38 プロレスごっこ
「あー」
マロンは頭の毛を掻き、膨れたお腹を上に向け足を投げ出しています。少し離れて、ポポはチクを相手にプロレスごっこをしています。ポポは、本気で蹴り上げます。ポポの細くて短い脚が蹴り上がっても、チクには届くはずもないのですが、チクは片脚の脛を抑えて声を出して痛がります。ポポはチクの泣き叫ぶ様子を見ながら、軽く飛び跳ね続けます。ポポはチクの武闘の教えを守って、油断せずに足を動かしているのです。でも、他の人からは、ポポが腕を体の横で上げ下げして、チクの周りを踊っているようにしか見えません。チクが身構えると、ポポは細腕のパンチを跳ねる体から左右に繰り出します。ポポはチクが「うっ」と体を縮める度に、勝者の余裕を顔に浮かべて胸を張ります。最後に、チクが「立てない」と上目づかいになり、唇を噛みしめてうずくまりました。ポポは、チクに歩みよります。ポポの顔が赤らみます。チクを本当に痛めつけたのかと、手でチクの肩を揺らします。
「チク、、チク」
ポポが呟くと、次の瞬間には、チクはポポを丸めるように内側に取り込みました。「ぎゃー」とポポが手足をばたつかせます。「ぎゃー」と声をだす度に、ポポの口から涎が垂れます。そのまま、チクはポポを胸に抱き、回転して振りまわします。ポポの涎が、寝そべるマロンの額まで飛んできて、ペタリと一つ張り付きました。
「うえーっ」
マロンは、いつもなら、ポポとチクに突っ込んでいくのです。でも、ミミズ狩りにくたびれて、背中が重く感じていました。額の涎を腕で拭き、食卓の下に転がって体を丸めました。
ポポは、振り回されながらも笑っているので、口の周りが涎だらけです。台所から「静かにして」と母さんの声が聞こえると、チクはアンティークの椅子でも置くようにしてポポを床に下しました。ポポは歩こうとすると、直ぐに膝が折れ、尻もちをつきました。それでも、まだゲラゲラ笑っています。チクの目が忙しく動きました。ポポは、時々、笑いながら、一瞬で変身します。怪物が遠吠えする口つきになり、ポポのお腹の中の食べ物を逆流させます。そうなると、母さんは頭から湯気を立ててチクに説教をするのです。箒の柄で、追いかけられます。チクは台所の方をちらりと見て、焦り始めました。チクはポポを抱きかかえ、寝室に急ぎます。
「お休みなさい」
チクが台所にいる母さんとソラに、優等生の目つきで言いました。そして、横顔で挨拶をするようにして急いで通り過ぎます。
「おやすみ」
皿を拭いている手を止めずに、ソラが応えました。
ココは、もう部屋にいって休んでいます。母さんは、静かになった居間を眺めました。父さんに飲ませる赤珠を煎じています。ソラが流し台に後ろ向きに立ち、寄り掛かります。そして、ゆっくりと息を吐き、腕を組みました。
「父さん、今夜熱が下がるといいね」
ソラが母さんの手元を見て言います。母さんは少しの間考え込んでから、ソラに話し始めました。
「父さん、傷口の具合が良くなくてね。手術しないといけない」
赤珠の煎じ薬の甘い香りが湯気と一緒に立ち昇りました。母さんは鍋から目を離して、顔を上げます。ソラは顎に手を当てて口元を隠しています。その指の少しの間から、ソラの驚きのため息が少しずつ漏れていきました。




