第9話 三人で訓練ですね
身体強化の講習を始めて、数日が過ぎた。
思っていたよりも日にちを取っている。
彼らは順調に身体強化を覚えている。
襲撃は夜と決めてあった。
獣人たちはただ待っていただけでなく、これから襲う東軍本陣の偵察に出てくれていた。
見つかったら元も子もないが、敵総大将の所在がわかっているに越したことはない。
多少のリスクには目をつむろう。
それに、人族よりはるかに優れた五感を持つ獣人なら、偵察の任務は適材適所とも言える。
本陣の大将の居場所に向かって、俺は陸大亀に乗り迷わずそこを目指すだけだ。
他の獣人は、襲撃者の意図を気取られないよう、様々な撹乱を行わせる予定だ。
陸大亀に乗って移動するのは、俺と猫ちゃん、それとマリノアだけと決めてあった。
矢さえ注意すれば、陸大亀の上が一番安全なのだ。
「巨大亀をよく手懐けましたね」
「そんなに言うことは聞かないけどね」
「わたしたちが食べられないだけで十分だと思います」
マリノアからしたら驚天動地な出来事らしい。
「でもこいつ、猫ちゃんを食べようとしたんだよな」
陸大亀の上では、俺からひと時たりとも離れようとしない猫ちゃんを見下ろす。
借りてきた猫のようだ。
猫ちゃんがあまりに可愛いので、座った股の間にすっぽりと収め、両腕でがっちり猫ちゃんのお腹を抱いている。
そして無防備な首筋やら髪やらに鼻を埋めて、ふんふん楽しんでいる。
ビクビク動く耳にも時々カプっとやるが、これは苦手なようでもがいて逃げ出す。
しかし亀の上。
急に不安になって、おろおろしながら及び腰で戻ってくる。
でも俺の正面には警戒してやってこないで、わざわざ後ろに回ってから抱きついてくる。
俺はなんとか抱きかかえようと腰を掴むが、猫を思わせるしなやかなジャンプで避けた。
「……」
「……」
スイッチの入った俺は猫ちゃんを捕まえようと飛びかかり、猫ちゃんはくるっと身を翻して躱す。
猫ちゃんは途端に嬉しそうに笑い、ニコニコして鬼ごっこに興じているが、こっちは目が本気だ。
そうなってしまってはもうイチャイチャはできない。
疲れてどちらがへたるまで続くのだ。
遊びになると猫ちゃんは本領発揮とばかりに俊敏だった。
恐れる甲羅の上だということも忘れて逃げ回る。
俺の生身の身体能力では触れることもできない。
ちょっとズルをしてブーストを使い、ようやく五分。
不思議と俺が速くなると、猫ちゃんも相乗効果なのか速さが増す。
肉食の獰猛な獣の目を遺憾無く発揮し、俺の動きを的確に捉えて避けるのだ。
戦闘の才能はあると思う。
それを遊び感覚で開花させているから末恐ろしい。
でもまぁ、野生のライオンはじゃれ合いながら狩りの仕方を学ぶというしな。
俺が親代わりに色々と教えよう。
まずはブーストを身につけるところからだな。
マンツーマンである。
腕が鳴るというものだ。
猫ちゃんには言葉で教えるより、やってみて繰り返し反復して修得させた方がいいだろう。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
猫ちゃんにはこのスタンスが一番合っている。
体力勝負だが、大抵は猫ちゃんの体力が先に尽きる。
こちらはブーストでスタミナも強化しているのだ。
一日の長はこちらにあった。
へたった後は汗や汚れを浄化で飛ばす。
猫ちゃんはこれが好きだった。
毛がもふっとなって気持ちいいらしい。
マリノアはいまだに慣れない様子だった。
こんな平原のど真ん中で水源は貴重だ。
お風呂いらずだから便利には違いない。
くつろぎタイムには、猫ちゃんはくたっとなって体を預けてくる。
これがまた可愛い。
尻尾をご機嫌にフリフリしている。
触れると尻尾を絡めてくるのがまたいい。
マリノア曰く、尻尾を誰かに巻き付けるのは、猫獣人としてはだらしない状態らしい。
女の子が胡座をかいているようなものか。
耳をかぷっと甘噛みしなければ、くすぐったくて時々首を竦める程度で逃げ出そうとしない。
頬を撫でると、逆に顔を擦り付けてくる。
仕草がほとんど猫である。
いっときはあまりの香ばしさにトラウマを刻まれたかと思ったが、洗浄した猫ちゃんの体臭ならいつまでだって嗅いでいられる。
マリノアは引いた目で見ていたが、俺は気にしないね。
くつろぎタイム中に、マリノアが猫ちゃんに獣人語で話しかける。
顔を上げた猫ちゃんと二、三のやりとりの後、俺に向き直る。
「巨大亀のことについて聞きました。よほど怖い目に遭ったようです。亀怖いと言ってます」
「そりゃ食べられそうになればねぇ」
猫ちゃんは注意力散漫だから、幾度となく死にかけている。
トラウマを刻むほどではないにしろ、もうちょっと警戒心を上げなければとは思う。
それを込みでマンツーマンだ。
猫ちゃんがマリノアに何か言った。
ちょっと長い。
そしてマリノアは、何を言わずとも俺に通訳してくれる。
「亀を倒して従えてしまうアル様は一番強いと言ってます。そんな強い人間に会ったことないと。わたしもありません。失礼ですが、魔術師様と会う機会があまりないからですけど」
マリノアが言うように、あまり魔術師は人目に触れるところに出ない。
魔術師の目立ちたがり屋はその枠に収まらないだろうが。
ドラゴンだってテイムできるかもしれない世の中だもんね。
「怪我がいつの間にか治っていて驚いたようです。アル様に出会って、自分には傷が勝手に治る力が目覚めたんじゃないかとか、そんなことを言っています。ミィナはおバカのようです」
「思わせておくくらいいいじゃない……とか優しいことを言うと思った? ダメだね。放っておくとどこで死んじゃうかわからないんだから、自分の力を過信しないように調教しなくちゃ」
「……通訳しますか?」
「しなくていいや」
「わたしも、それがよろしいかと思います」
マリノアの微笑みは天使だなと思った。
ちょっと黒いところもあるので、小悪魔かもしれない。
確信的に行動するしな。
「そういえば俺は治癒魔術の中級? くらいは使えるみたいだね。さすがに上級ともなると原理がわかんないから全然だけど。体の一部がなくなっていたらさすがに治せないよ」
「そもそも怪我をする者が未熟なのだと、わたしたちは考えていますので」
「スパルタだなあ……」
獣人たちはストイックだった。
治癒魔術が使えていなければ、今頃猫ちゃんはあの世行きだ。
感謝しろよとばかりにわしゃわしゃと髪を撫でた。
「?」
なんなのとばかりに猫ちゃんが顔を上げる。
しばらく猫ちゃんをいじりながら、マリノアと他愛ない話をしていた。
ふと無性に妹に会いたくなった。
いまどこにいるのだろうか。
つらい思いはしていないだろうか。
自分が守れないことのもどかしさを、俺は顔に出さないように努めた。
日が昇っているうちは、獣人たちに訓練を課すことにしていた。
数日で夜襲に移るつもりだったが、呑み込みが早いので一週間ほどの時間を取って、完璧に身体強化術をマスターさせようと思ったのだ。
マリノアも優秀で、意識して腕に魔力を纏えるようになっている。
まだ局部集中は厳しいが、獣人の中でも抜きんでている。
まだ不慣れな身体強化術を体に教え込むために、彼らにはロードワークを含めた身体強化術での狩りを命じてある。
無駄に考えず、身体を動かす中で覚え込ませていった方が獣人は物覚えが早いのだ。
しかし今回は、マリノアは残っていた。
「三人で訓練ですね」
「そやそや」
猫ちゃんと俺の身体強化術での組み手に参加して、三人で勝ちを競っている。
俺に攻撃する分にはいい。
すべて捌いて躱すので、彼女たちは本気で構わないが、猫ちゃんとマリノアがやり合うと血を見るので、俺は引いていた。
いや、怪我は治すけどさ。
少し休憩を入れると、マリノアはいろんな話を俺にしてくれる。
その中でも面白かったのが、この平原の魔物の中で特に変わっているメンクイドリという鳥系魔物の逸話だった。
「彼らは気に入った生き物を攫って巣に連れて行きます」
「雛の餌か?」
「いえ、観賞用です」
「観賞用?」
その時点で興味が出ていた。
ちなみに猫ちゃんは動き疲れてすぷーと昼寝している。
日中の陽射しはそこそこだが、陸大亀の上はいい風が吹く。
寒冷地なのか肌に汗が浮くほどの湿気もない。
なのでくっついていても暑くなく、俺の股を枕にし、髪を撫でられて心なしかご満悦な寝顔だった。
「メンクイドリが連れ去るのは、周囲が認める美人な男女ばかりです」
「あ、読めてきたかも……」
「巣で殺すことはなく、むしろ餌を獲ってきては貢ぎます。そのくせ連れ去ってきた男女には一切触れません。羽一枚触れただけで、もじもじします」
「鳥のくせにやかましいな」
「そんなメンクイドリですが、攫ってきた美形が太って美形とは呼べなくなると」
「食べるんだな」
「ええ、迷わずパクリと」
「それって太らせてから食べてるだけじゃないの?」
「美形が崩れないうちは絶対に食べられませんよ」
「所詮は面食いか」
「ですね」
この鳥に相手にされなくても傷つくし、連れ去られても飼い殺しにされるという不幸……。
ちょうど話が途切れたところで、よく聞き取れない声で猫ちゃんが寝言を言った。
マリノアと顔を見合わせて、ふたりして笑った。
嵐の前の静けさと言おうか。
そんな昼下がりを、俺たちは過ごしていた。




