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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 一章 大平原の獣人
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第30話 湯煙の里

 獣人村開拓に着手してから、半月が過ぎた。

 妹と離れ離れになってから九か月。

 お兄ちゃん寂しいよ。

 もうすぐ冬がやってくるが、リエラが凍えてないか心配だ。


 冬の訪れに備えるために、村人全員分の屋根ありの建物を準備する必要があり、それは急ピッチで進められた。

 獣人たちの家は簡素で、円形のゲルのような建物だった。

 雑魚寝で五、六人は寝られるだろうが、なにぶん隙間風は防げない。

 風除けに布や毛皮を張るが、冷気は染み込んでくるだろう。


 どうしたら冬の寒さを凌げるか。

 俺は知識を振り絞って考えた。

 部屋の中で火を熾して、煙が逃げるような穴は作ってあった。

 やはり布や地面に工夫すべきだろう。


 俺は一軒一軒を回って、布に魔力を流し、冷気を遮断するような魔術を込めた。

 更には床の一部に火を熾せるように、土魔術でレンガを生み出し囲炉裏のようなものを組み上げてもらった。

 何百軒と回り、半月でようやくすべてのゲルに手を加え終えたのだ。


 俺が想像していた別荘とは違ったが、まあいいだろう。

 俺の家には、猫ちゃんとマリノア、熊さんとミル姉さんが入った。

 ベドナ火山に最も近い場所に、俺の家は建っている。

 それはすなわち、危険を一番背にしているというわけだ。

 魔封石を埋めて、一応の魔物対策は取っている。


「食糧庫と倉庫の両方を建てておいたおかげか、混乱はあまり起こってないみたいですね」

「最優先だったからなー」


 これは高床式にしてある。

 小学校の知識だが、小動物に食糧を食い荒らされないための措置である。

 千人弱の村に、食糧の有無は大問題だ。

 食糧庫は十棟建ててある。

 そんなに必要か? と疑問の声が上がったが、無理やり建てさせた。

 どうせ必要になるものだ。

 いま食糧庫は三つしか埋まっていないが、なくて後悔するよりあって倉庫にしてしまうくらいがちょうどいい。

 ちょうど、火山で狩ってきた魔物の素材を突っ込んで倉庫にしているし。

 それはこれからも増えるだろう。


 初日にベドナ火山の五合目まで足を延ばし、マリノアと猫ちゃんに恐怖を植え付けておいた。

 マンティコラのような魔物がゴロゴロと現れる危険地帯だということを、身体で知るのは大事だ。

 単体なら狩ったし、集団で危険だと思ったらさっさと逃げた。


 その後もちょくちょく狩りを行い、獣人たちの身体強化訓練の一環にしていった。

 俺が獣人村を離れた後に、なるべく犠牲を増やさないようにしたい。

 身体強化術は、そういう意味で習得を急がせた。


 雪がちらついてきた頃、獣人村にボンボンから手紙が届いた。

 届けてくれた騎馬隊は、ボンボンの側近の男だった。

 顔馴染で、笑顔で挨拶する間柄だ。

 しかし獣人相手には、顔が強張る。


「公爵によろしく伝えておいてください。こっちは俺が抜けてもなんとかなると思うので」

「わかりました。馬車は置いていきます。これに乗って屋敷まできてください。私は一足早く戻り、主君に返事を届けますので」


 側近の男は数名の供回りとともに林を抜け、街道へ駆けていった。

 彼らの背中を見送りながら、土を均しただけの道を舗装することも必要だな、なんて思った。

 ボンボンの屋敷へ同行するのは、俺と親しい獣人の少数だけだ。

 つまり、俺の家に寝起きする四人なんだけど。


 残りの獣人には、村の開発に着手してもらう。

 五合目までの魔物をあらかた屠ってきたが、犠牲は……まあ出るだろう。

 家を建てる至急の作業は終わったので、あとは少しずつ豊かにしていくだけだ。


 だから公爵の屋敷に出向く前に、俺にとって後回しにしていたことをやらねばならない。

 村の中に温泉を作る計画だ。

 忙しさにかまけて見送っていたが、そろそろ疲れも溜まってきた。

 湯に浸かって筋肉を解したい。

 俺は主だった獣人を集め、温泉計画の概要を語って聞かせた。

 湯に浸かることの大事さ、裸と裸の付き合いが織り成す人間慕情。

 雪景色の中起こりうる湯煙殺人事件。

 ……いや違うか。


 寒さが身を切るようなものになってきたら、日本人は不思議と温泉が恋しくなるわけで。

 獣人は寒さ対策か、毛がもこもこしていた。

 猫ちゃんも髪が伸び、肩にかかるくらいになっていた。

 猫っ毛のくすぐったさにふんわり感が出てきたので、グッドだ。


「アールー!」


 会議中だというのに、血だらけの両手で笑顔を振りまいて駆け寄ってくる猫ちゃん。

 狩りの手伝いを参加するようになって、獲物を自慢げに俺に見せに来るのだが、その血塗れの手で抱き付かないでほしいな。

 浄化するんだけどさ、こう気持ち的にね?

 そんな猫ちゃんとのんびり湯船に浸かることを考えたら、俺も頑張れるというものだ。


「こら、ミィナ! アル様はいまお話し中ですよ!」

「ぶー」


 マリノアに引きずられていく猫ちゃん。

 マリノアとも、今度こそお風呂に入るのだ。

 俺の原動力は、百パー下心である。

 笑ってくれていい。

 だがこれこそが俺だ!

 獣人とお風呂!


 やることはシンプルだ。

 俺が地面を掘り、地中深くからお湯を引いてくる。

 獣人たちには湯に浸かるための石畳みやら、脱衣所やらを作ってもらう。

 ようやく建築物の設置が落ち着いてきたので、彼らの手を借りることができるのだ。


 獣人たちの理解は概ね三十パーセントといったところ。

 つまり半信半疑ならぬ、三信七疑。

 しかし俺が率先して計画を立てているから、指示に従っているような体裁だ。


「よし、俺の明るい露天風呂計画のため頑張ろう」


 気合を入れて、川にほど近い温泉予定地に土魔術で穴を掘る。

 十メートル、二十メートル……。

 まだ浅いのか、源泉に一向に当たる気配がない。

 お湯が地下何メートルから涌くものなのかを知らないので、根気のいる作業だった。

 掘り当てたのは、何百メートルと掘り進んだ頃だった。


 もう出ないんじゃないかな? 別のところにすべきじゃないかな? と心が折れかけていた頃に、ようやく引き当てた。

 熱湯の泥水が勢いよく噴き出してきて、近くにいた獣人たちは慌てて避難した。

 お湯は、火傷を負うほどに熱くなっていた。


「うおー! 温泉やー!」


 俺は歓喜した。

 ひとりしか喜んでいなかった。

 獣人たちの遠巻きにする目は、ちょっと痛かった。


 お湯の温度を調節するために、近くに流れる川の流れを少し変えることなど、容易いことであった。

 脱衣所を建て、地面を整備するまでに三日を要した。

 そして、念願叶って温泉である。

 空は曇天。

 ちらちらと雪が降り始めていた。


「ちょっと待て」


 湯に浸かったのは良い。

 だが、お湯を引く前の浮かれ気分がどこかに吹っ飛んでいた。


「おい」


 目の前をもっさりした毛むくじゃらな獣人が横切る。

 引き締まった体、もじゃっとした毛並み。

 湯船に何十人も浸かっている。


「なんで男女別なんだよ!」

「背中を流すか? 救世主」

「お願いするよ!」


 犬系の獣人に背中を流してもらう。

 もう開き直るしかなかった。


「おんせん、いいものだな、救世主」

「でしょうね!」


 こっちは不満だらけだっつの。

 女風呂は、仕切りに遮られた向こうにあった。

 誰かが男女別にすることを閃いてしまったのか。

 俺が川の水を引いて、水量を調節するのに時間をかけている間に、脱衣所諸々が建っていたからな。

 獣人たちは温泉を気に入ったようで、大衆浴場としてこれからも活用されることだろう。


「う~」

「救世主、不満か?」

「そんなことないよ! 温泉気持ちいいよ!」


 雪が散る中に目を向ける。

 風情がある。

 芯まで解すような温泉がある。

 何の不満があろうというのか。

 内心は不満が膨らんでいるか。


 俺のやりたいことも終えて、待たせていた馬車で、翌朝出発することになる。

 新興村は獣人たちがこれから繁栄させていくことだろう。

 温泉を気に入って、残留組に心変わりした者もいるようだし。

 そんなことを思っていた夜、雑魚寝で眠っていた俺は、誰かに揺すられて起きた。


「……んあ?」

「アル様、ちょっと良いでしょうか?」

「……マリノア?」

「起こしてすみません。ちょっと来てください」

「え? あ? うん」


 俺は自慢ではないが、起き抜けがいちばん弱い。

 自分で起きたときは頑張って起きられるのだが、何かに起こされたりすると頭はまだ寝ていたりする。


 俺はマリノアに引っ張られるままについていく。

 さくさくと雪を踏んで歩く。

 頭は九割方眠っていた。

 気づいたら脱衣所にいた。

 マリノアに甲斐甲斐しく服を脱がされる。

 そして手を引かれ、湯船の前まで来たところで、寒さで身がぶるっと震えた。

 そこでようやく目覚めた。


「アルきたー」


 湯船をばしゃばしゃやりながら、猫ちゃんがこっちに手を振る。

 猫ちゃんの向こうでミル姉さんが穏やかに手を振っていた。


「おおう」


 俺は思わず声を上げてしまった。

 月明かりに照らされ、ミル姉さんの湯船に浮かぶふたつの豊乳が目に飛び込んできた。


「あ、あのですね、アル様があまりにも女性の方と温泉に入ることを望んでいらしたので」


 マリノアの声は震えていた。

 振り返ると、身ひとつのマリノアがいた。

 ふさふさの尻尾が足に巻き付いている。

 手を後ろにやり、ぎゅっと身を縮こまらせて、顔を赤らめて俯いている。

 一糸纏わぬ姿とはこういうのを指すのか。


「ごちそうさまです」


 俺は深々と頭を下げた。


「え? 何がですか? わたし、何か変ですか?」


 戸惑っているマリノアも可愛かった。

 冷え切った体を湯で流し、足先から湯に浸かる。

 じんわりと広がる温かみは、湯だけではなかった。

 心にも広がっていく。


「アルー。お湯きもちいねー」

「いやあ、別の意味でも気持ちいいっす」


 猫ちゃんがしなだれかかってくる。

 しっとりした猫耳が頬をくすぐる。


「この温泉、アル様が作られたと聞きました。アル様はいつもわたしたちの知らないことを知っています。すごいです」

「いやあ、女性の神秘とか、知らないものもたくさんあるっす」


 マリノアは、照れながらもそっと横にいた。

 「うふふ」と、ミル姉さんがほほ笑んでいる。

 俺は湯船に浮くものに目が釘付けですわ。

 ミル姉さん、視線に気づいているのに隠そうともしないし。

 俺は今日この時のために温泉を作ったのだと思える。


「いい湯だなあ」


 ちらつく雪が、月明かりに舞っている。

 感動で涙が出た。

 夜は静かに更けていく。


 翌朝、獣人たちが総出で見送りに出ていた。

 門出を祝ってか、一斉に吼え出した。

 彼らは何かあると吼えるのかもしれない。

 小さな獣人も、みゅーみゅー鳴いている。

 猫ちゃんも馬車から顔を突き出して、精いっぱいの鳴き声を上げた。


 彼らに背中を押されている気がして、ぐっと身が引き締まった。

 まだ舗装されていない道を、馬車がガタゴトと揺られていく。

 雪の積もった林の雪道に、馬蹄と轍の跡が残っていた。

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