた。

 幾度目かの轟音が響き渡る。

 暴力的な衝撃波はスカイツリー周辺を激震させ大量の土煙を上げた。

 僕らは構わずスカイツリーの桁外れに大きな外壁を目指す。両腕を交互に発射してワイヤーで上昇。


「ユド、どこまで昇るの!?」

「第一展望台。350メートルも昇れば充分」


 籐籠みたいな特徴的な外側トラスへ手を伸ばした僕らの後ろで、爆音が鳴り響く。

 あのシロナガスクジラが東京ソラマチのビルを爆砕した。衝撃波がスカイツリーごと僕らを揺さぶる。


「これタワー壊されない!?」

「信じよう」


 言った直後、凄まじい轟音が僕の体を押し上げる。

 シロナガスクジラの咆哮がスカイツリーの根元を直撃した。

 周辺の様々な設備が冗談のように吹き飛ぶが、


『すげえ、耐えてる!』

『スカイツリー最強!』

『心柱制振は伊達じゃない!』


 東京ダンジョン最大の塔を崩すことは出来なかった。

 僕は交互に腕を伸ばしその巨塔をどんどん登っていく。634メートルのスカイツリーの前だと、3メートルの僕はアリ同然だった。


「でもあっちも早い! 背中狙えない!」


 僕の背中に乗るラピが叫ぶ。

 クジラは塔を壊すのを諦め、頭を空に向けて上昇する。スカイツリーと平行になる向き。僕らには腹しか見えない。


「じゃ、仕方ないね」


 僕は決定する。


「東京ダンジョンの戦い方で勝たせて貰おう」


 僕らは第一展望台の外壁に到達し、止まらずなお上を目指し続ける。

 クジラと僕らの上昇速度は、残念ながらクジラの方が僅かに早い。徐々に距離を縮められていく。

 僕は構わずさらに上を目指し、高さ450メートルの第二展望台に辿り着いてもなおスカイツリーを登り続けた。

 長大なアンテナユニット、ゲイン塔に取り付きそれを登る。登る。登る。


『もう上ない』

『一番上の制震装置で追い付かれる』

『おわったわ』


「そうだよ。もう上はない。上はないんだ」


 悲観の嵐になる視聴者達へ、僕は頷く。

 同時に、各機能のリミッター解除。

 出力を120%に押し上げた。


「どうして東京ダンジョンには飛行機がないのか知ってるかい?」


 そして僕はついに、スカイツリー頂上へ到達した。円形の、いくつもの装置を置いた最上部。634メートル。広大な東京ダンジョンが一望できる。地上を埋め尽くすような大都会ダンジョン。

 そのさらに上には、清々しい青い空。

 僕はそこへ、あらん限りの力を振り絞って跳躍した。

 脚部から大負荷の警告。


 宙を舞う。


「ユド!?」


 ラピが驚く。無理もない。クジラはもう目の前だった。両脚が壊れそうなほど大ジャンプしても、空に真っ直ぐ進むクジラの背中側には回れない。クジラが僕らを捉えようさらに空へ空へ音もなく加速。


 そのタイミングで、僕は腕を上げた。手首を過剰な大出力で発射。警報が響く。

 空へ向けて、ワイヤーロープ付きの手を放った。


 蒼穹へ砲弾めいた早さで腕が飛ぶ。

 そして。











 ――――――――――――青い空に、手が刺さった。







『あ』


 視聴者が驚く前に、僕はワイヤーで体を引っ張る。ワイヤー巻き上げ機構が火花を上げた。クジラの進むコースから僕らは逃れる。

 クジラは進み続けた。

 進み続け、そして、




      空に、激突した。





 巨鯨が吼える。のたうつ。流線型の口先がひしゃげる。

 あの巨体が、見えない壁にぶつかって力なく落下した。

 青い空に刺さった手でその見えない壁に取り付いていた僕は、手を引き抜き青空を蹴る。シロナガスクジラの背中が見える位置へ跳ね降りた。


「あれか」


 僕は青灰色のクジラの背中、その頭の中央に見えるハート型の孔を見付けた。鼻だ。

 ダンジョンミサイルがすかさず照準。発射。

 僕の誘導に従いワイヤーの尾を引いてダンジョンミサイルが高速で命中する。


 その直前、孔に蓋がされた。


「おい!」


 僕は思わず叫んだ。ダンジョンミサイルが直撃。爆炎と爆煙。灰青の皮膚は黒々と焦げ、しかし鼻の孔は蓋だけを吹き飛ばされ傷が浅い。ミサイルはもうない。機関銃を闇雲に撃つか? その間にクジラは体勢を整え僕らを蹂躙する。終わりだ。


「ユド!」


 諦めた僕の背で、ラピが叫ぶ。


「私を!」


 僕は彼女の言うことをすぐに理解した。右手でラピを掴む。

 そして空に撃ったように、クジラへ向けて最大出力で発射。ラピごと。右腕の機構が吹き飛ぶ。ワイヤーが切れた。

 ダンジョンミサイル並の速度で放たれた僕の手に掴まれて飛翔するラピは、腰に差した2本のサムライソードを抜刀。


みやびッ!」


 クジラの鼻へ蒼い砲弾が突き刺さる。

 非実体の刀身が烈光となって肉を灼き裂く。


きりんッ!!」


 2振りのカタナが目映い光を出して弾け飛ぶ。

 巨鯨の肉ごと。

 クジラが赤い眼を開いて吼えた。断末魔の声。致命の叫び。






    《――――――シロナガスクジラの撃破に成功。懸賞金を受領しました。おめでとうございます》






 マスターからの通知。イベントを攻略した。クジラの巨体が痙攣し幻のように霧散していく。

 そこから地面へ落下していく小さな影。


「ラピ!」


 僕は落下しながら、残った左腕をラピへ向ける。発射。ワイヤーが伸びる。距離と相対速度を勘案して導き出した予測位置で、彼女を正確に掴む。


『神エイム』

『それだけ天才』

『ロケットパンチだけやってろ』


 小うるさい視聴者を無視し、僕は落ちながらラピを引き寄せる。


「やったよユド!」


 落下の風切り音に包まれる中、ラピは嬉しそうに笑った。


「ま、僕らにかかればこんなもんさ。実績も稼がせて貰ったよ」


 ラピを僕の体に掴まらせ、スカイツリーの複雑なトラス構造の外壁に手を発射。巨塔に掴まりぐるんぐるんと降りていく。


「実績集めたら、他のダンジョンに行って良いってマスター言ってたもんね。楽しみだよね、みんなと会えるの」

「まぁ、退屈はしないんじゃない?」


 僕は素っ気なく言ったつもりだったが、ラピは優しく微笑んだ。彼女にはかなわない。


「………でもさ、ユド」


 スカイツリーの足元、クジラに薙ぎ払われて半分崩壊した広場へ降りたとき、そんなラピが表情を曇らせる。


「あの倒し方は、大丈夫かな……」

「大丈夫だよ。マスターは心が広いから、ダンジョンの天井にぶつかったくらいじゃ怒ったり――――」



《通知。通知。通知》



 突如、スカイツリーが真っ赤に輝く。



《ゴーレム・ユドは当ダンジョンでの禁止行為に抵触しました。ペナルティとして以下の行為を実行に移さない場合、実績は剥奪されます》


「げ」


『許されなかった模様』

『せやろな』

『ここのダンジョンマスターは青空大好きだからな』


 淡い朱色から黒ずんだ暗紅色まで、様々な赤い色を放って明滅するスカイツリー。

 その光を浴びた周囲の建物が、逆再生されるかのように修復されていく。

 浅草エリアと上野エリアを直すマスターが、僕に命じた。


《ゴーレム・ユドは保有するアイテムをセール品として開示すること。その際は定額の半額以下にすること。アイテムの設定をダンジョン間での相互使用可能にすること》


 今までダンジョンで手に入れたものを視聴者に売れ、とマスターは命令していた。

 視聴者達が歓声を表す。


『さっすがダンジョンマスター、話が分かる』

『89式くれ89式』

『機関けん銃ほしい』


「ちくしょうめ……」


 僕は罵る。今まで集めた苦労が消えた。けど実績を無効にされたくはない。売るしかない。


「私もカタナ、全部なくなっちゃった」


 ラピが左右で濃さの違う瞳を細め、困ったように笑う。僕はやれやれと思い、


「じゃ、浅草寺あたりで漁ろう。また一緒に」

「うん!」


 嬉しそうに笑うラピ。きれいだといつも思う。


『ラピちゃん天使』

『この笑顔と銃火器見るためにここ来てる』

『あと青空』

「おい僕のことも少しは見ろ」

「はいはい喧嘩しない喧嘩しない」



 騒々しく僕らはじゃれ合う。

 いつものやりとり。




 ここは東京ダンジョン。



 ゴーレムが挑むダンジョン。







































 ******




 ゴーレム以外だれも挑まない東京ダンジョン。



 人間はみんな、他の東京ダンジョンに挑んでいる。




 他の東京ダンジョンは、どんなところだろうか。





 ******

















 視聴後にユドのセール品を買って、俺は江戸川のダンジョン行きバス停留所で待つ、仲間達のところに合流した。


「パンツァーファウスト3じゃんよく買えたな!」

「運を使い果たした気がする」

「ユドの店、62式だけやたらあって笑ったわ」

「ラピちゃんからもらったカタナは誰も買わなかったの、ほんと良い」


 ダンジョン行きのバスを待ちながら、俺たちは江戸川の向こうを見た。

 どろどろとした真っ赤な空の下に、異様な雰囲気に包まれた街がある。



 東京ダンジョン。



 ユド達のダンジョンは、ここじゃないどこかに創られた架空の東京だ。かつてそれぞれのダンジョンマスター達が好きに作り、俺たち探索者を招待し遊ばせた偽りの東京。

 が、俺たちの前にあるのは、本物の東京だった。


 常に赤黒い空に覆われた、狂ったダンジョンマスターに奪われた街。




 ―――――イベントクリアの実績を重ねれば、ダンジョンを廃止して東京を返す。




 そう言って、そのダンジョンマスターは俺たちの東京を勝手にダンジョンにした。

 ユド達がいるような架空のダンジョンで遊んでいた俺たちは怒りに震えた。

 他のダンジョンマスターも怒った。アイテムを別ダンジョンで使えるようにして俺たちに売っている。

 イベントの攻略法までゴーレムを使って検証してくれた。

 懐かしい東京の青い空も見せてくれた。


「じゃ、シロナガスクジラぶちのめしにいくか。倒し方わかったしな」

「スカイツリー登る?」

「いや普通に待ち伏せすればいいだろ。ビルの上あたりで」


 バスが来た。俺たちは今日もダンジョンに潜る。

 東京を取り戻すために。



 ユド達のいるダンジョンへ、また遊びに行くために。




(完)




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