第34話 大森林の魔物
何の変哲もない地面から、いきなりドラゴンが出てきた。
「うぉぅっ!」
ぱくり、と閉じたドラゴンの口は何も捉えていない。
せいぜい自分が掘った土でも食べていることだろう。
しかし、危うく左足を失くすところだった。
芋虫にも似た登場の仕方だが、頭だけでゆうに俺の背丈を越えている。
地中に潜っている体長はいったいどれほどのものか。
恐ろしくて引っ張り出してみる気にもなれない。
「勘弁してくれよ……」
体の欠損を治すことは俺にはできない。
エド神官ならできるかもしれないが、俺は原理がわからないものは基本いくら魔力を込めてもできないのだ。
師匠からは大森林の魔物は間引くように言われているが、できないものはできないと言わせてもらおう。
たったいま風の魔術で首を飛ばそうとしたが、鱗が固いのか、それとも魔術に耐性を持つのか、ノーダメージ。
そうこうしているうちに首は地中に引っ込んでしまった。
地面に足をつけているのはやばいと感じ、咄嗟に木の枝に飛び上がった。
数秒と間を置かず、さっきまで俺が立っていた当たりの地面がボコリと陥没し、ドラゴンの首が伸びてきた。
おおう、クレイジーだぜ。
土竜と書いてもぐらと読むらしいが、既存のもぐらではない。
こいつこそ本物の土竜だろう。
土気色の鱗に、鋭利な牙の並んだ口。
細長い鼻面の上に土がちょこんと乗っかっているのは愛嬌にもならない。
いまもこぶし大ほどもある目がぎょろっと動き、俺を的確に捉えている。
冗談抜きで気持ち悪い。
瞳は縦に割れ、爬虫類を思わせる。
頭の後ろについている角は逆戻りするときに引っ掛かんないのかなと思ったが、するすると地面に戻っていくのを見て杞憂だと知る。
大森林には様々な魔物がいる。
土竜もそのひとつなのだろう。
こんな巨大な魔物は大森林以外では見られないだろうな。
なぜか魔物はこの森からあまり出ない。
こんなでかい土竜が村に出たら住人はいい餌食だ。
魔物が森をあまり出ないのも、この地の魔力が濃い所為だと師匠は言う。
魔物は魔力を土地から吸い上げて強くなる。
わざわざ弱体化するために森を出る魔物はいないということだ。
しかしそれゆえに、生存競争はどこよりも激しい。
いまも、足元をヤツメオオカミの群れが駆けていくが、さっきの土竜に襲われて餌食になっている。
土竜の意識は俺から逸れたようで、標的にされる前にさっさと離脱させてもらおう。
村を襲って荒らし回った彼らヤツメオオカミも、大森林では捕食される側なのだった。
世は無常である。
ここ三日ほど、師匠の言いつけ通り大霊峰に上り、裏山に辿り着くランニングコースを経て、師匠を探すかくれんぼに明け暮れているが、何の成果も得られていなかった。
だだっ広い大森林で師匠を当てもなく探していても、見つかる気配がない。
というより見つかる気がしない。
無作為に探すのではダメなのだと、この三日で思い至った。
しかし探す方法が分からない。
魔力を帯びた目で周囲を見渡してみるものの、近場の魔物たちの気配を探ることはできても、足跡を辿るような技術が俺にはなかった。
大森林のほとんどの地面が木の根で覆われ、まっすぐに歩ける場所がない。
木漏れ日は差すが、地面はどこか薄暗い。
もう何度とやってみたかわからないが、目を凝らして視てみる。
そうすると、地面や植物からも魔力が立ち上っているのが見え、魔力素とやらが濃いのがよくわかる。
魔物から立ち上るものより強いわけではないが、魔力の強い植物は一定量、湯気の様に空気中に放出しているのだ。
光合成を目で視ている気分だ。
やっぱり高いところから探さないとダメかなあ、と思う。
森の中でも、魔力が色濃い場所はわかる。
そういうところを虱潰しに探して回れば、運よく師匠に行き当たるかもしれない。
しかし師匠を除く大半は、いまも地中深くを移動しているであろう土竜と同じような、一筋縄ではいかない魔物との遭遇を意味する。
それが倒せる魔物ならいい。
だが魔術防御が高すぎて傷ひとつつけられない魔物がいると分かった今、ちょっと尻込みしてしまう。
まあいいや、それも修行だ。
俺は捨て鉢に結論を出した。
いったん裏山まで引き返す。
そこから大森林を見渡せば、ある程度の魔力の濃い部分を判別することができる。
「……ぉぉぅ」
俺は甘かったのかもしれない。
百か所以上から立ち上る濃密な魔力。
しかも大森林全域で、俺の目の届かない部分も多い。
溢れ出した魔力量の多いところから探すべきだろうか。
今の俺では対処できない魔物に遭遇する確率が高いが。
どうする? どうする?
もう行っちゃえ。
ファビエンヌにあれほど大森林に入るなと警告しておいて、俺のこの無計画さはなんだろうね。
走って二十分くらいで着きそうな近場に結構大きな魔力の塊があった。
そこを目指しつつ、途中にあった魔力の塊を狙って行けばいい。
俺が今できる得意な魔術は、風刃、土壁、炎弾といったところだろうか。
どれも込める魔力によって威力は変わるから、強度の判定は難しい。
他にも土槍や炎壁、複合魔術で濃霧や溶岩、雷撃を生み出すことが可能だ。
あまり使い慣れていないから、咄嗟の判断のときうまく使える自信はない。
水系統の攻撃系だけは、どうしても使うことができなかった。
初めて人を殺した瞬間をまざまざと思い出してしまうのだ。
気分が悪くなり、魔術の威力が半分以下に落ちる。
攻撃系水魔術は俺にとって鬼門で、苦手な系統になっている。
その分生活で使うことには支障はないから、いまのところ特に困ったことにはなっていない。
ネズミのような群れが地面を駆けている。
一匹が小山のような犬くらいの大きさだ。
何十匹と同じ方向へ移動している。
その後ろを鳥が追いかけている。
こちらはパラグライダーほどもある巨鳥である。
翼を器用に折り曲げ木々を難なく潜り抜けて、一匹に的を絞った。
急降下。鋭利な鉤爪で一匹を急襲する。
そこに俺は風刃を叩きこむ。
巨鳥は悲鳴とともに墜落した。
首があらぬ方向に飛んでいった。
ネズミたちは逃げるのをやめ、全体が止まった。
そして墜落した鳥に群がりはじめる。
俺は巨鳥に群がるネズミを囲むように炎の壁を作り出し、狭めていってすべて焼き殺す。
魔物の間引きはこんな感じだろうか。
森への延焼がないことを確認し、骨まで焼き尽くしたのを見て、その場を移動する。
下手に肉を残すと魔物が集まってくる。
魔物を引き寄せるために肉を残すのなら効果的だろうが、いまは移動中だ。
素材とか勿体ないなとは思う。
大森林の魔物の素材なら、行商に高く買ってもらえる。
それはウサギの群れを始末したときに知った。
魔力が濃いところにいたのは、巨大なリザードマンだった。
頭が三メートルほどの高さにある。
集団の中に一際体の大きな個体がいる。
体中に傷を持つ歴戦の勇者っぽい。
彼は群れの統率者らしい。
周りに二十体ほどの二足歩行のトカゲがいる。
亜人種について、俺は詳しくは知らない。
この国の方針で、ほとんどの亜人種は国から追い出しているらしいし。
東の国では亜人種を奴隷に使って戦争をしていると聞いた。
魔物と亜人種の境目はどこだろう。
知能があって話せることだろうか。話しかけてみようか。
でも亜人なら腰巻くらいするかもしれない。
彼らは鱗の肌を惜しげもなく晒している。
両手に武器なんかも持っていれば知能の高さを窺えたかもしれないが、全員素手である。
それでもまだ、コミュニケーションは取れるかもしれない。
もしかしたら人生初の亜人の友達ができるかもしれない。
「どうも、こんにちは」
リザードマンが一斉に俺の方を向いた。
異文化交流。
淡い期待があった。
失敗に終わった。
リザードマンのボスが吼えた。
それを皮切りに、俺に向かって手下が襲い掛かってくる。
俺は彼らにとって獲物でしかないらしい。
知性が見えなかった。
だから俺も、彼らを獲物にすることに決めた。
ひと狩り終えて、やっぱり亜人なら猫耳獣人族がいいなと思った。
テイムしたい。
時間の許す限りもふもふしたい。
獣人にもいろいろある。
耳と尻尾だけに獣の名残を残し、あとは人と変わらない姿。
俺個人としてはこの姿が理想である。
もちろん人との子供も生まれる。
その子供は耳と尻尾が生えていたりするのだ。
四足歩行の獣が二足歩行になった場合でも獣人である。
幅が広い。
ちなみにこれは俺の求める姿ではない。
そこまで性癖が偏ってない。
俺はケモニストではないのだ。
さっきのトカゲはただのトカゲが二足歩行になっただけだった。
知性が足りないので、獣人とは呼べない。
ドラゴニュートというのだったか?
亜人とは違うだろう。
あれがこの世界の獣人なんて断じて認めない!
いま見たトカゲがこの世界の一般的な獣人だとしたら……。
それは俺の淡い期待を裏切るものとなる。
目の前が真っ暗になった。
「俺は猫耳が大好きだぁぁぁぁぁっ!!!!」
とりあえず叫んだ。
ストレス発散だ。
太陽に吼えろ。
鬱蒼と茂る樹冠のおかげで太陽は見えないが。
近くで鳥が飛んでいった。
鳥だと思ったが、羽の生えたブタだった。
狂ってる。
全然師匠が見つからない焦りからか、ちょっと不安定になってるな。
俺はさくっと移動を続ける。
大きな魔力が近づくにつれ、「あ、これは違うな」とわかった。
魔力の質というものがだんだんとわかるようになってきた。
大地から立ち上る魔力と、魔物が漂わせる魔力の比較は、いまでもなんとなくわかる。
近いものでいうと、肌を撫でる風の温度だろうか。
植物の魔力はたとえるなら送風。
魔物は温風。
そして今目の前にしている魔力は、肌を炙るほど熱い。
「あかん」
撤退である。
尻尾を巻いて逃げる。
その言葉がふさわしい。
かなり遠くだったが、視界に入った。
先ほど俺の足を食い千切ろうとした土竜をばりばりむしゃむしゃと陽気に喰らっていた。
こいつはおそらく、この大森林でも最上級の魔物だろう。
名前を付けるとしたらウガルルムだ。
俺のファンタジー知識がこれだと言っている。
一見すると金色の獅子だが、実在するライオンとは似ても似つかない。
二回り大きくして、より魔獣チックで凶悪な面構えに仕立て上げれば目の前の化け物になるだろう。
今の俺が戦っても勝てないのは師匠のお墨付きである。
だから大人しく、ご飯中の間に逃げるべきだ。
俺は脱兎のごとく逃げ出した。
しかし何の因果か、金色獅子ことウガルルムさん、振り返りました。
「うぐるるむ」と唸っていそうだ。
ウガルルムさんの口元は血でべったりと真っ赤だ。
そのまま食事を続けていればいいものを。
あ、冗談抜きにやばい。
こっちに向かって近づいてきた。
地面を滑るように素早く動くのが野生の肉食魔獣である。
追いかけっこにもならない。
やつの足が異常に速いのだ。
まるで風のようにあっという間に追いつかれた。
巨木の後ろに隠れて、俺は枝の上に飛び上がる。
ここまで跳び上がってこれまいと気を抜いた。
俺の跳躍力は世界を狙えるね。
直感がそれでもやばいと告げてくる。
俺は慌てて枝からさらに飛び上ったところで、俺のさっきまでの足場(俺の胴ほどもある太い枝)を食い千切って、ウガルルムが落下していった。
冷や汗がどばっと出た。




