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メビベルの空  作者: A2
第1章
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「1章-第8話:野を駆ける姉弟」

 昼下がりの陽光が、裏庭の石畳をやさしく照らしていた。

 木々の葉の隙間を抜ける風は、夏のはじまりを告げるように涼やかで、耳元をくすぐるたびに思わず深呼吸したくなる。

 ファルネイラ邸の倉庫前に佇むのは、一台のバギー車だった。

 埃をかぶって久しく使われていないそれは、小型ながらも重厚なフレームと大きなタイヤで、まるで戦場帰りのような無骨な存在感を放っていた。

 (うわ……まだ動くのこれ?てか、こんなの持ってたの?)

 ノーアが目を丸くしていると、その隣で姉のリディアが胸を張って言い放った。


 「動くよ!お姉ちゃんの手にかかれば完動よ!ちゃんとユラばあ直伝の整備マニュアル付き!」

 そう言うなり、リディアは軽やかに運転席へ乗り込む。

 スイッチをひねると、想像よりもずっと軽やかな音を立てて、エンジンがかかった。


 「さ、行こ!還火祭の薬草、明日までに用意しなきゃでしょ?ほらほら、助手席乗って!」


 「え、これ……ほんとに大丈夫?なんか、いろんな意味で……」

 不安げなノーアをよそに、バギーは砂埃を巻き上げながら一気に発進した。


 「うわっ!」

 むき出しの車内に風が吹き抜ける。

 その風は、思ったよりも心地よく、いつしかノーアの頬からも笑みがこぼれていた。

 ──しばらくして、森の中。


 「ふー……これで全部だね」

 両手に薬草の束を抱え、ノーアが息をつく。


 「お疲れ様、ノーア。そろそろ帰らないと昼飯に間に合わないしね」

 リディアの声は、森の緑と混ざり合って、どこか懐かしい音色に聞こえた。


 森の中を、バギーがゴトゴトと走る。

 荷台には、さっきまで二人で摘んだ薬草がぎっしりと積まれていた。


 「そういえば、姉さまはなんで騎士なの?」

 運転席に座る姉の背中に向かって、ノーアがふと問いかけた。

 リディアはしばらく黙ったまま、ハンドルを握る手を軽く緩めた。


 「そうだね……この世界じゃ強くないと生きていけないと思って、武に興味があったんだよ」

 言葉のあと、リディアの声にわずかに熱がこもる。


 「戦場で個が生き残るための三原則──“威・静・い・せい・しゅう”。

 “威”で主導権を取り、“静”で見切り、“終”で決める。どれが欠けても、戦場じゃただの的。

 強い奴ほど、この三つを身体に刻んでる。そして日々の錬度によって精錬された技が、雌雄を決する」

 ノーアは黙って頷きながら、その言葉を胸に刻み込む。


 「だけどさ、“威静終”の思想と大宮慈流戦術の創始者でもある大宮慈 時五郎に弟子入りしようと思ったんだけど……家族から離れられなくってさ」

 照れ隠しのように笑うリディア。だがその目は真剣だった。


 「けどどうせ戦うなら、守るために戦いたかったから騎士になったのさ。やるからには剣聖を目指すけどね!」


 「そうなんだね。戦うより守るって姉さまらしいかも(笑)」

 (なるほどね。体を鍛えたり経験することが“レベル上げ”なら、精錬ってのが“スキルレベル”って言ったとこかな)

 ノーアの脳裏で、ゲームのような世界観が組み上がっていく。

 だがその考えの延長線で、どうしても気になった疑問を口にする。


 「ところで、スクリプトって精錬とは違うの?それに、姉さんはどんなスクリプトなの?」


 「そっか……精錬とは違って、スクリプトは限られた人間にしか与えられない“覚醒”を機に得るギフトなんだよ。人によって能力がバラバラだから、結局は本人にしかわからないんだよね」

 リディアの言葉には、どこか慎重さがあった。


 「精錬された技は、錬度に格差はあるけど、ある程度肌を合わせればその能力の予想はできる。

 でもスクリプトに関しては予想もできない、いわば“奥の手”。

 だから、保有者はその能力について明かしたり、聞き出すこともご法度」


 「そうだったのか……ごめんね……」


 「いいんだよ。ご法度といえども、ARCには登録するのが義務なんだ」


 「そうなの?」


 「こないだローブの人たち見たでしょ?あのとき父さんが言ってたじゃん。“悪用されないよう守られてる”って」


 「あ、確かに!」

 軽快に進むバギーの中、リディアはふと前を見据えてつぶやいた。


 「……風を読む感覚」


 「姉さま?!」


 「ある日、いつものように訓練用の騎獣に跨った時、曲がり角の向こうに“風の流れ”を感じたのさ。

 馬の動きと、自分の身体の反応が“先に一致している”ような、奇妙な一体感……」


 その日、リディアは訓練用の騎獣にまたがっていた。

 山間の起伏をなぞるように、獣の脚が地を蹴るたび、風が頬をなでる。景色が流れ、空気が変わる。

 密度が違う。

 呼吸をしただけでわかる。音も光も重みを増して、世界全体が研ぎ澄まされていく。

 獣の動きに合わせて身体が自然に揺れ動き、だがその感覚は、もはや“反応”ではなかった。

 むしろ──“先に体が動いている”。

 地形の傾斜に沿って、踏み出す位置も、重心の移動も、すでに知っていたかのように。視線よりも早く、“次の瞬間の動き”が脳裏に浮かび上がる。

 (……あれ? 今、私……何を考えてた?)

 (……いや、なにも考えてなかった)

 (ただ、“一緒にいた”だけだ……この子と──)

 騎獣の息遣いと、自分の鼓動がぴたりと重なっていた。


 誰かに「気のせいだ」と言われるかもしれない。そんな“超常”が、この世界には存在している。

 だが、リディアだけは確信していた。

 これは偶然ではない。

 自分の中に、確かに何かが“始まっている”。


 視界がふたたび現在へと戻る。

 森を抜けるバギーの車輪が、湿った地面を蹴り上げていた。


 「それ以来、騎乗中はね、すごく直感的に制御できるようになったんだ」

 運転席から振り返ったリディアが、少し誇らしげに言う。


 「バランス感覚もね、医療の現場でめっちゃ役に立ってる。身体の動きってさ、思ってるよりも感覚で覚えるものだから」

 ノーアは後部座席で揺れながら頷いた。姉が自分の“特別”について語るのは、珍しいことだった。


 「でもね……スクリプトを使い続けると、ちょっと怖いときもあるんだ」

 リディアの声が少しだけ硬くなる。


 「ふっと、現実から足が離れるような感じ。“夢と地続き”になってるというか……現実が薄まるっていうのかな」


 「もちろん、乱用は危険だってわかってるし、それは事実。EX級なんて特に。覚醒のときに一時的に昏睡する人もいるし、私も……まあ、あったりなかったり」

 ぽろりと漏れたその言葉に、ノーアは胸の奥がじんわりと熱くなる。

 姉は、信頼してくれている。

 スクリプトについて、家族にすら簡単には話せないことを、今、自分にだけは話してくれた。


 「だから姉さまは軍事車両オタクだったんだね」

 ノーアがわざと茶化すと、リディアはにやりと悪戯っぽく笑った。


 「そうよ、わたしの能力をとくと味わうがいいわ!」

 そう言うなり、彼女はバギーを急停止させる。


 「えっ?」

 ノーアが身構える間もなく、リディアが高らかに叫んだ。


 「戦場フィールド開放ォォ!!」


 「進路ヨシ! 敵影なしィィ!!」


 「機動戦開始ィッ!!」


 「ビーストリンク、解放ッ!!」

 ドロドロの山道へ突入するバギー。前輪が跳ね、荷台が揺れ、全身に衝撃が突き上げる。

 だが、姉の操縦は正確だった。野獣のような走りを、まるで意志で操るかのように。


 「ヒャッハーーー!!!」

 二人の声が林の中に響き渡った。

 (クッソ痛いけど……なんか、クッソ楽しい……!)

 泥が跳ね、風が頬を裂くように流れていく。

 田畑の間をバギーが縦横無尽に駆け抜け、彼らはただ、子供のようにその瞬間を笑い合っていた。

 (インドアだった前世。あの狭い部屋……だけど今は、陽の光と風、姉の笑い声がある)

 ふと、リディアが顔をこちらに向けてきた。


 「なにニヤニヤしてんの〜? 姉の美貌に感動した?w」


 「いや、ちょっ……姉さん、頭にカエルのってるw」

 その瞬間、彼女の顔が青ざめる。


 「うわぁぁぁぬめぬめがあああ!!!」

 叫び声と共にハンドルがぶれ、バギーはさらなる暴走を始めた。

 笑いと泥と叫び声の中で、二人だけの“戦場フィールド”は、ひたすら爆走を続けていた。

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