「1章-第9話:虹糖パフェは勉強の味」
書斎の隣に設けられた小部屋は、静謐な空気に包まれていた。分厚いカーテン越しの光が、壁に立てかけられた古地図をかすかに照らしている。
ユリウスは書きかけの論文を机上に残したまま、眉間に皺を寄せて吐き捨てるように言った。
「三日前に説明したドーム定数αの適用条件も理解できていない……記録を取る癖はあるが、覚えが悪すぎる。」
その隣で紅茶を注いでいたカーラは、穏やかな声で応じた。
「そんなに責めても無駄ですよ。彼はまだ四歳児。彼の頭の中は、あなたの書いた論文のように整理されているわけじゃないのです。」
ユリウスが腕を組むと、彼女は静かに続ける。
「むしろ、記憶の網に穴があるならば、それに合わせた教え方を工夫すべきだと思います。」
だがユリウスは、わずかに肩を揺らして冷たく言い放った。
「私の教えは“学問”だ。感情に合わせて調整する“娯楽”ではない。」
カーラは眼鏡のブリッジを押し上げながら、ゆっくりと向き直る。その瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
「では彼がグラズナ帝国の学問を継いで、いつか爆弾でも作ったら責任取れるのですか? ルフェルト連邦の民として、あなたの知識は時に“武器”なのだと……」
その言葉に、書斎の空気が一段と張り詰めた。
ドーム内の町にある喫茶店。天窓から差し込む光が、色とりどりのスイーツをやさしく照らしていた。
三人掛けのテーブルに並ぶのは、見た目も華やかな虹糖ミントのパフェ。ノーア、カーラ、そしてハミルが、目の前の甘味に視線を落としていた。
「わ~、かわいらし~!」
ハミルが手を叩いて喜ぶ。頬はすでに満面の笑みだ。
「食べないの? ノーアが選んだ“虹糖ミント”乗ってるのに」
カーラが促すように微笑む。
「だってこれ、時間経つと色が変わるって言ったのカーラじゃん……」
ノーアはじっとパフェを見つめたまま、観察モードに入っている。
「またノーア、研究モード入った~!」
ハミルが笑いながらからかうが、ノーアは気にせず色の変化を待ち続ける。
そのときだった。ノーアのクリームソーダから、ぶくぶくと泡があふれ出した。
「わっ! あらら……紙!紙!!」
あわてて紙ナプキンを取り合うノーアとカーラ。一方、ハミルは意味もなく両手をバタバタと動かしていた。
小さな混乱を治め、ノーアの視線は泡立ったソーダに戻る。
(いや懐かしいな~。この世界にも同じものが多くあって、あり方だけが違うだけで)
(こうやってストローを差して、泡を立てて遊んでもなんも変わらない)
「ノーア、さすがにそれはお行儀が悪いですよ」
カーラが注意すると、ノーアは目を伏せてぼそり。
「すんましぇん……」
「でたね、ノーアのすんましぇん! あははは」
ハミルは無邪気に笑った。
「あっ、色が変わっていくよ!」
「本当だ!」
虹糖の色は、冷却が進むごとに水色から青紫、そして白みがかった透明へと変化していく。そのグラデーションは、まるで光が溶けていくようだった。
「綺麗……」
ハミルがつぶやいた。
「白くなれば食べごろですよ」
カーラが教えると、ハミルはスプーンを手に取って歓声をあげる。
「わーい!美味しい~!」
パフェをつつきながら、カーラはふと思い出したように口を開く。
「ちなみに虹糖は、血にも反応します」
「え、何かの感染症キットみたいだね」
ノーアの一言に、カーラは困ったように眉をひそめた。
「変な例えですねノーア……昔の言い伝えになるのですが──グラズナ人、あまりにも人を殺しすぎて、持っただけで真っ赤に染まったとか?」
「うそだ~それこわ~い!ゾンビ飴じゃん!」
(なんかグラズナ人っていろんな人から嫌われてないかな……汗)
空気がやや戻り、カーラが切り替えるように問いかける。
「まあそれはさておき、このパフェの材料の仕入れ先は?」
「大陸交易列車、通称“コントレ”」
「正解ですが正式には『大陸交易列車コンチネンタルトレイン』です。ではパフェの食材と容器の仕入れ先の違いは?」
「食材は新鮮さが重要なローカル便で、容器は……コントレのクロス便の可能性が高い?」
「うん!正解です!やはりあなたは名称の覚えが苦手ですが、少し大人びた視点がありますね。よろしい!」
カーラが満足げに頷き、冗談めかして続けた。
「もしかして4歳児じゃなかったりして。ちょっとして私、今ダンディなおじさまと話してたりする?」
「ブシュッ!!」
ノーアは吹き出してしまった。
「なわけないですよね」
カーラが笑みを浮かべると、すかさずユリウス風の口調で続けた。
「それに難しい言葉になると全く覚えられていないから、幼児期の海馬や前頭前野が発達途中である証拠」
「う~ん……覚えられるように頑張ります……」
(完全にディスられてるように聞こえるが、ここは耐えなくては……)
少しふてくされたノーアは、ポケットに手を突っ込んでふてぶてしくトイレへ向かった。
すると、近くのテーブルから女性客たちの声が聞こえてきた。
「うわー!かわいいあの子!!」
(えっ!俺?!)
「ほらっ、みんなも見てみなよ」
「きゃ、かわいい~!」
(なんか恥ずかしくなってきた……)
そのときだった。入り口から勢いよく走り込んでくる影があった。
「ノーア、お待たせ!」
リディアが飛びつくようにノーアを抱きしめる。次の瞬間、彼を降ろすと同時に周囲の女性客を見やり、まがまがしい鬼のオーラを放った。客たちは一気に引いていく。
その後ろからはセルジュもやってきた。
「ノーア、おまえも隅に置けないな」
「……あんた、また変なこと吹き込んでないでしょうね?」
リディアが振り向いてセルジュをにらむ。
「まさか? カーラ、ハミルもこんにちは」
挨拶を交わすと、セルジュはにこやかに提案する。
「じゃ、とりあえず駅に寄って、還火祭に足りないものをみんなで買いに行こうか」
「……あんた何しきってんのよ。さあ皆、行くよ!」
リディアが手を振り上げると、その横でノーアはふと思い出したようにつぶやいた。
「あ?! トイレ……」




