第8話 俺の家
開拓町へ戻った頃には、すっかり日が暮れていた。
冒険者ギルドへ向かい、フェルン村の調査結果を報告する。建物の大半は崩れていること。
井戸は枯れていないが、水が濁っていたこと。
そして、今でも使えそうな家が何軒か残っていたことを伝えると、受付の女性は内容を記録し、依頼完了の印を押した。
「お疲れさまでした。こちらが報酬の銀貨一枚です」
「ありがとう」
フィアと半分ずつ受け取る。初めて冒険者として稼いだ金だと思えば嬉しいはずなのに、俺の頭にはずっと別のことが残っていた。
「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
「はい?」
「フェルン村って、今は誰の土地なんですか?」
受付の女性が少し不思議そうな顔をした。
「土地そのものは王国領です。ただ、フェルンを含めた灰境の放棄集落は、事実上管理されていません。住民もいませんし、徴税も行われていません」
「じゃあ、あそこに住んだら?」
「住む?」
隣にいたフィアまでこちらを見る。
「例えばの話です」
「禁止はされていません。灰境では、放棄された建物を旅人や冒険者が一時的に使うこともありますから。ただし、建物を使ったからといって土地や家の所有権が得られるわけではありません。それに王国もギルドも、安全は保証しませんよ」
「追い出されたりは?」
「少なくとも、今のフェルンから誰かを追い出す理由はありませんね。住みたい人がいるとも思えませんけど」
最後の一言だけ、少し苦笑まじりだった。ギルドを出ると、フィアがすぐに口を開いた。
「住む気でしょ」
「何が?」
「フェルン」
「……分かる?」
「分かるよ。あんな聞き方しておいて『例えば』は無理があるって」
誤魔化すのを諦めた。
「悪くないと思うんだ」
「どこが?」
「宿代がかからない」
「まずそこ?」
「大事だろ。それに井戸もある。家も直せば使える。開拓町まで二時間なら、必要な物も買いに来られる」
言いながら、自分でも理由を並べているだけなのは分かっていた。
本当はもっと単純だ。
誰も住んでいない。
誰も欲しがっていない。
だから、俺がいても邪魔だと言う人間がいない。
「それに……今の俺には、帰る家もないからな」
フィアは少しの間、何も言わなかった。
「じゃあ明日、掃除しに行く?」
「手伝ってくれるのか?」
「一日だけね。あの家、レオン一人に任せたら屋根ごと壊しそうだし」
「俺を何だと思ってるんだ」
「今日だけで毒蜘蛛に噛まれて、灰牙狼にも突っ込んでいった人」
「……何も言い返せない」
翌朝、俺たちは開拓町で最低限の道具を揃えてから、再びフェルンへ向かった。買ったのは箒、縄、釘、それから安い金槌。木材は村の中にいくらでもある。崩れた家から使えるものを拾えばいい。
前世でも、捨てられた物を何でも同じように処分するわけではなかった。
再利用できるもの。
危険なもの。
燃やせるもの。
それぞれ分けて扱う。
ここにある物も同じだ。全部が駄目になったわけじゃない。使える物まで捨てる必要はない。
昨日見つけた家へ着くと、まず建物の周囲から確認した。屋根の一部は傷んでいるが、柱はまだしっかりしている。床も何か所か軋む程度で、大きく沈んでいるところはなかった。
「いきなり中を掃除しないんだ?」
「先に壊れそうなところを確認する。掃除してる途中で屋根が落ちてきたら意味ないだろ」
「へえ。ちゃんと考えてる」
「失礼だな」
使えそうな木材を探すため、近くの崩れた家を見て回った。完全に腐っている板は避け、乾いていて割れの少ないものだけを選ぶ。フィアが運び、俺が長さを合わせて屋根の穴を塞いでいった。
もちろん、大工のようにはいかない。
釘を曲げた。
金槌で指も打った。
一度、板を逆向きに取り付けてフィアに笑われもした。
それでも昼を過ぎる頃には、少なくとも雨が直接入ってくる穴はなくなっていた。
次は家の中だ。割れた家具を外へ出し、使える物と使えない物に分ける。
壊れた棚も、板として使える部分は残した。床に積もった埃を掃き、蜘蛛の巣を取り払い、窓枠には拾ってきた板を仮留めする。
「レオンって、こういうの慣れてるの?」
「片付けは昔から得意なんだ」
「貴族だったんでしょ?」
「……なんで分かった?」
「歩き方とか喋り方とか。それに短剣の握り方は素人っぽいのに、字は綺麗だったし」
「よく見てるな」
「森で生きるなら観察は大事だからね」
そこでフィアは、それ以上聞いてこなかった。ありがたかった。
夕方になる頃には、朝とは見違えるほど部屋らしくなっていた。綺麗とは言えない。
壁にはひびが残っているし、窓もちゃんと直せたわけではない。
それでも床から埃は消え、屋根から空も見えなくなった。
古い机を拭き、まだ使えそうだった椅子を一脚だけ置く。暖炉に薪を入れて火をつけると、長い間冷えきっていた部屋に、ゆっくりと暖かさが広がっていった。
「……家っぽくなったね」
「最初から家だろ」
「昨日は廃墟だったよ」
「今日は?」
「ちょっとボロい家」
「だいぶ昇格したな」
フィアが笑い、俺もつられて笑った。
持ってきた干し肉と硬いパンを暖炉の前で食べた。王都の屋敷なら、こんな食事が夕食に出てくることはなかっただろう。それでも不思議と、あの大きな食堂で食べていた時より落ち着いた。
食事を終えると、俺は椅子に腰を下ろして部屋を見渡した。
立派な家具はない。
使用人もいない。
大きなベッドもない。
家名すら、もう持っていない。
それなのに、不思議とここにいる方が落ち着いた。
「……ここにする」
「何を?」
「俺の家」
フィアがこちらを見る。
「本気?」
「ああ」
口に出すと、思っていたよりすんなり決まった。
誰かに与えられた場所じゃない。
家にとって価値があるから置いてもらう場所でもない。
ボロボロでも、自分で見つけて、自分で直した場所だ。
「誰もいらないなら、俺が使う」
フィアはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「レオンらしいね」
「まだ会って二日くらいだろ」
「二日あれば、それくらい分かるよ」
フィアは明日の朝、開拓町へ戻ると言った。俺はここに残る。一人になるはずなのに、家を追い出された日のような気持ちにはならなかった。
夜になり、フィアが奥の部屋で眠ったあとも、俺はしばらく暖炉の前に座っていた。薪の爆ぜる音を聞きながら、薄暗い部屋を眺める。
十五年間住んだ屋敷には、もう帰れない。
でも、それでいい。
俺は椅子の背にもたれ、小さく呟いた。
「……ただいま」
返事はない。
それでも初めて、この場所を家だと思えた。




