第33話 寝物語
仮住まいは一軒の平家である。
部屋がふたつにダイニングキッチンがひとつ。
ファビエンヌが強引に、神父父娘と俺たち双子で部屋分けするよう取り決めた。
最初はダイニングの隅っこに俺と妹のふたりが寝て、神父父娘に一部屋ずつ使ってもらう提案もしたのだが、すげなく却下された。
「そんなひどいことわたしたちがすると思う! ねえ! 言ってみなさいよ! ねえ!」
ファビエンヌに噛みつかれて、俺はおずおずと引き下がった。
「ふたりでひと部屋なのっ! 文句言ったら怒るから!」
ファビエンヌは強い。
ここぞというとき絶対に引かない。
そこが彼女の長所だろう。
この家は、元々女房を亡くした男がひとりで住んでいて、その男は討伐隊に駆り出されて魔物にやられてしまった。
だから生活感はそのまま残っているし、荒らすのも悪い気がする。
敷居を跨ぐ際、お邪魔しますという気分になった。
「散らかってるわね! いらないゴミは捨てちゃいましょう!」
ファビエンヌがそう言って手当たり次第、毛皮の切れ端だとか、作りかけの木細工だとかをまとめて外に放り出してしまう。
神官のくせに死者に対する敬意はないようだった。
「おいおい、まだ使えそうなものもあるぞ、エンヌ」
父親の方も死者うんぬんというより実用性第一で動いていた。
このふたりに罰当たりという言葉を適応したい。
「さすがにひとり暮らしだったからか、食器も椅子も四人分はないな。寝室にいたっては片方は物置に使っていたみたいだ」
「それなら大丈夫です。使っていない物置部屋はぼくが片付けておきます。それに食器なら土から作れます。他にコップとスプーン、フォークも明日の朝までに用意しておきます。毛布も自分たちのは納屋にあるものを持ってきますので、あるやつをおふたりで使ってください。リエラもそれでいいよね?」
「お兄ちゃんがなんとかするの? 手伝っていい?」
控えめに妹が聞いてくる。
「むしろお願いするよ」
「うん、ならいいよ」
笑顔になってリエラは頷いた。
自ら手伝いたいとか、いい子に育ったわ。
「ということですので」
「いや、勝手に締められてもな、みんなで力を合わせてやればいいじゃないか。できることはたくさんあるんだから。エンヌも手伝うだろ?」
「当たり前じゃない! わたしだって働けるんだからね!」
宣戦布告をするかのように、ファビエンヌは主に俺に対して言っていた。
他の三人ができないことを俺がやればいい。
そう納得することにした。
四人で暮らす一軒家。
ムダニの目を気にしなくてもいい……わけでもないか。
変な噂になるようなことはできない。
土魔術で豪邸を建ててそこに暮らせばさすがにムダニが飛んでくるだろうが、非常識にならずわからない程度なら問題あるまい。
「……お風呂、作りましょう」
「お風呂? お風呂ってなによ!」
「おふろ! 入る!」
「風呂って、貴族の家にあるっていう風呂か?」
ファビエンヌは意味がわかっていなかった。
リエラは裏山で試作的に作ったお風呂に何度か隠れて一緒に入浴しているので、すごく喜んだ。
あれは至福の時間だった。
別に性的な意味じゃないよ? 心が満たされるって意味だよ?
お風呂の存在をエド神官は知っているようだが、半信半疑だ。
「お風呂って何? ねえ、リエラちゃん、なんなの?」
「あのね、あったかいの。すごくきもちぃの。あったかいお湯がいっぱいでね、楽しいよ」
感情が先行しすぎて、リエラの説明では要領を得ない。
なので代わりに俺が説明する。
「大きな桶を想像して。体がすっぽり入る感じ。そこに入っても火傷しないお湯が肩まで浸かるくらいあるわけよ。そこに入って身体の汚れとか疲れをさっぱり落とすんだよ」
「そんなお水どこにあるの? お湯にするのってすごく大変なのよ」
きっとファビエンヌは、火にかけた鍋を想像している。
ちょうどいいくらいに涌いたお湯を桶に流し込んでは火にかけ、桶に入れては火にかけ……という不毛な繰り返しに近いことを想像しているだろう。
「そんな大層なものを用意できるのか?」
エド神官はお風呂を作るということに懸念を抱いているようだ。
「問題ないです。ちょちょいのちょいでできますから」
「本当に魔術とは万能だよな。私もいまから属性魔術を訓練しようかな……」
呆気に取られ、エド神官はため息を吐く。
「まあ、期待しててください」
「どういうことなの? ねえお父様、わたしにもわかるように説明して!」
ファビエンヌひとりがもやもやしているようだった。
百聞は一見に如かず。
俺が風呂場を作る様子を、ファビエンヌとリエラは連れ立って見に来た。
エド神官はその間に料理を作ると言っていた。
俺は一軒家の裏手、ちょうど木々が周囲から視界を遮るような場所に三メートルくらいの頑丈な土壁を作った。
天井は開けているほうが月が見れて景色もいいだろう。
次に足元をコンクリート並みの水はけの良い床に変えてしまう。
一応水が流れ出るように、床には緩い傾斜をつけて隅の穴から外に水が流れていくように調整する。
五メートル四方の中心に、円形の浴槽を作る。
大人が三人で入っても余裕で足が伸ばせるくらいに広く作る。
排水できるように、底には穴と、それを塞ぐ栓を作った。
内装の準備はこれで終わりだ。
打ちっぱなしのコンクリート部屋のように簡素だが、おいおい手を加えていけばいい。
「アルの魔術はいつ見てもすごいわね! こんなことができるなんて不思議だわ!」
「お兄ちゃんはもっとすごいことができるんだけどね、でも誰にも言っちゃいけないの」
「どうして? こんなすごいことができるなら、悪い人に痛い目に遭わなくて済むのに」
「あのね、みんなに知られちゃうと悪い人が寄って来るからダメって言ってた」
「悪い人より強いじゃない」
「でもリエラは弱いから」
「……そうね。悪い人が来ない方がいいわね。隠しておく方がいいかもしれないわ」
ファビエンヌとリエラのやりとりを背中で聞きながら、温度を調節した水流を浴槽に満たしていく。
傍目から見ると、手からお湯を出す人間蛇口である。
ものすごく格好悪い。
湯気が上がり、周りの温度も上がってきた。
少し汗をかく。
だいたい五分も続けると、浴槽は湯気を立ち昇らせたお湯で満たされる。
「できたぞ」
後ろのふたりに声を掛けると、満面の笑みで迎えられた。
「入る!」
「わ、わたしも!」
競うように服を脱いでいく。
あっという間にすっぽんぽんになった美幼女がふたり。
これに反応しては、俺はロリコンの烙印を押されかねない。
七歳で反応しないのではと思うなかれ。
心の息子は美人を見るたびムクムクしている。
「お兄ちゃんも一緒に!」
「おう」
一緒でいいなら断る理由もない。
あとでエド神官の逆鱗に触れることになるだろうが。
あいつファビエンヌのことになると見境ないし。
七歳児平気で殴るし。
リエラに促されるままに、俺も衣類を脱いでいく。
一応土壁を作る際、脱衣所と棚は風呂場と隣接して簡易で作ってある。
リエラとファビエンヌは俺が湯を入れている間、そこで座り込んでくっちゃべっていた。
幼女ふたりとお風呂♪
いけない響きだ。
気持ち的には保護者だが、見方次第で善にも悪にもなる。
幼女とはそれほど取り扱いが難しい。
とはいえ手桶で体を流し、石鹸(苦心して作った)で体の汚れを落としていく。
「洗いっこしよう!」
リエラがそう提案し、
「いいわよ!」
ファビエンヌが乗り気になる。
ふたりは心の底から無邪気に楽しんでいるようだ。
石鹸を軽く泡立たせ、手でお互いの体を舐め回すように(ゲフンゲフン!)泡を伸ばしていく。
俺はぺたぺたと、ファビエンヌに体を洗ってもらった。
そのファビエンヌはリエラに洗ってもらい、くすぐったいのか身をよじって笑い転げている。
「今度は反対ね。わたしがリエラちゃんの体を洗うわ!」
ということはつまり。
俺がファビエンヌの体を隅々まで撫で回して(ゲフンゲフン!)洗っていけばいいということですよね?
おお、神よ、私は幼女に心揺さぶられるほど落ちぶれてはおりません。
しかし。ですがしかし! 将来有望なこの九歳の幼女。
ちょっとくらい発育豊かな十年後を想像しても、ばちは当たりませんよね?
触っちゃいますよ? いいんですね?
はー、ふー。深呼吸。よし。
ぺたり。ぬるり。
「きゃはは! そこ! くすぐったい! ぬるぬるする! あははは!」
はい、ごちそうさまです。
目の前でくねくね逃げるファビエンヌの背中。
白くてきれいで程よい肉付き。
将来が楽しみですね。
背中はリエラが洗い済みである。
ならば、ちょっと勇気を出して腕を洗う。
脇の下にすすっと下がって、まだ発育前のぺたんこの胸に触れてみる。
「あは、あはは! ちょっと、そこはダメだってばぁ。あはは!」
「だってよく洗わないとぉ。ごしごししないと、ごしごししないとぉ」
言い訳が頭の悪い感じになっている。
笑いながらもファビエンヌは手から逃れようとする。
胸はこれ以上やるとまずい。
お腹のほうに逃げると、くすぐったかったのかさらに身を捩って笑い転げる。
いまだとばかりにもう一度胸に侵入。
今度はあまり抵抗されない。
膨らみはないが、小さな木の実をふたつ、指先に感じることができた。
胸の感触をここぞとばかりに楽しんだ後、石鹸でついでに頭も洗い、頭上から湯水を落として泡を洗い流した。
三人で湯船に浸かる。
足を伸ばして入れるが、ふたりは寄り添っていた。
俺もそこに混ざっている。
肩と肩がぶつかり、目が合うと意味もなくにひひと笑い合う。
極楽とはこのことか。
さあ出るかと湯船から立ち上がるが、リエラはもっと入っていたいようだ。
「のぼせて倒れちゃうよ、リエラ」
「そうよ。もう十分じゃない。また明日入ればいいのよ」
ファビエンヌさん、簡単に行ってくれますが、お湯を張るのもひと仕事なんですよ?
師匠と特訓して魔力をほとんど使い切った後のお風呂は、ちょっときつい。
いまも筋肉痛のような鈍い痛みを体のそこかしこに感じている。
俺は三人で入る流れだったから頑張って用意したのだ。
明日は一緒に入れないかもしれない。
「明日も三人で入りましょうね!」
……お湯係頑張ります。
頑張らせていただきますとも。
余談だが、料理を作り終えて呼びに来たエド神官が、濡れた体を拭き合いっこする幼児三人を見て絶句していた。
こうして四人の共同生活は始まった。
夜、慣れないベッドにリエラとふたりして潜り込む。
毛布は納屋で使っていた頃の一枚を、ふたりで使っている。
いつものようにリエラに腕枕をし、さあ寝るだけだというのに、肝心のリエラの興奮は収まりがつきそうになかった。
「あのね、あのね、エンヌちゃんがね……」
やたらと興奮するそのわけは、この村でできた二人目の女の子の友達のことを俺に語り尽せないからだった。
フレアと仲良くなって遊びに行ったときも、こうして夜通し喋っていた。
そのうち喋り疲れて眠るまで、俺は聞き役に回る。
いつも控えめなリエラだから、積極的に話す今の姿は珍しい。
両親と別れて塞ぎ込んでしまった頃に比べれば、彼女の持ち前の明るさを完全に取り戻している。
また心を閉じてしまうことが怖くて、俺たちはこの村から離れられなかった。
ムダニに暴力を振るわれようと、リエラは感情を失くさずにいられたのだ。
神官父娘は、リエラの陽気さを取り戻すのに一役買ってくれている。
そんな微笑ましいリエラだが、惜しむらくは聞くだけなのでちょっと面倒くさいということか。
女性の買い物に付き合うようなものだ。
そんな場面を人生で経験したことはないが。
「でね……それでね……」
リエラの瞼がとろんとしてきた。
俺は頭を撫でて、妹を夢の中へ誘う。
やがてくぅくぅと寝息が聞こえてきた。
かわいい。
額におやすみのキスをしておく。
兄特権である。
俺も寝るかと目を閉じたところで、控えめに部屋の扉が開いた。
俺は頭だけ上げて、目に魔力を込める。
真っ暗な部屋の中でも、俺の目を通してシルエットははっきりと浮かび上がった。
「ファビー?」
小さな輪郭は、まごうことなく少女のものだった。
ファビエンヌ以外に考えられない。
「……よ、夜にお邪魔するわ」
いつもよりちょっと跳ねたトーン。
挨拶を入れて、ファビエンヌはゆっくりと部屋に入ってきた。
「何か用? こんな時間に。リエラはもう寝ちゃってるんだ、また明日に――」
「あ、アルとお話したいだけよ。だってアルはずっと働いているんだもの。話す時間なんてなかったじゃない」
「そうだけど、明日でもいいんじゃないかな? 今日はもう遅いし、いまは動けないし」
妹の頭の下から腕をぞんざいに引き抜いてまで、ファビエンヌと話す理由が俺にはなかった。
『妹>神官娘』の公式は揺るぎない。
いずれ仲良くなるにしても『妹≧神官娘』くらいだろう。
「アルが動く必要はないわ。わたしが隣に行けばいいんだもの」
ごそごそとベッドに上がってきたファビエンヌは、リエラとは反対の腕のほうに収まった。
「どうしたの? 君のパパに知れたら怖いんだけど」
「い、いまお父様は関係ないわ!」
「ちょっと、しーっ! 妹が起きちゃうでしょ」
「あらら、ごめんなさい……」
妹はくぅくぅ寝ていた。
安らかな寝顔を見れて、ちょっと和んだ。
日ごろのストレスを帳消しにしてしまえるくらいの天使の寝顔だ。
「リエラばかり見てないで、わたしも見なさいよ」
「いままでこんな積極的なファビーは見たことなかったんだけどな」
「だってアルは夜になるといなくなったじゃない」
旅の間中、ファビエンヌは常にエド神官の腕の中で眠っていた。
俺は夜になると妹のところまで飛んで帰り、朝方まで一緒に寝ていたので、そういえばお互いに夜は縛りがあったのだと気づく。
「そうだったかもね。で、聞きたいことって?」
「アルはどうして魔術師なの?」
おう、ざっくりとした質問だ。
それはなんで男なの? と聞いているようなものじゃありませんか?
なんでおまたにわたしにないものがぶら下がってるの? ちょっとむしってみてもいい? 近くで見てみたいの。
怖いわ!
無邪気な彼女は平気でやりそうだから侮れない。
まあ、父親のビッグマグナムで見慣れているだろうけどな。
お風呂のときだって別に俺の体に興味津々というわけでもなかったし。
「どうしてって言われても、父親が魔術師だったことと、小さい頃に書斎でよく魔術教本を読んでたからじゃないかな」
本当は異世界ひゃっほうとノリノリで魔術を覚えたことは内緒だ。
格好悪いからな。
「ずっといまみたいな生活じゃなかったの?」
「生まれた頃はちゃんと両親もいて、大きな家に住んでいたよ。でも五歳のときに家が潰れてね。両親とはそのときにはぐれて、俺らはこの村に流れてきたんだ」
そういえば、エド神官には奴隷として働かされていることは話したが、奴隷になる経緯までは語っていなかった気がする。
どこから情報が漏れて、村に暗殺者を仕向けられるかわからないからな。
俺とリエラがムダニの下で惨めに働いている姿を見て、誰が貴族の子息子女だと気づくのだ、という話だが。
「大変……だったのね……」
ファビエンヌの声が湿っぽくなっていた。
よしよしと、俺は彼女に頭を撫でられている。
幼女から頭を撫でられる。
こういうのも悪くないな。
しかし反対に彼女の頭を撫でようとすると猛烈に拒否される。
年上のイニシアチブが崩されると思っているのだ。
よくよく考えれば彼女は九歳で、アルシエルの肉体年齢は七歳。
この立ち位置は自然か。
邪心が涌くこともなく、撫でられている間は心がほっこりする。
「アルのお師匠様のエルフにはわたしも会える?」
「うーん……無理ではないと思う。でも探さないといけないから」
「どこにいるの?」
「裏山の向こうに広がる大森林だよ」
「すぐ近くじゃない」
「そう簡単に言うけど、すごく広いんだからね? その中にひとりでいる師匠を見つけるとか、どんな無理ゲーだよと……」
「むりげ?」
「すっごく難しいってこと。森には街道で見た魔物より強いのがうじゃうじゃいるし」
「アルはウサギの強いやつもやっつけちゃったじゃない」
「そりゃ、倒せたけどさ。簡単じゃなかったよ。森には俺がどんなに頑張っても倒せない魔物がたくさんいるんだから」
ヘクサポッドスロスはなんとか倒せる。
雑魚は問題ない。
問題なのは、大森林の魔物で上位のモノたちだ。
「ウサギの大群でお父様もいっぱい傷を負っていたものね」
「そうそう、間違っても森には近づかないでよね。冗談抜きで危険なんだから」
「でもアルは森に入るんでしょ? ひとに注意しておきながら」
ずるいと言わんばかりの口調である。
「別に命令しているわけじゃないんだよ? 俺は何度も森に入ってるし、身を護る術だってあるから危険を承知の上で行くけど。ファビーだって誰の助けもいらないくらい強かったら止めないよ。でもその試しに入った一回で命を落としてほしくないから止めてるんだよ」
「アルは強すぎてずるい!」
そこに落ち着きましたか。
「じゃあ強くなればいいじゃない」
パンがないならポテチとコーラをいただけばいいじゃない。
「いっぱい時間かかるもの!」
「しーっ」
声が大きくなってきたので、彼女の興奮を宥める。
「俺だって最初から強かったわけじゃないんだよ? 毎日のように鍛えてきたんだから」
「うん。わかる。わかるけど……」
ファビエンヌは頭では理解しているが、納得できないというもやもやに囚われてしまっている。
いかんいかん、話題を逸らそう。
「そうだな、会わせることは難しいけど、この村にしばらくいるんだから師匠に会えないこともないんじゃないかな」
森人族と言ってもたまに森から出てくるし。
話せばフランクすぎるくらいで、最初から気負ってたのが馬鹿らしくなるくらい茶目っ気もあるし。
「でもアルは森に行くんでしょ?」
要点がエルフに会うことから、俺が危険な大森林にひとりで入ってずるい、に固定されているようだ。
「うーん、それはどうしようもないしな。諦めてくれない?」
「やだ」
ファビエンヌは意固地になっていた。
「じゃあさ、ファビーが俺の怪我を治せるくらいすごく強くなってよ」
「今すぐには無理だからや!」
「んー、困った……」
どうせ子供のわがままだからと無視してもいい。
自分と思考回路が違う相手と話すのは疲れる。
でも、ここで曖昧にしておくと、彼女の行動力で大森林にひとりで入ってくしまうかもしれない。
ひとりじゃ怖いからとリエラを誘い出していたら、目も当てられない。
そうなればあっという間に魔物のおやつだ。
悲惨な目に遭う未来は回避しようがない。
「俺を信頼してくれないかな。俺もファビーを信頼するから」
「信頼ってなによ。どうすればいいの?」
「信頼って言うのは、俺と妹が仲の良い関係であるように、俺とファビーも仲良くなることだよ。ファビーとエドさんの仲が良いのも信頼で結ばれてるからだ」
「信頼……いいわね」
ぐらっときている。
「俺の怪我を治すのはいつだってファビーだからね」
「でもすぐにはできないわ」
「ファビーの方が俺より治癒魔術は上だよ」
たぶん。
これからどうなっていくかの確証はないけどね。
「信頼の証に、俺のことをアリィって呼んでくれないかな。本当に仲の良い人にしか呼ばせない呼び方なんだ」
身内しか呼んでなかっただけだけど。
赤ちゃんをあやすように言われてきたので、恥ずかしいような気もする。
「本当に仲のいい人……」
ファビエンヌは迷っているようだ。
畳みかけよう。
「ファビーが強くなったら一緒に探検しようよ。俺はそれまで師匠からいっぱい教わるよ。ファビーはエドさんからだね」
「それいいわね! リエラも一緒に治癒魔術を教わる約束をしているのよ!」
どうどう。
ファビエンヌを宥める。
声が大きい。
「アル……じゃなかった、アリィ、約束だからね!」
「はいはい、約束です」
「はいは一回でいいの!」
「はい」
俺は指切りをファビエンヌとした。
彼女は指切りを知らなかった。
小指同士を絡ませ合い、お互いに約束を守ること、破ることは罰を受けること、をいろんな言い回しで契りを交わす行為だ。
ちなみに拘束力はなく、口約束の域を出ない。
でもわざわざ破る真似をしても仕方がない。
幼女と指切り。
どうせなら結婚の約束でもしておけばよかったかもと、ちょっと後悔。
「大きくなったら結婚するのよ!」と盛大に幼馴染フラグを立てておくのもいいかもしれない。
ファビエンヌは見た目は可愛い幼女だ。
将来に期待できる。
でも二十年後くらいにファビエンヌの尻に敷かれていそうでちょっと怖い。
よく見ると、ファビエンヌの前歯の乳歯が抜けており、いまは歯抜け幼女になっている。
夕飯時に歯が抜けたのだ。
結婚フラグ、立ててもうまくいかなそうだなあ……。
ナルシェのことがあり、ちょっと尻込みしてしまう俺だった。
翌朝顔を青くして部屋に入ってきたエド神官に一時間以上問い詰められることになるが、いまはゆっくりいい夢でも見よう。
両隣から香ってくる柔らかく甘く酸っぱいにおいを胸いっぱいに吸い込んで……。




