第31話 ベレノア領
朝、フワッとした猫っ毛を顔に押しつけられて、目が覚めた。
柔らかい髪質が心地よい。
青灰色の髪からぴょこんと飛び出した猫耳がまたいい。
ふぅっと息を吹きかけると、ぴくぴくっと動く様は見飽きない。
猫耳は可愛いの象徴だと思う。
猫ちゃんの髪に顔を埋める。
くんくんはぁはぁ。
昨日は風呂に入っていないので微妙に獣臭さもあったが、女の子の匂いは格別である。
ちゃんと洗浄しないと臭くなるが、毎日のケアは忘れていない。
最初に臭いを嗅いだときのような悲惨な状態には、もう二度とさせない。
猫ちゃんの頭に頬ずりした。
なんでこんなに愛おしいのか。
これは朝の日課だ。
最近はこれをしないと、一日が始まらない。
猫ちゃんも起きた。
体をくっと伸ばして、くわっと欠伸を漏らす。
まだ開き切らない寝ぼけ眼のまま、猫ちゃんは顔を寄せてきた。
なんだい? 朝からチュッチュかい? 大胆だなぁと思っていると、俺の首あたりをすんすん嗅いできただけだった。
まんま猫だった。
そこに色気は微塵もなかった。
目の前にいるのが俺だとわかったからか、ひとつ頷いてから離れた。
この子は起きたときに俺が傍にいないと泣き出すらしいからな。
まだ幼い獣人で、知的になるのはもう少し成長を待たなければならない。
そうなれば俺がいなくても泣くことはなくなるだろう。
いまは俺にべったりだが、今後どのように成長するのだろうか。
マリノアみたいに、昔の自分=恥と思って生真面目になるのか。
猫ちゃんに限ってそれはないか。
同じ猫系獣人を見ているとわかる。
彼らは縛られるのを嫌い、気ままに行動する。
そのくせ独りぼっちになるのが嫌で、遠くにいたと思ったら、今度は近すぎるくらいに寄ってくる。
猫ちゃんも例に漏れず、行動範囲をいまより広げて、気が向いたときに甘えてくるのだろう。
さばさばしているように見えるだろうが、悪くない関係だ。
マリノアのように自意識ばかりが成長してしまうより、接しやすい。
横を見ると、薄着のマリノアがしなやかでほどよく筋肉のついた体を、あぐらをかいた姿勢から後ろにぐっと逸らしているところだった。
おへそのくぼみが見えていたり、胸のわずかな膨らみが強調されていたりして、おじさんは目が釘付けだった。
健康的な犬系少女もいいね!
俺の視線に気づいたのか、マリノアはちょっと顔を赤くしてそっぽを向いた。
これもこれでなかなか……。
マリノアは辱めるたびに可愛さに磨きがかかるタイプだ。
お漏らししたときも、嬉ションしてしまったときも、ものすごく保護欲をそそられた。
まあ、基本お漏らしキャラだよね。
十一歳なのに。
それにしてもベッドは寝心地が良かった。
キングサイズである。
三人が大の字に寝転がっても倍以上の余裕がある。
久しぶりに爆睡してしまった。
やはり野宿だと、目に見えない疲れが溜まって行くようだ。
さて、昨日は夜半にボンボン公爵の城に到着して、着ているものを脱いだらそのままベッドだった。
今日は公爵との会食がある。
千を超える獣人を無償で保護してくれたことには感謝するが、それだけで人を信用するほど甘くはない。
ただ単に獣人の保護を目的とした慈善事業なら、俺だって協力を惜しまない。
しかしボンボンは太っている。
ありていに言えばデブだ。
それが悪いというわけではないのだが、良い物を食べて肥え太ったのだろう。
手に入れようと思ったものはなんでも手に入れてきたような傲慢さが、そのでっぷりしたお腹にはあるのではないか。
彼の肥満ボディは、嫌でも猜疑心を掻き立てる。
獣人だって、彼が手に入れたいと思ってこうして手に入れているのではないか。
その不信感は消えない。
猫ちゃんがじゃれてくるので、ベッドの上で取っ組み合いになった。
大人なレスリングではなく、読んで字のごとく組み敷いたら勝ちという子供ルールだ。
俺は座りながらも瞬く間に猫ちゃんをひっくり返し、頭を下に、お尻を天井に突き上げる姿勢にした。
腿の裏とお腹を一緒に抱え込めば、大人の前戯でよく見られるなんとか返しという奴の完成だ。
猫ちゃんが大人になったら、この妙技を心行くまで味わってもらおう。
猫ちゃんはジタバタもがくが、抜け出せない。
そういう体勢だからな。
尻尾がぺしぺしと顔に当たるが、むしろ気持ちいい。
猫ちゃんと戯れている間に、メイドが呼びに来た。
ぴょこんと兎耳が生えていた。
隷属系の装備品も奴隷紋も付いていないので、雇われてここにいるのだろう。
俺は少しだけボンボンを見直した。
まぁ、奴隷解放のために動いた人間が裏で奴隷を使役していたら、即成敗だよな。
メイドさんは、俺たちの着替えを用意してくれた。
会食には俺についてきた猫ちゃんやマリノア、リーダー格だった熊さんやミル姉さんが席に着いた。
長いテーブルの上座にボンボンが座っており、両手を広げて迎えた。
「長旅での疲れは癒えたでありますか? ぐっすり眠られたならなによりですぞ。我輩、いま気力に満ち満ちておりますぞ。なにせ、宿願だった東の大国に勝ちを収めたばかりか、こうして獣人たちと席を並べて食事ができるのでありますからな! 念願が叶って、我輩、感動で胸がいっぱいでありますぞ! 実に愉快であります!」
ボンボンは乗っけからテンションが高かった。
誰も付いていけない。
給仕でカートを押してきたメイドは、馬の耳が生えていた。
お尻には尻尾の房が垂れている。
皿が並べられている間は黙っていた。
メイドさんが下がると、俺は口を開く。
「とりあえず昨日話せなかったことから言いましょうか。昨日は夜に到着してすぐ、寝てしまいましたから。半月の間になんとか周辺を切り拓いて家を建てて、冬を越える準備はできましたよ」
「重畳でありますな! 着々と村ができていくのですぞ! 吾輩、いますぐ村に行きたい思いですぞ!」
ボンボン公爵ならそういうだろうと思った。
まあ領地持ちの公爵なら、そんなにホイホイと出掛けていられないだろうが。
「火山周辺の強そうな魔物もあらかた片付けておきましたので、何かあっても彼らだけで対応できるでしょう」
「それは素晴らしいですな。赤魔導士アル殿がそう言われるなら心強いであります!」
村を作ると決めてから三日後くらいに、ボンボンが手配した物資の輸送があった。
木々を切り拓くための道具や、食糧が馬車二十台を超えていた。
おかげで千人弱の集落が、半月の間に出来上がったのだ。
横を見ると、猫ちゃんがよだれを垂らして皿を見つめている。
この愛くるしい猫ちゃんのためならなんでもできそうだ。
「獣人か」
ふと思った。獣人と人の違い。
獣人は獣より人に近く、理性より本能が強い。
要するに猫ちゃんがいい見本である。
マリノアは、本能的な部分に劣等感を持っているようで、理性的な自分であろうとする。
そういう背伸びしたところも可愛げがあるのだが、本人に言うと気にしているのかヘソを曲げてしまう。
「まずは食事にしましょうぞ。お腹を空かせていては楽しむものも楽しめませんからな!」
ボンボンの取り成しで食事が始まる。
始まった途端、そういえば猫ちゃんにテーブルマナーを教えてないなーと思った。
案の定、ナイフとフォークの存在を華麗にスルーして、両手をベタベタにしながら皿から料理を食べていた。
「おおう……」
なるべく食事のときには礼儀作法を教えよう。
俺は固く心に誓った。
というか保護者として、なんか恥ずかしい。
「無理だと思います」
横合いから水を差してくるのは、粗野ではないがマナーを知らない食べ方をするマリノアさんだ。
ナイフを使わず、フォークを垂直にぶっ差して、小さな口で肉を食いちぎっている。
「わたしの食べ方も何か変ですか?」
「うん……ええと、まぁ……」
俺がこくりと頷くと、マリノアは顔を赤くしてフォークを置き、俯いてしまった。
「改まった場で食事したことないんです……」
フォークを使ってるだけましだと思った。
彼女の隣の熊さんは、肉を手掴みで持ち上げ、上から口に落として、まさに肉を食らってますよという有様だ。
ミル姉さんは草食系なので、添えてあるポテトやサラダのみをフォークで刺して食べていた。
「ナイフあるよね。それで一口大に切ってからフォークを刺して食べるんだ。一度口を付けたものを皿に下ろすのは、行儀が悪いかなー」
こくこくとマリノアが頷いて聞いている。
「作法など気になされますな! うまいものを美味しく食べられれば結構であります!」
そう言うボンボンだが、ナイフは滑らかに動き、肉にすっと入っていく。
全く力が入っているように見えない。
一口大の肉は吸い込まれるように口に消えて行った。
食べ慣れすぎて洗練されたのだろうな。
猫ちゃんは口をもきゅもきゅ動かしているが、口の周りはソースでベタベタだ。
猫ちゃんが視線に気づき、こちらを向いた。
うまいものを食べられて幸せと言わんばかりのこぼれるような笑顔になった。
こちらもつられて笑ってしまう。
ボンボンも満足そうだ。
笑顔につられて笑顔になる。
猫ちゃんはボンボンの美味しく食べる、を表したような食べ方だ。
汚しまくっているけど。
肉を飲み込んだところを見計らって、猫ちゃんの口周りを真っ白な布巾で拭う。
布巾は汚すことに躊躇してしまいそうな白さだったが、猫ちゃんはすでに純白のテーブルクロスにソースを飛ばしている。
怖いもの知らずである。
口周りを綺麗にしてもらう間、おとなしくされるがままとなって目を閉じる猫ちゃんにまた萌えた。
「いいなーいいなー。我輩も猫ッ娘と仲良くなりたいのですぞ」
「この子は俺の娘であり大事な嫁なんでダメです」
「じゃあそっちの犬ッ娘ではいかがでありましょうか?」
「これからもっと親密になっていくんで」
「独占欲が強いようですな!」
「お互い様でしょう」
「ですな!」
ふたりして笑う。
なぜ笑っているかわからない様子の獣人たち。
会食は和やかなムードで終わった。
部屋に戻った途端、猫ちゃんがベッドに特攻した。
子供だなぁと鼻で笑いながら、俺の体がじりじりとベッドに向かっていく。
おかしい。体が言うことを聞かない!
引っ張られるようにベッドに向かっていき、俺もダイブ!
猫ちゃんときゃいきゃい言いながら転げ回る。
「あら、楽しいわ。童心に返ったみたい」
精神年齢おっさんの八歳児が童心とか、何の冗談だか……。
猫ちゃんがのしかかってくる。
俺はそれを受け止めながら、素早く体勢を入れ替える。
猫ちゃんも負けじと組み伏せようとしたそばから抜け出してぶつかっていく。
上になったり下になったり、勝敗はつかないまま終わりを迎えた。
マリノアが「暴れないで下さい」と、プンプン怒っている。
俺と猫ちゃんは肩を弾ませながら、目を合わせると笑いあった。
猫ちゃんの青灰色の尻尾もゆらゆらご機嫌である。
羽毛が詰まった枕に顔を埋め、足をバタバタさせている。
俺は端っこの方で大の字に転がっていた。
キングサイズのベッドは子供体型の三人にはアホみたいに広いのだ。
「マリノアもおいでよ」
「わたしはいいです。子供っぽいので」
「何言ってんの。ひとりで大人ぶってる方が逆に子供っぽく見えるもんなのに」
マリノアの耳がピクッと動いたのを、俺は見逃さない。
「大人なら子供と遊びながらでもにじんでくる大人っぽさがあるんじゃないかなー」
「そ、そういうものですか?」
「うん。そういうものでしょ、普通。ねー、猫ちゃん」
「ふみゅ? そう、かも?」
話は聞いてなかったけどとりあえず合わせとけーみたいな首を傾げる姿もまたキュート。
起き上がって猫ちゃんに這い寄ると、顔を寄せて額にちゅってした。
猫ちゃんは額を抑えて、もごもごと喋った。
俺には聞こえなかったが、マリノアの犬耳には声が届いたようで顔を赤くして黙っていた。
「ねえ、猫ちゃんなに言ったの? 小さくて聞こえなかった」
「……ミィナは、えっと、自分のこと好きなのかって……」
「うん好き!」
猫ちゃんを手招きし、股の間にすっぽりと収める。
猫ちゃんが寄りかかってきて、猫っ毛が頬をくすぐった。
耳に息を吹きかけると、首を竦めてくすぐったそうに身を捩った。
息を吹きかけられた耳がしきりにビクビク動いている。
「子作り、するのかにゃ?」
猫ちゃんが言った。
「ぶふっ!」
マリノアが吹いた。
意表を突かれたみたいだ。
俺もまさか猫ちゃんの口から子作りという単語が出るとは思ってもみなかった。
女の子から子作りという言葉を聞かされると、なんだか男としては座り心地が悪いね。
「え、えっと……自分と、こ、子作りしたいのかって、言ってます」
「いや、俺にも聞こえたからね」
頭から湯気がふしゅーっと立ち上りそうなくらいマリノアの顔が赤い。
この子はきっと耳年増だ。
「いずれはね。だってまだ子供だもん。子供はまだできないよ」
猫ちゃんは俺をじっと見上げていた。
「アルはどこにもいかない?」
「うん。猫ちゃんの傍にずっといるよ」
「んにゃ」
猫ちゃんが頭を擦り付けてきた。
ハグして頬ずりした。
猫ちゃんは「むふー」と唸りながら目を閉じ、されるがままだ。
あー、猫ちゃんがハーレムの一員と思っている俺は死んだ方がいいかもしれないなー。
ナルシェのこと、まだ諦めてないし。
ファビエンヌともまた会いたいし……。
修羅場! という未来の光景が思い浮かんだが、考えないようにしよう。
うん。




